裁断ハサミがばっさりと
片眉を上げたかと思うと、なんか分からないけど、艶めいた笑顔でにじり寄ってくる男性。
「……あたしは、ディアベル=ベクトアース。この屋敷の主。」
…この人、男の人?それとも女の人?なんか、自分のこと“あたし”って言ってるよ?!
内心の動揺はかなりのものなのに、私の表情筋はピクッと動くにとどまっている。
ぐっじょぶ、私!
「あー…あの…、今日はお招きありがとうございます。ベクトアース伯爵様。私は、ロベリアンナ=セージと申します。父は男爵位を賜っています。」
この屋敷の主と言うことは、この夜会の主催者様ですもんね。
ここは、丁寧に頭を下げた方がいいでしょう。
私は、持っていたお皿とシルバーを脇のテーブルに置き、スカートの裾をさばいて頭を下げた。
すると、ディアベルと名乗った目の前の男は、「ふ~ん、ロベリアンナね。男爵令嬢なの。」と呟くと、私の顎の下に手を添えたかと思うと、思いっきり上を向かされた。
グキッ!
い、いた!!あんた、私の首今、変な音鳴ったよ?!
咄嗟の痛みに、目が潤む。
顰めた顔でベクトアース伯爵を見返すと、じっと私の眼を見ているではありませんか!
…な、なんです?
はっきり言って、初対面の男性にこんなことされて、ビビらないはずない。
でもこれ以上の事が起こらないようにと、身を固くして彼を見続けると、左右違う瞳がふにゃりと柔らかくなった。
「気に入った。ロベリアンナ、あんた、私のモデルになりなさいよ。」
「……は?」
「だから、モデル。私はね、伯爵業は弟に譲っていて、今デザイナー兼スタイリストとして世界中を飛び回っているの。沢山の女の子たちをモデルとして雇っているんだけど、あんたのその目。気に入ったわ。是非、スカウトしたいの。」
言われた事の意味が分からず、とにかく今は彼の手から逃げる方が先と、身を後ろに引いた。
距離が少し開くと、彼は口元をにんまりと上げて、私を上から下までマジマジと見ている。
「肉付きも丁度いいわ。胸も小ぶりで腰も細い。お肌も白くてきめ細かいし……。いいじゃない、いいじゃないっ!いい人材発見よ♪」
ゾクゾクゾク!!
なんかやばい!これ以上ここに居てはいけないと、頭の中で“フーウッ!フーウッ!フーウッ!異常事態発生!直ちに避難ください!”と警報が鳴り響いている。
「えー、お時間になりましたので、私は失礼いたします。」
「どこがお時間よ!まだ、夜会は始まったばかりでしょ?…そうだ、ロベリアンナ。あんたダンスは?あたしと踊りましょうよ。」
八方を塞がれるように伯爵に立たれて、逃げ場がありません。
さくっと逃げようとしたのに、思いのほかこの男は強引です。
どうしよう…と、目線を彷徨わせていると、“だが、逃げられない。”と、冷静な声でナレーションが入った。
ちげーよ!ここは何か、いいアイディア閃けよ!!
自分のノリツッコミに大忙しでいると、
ガチャン!
………がちゃん?
音のする方を振り向くと、さっき食べようと取り分けたローストビーフの皿が、床に落ちていました。
あーーー!!!ローストビーフゥーーーー!!何ということでしょう。美味しそうに匂いで私を誘惑したローストビーフは、無残にも床に落っこちています。
「あぁ大変!ごめんなさい!なんて勿体ないことを!」
あわあわと床に散らばるローストビーフと目の前の伯爵に頭を下げると、伯爵に腕を取られ引き寄せられました。
あ、これ怒られるパテーン?
オネェ口調とは裏腹に思いのほか力強い腕の引きに、ビクッとなると、予想外の言葉が降ってきました。
「そんなことより、あんたのドレスが大惨事じゃない。」
冷静な声の響きに、私はハタと気が付きました。
ドレスのスカートに、ローストビーフが落ちる時に滑っていた跡がダーと着いています。
それはもうべっとりと。
これ、もう夜会に戻れないやつだ。
瞬時に諦めの思いが胸に落ち、「これにて後免!」と勢いよく伯爵から身を引こうとすると、
「来なさい。何とかしてあげるわよ。」
「…へ?」
訳の分からない申し出に、?をいっぱいに浮かべていると、あれよあれよと、夜会会場から連れ去られてしまいました。
何とか逃げようと精一杯反発するのに、変に事件になりたくない私もいて(だって男爵位の娘ですよ?貴族末端の娘が伯爵様を悪く言えるわけありません。)下手に騒げずにいると、あっという間に2階の居住区なのでしょうか?明かりが少ない廊下を伯爵に連れられるがまま歩かされていました。
「あの、離してください。ドレスもこんなですし、帰りますから。」
そう訴えると、伯爵はある扉の前に立ち止まり振り返りました。
「こうなった責任はあたしにもあるわ。大丈夫。変なことにはしないって約束するから。」
いえ、十分大丈夫でないし、変なことになってます!
そう内心ツッコむのに、強引な伯爵に後ろに回り込まれると、部屋の中に入れられてしまった。
「…すごい……。」
思わずこぼれた私の呟きに、回り込んだ伯爵が背中を押してきて、部屋の中央に立たされました。
その部屋は、煌びやかな生地やリボン、ボタンやビジューが所狭しと収納されていて、壁際のボディトルソー(洋服作成マネキン)は、まだ作成途中なのか、上半身裸でオーガンジーのスカートだけが穿かされていた。
「こういう部屋に入るのは初めて?」
伯爵は最低限だった部屋の明かりを強める為、照明をつけていきます。
部屋は徐々に明るくなっていき、より一層この部屋の華やかさを知ることになります。
私は絶句して部屋の真ん中で動けなくなっていると、伯爵が部屋備え付きらしいワーブローブを開け、中からタオル地のバスローブを出してそれを椅子の背に掛けました。
「そのドレス、直してあげるわ。ついでにもっと、あんたに似合うドレスにしてあげる。」
「いえ、結構です。」
「遠慮してんの?大丈夫よ!私に掛かれば、今よりももっと素敵に大変身する。間違いなし!」
ウインクするのは見目麗しい、オネェ口調の伯爵様。
彼の言葉に、変な含みは感じないのは事実です。
それに、この部屋まで来てしまったのも私の落ち度。(精一杯抵抗はみせましたけどね?!)
来ているドレスのスカートは、はっきりとローストビーフのソースがこびりつき、これはシミになっているでしょう。
こうなったら、もうどうにでもなれです。
ただ、大事なことは言いましょう。
「………お直し頂いて、多額の請求をされても支払能力はありませんよ?」
大事です。
私は、弱った顔で伯爵を見上げると、彼は少し驚いた顔をして、その後クスクスと笑い出しました。
「大丈夫。そんな事しないわ。幼気な男爵令嬢をカモにしたって、得はないもの。」
「本当ですね?本当に、お金請求されても一銭も払えませんからね?」
「はいはい。大丈夫。…ただ覚悟するのね。あたしに掛かれば、あんたは綺麗になる。」
自信に満ちた顔で、その細い指先が私の頬を優しくなぞり、呆気にとられた私はグルンと体を回されました。
「?!」
「さ、脱いで。で、コルセットまき直し!何このユルユル。何のためのコルセットだと思ってるわけ?!」
「きゃっ!!」
手慣れた動きで一瞬のうちに、伯爵はあっという間に私からドレスを奪ってしまいました。
驚きで自分の貧相な身体を隠そうと縮こまるのに、そうはさせないと、ベクトアース伯爵は私を部屋の隅に申し訳ない程度にあるベッドの柱に誘導しました。
下着姿(コルセット付き)
ベッド
若い男女
あ、イケない単語ですよ!!21歳ですが、男性経験なんて全くないんですよ?!そんなご無体ヤメテ~っと、目をギュと閉じると、伯爵の呆れを含んだ声が後ろから聞こえました。
「聞いてた?コルセット巻き直すわよ。悪いけど、あんたのとこの侍女とは違って、私の力で容赦なく絞るから、覚悟なさい。」
そこからは、あの地獄のような絞り作業です。
あと少し絞ったら、出ちゃいけない何かがげっぷりと出てしまったでしょう。
私は、巻き直されたコルセットを一撫ですると、椅子に掛けられたバスローブを羽織りました。
ふわっふわ!肌を包むその感触に、私は感動して、袖のタオル地をなでなでしたおします。
今まで羽織ってきたバスローブと大違いです。これで包まれていたらいい夢見れそう…。
夢中でバスローブを触っていると、はたと伯爵は何をしているのだろうと気が付きました。
視線を上げると、ボディトルソーに着せた私のドレスを触ったり捲ったりしています。
そして、「よし。」と呟くと、細工が美しい古い木製で出来た裁縫箱から裁断バサミを取り出すと、迷いなくスカートを切り裂きました。
ノーーーーーーーーー!!
ピンクのスカートは、彼のハサミによって綺麗に切られ、そして、あっという間に裾を膨らますパニエがお目見えした。
あまりの衝撃で私は言葉を失い、なでなでしていた手を止めて、彼の所業を絶句しながら見守ってしまいます。
「…目は真っ赤なルビー。髪は濃いオリーブ。ロベリアンナを引き立てるリメイク……。」
私に言うでもなく、彼は生地が収まる棚に足を向け顎に手を添えると、ライラックカラーのオーガンジーを持ってきて、裁断テーブルに広げた。
それを大胆に、ドレスのスカートに何重にも重ねていきます。
段差を付けて重なるライラックオーガンジーを、まるで魔法を掛けるように縫い上げていく伯爵。
その横顔はどこか微笑んでいて、徐に唇を舐め、艶っぽいです。なのに、腕まくりをした腕は、筋が浮いていて男らしいし、指は繊細に動いていて綺麗だし。
綺麗なのに男らしい人なんだな…。
伯爵を観察しながら、どんどん仕上がっていくドレス。どっちを見たらいいのか、混乱してドレスを見ることにしました。
ドレスのデザインを思い出せない程、スカートにボリュームを持たせ、その色は薄いライラック。
上半身との切り替えに、細めの濃い紫色のサテンリボンを2周巻くと、それを器用に縫っていきます。
迷いなく動いていた手がやがて止まり、伯爵は数歩ドレスから離れました。
終わったのかな?
私は、声を掛けようとすると、また弾かれたように伯爵は動きだしました。
彼は、部屋に飾られている花瓶の薔薇の中で、赤や黄色の生花を抜き取ると、茎を切って、胸元から背中までぐるりと一周、縫い付けていきます。
「それ…花?」
ドレスに生花を縫い付けるなんて、初めて見ます。
私は驚きのままに口にすると、伯爵は、私の声に気づいて振り返りました。
「そうよ。生花。」
彼は、胸元だけでなく、スカートの裾にも薔薇の花を点々と縫い付けています。
跪きながら縫い付ける伯爵を夢中で見ていると、縫い終わったのか彼が「さて、でーきたっ!」と立ち上がった。
そして、私のドレスを着ているボディトルソーの後ろに回り込むと、その肩をとんと叩いた。
「これを着て。」
私のドレスが変わっていく様をずっと見ていたのに、信じられない。
だって、完成したドレスを見ると、さっきまで本当に着ていたドレスか?と疑う程の仕上がりなんです。
「……このまま飾っておきましょう。」
「は?!」
伯爵は驚きの声を上げるが、私は至ってまともだ。
綺麗なドレスは、飾られているか、綺麗な人が着るに限る。
私はあのドレスを見ている側の人間として区別して、今着るバスローブをすりすりし始めた。
しかし、それで許されず、伯爵は私に近づくと、ローブを掛けていた椅子に私を腰かけさせた。
「あんたの為に作ったんだから、着てよ。…ここまできたら、全部世話してあげるから。」
「別途料金の発生は?」
「あはは、ないない。」
心底楽しそうに笑う伯爵の声を聴きながら、彼のされるがままになった。
…だって、私のドレスをあんなに綺麗に作り変えてしまった人だから。
きっと、悪い人じゃない。
変な人だとは思うけどね。
そこから、私のボサボサの髪を丁寧に梳かれ、謎の甘い匂いのスプレーを吹き付けられて、髪になじませられた。髪の毛になじませるついでに、頭もグッグッとツボを押されていて、きもちーーー!!
そして、下着から出る肩もそのスプレーを吹きかけられて、なじませるように揉みこまれた。
デコルテや首筋を、彼の細いのに固めの指がなぞっていく。
あーー肩、気持ちー……なんか、流されてる~…血がいい感じにめぐってく~…
極上のマッサージを受けているよな気になって、夢見心地で彼の施術を受けていると、顔面にいきなりタオルを押し付けられた。
「ワプッ!!な?!」
「ふふふ。ほら、これで顔をほぐすわよ。その後、メイクするからね~。」
伯爵は、タオルの上から頬骨からこめかみに、親指の付け根で押し滑らせている。
これも中々気持ちいいーー!!!
顎のラインを頬に掛けてググッググッと親指で持ち上げると、口角が強制的に上がっている気がします。
……これ、タオルあって良かった。変な顔してるもん絶対。
顔のマッサージも終わると、タオルを取られ、化粧水をまんべんなく顔につけられました。
乳液もペンペンと下から上へと付けられると、何故かこのまま美味しい料理になってしまうんじゃないかと、頭に不安が過りました。
甘い匂いの髪と肌。
化粧水と乳液で、柔らかくされた顔。
変な想像をして、眉を寄せると、伯爵に眉間をグリグリと押されてしまった。
「皺!化粧するんだから、変な顔しないの。」
「…はい。すみません。」
…さっき出会ったばかりの2人には思えない会話…。
伯爵は、私に下地とファンデーションを薄く塗り始めた。
「あんた肌綺麗だし、顔色をカバーするだけにするわよ。目はもう少し印象的に線を引くわ。」
「……お任せで…。」
なんかもう、伯爵に着いていけなくて、早々に諦めている。
鏡台は部屋の隅にあるのに、そこじゃなくて、部屋の真ん中の椅子に座らされて、彼にメイクを施されている自分。
自身を確認する術がない以上、彼に任せるしか選択肢はないではないか。
顔のベースが出来て、頬にチークブラシが柔らかいタッチで、滑っていく。
「口を開けて。あーん。」
近い距離の伯爵に、若干の驚きを覚えつつ、彼に言われるがまま口を開く。
唇に乗せられる紅筆が繊細に動いて、私の唇を色付かせたようだった。
「ドレス、着つけるわ。立って。」
「…飾っておきません?」
「まだ言ってんの?駄目よ。それに、ロベリアンナ。あんたバスローブで帰りたくないでしょ?」
もっともだ……。
手触り抜群のバスローブを脱がされ、私はドレスに腕を通すことになった。
背中の紐を伯爵に絞られ、ドレスを着せられた。
さっき絞められたコルセット効果なのか、さっき着ていた時よりもお腹が細い気がします。
「最後に、髪の毛を結い上げてあげるわ。」
「はい。」
伯爵に逆らわず、ドレスを纏った私は再度椅子に腰かけると、後ろに回り込んだ伯爵に髪の毛を上げられる。
サイドを大きく編み込まれていき、そのまま左に編み込んだ髪を流してしまった。
編み込みにルーズさを持たせ、髪の所々にまた小さ目の生花を差していくと、伯爵は微笑んだ。
額にわずかに浮かぶ汗をぬぐうと、サファイヤとエメラルドの瞳が細められ、私に手を差し出してこられました。
その手を取っていいのか、戸惑いながらも手を乗せると、紳士なエスコートで、全身鏡の前に立たされてしまうと。
鏡に映る私は、私の知っている私ではありませんでした。
先ほどの美しくリメイクされたドレスを身に纏った、魅力的な令嬢がそこにいる。
「………ダレ?」
「プフフ!!あんたよあんた。ロベリアンナ=セージでしょ。」
鏡越しで受けに受けている伯爵を見ると、その人は腹を抱えて笑っているではありませんか。
「さ、お姫様。さっそく会場に戻りましょう。お披露目よっ♪」
「お披露目?」
彼の言葉に若干の引っ掛かりを覚えたものの、エスコートを断るのも憚り、その手を取ってこの部屋を出るのだった。
こんな変身させてくれる人、いたらいいな~と思います。