*****11 私と私の別れの名
青年達と入れ替わりに、受付で面通しを終えた一樹達はガラス越しに室内を見つめていた。広いガラスの向こうには白の室内が広がっており、ベッドと無数の医療機器が並んで鎮座している。
「これって、もしかして」
「えと、はい」
一樹の呟きに神崎が口籠る。
ガラスの向こう、眼前に眠っているのは間違いなく杉本だった。
しっかりと閉じられた目蓋と、無機質に数字を刻む心電図モニターが医療器具が彼女の意識がないことを示している事は、一樹にも勿論判る。つまりは……。
『要は今朝一樹が喋った相手は霊体やったっちゅーことやな』
2人の間にポンっと出現したフクが一樹の顔の横で静止する。
沈黙の妙な間とフクの羽音。恐らくそれは数秒ほど続いた。同時進行で顔を真っ赤にしてしまっていた一樹はガラスに枝垂れかかって恥ずかしさに呻いていた。
先程までの緊迫さは消え去り、どこへやら。
こんなことにも気づけなかった不甲斐なさに、もはや一樹はそれどころではない。
「でもね、一樹君。これは全然些細な事だから、その」
『はぁーん! これがモテる男の気遣いや~。一樹も見習わなアカンのと違うか~?』
「お前いま呼んでねーし!」
ぐしゃっ、と一樹に顔面をガラスに押し付けられたフクは片言になっている。
『ナンデヤカズキ……』
「ホント仲良いね君達」
ポテンとそのまま床に落ちたフクは消えてしまった。
「逃げたな、あいつ」
苦虫を噛み潰した顔でそっぽを向くも、これは一樹なりのポーズなのだと神崎にも判っていた。フフッと神崎の口から漏れた笑みに、よりいっそう一樹の恥ずかしさは増していく。
「上手く言えないけどね。一樹君はそれでいいんだと思う。それに俺は君を騙していたわけだし」
「それはでも、神崎側の任務だったから」
再び2人の間に沈黙が落ちる。
守秘義務は絶対だ。退魔師同士という繋がりはあれど、そこは揺るがない。
義務を破った神崎が今後どう処罰されるのか、一樹には想像もつかなかった。神崎曰く、今回誓約は交わしていない事が救いらしいが、「どっかしらからバレてそうだよねー」と、微妙な表情をしていた。
誓約。己の血で誓うその儀式は守られぬ場合、その書を作成した者が相応の咎を受ける術式だ。一樹は未だ見たこともないが、時に組織から誓約を強いられる事もあるという。
書の作成者は主に、その者の近親者や恋人だ。罪をかぶるのは破った己ではなく、その者の大切な人、守りたい人である、ということ。人の情で縛るこのやり方に異論を唱えるものも出ているというが、上層部は未だこの方式を変えるつもりはないらしい。
「杉本さんは、ずっと眠っていたんだよ。それこそ俺が任務を受けたその時からね」
神崎がゆっくりとした口調で話し出した。
時折、ガラス越しの杉本を見やりながら、静かに。
「依頼者は彼女の両親からだった。娘が赤ん坊を身籠り、中絶手術を受けたがそこから意識が戻らない。医師が調べても原因不明だとね。娘の周りで起こる異変を不安に思った両親はあらゆる手を尽くして解決策を探した。その内の1つが俺の所属する白狐だったってわけ」
「じゃあ、さっき俺が見た子供達は、杉本さんの?」
「含まれているだろうね、恐らく。聞けば相手の男は身籠った彼女を突き放した挙句、堕胎を強制させたらしい。共に出現する複数体は恐らく彼女の想いと同調した霊体が融合したモノだと思うよ。出現箇所は過去に自殺者のあった駅、産婦人科のある病院付近ばかりだったからね」
神崎は顔を顰めて腕を組んだ。
「依頼者の望む解決って?」
「杉本さんの意識回復。こちらとしてもそれで周囲への障りも無くなれば御の字だから」
その言葉に、はたっと一樹は思い当たった。
「もしかして、さっき光玉に封印したのって」
「そう。杉本さんの御霊だよ。肉体を抜け出し彷徨っていた。今まで散々逃げられてきたから、ほんと助かったよ、さっき。どうにも不得意分野でね、未だに時間かかるの」
「あれで、時間かかってるとか」
一樹は絶句した。
神崎が見せた光玉での探索や封印術。一樹からすれば難なく使いこなしている風にしか見えなかった。
「俺はアタッカーだからね」
一樹の心中を察した神崎が肩を竦める。
『アタッカー』という言葉に首を傾げていた一樹に気づいた神崎が「ゲーム用語なんだけどさ」と呟く。
「つまり、敵となる対象へダメージを稼ぐ役割の事だね。後は前衛に立ち、背後にいる味方を守る役割の盾役や、仲間の治癒や状態異常を治す治癒師なんかが、大まかに分けた役割かな」
役割。
一樹は目を伏せる。
「じゃあ任務完了といきますか」
胸の前で空に向けた両掌はボールを持っているかの様な形をしている。
そこにふわりと浮かんできた光玉は杉本の元へ向かいながら、一瞬の内に空気に溶け込んでいった。
杉本の全身が淡い光を帯びた気がする。
「すぐ目覚めてくれるといいけど」
神崎が息をついたのが判った。安堵の表情を浮かべ、廊下に備え付けられている長椅子に腰掛ける。
その足元を音もなく付いてゆくのは、いつのまにか出現していた白狐だ。2匹はそれぞれに神崎の側に位置取りをした。
(フクならすぐ肩に乗ってくるのにな)
しかし神崎の眷属にはフクの様な気安さは皆無だ。主従関係がしっかりしているのだろうが、ある種の緊張すら感じさせるのだった。
「そうだ」
一樹が神崎の前に跪いた。正確にはその足元にいた狐達になのだが、驚いた神崎が声を上げる。
「一樹君?」
「カノ。名前考えたから、聞いてくれる?」
静かに語り掛ける。微動だにしなかった白狐達が顔を上げ、一樹を見つめた。赤い瞳がキラキラと輝き、白貝の様な耳が何度も揺れる。
「巻き尻尾の君は『賈氏』。尖がり耳の君は『紫乃』。2人の名前であるカノから一文字ずつ取ったよ。気に入ってくれるといいけど」
「!」
突然白狐の姿が青白く発光し始めた。
そのまま暫く動かなかった身体が大きく跳ねる。毛並みはうねりながら、徐々に白狐の身体に巻き付いてゆく。やがてそれは身の内に入り込むように動き始めた。入れ替わりに現れた毛色は雪の様に白く、そして力強いものに変わってゆく。
『ナダ』
『ナマエダ』
『ワタシノ』
『ワタシダケノ』
『カズキガツケテクレタ』
やがて浮遊した2匹の意識が一樹達に流れ込んできた。
とめどなく反響する。それはまるで木霊のようだった。




