始まりはコルセット
ギュ…ギュ…ギューーーーーーーーウ!!と、リズミカルに私の腰を締め上げるコルセット。
悲鳴を上げたいのに、それすらも許されないこの状況。
私、死ぬのか?
“だが、抵抗する前に私は諦めている。”と、冷静な声でナレーションが入った気がする。
愉快な頭だ、我ながら。
ギュウギュウに絞られ、息も吸うことも出来ないのに、私の頭は愉快なことになってきている。
ここは、ウィンズ王国の王都ザナエ。
大きな建物や貴族様の屋敷が沢山あるのだが、今私がいるのはその中の一つの邸宅。
ベクトアース邸。
夜だというのに、夜の闇なんてなんのその。邸宅内は照明ががっつり照らして、大貴族様方はその中でおしゃべりしたり、踊ったりしているのだ。そう、夜会ですね。
だがしかし。
私は、別室で苦行を強いられていたのだった。
絞られすぎて、出ちゃいけない内臓が、今にも口から飛び出しちゃいそうです。
目の前には、ベッドの柱。
もーーーーギブ!と、ベッドの柱をバシバシっ!と叩くと、後ろから笑い声が聞こえた。
「ふふ、なぁーに?もうギブアップなの?」
声がする方を仰ぎ見る。
すると、すっごい甘い笑みで、コルセットの紐を握り、縛り上げている長身男性がいた。
烏羽色の少し長めの前髪がさらりと揺れ、嬉々としているその瞳は左がサファイヤ、右がエメラルド。女子が羨む程の透き通るようなお肌に、黒のスラックスと腕まくりをしている白のドレスワイシャツを身に纏っている。
この国一番の美貌を持つと言われる彼は、ディアベル=ベクトアース伯爵。
その伯爵様が今、私の腰を締めている。すげー嬉しそうに。
やべぇ…。
諦めてもう、なるようになってしまうかと、腹をくくろうとするが、括られるのは、腰だけで十分だと思いなおす。
背に腹は代えられない。いや、この場合、背も腹もくっつきそうか?いや、下らない。考えるのをやめよう。
『やめてくんろ。』と、それはもう可哀想な子羊を思わせる顔で伯爵の顔を仰ぎ見ると、この男は、眉を下げ諦めた声で「…仕方ないわね。ほーら、これでいいわ。」と、コルセットの紐を手早く結び、あの地獄は終わりを告げた。
「うぅ……。」
伯爵からの締め上げからは解放されたが、本当の意味で私の腰が解放されるのは、このコルセットを外す時だと思う。げっぷりして、私は腹に巻かれたコルセットを片手でポンと叩いた。そしたら、後ろからまた伯爵の楽しそうなクスクス笑いが聞こえる。が、ここはもう振り向かないことにします。無視です。無視。
そして、伯爵から少しでも距離を稼ごうと、化粧台の前までそろそろと歩き、その台に両手を着いて脱力してしまった。
…何故こうなった?
ゆっくり顔を上げると、鏡に映るのは下着とコルセットだけの私の姿。特に、誇れる体つきでも自慢じゃないが、ない。
ダラダラボサボサと伸ばし続けた渋いオリーブ色の髪が、顔を半分隠して、肌はさっきの締め上げで上気しているように見える。目は、がっつり赤いルビー色。
おかしいな。私、未婚の女性だよね。相手は縁もゆかりもない伯爵様だけど、これいいのか?
頭を傾げると、後ろから甘く魅力的な声が聞こえる。
「あたしがこれ直すまで、そこのローブ羽織っときなさい。いいわね、ロベリアンナ。」
「………はい。」
伯爵のその口調、ツッコむべき?ここまで来たら、もうスルーがいい?
出会ったときからオネェ口調のディアベル伯爵は、私がさっきまで着ていたピンクのドレスをボディトルソー(洋服作成マネキン)に着させると、顎に片手を添えて考える仕草をしている。
私は自分の恰好を改めて確認して、これじゃ逃げることも出来ないなーと思って、ここはありがたく伯爵が用意したローブに腕を通した。
ロベリアンナ=セージ男爵令嬢は今、オネェ口調のディアベル=ベクトアース伯爵に助けてもらっている。
ことの起こりは、4つ違いの妹、17歳のジュリエリーが、領地にやってきた自称冒険者の男と駆け落ちしてしまった事が原因だった。
もともとうちの家は、国の端っこにある山3つ分が領地です。
王都から遠いので勿論、国政にも疎く、自分の任された領地のみ守る事だけを考えて、生きてきた感じです。
なので、政略結婚などの強制的結婚も、私達姉妹は無縁で、好きな人との結婚でいいと言われ育ちました。
そこに現れたのは、自由を愛する自称冒険者。妹はその破天荒な人を好きになり、親に紹介しました。そして大反対!そりゃそうさ。
妹は「好きになった人なら、誰でもいいって言ったじゃない!!」と猛反発すると、次の日にはいなくなっていました。“彼に着いていきます。探さないでください。”と書置きを残して。
そこからがまた大変!
親は妹を探そうと人を出しましたが、未だ見つかりません。
そこで残った姉の私、ロベリアンナに視線が集中しちゃったんですね。
妹のように、変な男に引っかかったりしないようにと、軽く軟禁ですよ。どーゆーことー?って感じです。
自慢ではありませんが、私は妹よりぱっとしません。お洒落には無頓着ですし、顔のお手入れなんて、領地の山の中じゃ、しなくてもいいんでない?って精神です。
そんな私に、変な虫なんて着くわけもないのに……まぁ、何かしないとやってられないのかもしれませんね、うちの親。
で、言われるがまま軟禁を受けていたのですが、ある日、王都に住む母の姉、アイビス伯母様から手紙が届きました。
“ハローお元気?私の姪たちもそろそろお年頃でしょ?王都に出て婿探しをしたらいいと思うのよ。ロベリー、ジュリー、こっちにいらっしゃいな。素敵な殿方との出会いが待っているわよ~。”
なんとも軽いノリ。私達の名前、愛称で書いてあるし。…しかし、手紙に妹の名前が書いてあるってことは、伯母は妹の駆け落ちは知らないのだろう。なんとも呑気な感じである。
「このままお前をここに置いておいても、ジュリーのようになるか、貰い手が無くなるかになるか…。」
父は私を見ながら、ふうと息を漏らして母を見る。母も、そっと頷くと手紙を畳んだ。
「ロベリアンナ、お前は長女だし、今年で21歳。そろそろお相手は選ばなくてはいけないものね。…ここは、アイビス姉さんに預けましょう。姉なら、きっとロベリーにいいお相手を見つけてくれるわ。」
「そうだな。義姉さんに任せてみよう。ロベリー、普通でいい。普通の男で健康で、身元がしっかりしていれば、この際平民でも構わないから、そういう人を選んで来いよ。」
父の言葉に、母もうんうんと頷いているので、私は「分かりました。」と逆らわないことにする。
いやー、これが、「不健康でもいいからお金持ちの貴族を捕まえてこい」ってんなら、「えー」ってなるけど、まぁ妥当な条件だと私も思うし、いいさ。
そんなこんなで、私、ロベリアンナは山岳領地を出ることになったのだった。
アイビス伯母様が待つ王都ザナエまで、馬車で10日。高い山を1つ越えなくてはならない為、早くてもそれぐらいは掛かってしまうのです。
しかし、その道中嵐に見舞われてしまい、到着予定が3日も遅れてしまいました。
やっとの思いで王都の伯母の屋敷に着くと、伯母は到着が遅れていた私を心配していて、「疲れたでしょう?」とげっそりしていた私を労ってくれた。
「はい。馬車にこんなに揺られたの、初めてです。」
素直に伯母の言葉に頷くと、伯母は私の後ろに回り込み、両肩に手を乗っけました。
「でしょうね。でしょうね。…でも…今日、貴女が出る夜会があるのよ…。」
「え?!」
無理無理無理!!!私は、絶望的な顔で後ろに回った伯母を振りかえしましたが、伯母は弱った顔をしながらも圧を感じました。あ、出ろってことだ。これ。
私は半ば諦めながらも、まずは伯母の言い分を聞くことにしました。
伯母の言い分は、3日も遅れるとは思ってなかったから、出席の返事をしてしまった夜会がある。出るわよ~っとの事です。
そして「ごめんなさいね、ロベリー」と私に謝りながらも、伯母は背中をどんどん押して、屋敷の中へ入れました。エントランスに控えている使用人さんたちに、急いで仕度させて~っと指示を出していました。
本当なら伯母は、今日の夜会用ドレスは既製品でも新しいものを一緒に王都で買いに行こうと思っていたらしいのです。そして、まだ諦めきれないのか、今からでも行こうという始末。
私は「また今度にしましょう、アイビス伯母様。」と、どーどーと両手で留めると、残念がりながらも最後は諦めてくれた。ただ、「明日絶対に買いに行くからね!諦めてませんからね!!」と息巻く伯母に今度こそ苦笑いしか浮かべられず「そーですね。」と生返事を返したのだった。
私用に当てられた部屋は、南向きで過ごしやすそうな部屋だ。
私は、領地から持ってきた手持ちの中で一番新しいドレスを着ることにしました。
私付きになった侍女と一緒に、荷を解き、旅行トランクの中からシンプルなピンクのドレスを出します。
Aラインのドレスは、ウエストから裾に掛けて切り替えがないシンプルなものです。
飾り気がなく本当にストンとしたドレス。
このドレスを見たとき、侍女が少し変な顔をしましたが、まぁ気にしません。
それを部屋に吊るすと、旅で疲れた体に鞭打って、何とか夜会に出られるように仕度されたのでした。
到着したベクトアース邸は、夜なのに屋敷の外まで昼のように明るく照らされていました。
また、屋敷の中に入っていく人数も、凄まじく多いです。
…町の祭りでもこんなに人がいないんじゃないかしら…。
あっぷあっぷの私は、隣を歩く伯母の腕に手を回し、着いていきます。
…なんか、みんなすごいドレスだわ……。
あまり他の方をじろじろ見るのはマナー違反ですが、ちらこら見るのは咎められないことです。
淑女としてギリギリのラインで、周りの方達を観察しました。
目が覚めるような黄色のマーメイドラインドレスを着たご婦人や、淡いグリーンにピンクや黄色の小花が付いてる、プリンセスラインドレスのご令嬢。青のグラデーションでフレンチスリーブのドレスを身に纏う方もいらっしゃいます。
リードする男性も、ダークスーツやブラックスーツを恰好よく着こなしていらっしゃいます。すれ違いざまに見えたのは、キラキラ光る洒落たデザインのカフスボタン。
なんか、皆様キラキラお洒落だな…。
私は、自分が着ているドレスを見返してみました。
ま、いっか。
この夜会でどうなるわけじゃないし、私は「今日は参加することに意味がある。」のポジティブシンキングで行くことにした。
会場に着くと、入り口の比じゃない程、お洒落でファッショナブルなゲスト様がいらっしゃいました。
すげー…。
王都、すげー…。
もう感心するしかありません。そして、そんな綺麗な光景を見ながら食す、ディナービュッフェ程美味しいものはありません。
美味しそうに並んだ料理達!こんなに美味しそうなのに、誰もここにいらっしゃいません。きっと、あの細いお腹では食べたくても入らないのでしょう。
私は、頬の筋肉を緩めて、皿を取りました。
さて、何から食します?
やっぱりここは、あの厚切りローストビーフですかね。美味しそうな匂いが、お腹の虫をめっちゃ刺激します。
によによしながら、ローストビーフを取り分けていると、
「…あんた、見ない顔ね。………あんたよ、あんた。そこのピンク!」
「え?私?」
呼ばれて、振り向いた。ピンクって、あたしのことだよね?呼び止められたのかな?と半信半疑で、相手をみて驚いた。
蝋燭の炎が揺れる度に、前に立つ男性の黒髪の艶が、緑になったり赤くなったりしてます。
これが、烏羽色って言うのかな?その髪は艶やかで、目も左右別の色。宝石のような輝きがあります。
そして、女性が羨む程の透き通った白い肌は大理石のよう。激しい美形ですね。
均整のとれた体の線は細く、着ているドレススーツがスマートなシルエットを演出しています。
都会には、こんな美形がいるんだな~なんて、ぽけーっと見上げていると、その人は、クスクス笑い始めてしまった。
「あはは、変な顔!あんた、間抜けな顔してるわよ。女の子がそんな顔しちゃダメじゃない。」
「まぬけ…。あー…すみません。」
なんかこの人、失礼だな~。深く関わらないようにしよー。と思って、適当に謝ると、その人は私を上から下までじろじろ見始めました。
な、なんだ?へ、変態さんなのか?!
私は、内心の動揺が顔に漏れ出ないように、顔を反らすと、グガシッ!と肩を掴まれました。
「っ?!」
「あんた、綺麗になるわよ。」
間近に迫った美形に、私は。
「あなた、誰。」
と、言うことしか出来なかった。
冒頭、何故ロベリアンナはコルセットを締め上げられているのでしょうか。
次話で謎が解けます。
楽しんで頂けたら幸いです。