魔女の瞳に憂いの月
自分と同じく徴兵された若い男が集まる部屋へ通され、半日が過ぎた頃。
部屋にやってきた騎士がおれを外へ出した。
廊下で待っていたのは、懐かしいあの魔女の姿。
「良かった。無事だったんだね」
「あらまあ、情けない顔をして。でも大丈夫よ。あなたは帰れるわ」
熱い抱擁を交わした直後そう告げられ、言葉の意味を理解するまでに時間がかかった。
「……もちろん、あんたも帰るんだろう?」
縋るように見つめても、相手はおれの顔を見ない。
「あんたが行くなら、おれも戦場に出る」
「それは駄目よ。あなたは帰るの。帰りなさい」
子どもに言い聞かせるように話す相手に、おれは近くにいた騎士とその背後に見えない王様の姿を捉えて睨む。
脅されたのかーーーー。この場で訊いて首肯するはずもなく、俯き黒い髪に隠れた顔を覗く。
「置いていけるはずないッ! おれも一緒に闘うッ! あんたを護るのは、おれだ!」
「言うことを聞いて、可愛い童」
「おれは、あの頃の非力な子どもじゃあないよ!」
「いいえ、あたしにとっては幼い童よ!」
顔を上げて言い切る彼女の目は、一向におれを見ない。
今ここにいるおれではなく、あの森で拾ったばかりの、傷だらけの小さいおれを見ている。
「どうして、あんただけ行くの」
そう問えば、魔女は微笑む口の端を更に上げて言う。
「あたしが行けば、他の人は戦場に赴かなくて済むの」
嘘だ。
直感的に思った。
魔女一人が、戦場を支配するに事足りるとは思えない。
魔法に万能性などないことは、一緒に生活していたおれが良く知っている。
「そんなの建て前だ! それに、おれが行かなくて誰があんたを護るって言うのさ!」
「いい加減になさい!」
大きく叱責が飛び、近くに居た騎士までもが震え上がった。
「……良いから、あなたは帰るのよ」
廊下に呼応する自分の声で我に返ると、彼女は次に願いを請うほど切ない声を出してくる。
だが、おれはここで引くわけにはいかないんだ。
拾ってくれた恩と、あんたに聞いてほしい思いをまだ伝えていないのだから。
「とりあえず、こっち見て話してよッ。おれの顔を見ておくれよッ」
力尽くで肩を掴まれているのに眉一つ動かさず、ゆっくりとこちらを向く瞳におれの影がさす。
まるで雲に隠されて霞む月みたいに、暗い目をしていた。
「おれのこの顔を治してくれたのも、細かった体を鍛えるよう教えてくれたのも、あんただ! そうだろ! おれを何のために強く育てたの!? あんたの剣となり盾となるためでしょ!?」
おれがあんたを護りたいのに。おれに、あんたを護らせてほしいのに……。
思うばかりで、考えていることは届かない。
魔女はおれの手に自身の手をソッと重ねて、こちらの目を真っ直ぐ見据えてきた。
「あなたを世話してきたのは、あたしの暇潰しよ。長く生きるには退屈すぎた。それに、その容姿で可愛い女の子を釣ってきてくれると考えたの」
「でも結局、あんたは一度も、少女を連れ去ってこいとは言わなかった!」
「気が変わったのよ。最初は本当にそう考えていたわ。けれど、老いることも、死ぬことも怖くなくなってしまった」
ただ、それだけよ――――。
その言葉を最期に、彼女の背中が遠ざかっていく。
他の騎士に案内されて、おれは城外へと出た。
行く宛など無いと途方に暮れていたら、おれを連れ出た騎士の男が別れ際、手紙を寄越してきた。
真っ白く、差出人の名すら書かれていない手紙だ。
けれど、おれには直ぐに誰から差し出されたものか分かった。
封を開けてみれば、そこには『帰り道に印を付けたから、それを辿って帰りなさい』という文字だけが綴られている。
示された方法で印を目視できるようにすれば、あの自然に囲まれた家へ帰ることができるのだろう。
でも、ひとりでなんて意味がない。
おれは、あの手紙を入れた封筒を城下町の配達屋に渡して、あの家に送ってもらうよう頼んだ。
それから城の敷地内へと踵を返したのだった。
あれから直ぐ訓練が始まり、おれは他の連中と一緒に短い訓練期間で戦場へ出られるよう必死に食らいついた。
幸いなことに、魔女と鉢合わせする状況はやってこなかった。
そして、戦いが始まった日。
おれは、目の前で横たわる敵の体を静かに見つめ、茫然と立っていた。
後方から飛んでくる火の塊は、魔力を練って作られたものだ。
次いで頭上を飛び回る矢からは、微かに彼女の気配を感じた。
おれがここにいることは、気付いていない。
あの手紙は無事に家へ届けられたことだろう。
すると、彼女は手紙に施した印を自身が持つ地図で確認して、おれが帰っていると思うはず。
それでいい。
おれがいることなど気にしないで、自分が生きる為に闘って欲しい。
あんたは、ここで死んじゃあ駄目なんだ。
読了ありがとうございます。
この話はあと二話あります。