『夏色怪奇巡り』
『夏色怪奇巡り』
⑴
夏の空は暑いので、コンビニに寄って、アイスでも買おうと思った。財布の中の小銭を数えた。札は使いたくないので、小銭の数は確認必須だ。コンビニに入ると、いらっしゃいませ、と声が聞こえる。昔飲食店でバイトをしていたので、いらっしゃいませ、の一言でも、それなりの仕事であることは明瞭だ。
ポイントカードを出して、ポイントを付けて貰い、アイスを買った。モナカ使用で、中核にチョコレートの板が入っている。まずは、今出たコンビニを後にして、なだらかな傾斜の道を、歩き出す。片手には、さっき自販機で買ったペットボトルのお茶がある。十歩程歩く毎に、冷えた冷たいお茶を口に含む。それなりの効果が、自分にはあるのだ。
目指すは、古本を置いている店である。読みたい本があるし、新しい本に出合うのも楽しみだ。本の内容を、予め空想する。夏の暑さで、空想の領域すら、温度で脅かされて、少し変な気持ちになった。悪い意味ではない、ただ、暑さが影響しているのだ、と思い直して、また、お茶を口に含む。気が付くと、随分歩いていた。
⑵
なだらかな傾斜から、道の頂点まで行って、今度は下り坂になると、電車の駅が見えてきた。ふと、安心したような気持になって、友人に唐突に電話する。
「おはよう、もう起きてるかなと思って。自分が起きたの朝の6時だよ。それから身支度して、7時になって外にでた」
「そうなんや。どうでもいい話やな。また歩いてるんやろ。前も言ってたあの駅からは電車に乗るなよ。あの駅から次の駅までの間だけ、幽霊列車に変わるからな」
「いや、乗ろうと思ってる。今着いたとこやもん。幽霊列車の話はもう何回も聞いた。前も乗ったけど、何にも無かったで。古本必要やし。じゃあ電話切るで。また寝るんやろ」
そう言って相手の返事を待たずに電話を切った。携帯というものは、便利やな、良い世の中になったなと思いながら、友人の言ってた幽霊列車に乗るために、改札券買って、ホームへと急いだ。
⑶
休日に限って、自分はその一駅を乗って、古本屋へと足を伸ばす。本当に、自分がその駅から一駅乗る時、どこも幽霊列車という感じは、列車体から受けない。いつも何を言うんだという気持ちで、友人の話を聞いている。しかし、列車に乗る度、一体幽霊列車とは、何のことだろうと思うし、友人の言葉に懐疑的になる。
楽しいことや嬉しいことのために、自身の生活の時間やお金を使うのは、生まれてこの方、一度も損だと思ったことはない。喉が渇いたら、平気で自販機のお茶やコーヒーを買うし、欲しい本が見つかるまで、古本屋で時間を費やす。そんな日常に、誰も口は挟めないだろう。
しかし、今日に限って、妙な現象に出くわした。いや、妙と言うよりは、怪と言った方が自然かもしれない。一駅乗って、列車を降りて改札を通り、二分程歩いたら着く古本屋のある棚に、驚くべき本があったのだ。タイトルは『幽霊列車』である。何かの間違いかと思い、もう一度本のタイトルを読み返したが、やはり、『幽霊列車』だった。さっきの友人に電話をかけて驚かそうと思ったが、何度かけても一向に通じない。電話は諦めて、その本を読んでみることにした。
⑷
いざ本を開いてみると、そこには何も書いていなかった。空白のページだけがひたすら続いているのである。120ページ、何も書いていなく、最後のページに、一言、
〈この本を読んだあなたは、何も考える必要はありません、今まで通り生きて行けば良いのです。ただ、この本を読んだからには、もうあなたはいままでの世界に戻ることはできません。〉
急に恐ろしいような気持になって、本を閉じると、駆け足で古本屋の外に出た。驚きとは打って変わって、全くいつもの世界だった。いつもの町だった。何を驚かすんだ、と少し怒りの感情を持て余しながら歩いていると、駅がなくなっているのである。さっき乗ってきた列車が到着した駅がなくなている。目を疑った、空き地になっていて、これはやばい、と思いながら友人にもう一回電話をするが、また一向に出ない。留守電にもつながらない。メールを送ろうと思ったが、携帯から、メールの機能が消えている。もっと空き地の中核まで歩くと、遥か向こうの方向に、電車の駅が見える。あれは、自分が下りた駅の次の駅だ。乗車した方向を眺めると、やはり駅は消えている。つまり、友人の言った幽霊列車になる駅と駅の二ヶ所が消失しているのである。
自問自答をしながら、答えを見出そうとするが、自分は幽霊列車に確かに乗ったのだ、と思った。駅以外の建物は、依然と全く変わりない。そこで、道行く人にこの現象の意味を確認するため聞いてみると、
「何言ってらっしゃるんですか。駅、あるじゃないですか。幽霊列車何て話は聞いたこともないし、そんな現象ある訳がない。駅が消失するなんて、馬鹿げた話だ」
誰に聞いても、駅はあると言うし、今乗って下りてきた所だ、と言うし、しかし、駅は視界に移らない。もう、駅の事は忘れて生きて行こうと思った。
その日から、自分は例の幽霊列車になる間の駅と駅の間を、電車に乗ることはなく、歩いて過ごすことにした。そして先日、友人に電話が繋がったので、事実を話すと、こう言う。
「だから言っただろ、幽霊列車に乗ると、その区間の駅と線路が消えるんだ。俺も全く同じ経験をした。ランダムに現象するらしいがな。携帯が繋がらなかったって、俺、その間ずっと寝てたんだ。別に怪奇現象じゃないよ。ちゃんと着信も残ってたし。でも、メール機能、俺も消えたけどな。まあいいや、これから二人でその古本屋に行くことがあれば、電車には乗れないんだから、歩いて行こうぜ、じゃあな」
「何か、乗るんじゃなかったと思ったけど、消失は消失で面白い怪奇現象だな。明日から、歩いて過ごすよ、幽霊列車の区間を。」
自分が返答の言葉を発したが、既に友人は電話を切っている。全く薄情な奴だと思った。
⑸
恐ろしい現象に出くわしたが、その事実を共有できる友人がいるだけでも、安心できることだと、思い直した。世界には、色々な怪奇現象があるんだろうな、とぼんやり思いながら、片手にもっているペットボトルのお茶を飲んだ。こんな毎日だったら、苦しいけど面白いな、と思いながら、じっと、夏の光の眩しい空を見上げている。ただ、この怪奇を、まるで常識の様な日常と、薄っすら認識しながら。