紅の太陽
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
ねえ、つぶつぶ。あんたって、重大なイベントが近づいてきたら、緊張する方?
私はめちゃくちゃ強がるけど、内心では緊張しまくるタイプね。誰にも見られたくないもの、カチコチな自分なんて。情けないでしょう?
――そういう隙を見せれば、男はもっと構ってくれる?
難しいわねえ。生まれてこのかた、人前でしおらしい態度とかとってこなかったから、急にやれと言われても、どうやったらいいものか。家の男はガンガン前に出ていくタイプだったから、私も感化されちゃって、ズバズバ好き勝手動いて、引っ張りたいのよねえ、心情的に。
――姐御肌は、男の中だとニッチな需要?
ふふん、ニッチと言うことは、いないことはないというわけ? ゼロじゃないだけもうけものじゃない。やっぱり、このままの路線でいこーっと! 緊張した姿なんか、見せないわ。
……と、話が飛んだけど、最初の緊張の話。自分が想像している以上に、相手は緊張していることは結構ある。
私が少し昔に出会った、変わったケース。ちょっと聞いてみない?
私の地元は、時々、とてもきれいな夕焼けが見える場所だった。
その夕焼けは、格別に紅かった。陳腐な表現だと思うかも知れないけど、そこには少しも他の色が混じっていない。
見る者の瞳から、頭の深い深いところまで差し込んで、感性の畑に、紅い種が植え付けられてしまう。そんな錯覚を覚えてしまうくらい。
おばあちゃんは言ったわ。「あの夕焼けは、苦を乗り越えた先にある。だから、あんなにも美しい」と。 そして、私が中学二年生になったばかりのこと。
この時期、クラス中では、男子も女子も互いを意識し始める空気が漂い始めたわ。ただ、そこに恋愛が絡むとは限らなくて、単純に快か不快かで語られることも多かった。
男子の中でもあったんじゃない? 女子の中で気に入る奴、気に入らない奴の品定めが。ディープになると、同性の嫌いな奴を、異性の嫌いな奴と想像の中で絡ませて、嫌悪感を煽るなんてこともあったわね。
自然と観察眼が磨かれてくる。私も「あ、今見られているな」と感じることがあったわよ、男女問わず。見えないところで悪評を広められるのは気に食わなかったっていう気持ちも、今のサバサバスタイルにつながっているのかもね。
そんな風に、クラスを見やるようになった私。すると、今まで見えていなかった奇妙な動きにも気づくようになったのよ。
2クラスしかない私の学年には、双子の兄妹がいた。私のクラスには兄。もう一方には妹がいたわ。
たまたま近くの席になって、私は彼とそれなりに話すようになった。ルックスはぼちぼち、授業その他の学校生活でも、手を抜かずに取り組んでいて、青春を謳歌しているなと感じたわよ。
ただ、彼ね。月に一回くらい、猛烈に不機嫌になる時があるの。
普段が物静かなだけに、ちょっとしたことでも、すぐに言葉を荒げるから、目立つのなんのって。まるで思い通りにならないと、すぐにビービー言う、三歳児。
その上、体育ではオーバーペースでぶっ倒れるし、授業中も、普段は全然しないはずの貧乏ゆすりをするしと、非常にうっとおしかった覚えがある。
そんな彼の無様をあざ笑っているのか、運動場でも教室の外でも、電線や木の上、ベランダの手すりに鳥たちが勢揃い。思い思いに耳を塞ぎたくなるほどの大合唱をしていた。
聞くと、隣のクラスの妹も、同じ時期に同じような状態になるとのこと。
妹ならまあ、女の事情があるかもでしょう。けれど、男は私から見ると、測りかねる生命体。まさか男にも同じような事情があるのかと思って、他の男子に突撃インタビューしたけど、あまりにデリカシーのない返答をされたから、ひっぱたいてやったわ。
同時に「男は気楽な生き物」としみじみ感じた瞬間ね。
その日も彼は、頻繁に貧乏ゆすりをしていたわ。
天気は曇り。予報では朝から雨とのことだったけど、午後になっても降らなかった。ただ午前中から、空には黒雲……いや、そんな生ぬるいものじゃない。まだここにあるべきじゃない「夜」が漏れ出して、空に染み渡り、立ち込めていたように感じた。朝には、西の彼方に垂れた、ほんの一滴に過ぎなかったそれが、今や私たちの頭上を覆いつくしている。
あまりの暗さに学校中は明かりをつけて、みんなも窓から外を見ながらざわついていたのを覚えているわ。先生に何度も注意されたもの。
「だめだ、来ちゃった。来ちゃった……行かなくちゃ、すぐに行かなくちゃ……」
みんながざわつく中、変わらず身体を揺すりながら、彼はしきりにつぶやいていたわ。
ふと隣のクラスから、「先生、早退します!」と女の子が響いたわ。彼女の妹のものだった。
それを聞いて、彼も貧乏ゆすりを止めて、席から立ち上がる。同じ「先生、早退します!」と叫びながら、彼は身体一つで教室を飛び出していったわ。私を含めて何人かは、教室の出入り口に張り付いて、のぞくように彼の背中を見送る。
廊下を走りながら、隣のクラスから出てきたであろう、おかっぱ頭の妹と合流。そのまま階段を駆け下りていく二人。慌ただしく遠ざかっていく足音。
私たちは授業そっちのけで、今度は昇降口が見える、ベランダの窓に集まった。
ほどなく姿を現す二人。履き替える手間さえ惜しんだのか、上履きのまま。
私の学校は、昇降口と運動場が、ちょうど背中合わせになっている。校舎を出るとそこは駐輪、駐車場スペースを挟んで、すぐに校門から出ることができた。
二人は少しもこちらを見やることなく、一心不乱に走っていく。門を飛び出し、北へ目がけて一直線。
どこに行くのだろう、と窓を開けて身を乗り出しかけた私の髪の毛。その一本が、高速で飛んできた何かにちぎり取られて、思わず顔を引っ込めてしりもちをついちゃったわ。
窓のすれすれを、スズメたちが次々に通り過ぎていく。整然とした列を成さず、がむしゃらに、けれども一方向を目指し、洪水のように飛ぶ。黒く染まった空の下、彼ら二人の後を追いかけて。
ほんの数秒間、視界を覆った濁流。あそこに何十、いや何百羽のスズメがいたのだろう。先生に無理やり席に座らされた後も、ざわめきは止まなかったわ。
放課後。帰宅部だった私は、みんなが部活に打ち込む姿を見せ、掛け声が聞こえる時には、すでに学校を出て、駆け出していたわ。
特段、あの兄妹と深い付き合いがあったわけじゃないけど、あの切羽詰まった様子は、ただごとじゃなかった。
このまま放っておいたら、何をしでかすか、何が起こるか分からない。大きな不安とわずかな好奇心を糧に、私は黒く染まる空の下を走ったわ。
あの異常なスズメの群れは、もう見られない。代わりに、時々、何羽かのスズメが、あたかも戦闘機のデモンストレーションのように、きれいな編隊を組んで私の頭上を通り過ぎていく。
きっと彼らの向かうのは、先駆者と一緒。私もそれに続いたわ。
たどり着いたのは、線路に面した小高い丘。
ふもとに建つマンション群を抜けて、何十段もの長い階段を登った先には、シーソーとブランコ、砂場を詰め込んだ、小さな公園がある。
今や、どれだけの人が利用しているか分からないこの場所は、遊具のところどころに、刃物で傷つけたと思しき落書きが、いくつも見受けられた。
その公園奥。背の高いフェンスのそばの、草が生えていない地面に、二人は並んで倒れていたの。
フェンスの向こうはすぐにがけになっている。でもそこから一望できる街の姿と山並みは、命に刻まれているであろう、高みから景色を見下ろす快感をくすぐるには十分だった。
私は二人の顔に手を近づけて、息をしているのを確認。ただ、静かなのだけど、吸って吐いてのリズムがやけに早くて、ちょっと気味が悪かった。
念のため、腕時計を見ながら脈も取ってみたけど、にわかに信じられなくて、私は何度も自分のものと比べざるを得なかったわ。
私たちの歳での最大心拍数は、およそ200だと保健体育で習ったばかり。けれど、二人の脈は、まるで動いているミシンの針の振動みたい。数え間違いでなければ、300を超えている。
こんなの間違いだ。私が興奮していて、自分の脈とごっちゃに数えているんだと思ったわ。救急車を呼ぼうと、私がポケットの携帯電話に手を伸ばしかけた時。
おびただしい羽音と鳴き声が耳に叩きこまれて、私はびくっとした。
音は真上。空から聞こえる。私の頭上、わずか数メートルのところを、スズメたちが右に渦を巻きながら飛び回り、鳴き続けていた。呆然と見つめる私のそばに、次々と赤い斑点が垂れていく。
血、と私が認識した時には、すでに彼らの渦は大河に形を変えて、町の向こう目がけて、流れていくところだった。
あの小さい身体では、一滴の出血すら危険なはず。そのリスクを冒してまで、彼らはどうして……。
倒れている二人が咳き込む。その口からも、血の筋が流れ出た。
いよいよ持って危ないのでは。私が改めて電話を取りつつ、血を拭おうとハンカチを持ちながら近づいていく。
ふと、目の前の地面が明るくなった。見ると、今まで空に横たわっていた夜が開けているところだったの。はっきり視認できるほどのスピードで、縫い目が開いていくかのように、左右へと開かれていく、
そこからのぞくのは、紅い空。あのきれいな夕焼けに染まる紅い空だった。
私が見とれていると、倒れていた二人からうめき声。追って、じょじょに自力で身体を起こしていったわ。私の顔を見ると、ちょっと驚いた顔をしたけれど、すぐにフェンスの向こうへ目を見つめた
開く空に合わせて、街を覆う黒いじゅうたんも、隅へ隅へと追いやられていく。
「ご覧よ。向こうの山肌を。あの夕焼けのために、苦しくても僕たちは生きている」
数分前までの状態が、嘘のように晴れた空のかなたで、今まさに太陽が沈もうとしていた。
何度も見たことのあるその光は、スズメと彼らが流した血の色に、紅く染まっていたのよ。