第12話 価値のない存在
ある昼食後の時間、午後の講義が始まるまで時間の余裕があったので、レティシアは一人で静かな所で本を読もうかと、学園の庭園の人気のない静かな場所へ足を進めていると、見知った姿が目に止まり足を止めた。
(あれは……、オスカー様……?)
敢えて、このような庭園の端に来るような生徒はあまりいないのか人気はない。
そんな木々に囲まれ人目を避けるような場所に、ジルベルトや兄のアランの友人であるオスカーと、レティシアの知らない一人の令嬢がそこにはいた。
令嬢の制服のリボンの色からも、オスカーと同じ学年であるかと思われた。
そして、心地好い風に揺れる木の葉の音と重なりながら、小声ではあったが二人の会話がレティシアの耳に届く。
「本気になったらおしまいって、初めに言ったよね?」
「でも……、オスカー様、わたくしは……」
「君は、婚約者と一緒になる方が幸せになれると思うよ?
こんな空っぽな、俺なんかよりもね
親に決められた将来へ足を踏み入れる前に、冒険は出来たかな?」
「わたくしは……、オスカー様と一緒にいられるのなら、家だって捨てられ───っん……」
オスカーは令嬢の言葉を遮り、彼女にその先の言葉を言わせないかのよう、彼女の唇を口付けで塞ぐ。
初めて見る男女が口付けしている場面に、レティシアは驚愕し狼狽え、こんな見てはいけない場面を覗き見しているような状況に、駄目だと思うが動揺からか足がその場から動かなかった。
口付けしながらも、その行為に気持ちすら入っていないようなオスカーは、目線を少し上げるとその場から動く事の出来ないレティシアと目が合う。
オスカーは、自分達の姿をレティシアに見られていた事に、一瞬驚いたような反応を示す。
オスカーがレティシアから視線を外すと、口付けしていた令嬢の唇からゆっくりと自分のそれを離して、令嬢の唇を親指で拭い言葉をかけた。
「これで、君の冒険はおしまい
良い思い出になったかな?
俺も君の冒険に付き合えて、美味しい思いを出来たから役得だった
俺は、君と彼との幸せを願っているよ」
「………っ!」
令嬢は、そんなオスカーの言葉と態度に涙を浮かべると、彼へキッと侮蔑の表情を向け、その場から走り去っていった。
そんな令嬢の後ろ姿を見送った後、オスカーはその場で動けないでいたレティシアへ目を向ける。
「それで?
お姫様はそんな所で、何をしているのかな?」
「………っ!? あ、あのっ……」
「レティシア嬢に、人の色事を覗くような趣味があったとは、驚いたよ」
「覗くっ!? ち、違いますっ!
覗いた訳ではなくて、たまたまこちらに来たら、オスカー様のお姿があって、それで──」
「ぷっっ! あははははははっ」
レティシアか狼狽えながら、言葉を並べていると、オスカーが突然吹き出し笑いだした。
そんなオスカーの様子に、レティシアは余計に戸惑う。
「オ、オスカー様……?」
「冗談だって、お姫様がこの場所にたまたま足を踏入れたんだって、わかっているからさ
驚いたでしょう?」
「驚いたというか……
申し訳ありません……覗き見しているような、はしたない真似をしてしまって……」
「偶然あんな所を見て、驚いて動けなかったんでしょう?
あんな姿をお姫様に見せたなんて、殿下やアランにバレた時が恐ろしいな~
変な姿を見せて、ごめんね」
オスカーはそう言うと、フワリとレティシアの頭を撫でた。
「あ、あの……、余計な事かもしれませんが、先程の方を追い掛けなくても、よろしいのですか?」
「追い掛ける?
あぁ~、追い掛ける必要はないんだよ
彼女は別に、俺の恋人という訳でもないしさ」
「えっ!? で、でも……、先程……あ、あのっ……、その……お二方は……」
「ん? あ~、口付けの事?
そんなの恋人でなくとも出来るし、彼女もその事を理解していると思ったんだよ
初めに、この関係は本気になったらおしまいにするって、彼女と約束したはずだったのにね」
「え……? え? それは……?」
オスカーの言葉を理解が出来なく、戸惑いを隠せないレティシアへ、オスカーは笑みを向ける。
「純粋なお姫様には、理解し難いかな?
彼女はさ、家の事情で、ある子息との政略結婚が決まっているんだよ
この学園を卒業したら、その相手とそのまま婚姻を結ぶ事になるとね
だけど、親のいいなりのまま将来をも決められて、自分の人生を終えたくないって言うからさ
冒険を楽しみたい彼女と、女の子とその場だけの色事を楽しみたい俺との利害関係が一致して、学園にいる間男女の楽しみを少しだけ味わおうって事になったんだけどね
だけど、本気になったら駄目だって、遊びだよって、この関係を始める前にしっかり言ったのにさ、家を捨てたいなんて言い出すから、終わりを告げたんだ
目の前の心地好さに幻想を抱いている、そんな彼女の状態に気が付いたから、関係に終止符を打ったんだよ
彼女にとっては、彼と一緒になる事の方が、恐らくこれからの貴族社会的には幸せになれる道だからね
俺のような空っぽな存在に、幻想を抱いたら駄目なんだと、わからせてあげたかったんだ」
オスカーがニッコリと笑みを浮かべながら語った言葉は、レティシアにとって、自分では今まで想像した事もないような内容であった。
そんなレティシアにオスカーは苦笑し、また優しくレティシアの頭を撫でた。
「君のような純粋なお姫様が、こんな穢れた世界の姿を理解出来ないのは当たり前だし、理解なんかしなくていいよ
君は、穢れなき妖精姫なんだからさ
穢れた世界の住人は、俺のような穢れた空っぽな人間だけで十分だから
こんな世界を君に見せたなんて殿下に知られたら、ただじゃすまないだろうな
殿下がずっと、大切に慈しんで守ってきた存在だからね、君は
それは、君の兄君のアランもそうであるよね
二人が怒り狂う姿が、目に浮かぶよ
ところで、どうして一人で居るの?
お姫様の騎士達はどうしたの?」
「オスカー様は、穢れた空っぽな人間なんかじゃありませんっ!」
レティシアの突然の言葉に、オスカーは驚く。
「え……?」
「どうして、ご自分でそんな事を言うのですか!?」
「どうしても何も、俺はこの通りのいい加減な人間だから──」
「違いますっ!
私はオスカー様の事を全て知っている訳ではありませんが、それでもオスカー様の事を私が知っている限りは、そんないい加減な方なんかではありません
だって、そんないい加減な方が人の嫌がる事を……、辛い事を……、自らやらなくて良い立場であるのにもかかわらず、進んで自らするわけないじゃないですか!」
「レティシア嬢……?」
レティシアが、必死にオスカーの人間性を、彼が述べた言葉を否定する姿は、オスカーにとって以外に思えた。
「高位貴族の子息達が、武術の鍛練を王族の方と一緒に行うという、同じ年頃の王子殿下が誕生されたら慣例となるこの王国の仕来たりは、我がハーヴィル公爵家も例外ではありませんし、我が家は王族の方との関わりも多かったので、それは当たり前の光景でした
それは、多くの武術に長けた騎士を輩出してきたマルクス家も、そうですよね?
私も、お兄様の鍛練に付いてよく王城へ伺っていましたが、本来王族の方や公爵家の子息達は、使用する鍛練場の整備など行わず、騎士団に入隊したばかりの、それも爵位の低い出自や平民出の騎士の方が整備を行うと伺っていました
それも、おかしな慣例だと思いますが……
整備はとても重労働であるのにも関わらず、まだ幼い公爵家のご子息が、騎士達と一緒に整備をしている姿を、私も幼かったですが何度も見た事を覚えています
それだけでなく、鍛練が始まる前なのに、それよりもかなり前から鍛練していたようなお姿も見ていました
いい加減で空っぽな方が、そんな事をするとは思えません
それに、オスカー様が影で沢山の努力をなさっていた事を、私だけでなくジル……殿下も、お兄様やミカエル様も知っているからこそ、今日の今までのような関係を皆様は、築かれているのではないですか?
本当にいい加減で穢れた空っぽな存在であったら、いくら公爵家のご子息であったとしても、きっと関係が崩れていたのではと思ってならないのです……
どうして、オスカー様はそんなにご自分の事を、卑下されるのですか?」
レティシアの言葉に、オスカーは一度言葉を詰まらせたが、一つ息を吐くと、先程までの軽い雰囲気とは違う感情の読み取れないような眼差しを、彼女へ向けた。
「君はお人形のような、ただの儚げな妖精姫ではなかったんだね
殿下が、君を選んだ訳が理解出来たよ
君は観察力も、洞察力もあるんだね」
「オスカー様……?
あ……、出過ぎた事を言ってお気を悪くさせてしまったのなら、申し訳ありません……
でも……、私は……」
「さっきまでの、威勢の良さはどうしたの?
うん……、剣術は今でも好きだし、手も抜いてはいないよ
そんな剣術を始め武術を鍛える場を整える事は、鍛練と同様に大切な事だと思っているから、今でも整備や準備をする事に加えてもらっている
ただ、それは他の高位貴族出の者には、理解し難いらしいけどね
剣術は、自分自身でやればやるだけ、自分の力となって反応がわかるようにかえってきて裏切らないから、好きなんだよ
君の言った事は合っている
だけど、その事と俺の価値は違う」
「価値……?」
「この貴族社会では、価値のある存在とそうでない存在がいるって事だよ」
そうオスカーは言うと、普段とは違う冷たい笑みをレティシアへ向けた。
「だから、未来の王太子妃の君は、俺のような価値のない人間に深入りしては、駄目だよ」
オスカーのそんな表情と言葉に、レティシアは何も言う事が出来なかった。
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