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*****13 芽吹きの両の手



「ふざけんなよ……」

「神崎?」

 一樹が怪訝そうに神崎を見ていた。その足元には一樹によって名を与えられた賈氏と紫乃がいる。

 瞬間、我に返ったが、それを表情には出さない。一樹に取り繕う風もなく神崎は微笑む。

「うん。ちゃんと聞いてるよ」

「今度からは、ちゃんと名前呼んでやってな」

「うん。そうだね」

 一樹に言ったこと、それだけは嘘ではなかった。

『あの子を見つけること。それが、俺が仕事を続ける理由。その為に俺は自分自身と、この立場を利用してる』


 幼心に芽生え根を生やした歪んだ思いは、そのまま時を経て今に至る。

 強くなって、一族の中で力を得て。過去の目録を閲覧出来さえすれば、あの子の事が判る。

 知りたいのは、逢いたいのはその人ただ1人だけ。

 その為ならと、ずっとあれから1人で戦い続けてきた。

 無茶をしたこともある。時には自らを、そして依頼人を危険に晒してまで早期完了に拘ったこともあった。

 カノとは相変わらずだった。ひとまず親族が名付けた総称で呼び、必要最低限しか言葉を交わさない。触れることすらも。それで何の不都合も不便も感じなかった。

 そうして数年が経った。組織の中での立ち位置、あるべき姿を演じ、ソコに在る事が自身でも自然に思い始めていた頃、『白狐』を通してある男が連絡を取ってきたのだ。

 その男とは一樹の父、寿一であった。

 依頼内容は、神崎の任務に橘一樹を同行させること。

 神崎自身そのことを知ったのが任務の通達をする窓口からだった為、寿一と直接顔を合わせたわけではないが、退魔師の一族である四大家の1つからの依頼ということと、一樹が同年代であることで、何となくは察しがついた。

 四つの家系は特に争ってもいないが仲は良くもないと聞く。積極的な交流もなされていないことは一族にとっても周知だ。

(つまんないお家自慢か何かってとこでしょ。馬鹿みてえ)

 すでに数々の任務を単独でもこなし、武功も立てていた神崎は、相手の出方によってはその鼻っ柱をへし折ってやるつもりでいたのだった。

 だが、出会った一樹は神崎の大よその予想に反して、むしろ劣等生だった。

 妖異に対して消極的な姿勢であり、霊体の区別も曖昧で、自らの身を守ることも出来ない。

 橘家は何を思って今回の任務を依頼してきたのか図りかねていた時に、言われたのだ、一樹に。


『じゃあ、俺がつけてもいい?』


 カノの名前を付けるという。

 無垢な目で神崎を見上げる一樹は恐らく、本当にただ疑問に思っただけなのだろう。だが、神崎にとってそれは、言葉を詰まらせるに十分なものだった。

 どうして? と今まで幾度となく問われた訝しげな表情はみな同じ。次第に非難へと及んだ眼はもはや見慣れたものだ。その中にあって一樹の純粋な思いと視線は、ある種の気づきであったのかもしれなかった。

 さらに驚いたことは、カノ自身の反応だ。明らかな拒否を示す筈だった、というのに。

 カノ、そして神崎自身も、何故か了承してしまっていたのだ。それは一樹が名を付けることに違和感を覚えないという、違和感だった。

 心がざわめく。

 久しく感じていなかった感情だった。他人に対して興味が沸くなどいつぶりだろう。

 たった数時間を過ごしただけの間柄。だがゆっくり話をしてみると、一樹は驚くほどすんなりと神崎の中に入ってきた。

 己の業に戸惑い、葛藤している。その姿に幼き日の自身を投影させてしまう。

 あの日、何も出来ず守られてばかりいた自分自身が、そこにいる。大人達の掌の上だったと気付いた時、どんな気持ちだっただろう。

『ごめんね……』

(だからってわけではないけれど、いや、だからなのかな)

 任務の守秘義務の事も都合よく忘れて、驚くほどすんなりと真実を話してしまった。


(あの日から今日まで、これでもしっかりとやってきたんだよ? ほんとに、何をやっているんだろうね、俺は)

 自嘲気味な笑みも慣れたものだった。しかし今の神崎の心の内は、これまでと確かに何かが違っていたのだ。

 一樹に名を与えられた賈氏(かし)紫乃(しの)は嬉しそうで、思いの外すっきりしているこの心が本当ならと、自然とそう願ってしまっていた。

「さっきから黙って見てるけど、何?」

「んー? 一樹君はいい子だなって話かな」

「はぁ?」

 一樹が顔を上げる。

 もはや恒例となった一樹の頭を撫でようとする手は、今回は残念ながら回避されてしまったようだ。

「残念」と長椅子から立ち上がる。

 微笑まれた一樹はムッとした顔のままそっぽを向く……が、その表情がサッと強張った。

「あれって、まさか」

「まずい」

 ガラスの方を向いた神崎もその異変に気付き、言葉を失う。

 横たわっていた杉本の身体から霊気が漏れ出ていたのだ。赤い靄はドライアイスの煙の様にゆっくりと広がりを見せ始めた。これはー……。

『自分の御霊(みたま)以外も取り込んでしもたんと違うか? ヤバいであれ』

 ポンっと出現し肩にとまったフクはいつもより眠そうな目ではなかった。

「また来たのお前」

『そら来るよ!? 一樹の眷属(けんぞく)やでわし~』

 見ると賈氏と紫乃も身を屈め臨戦態勢をとっている。

 周囲の空気は重いそれに変化し、暖房がきいていた室内もすでに吐く息は白い程に気温は低下していた。

 全身の神経を研ぎ澄まし、気配を探る。

 ふいに神崎の眼差しが鋭くなった。

 何かの影が一瞬見えたのと、耳につく金属音が2度鳴ったのが同時だった。神崎は1、2歩下がりつつ、そのまま軽々と後方転回する。妖異からの攻撃を防いだのだと一樹が認識したのは、見事に後方に着地した神崎を捉えた時であった。

「いきなりとは随分だね。妖異相手に期待はしてないけど」

 軽く相手の攻撃を凌いだ神崎は涼しげな表情だ。いや、むしろ(たの)しそうにも見える。

 不敵な笑みを浮かべ、手にしたソレをくるりと回して見せた様は非常に絵になっていた。

「なっ、なに……」

 一樹の口があんぐりと開く。それほどに今目の前にある光景は非現実的だった。彼の両手には2丁の拳銃がしっかりと握られているのだ。

 銃同様に手首も淡い光で包まれており、そこには刺青(タトゥー)の様な文様が浮かび上がっていた。

 一樹の視線に気が付いた神崎がバチッとウィンクする。いちいちムカつく男である。

『一樹、戦闘態勢。モテる男、目指してるんやろ?』

「何それどういうこと!?」

「今そんなこと漏らすなよ!! お前ほんとに俺の眷属かっ!」

 一樹の怒鳴り声と神崎の声が重なり、通路の先から何かが割れる音が聞こえてきた。視線がそちらに集中する。

「複数体か」

 神崎が銃を手に素早い身のこなしで通路の奥に飛び込んでいった。


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