*****14 未熟者の愚考と救援の愚者
「ちょっ!」
一樹がいる付近もそこかしこから激しい音が聞こえ始めている。そのことが神崎の背を追おうとした一樹の足を止める。
「と、とりあえずナースステーション覗きに」
『キャアアアア!』
どしんとした音の後の大絶叫。ぐいっと首根っこを後ろに引っ張られた一樹はジロリとフクを睨んだ。それも束の間、フッと辺りの電灯の光が落ちたことで、今の音が落雷だと知る。
うるさく叫びつつ一樹の後ろに隠れたフクはガタガタと震えていた。
『アワワワワワッワッ』
「マジかよ」
フクが叫びたくなるのも判る。HCUのガラスの向こう、非常灯に照らされた中に無数の人が立っていたからだ。ゆらゆらと起き上がる、今の今まで眠っていた患者達の瞳は閉じられたままで、何者かに操られている事は明白だ。
集団が不自然極まりない動きで一斉に起き出した様はゾンビ映画のワンシーンといっても過言ではない気がする。
「まずい……えっと」
忘れそうになっているが、ここはHCUなのだ。よく見ると患者達は様々な線や管を引き連れたまま動き出している。霊体ならともかく彼らは一般人の生体である。つまり……
『わし、お化け屋敷苦手やねん』
「バカな事言ってないで、頼む。『縛の法』」
一樹が札を手にし、印を結ぶ。
要観察の患者達に、更にダメージが入るのは避けたい。一樹達がやったことではないが、裏の依頼としてしっかり関わっているだけに、出来ることはしておかないと後の処理が大変なことになってしまう。
『はいよー』
フクが羽ばたいた。一樹が手にした札が震える。それは次第に強い風にさらされた様に激しく動き出した。
「在 風の声よ ここに 元となり」
術の行使には正しい言霊が必要だ。
修練を積めば道具も必要なく術式も短縮できるが、今の一樹にはこれが精一杯。昔から使い続けてこれなのだから、片手の印だけで発動出来る術者の力量たるや計り知れない。
「あるべき場所へ……」
言霊を言い終えた一樹の手から札が消える。かわりに、患者達の足元にそれは出現した。複数の細かな破片は、その影に突き刺さり、光り輝く。影を縫いとめられた身体はその支配を受け一切の動きを封じられるのだ。
霊体だけではなく、生体にも使える術は意外と少ない。その中でも一樹が発動出来るものはさらに限られてくる。しかも今の一樹の力では複数のへ術の行使が難しく、こうしてフクの補助に頼っているというわけなのだ。
『一樹、他のなかったん?大丈夫かいなこれ』
「た、たぶん。短時間、なら?」
一樹の頭上で羽ばたいたまま静止しているフクの顔は少々呆れている、ようにも見える。
言いたいことは勿論一樹にも判っていた。管を付けたままの患者を立ちっぱなしで拘束は誰がどう見ても善くはない。
「とにかく、杉本さんを何とかしないと」
『いや、おらへんけど』
「え!」
ガラスに貼りつかんばかりに額をくっつけて一樹は目を凝らした。
確かにいない。今の今までそこのベッドに横たわっていた筈なのに。
(どうする?)
昼間も確かこんなことがあった。だが、今の彼女は霊体ではない。急に消えることはあり得ないのだ。
恐らく術の最中に見逃した、そんなところだろう。
「くっそ!」
『か、一樹!?』
僅かに気配が感じられた方向に一樹は駆け出した。
フクの戸惑う姿が目の端に映ったが構ってはいられない。
「『縛の法』の維持頼む!」
『ちょお! わしお化屋敷敷苦手やて、行かんといてーな! 一樹―!!』
絶叫にも似たフクの叫びを背中に浴びながら、気配の方へと向かうと、それはあった。
先ほど通ってきたナースステーションだ。非常灯の明かりだけのそこは何とも不気味に静まり返っている。今は落雷による停電直後で、本来なら院内関係者がバタバタとしていそうなものであるのに、周囲にその動きは全く感じられないのだった。
しん……と、静まり返った中、身を屈ませ息を殺す。
室内は暗くてよく分からないが、何かの気配がする。
扉はわずかだが開いていた。そこから何とも言えない臭気が漂ってくる。それは次第に強く、とても間近に感じられた。
「ガハッ……!」
次の瞬間、一樹の身体は室内の壁に叩きつけられていた。
(なんて力だ)
衣服を掴まれ中に引き込まれてしまった。息を整えながら、目の前の脅威を睨みつける。
「ってぇー。もろに、生身だっつの……」
背中から受けたことで意識は失わずに済んだが、術をかけていたわけでもない。受けた衝撃に全身が痺れているが、一樹は何とか立ち上がる。
顔を上げると、『虚ろ』を凝視していた瞳がギョロりと一樹を捉えたのが見えた。その看護師は一樹を投げ飛ばした腕を払うと耳を塞ぎたくなる様な絶叫を上げる。
「ここの人達も憑かれてるのか」
(この声は、まさか)
ものすごい金切り声に一樹は顔を顰めた。
室内は割れたガラスの破片や散らばったカルテなどが散乱している。
それらを踏む音が周囲の暗がりから幾つも迫ってきていた。前方を警戒しながら一樹が目を配ると、じりじりと距離を詰めてくるそれは左右から一樹を取り囲んでいる状態だった。
「杉本さんじゃないのかよ」
目的の人物はいない。小さく舌打ちするも、すでに壁際に追い込まれている一樹に余裕は一切ない。室内の出入り口は一か所。目の前の敵だけでも排除出来れば脱出は可能だろう。
しかし前述した通り一樹の能力はディフェンス。複数体を相手にするには、たとえ退避だけをするにしても分が悪すぎる。しかも今は眷属であるフクもいないのでさらに条件が悪い。
だが四の五の言っている暇はない。
看護師が左右から一樹に向かって飛び掛かる。
憑依されていると言っても相手は一応生身の人間だ。急所を狙えば何とかなる。
多少心得のある一樹が身構えたその時、光る物体が空を切る速さで敵を弾き飛ばした。
「!」
一樹の前に真白の獣が降り立つ。
「賈氏! 紫乃!」
普段は大人しく垂れ下がっている尻尾が天を突き、低い唸り声で敵を威嚇している2匹の元に一樹は駆け寄った。
「どうしてここに」
紫乃が一樹を振り返る。すぐに合点のいった一樹は先行した2匹と共に出入り口に向かって走った。
「てか、神崎は?」
そのまま来た道を戻りかけたが、あっ…と振り返る。印を切りながら、ナースステーションの扉を蹴って閉めると、一樹は意識を集中させた。
「臨!」
空気が一瞬張り詰め、小さな金属音が耳を掠める。
何とか術式が間に合った。直後、けたたましく扉が揺れる。だが緘術された扉は開かれない。激しい音と圧に思わず一樹は後ずさっていた。
だがこれも、いつまでもつか分からない。
『どうして邪魔をするの』
「!!」
その時だった。
声が、脳内に響いた。直接頭の中に語り掛けてくる声には、聞き覚えがある。
「杉、本さん? ……くそ!」
衝撃音にハッと我に返る。気を取られている間に、扉が破られてしまった。なだれ込むように、押し合いへし合い出てきた看護師達はお互いに傷だらけになりながら、一心に一樹に向かってくる。
まるで亡者だ。正気を失い、何もかも振り乱す様からは憑かれる前の面影はない。
「っ!」
その内1人の手が一樹の手首をとらえた。あ……と思った時には、一樹の身体は軽く宙に浮き、常人のそれとはかけ離れた力で引っ張られてしまっていた。もう片方の腕が大きく振り上げられる。
(殴られる!)
一樹が衝撃に備え身体を固くする。
だが、その腕が一樹に振り下ろされることはついになかった。




