伝記
「はい?」
草原。
周りには誰もいない。
遠くで騒がしい音がした。
つらつらと、音の方に向かって歩いていく。
城壁が見えた。
城門がゆっくりと開くと、騎馬が一騎やってきた。
騎馬にのった鎧を着た青年は、タンクトップ姿ではないが、タンクトップであった。
「こい」
タンクトップは冷たく言い放った。
口調や態度が、僕の知っているタンクトップではなかった。
逃げても追いつかれるだろう。
タンクトップに付き従おうとしたとき
「こっちよ!」
後ろから、これまた騎馬にのった巫女姿のキャリアウーマンが現れた。
慌てて方向を変え、キャリアウーマンの方へ走る。
「行こう」
メガネを一度くいっと上げると、キャリアウーマンは僕を後ろにのせた。
タンクトップは、ただただ僕らを見ているだけで追ってはこなかった。
空気が重かった。
キャリアウーマンにしゃべりかけてはいけないような、そんな気がして、無言のまま馬に揺られていた。
草原を進んでいくと、こんもりとした森が現れた。
森の入り口には赤い鳥居があり、そのそばの小屋に馬をつなぐと、僕らは鳥居をくぐっっていく。
階段を上ると、古びた社があった。社の隣にはさらに古びた小屋があり、そこから白髪爺が現れた。
「よう連れてきたのう」
白髪爺は、にっこりと笑った。
ようやく緊張がとれる。
「向こうには西洋の城があって、ここには日本の神社がありますが」
「イレギュラーのせいで、渦が不安定になっとる。あんまりわしらからお主に物語以外の余分なことを話してしまうと、渦がどこでできるかわからんでな。それでも、物語は進めにゃならん」
はあ、と僕は曖昧に返事をした。
「こちらへおいでください。境内を案内します」
キャリアウーマンが僕に声をかけた。
本殿から、向かって左へ進んでいく。
幾重にも小さな鳥居が重なり、小道を作っていた。
鳥居の先に、小さな社が一つ。その両脇には、狐の石像があった。
「ここにはお稲荷様が祀られてございます。もともとはこの森の周りに田畑が広がっておりまして、お稲荷様を祀っていたのです。ときを経て、戦争が起こり、この地は、爽浄の巫女さまにより、平定されました。そのときより、本殿には、爽浄の巫女様が祀られ、もともとあったお稲荷様の社をこちらの、本殿の左側に移しました」
なるほど、と相づちを打つ。
稲荷神社から再び本殿に戻ってくると、今度は向かって右に歩いていく。
「私たち一族は、万物に霊が宿ると信じています。そのなかで、力の強いものを、神、や、鬼、として畏れ、祀りました」
キャリアウーマンは、淡々と話し始めた。
「しかし、彼らは違います。彼らには、明確に、独りの神様がいます。それを、我らにも信じろ、と強制してくるのです」
彼ら、とは、タンクトップのいた城のものたちのことであろう。ようするに、対立しているらしい。
縫うように木々を抜けると大きな池が現れた。
「この川は、その昔爽浄の巫女が体を浸かったという池でございます。あらゆる汚れを落とす神聖な水であると考えられております。ご自由にお使いください」
キャリアウーマンは、ゲームの登場人物のように、決まった台詞を淡々と言っているようだった。ウインクすることもない。
渦が不安定になっていて余分なことはしゃべれない、とは白髪爺が言っていたことであるが、なんとも寂しい気持ちになった。
再び本殿に戻ると、キャリアウーマンは「お食事を準備します」と言って、小屋に入っていった。
境内で独りになった。
上を見る。
木々の間から覗く空は、薄くオレンジに染まっていた。
葉擦れの音とともに強い風が吹いた。
そういえば、僕の服装はジャージのままで、なんら背景にあっていない。さっきまでは、ちゃんと世界にあった衣装に変わっていたのに。
ポケットを弄る。
赤く染まったハンカチがあった。
開いてみると、なにかが固まっている。
タンクトップの鼻水だろう。
小屋のそばにあった桶をとり、池に向かった。
桶で水をすくい、ハンカチを入れる。
ハンカチをしぼると、汚れがきれいさっぱり落ちた。
桶に入った水の処理に困っていると
「そのへんにすてといて構わんよ」
いつのまにか背後にいた白髪爺が、言った。
「飯ができたで、食おうか」
僕は、桶の水を捨て、白髪爺に従った。
「明日、決闘がある」
土鍋から汁を掬いながら、白髪爺が言った。
「巫女の力は結界じゃ。同時に二つはだせないが」
ああ、それでタンクトップは僕らを追ってこなかったのか。
「さて、巫女の力は戦いには向いておらん。で、戦うのは、お前じゃ」
「え?」
箸が止まる。僕が?
「誰と?」
「ん?昼間草原であったろう」
むきむきまっちょのタンクトップと、僕が戦う?
「いや、無理です無理です。負けますって!」
「いや、シナリオ的には大丈夫のはずなんじゃが。とにかく、御主にも一つ、力がついておる」
「なんですか、それ?」
「へ?」
「いや、へ、って、あなたがいったんでしょう。僕にも力があるって」
「さ、さあ。いや、ついてるはずなんじゃが。なんか、炎とか出んかのう。手をほら、ばってやってみ。ばって」
言われた通りに、手を前に勢いよく出す。
何も出ない。
何度も、何度もやってみるが、やっぱり何もでない。これでもか!出ろ!出ろ!
思いっきり、腕を前に出す。
「出ろ!」
ぐつぐつと、汁の煮える音が五月蝿い。
「ふふ、ふふふ」
キャリアウーマンが、僕を見て控えめに笑った。
僕は、恥ずかしくなりながらも、嬉しくもあった。
「それじゃ!」
「なんじゃ?」
「わしの真似をするな。お前は、空気を壊せる。お前は、空気を壊せ!壊して、お前の思い通りに、物語を動かせ!」
「どうやって?」
「シラン。ちょっとは自分で考えろ」
ーーーーーーー
空が白んできた。
湖面が光輝く。
寝ずに考えたが、どうすればタンクトップに勝てるのかわからなかった。
空気を壊す。
物語を思い通りに動かせ。
タンクトップは、あのとき、たかしくん、とおかっぱが名前を呼んだあのとき、返事をした。
あれは僕を守るためだったに違いない。今のタンクトップは、おかっぱに名前をつけられ、おかっぱの物語にいる。では、僕の物語は?僕の物語ってなんだ?
物語?
城のほうから大砲の音がした。
「行くぞ」
白髪爺とキャリアウーマンが、後ろに立っていた。
僕は立ち上がった。
草原に、ずらりと鎧をまとった兵士が並んでいる。その真ん中に、鎧をまとったタンクトップがいた。
こちらといえば、巫女姿のキャリアウーマンと白髪爺だけである。
「ここに、決闘の誓約を宣言する。この決闘でそなたたちが負けたならば、巫女はすみやかに結界を解き、我らはあの丘を領域に加えん。この決闘で我らが負けたならば、そなたたちの土地には、未来永劫、関わらんとする誓いを、我が神に誓う。よろしいか」
見覚えのあるおかっぱ頭が、声を上げた。
「わかりました」
巫女が答えると、鎧を着たタンクトップがゆっくりと前に出てきた。やはりタンクトップ姿でないタンクトップは、違和感がある。
兵士たちの歓声があがる。
「ほれ、はよ行け」
白髪爺に押され、たじろぎながらも、僕も前に出た。
タンクトップとにらみ合う。
相手の動きを注視しながら、僕はじりじりと近づいていく。
「うげえ」
右脇腹に、強い衝撃が走った。
タンクトップのけりがもろに入ったのである。
痛い、痛い。
勝てるはずがない。
しかし、タンクトップはタンクトップで追い打ちをかけてこない。
彼に迷いが感じられた。
僕を倒すことに躊躇しているのか。
「たかしくん」
おかっぱが名前を呼んだ。
タンクトップは、びくりと顔を上げた。
「たかしくん。倒すんだよ、そいつを」
おかっぱの声を聞いたタンクトップが、機械的に僕に襲いかかってくる。
やばい。
「負けましたあ!」
反射的に声が出ていた。
「へ?」
タンクトップは、口をぽかんと開けている。
風がさざ波のように草原を揺らす。
心地よい。
「嘘です」
「なんだ、嘘かよ」
タンクトップは、安堵しているように見えた。
「あなたは、鎧をきているけど、それは重いでしょう」
「へ?」
「たかしくん、耳を貸すな!」
おかっぱが声を荒げた。その声をかき消すように、僕はさらに大声で言う。
「君は、鎧なんかいらない!君は、君の好きなカッコウをすべきだ!」
タンクトップの心が揺れている。
「君は、タンクトップだ!たかしくんて名前じゃない!君は、タンクトップを着た、タンクトップなんだよ!」
タンクトップは、「タンクトップ」と聞いた瞬間、うおおおおおおと声を上げた。
瞬間、タンクトップの着ている鎧にひびが入った。
「もう少しだ。タンクトップ!タンクトップ!」
「うおおおおおおおおお」
鎧が割れると、白いタンクトップが露になった。
「おれは、タンクトップだ!」
そのとき、草原が黒くなった。
渦ができる。
おかっぱはどこだ。
いない。
「おい、太郎」
後ろから、おかっぱの声が聞こえた。
「は?」
「だめ!」
キャリアウーマンが叫んだ。
「え?」
やばい、おかっぱと目が合う。
「私が、私が太郎よ!」
キャリアウーマンが、僕とおかっぱの目が合う直前に叫んだ。
「お前が、太郎だな」
おかっぱの視線は、僕ではなくキャリアウーマンの方にあった。
「はい、私が、太郎です」
渦巻いて、落ちていく。
ぐるぐる廻る。
すとんと落ちる。
浮遊する。
素直になれ、素直に嫌です。楽しい時間は続きません。模糊模糊漏れる、ことほぐ槌音。生死流転の間にも、へそが茶を沸かすゆとりあり。