青春ラブストーリー
「は?」
「おう、起きたか」
タンクトップが横に座っていた。
「ぼくが寝てる間になんか言いました?」
「いや、なんも」
起き上がり、周囲を見渡す。
「ここ、学校ですか」
整然と並んだ机、窓から差す淡い光。黒板の端に書かれた日直の名前。
「ぼく日直ですか?」
「そうみたいだな」
いつ着替えさせられたのか、僕は高校の制服であるブレザーを着ていた。
タンクトップも、上はタンクトップだが、下のズボンは高校指定のズボンを着用している。
懐かしくとてもせつなくて、苦しい気持ちになる。ああ、高校生だ。
「あれ、そういえば、あなたの名前って」
強い風が僕の言葉を遮った。
ハンカチがひらりと足下に落ちた。
とりあえず、拾ってみる。淡い黄色の、花柄のハンカチである。
「あ、やべえ」
タンクトップが少しのけぞった。
かと思うと僕の手からハンカチを奪い取り、鼻に当て、おおきなくしゃみをした。
タンクトップは、鼻水の付いた側を内にしてハンカチをたたみ、再び僕の手に戻した。
「汚いですね」
「わりいわりい」
あまり反省している様子ではない。
ガラガラガラと教室の扉が開くと、キャリアウーマンが現れた。手には日誌なるものを持っている。
「あら、あなたたち、このへんで黄色いハンカチを見なかった?」
「みてませえん、先生」
とぼけた口調でタンクトップが言った。
僕は、反射的に、鼻水のついたハンカチをポケットにしまった。
このくそタンクトップ野郎。心の中で悪態をつきながらも、僕には気になることがあった。
「先生?先生ってどういうことですか?先生なんですか?」
「今日の授業、教育実習が終わるまでは、私はまだこの学校の先生です。この学校を出るまではね。それまでは、あなたは私の生徒です」
キャリアウーマンは、毅然と言い放ち、僕らに背を向けた。
今日の放課後まで?教育実習?
とにもかくにも、なんだかつんとした態度である。フードコートで優しかったキャリアウーマンはもういないのか。
と思ったそのとき、彼女は扉の手前で振り向くと、控えめにウインクした。
急に心臓の音が激しくなる。ああ、どうしようもない幸福感、胸の高鳴り。
キャリアウーマンは、そのまま教室から出て行った。
入れ替わるようにして白髪爺が入ってきた。
チャイムの音がなると同時に
「はい、現国。現国じゃ!席に着け!」
白髪爺が最前列の席を指差したので、渋々その席についた。タンクトップもぼくの隣に座った。
「今日はこれじゃ。ほれ、お前、これはじめから読め」
白髪爺がプリントを僕に渡した。プリントには、短い文がいくつも書かれている。
「太宰も言ってたよ、トンネルを抜けると不思議な国でしたって」
僕はいわれるがままに、プリントに書いてある短文を読んだ。この文は、、、なんだ。
「えっと、これは、なんですか?」
「さあ?」
白髪爺はぼけてしまっているようだ。
「なんでもいいんじゃよ。意味なんてなし。意味なあんて、なああい。なああんにも。ないんじゃよ。はよ、つぎ読め」
はいはい、と返事をして、次の文を読む。
「ちんこの皺と皺を合わせて幸せ 包茎」
「はい、もっともっと」
白髪爺がせかす。
「ころころころころ転がって もう転がれない」
「いいよいいよ、もっともっとじゃ」
「『いじめられてない?』と母のことばがいたかった」
「はい、次じゃ!」
「時は過ぎ、あのときの不審者に自分がなる」
相変わらず意味のわからない短文が続く。
「終わりじゃ!」
白髪爺は、満足したように頷くとさっさと教室から出て行った。
「なんだったんですかね」
「さあな」
タンクトップは、足を机に放り出すと大きくあくびをした。
教室に静寂が訪れる。
時折吹く風が心地いい。
「おい」
「はい?」
「ラブストーリーはな、ある程度てめえで動かなきゃ、話が進まねえぜ。お前が草食系だったとしてもだ」
タンクトップが、壁にかかった丸時計を指差した。
「四時、ですね」
僕は時計を見て言った。
そのとき、チャイムが鳴った。
「今日の授業は終わりだ。ほれ、行ってこい」
「え?」
「わかんねえ野郎だな!ここはラブストーリーなの!だから、お前が動かなきゃいけねえんだよ、とっとと行けこら!」
タンクトップにお尻を蹴られ、廊下に出た。
ここはラブストーリー?僕が動かなきゃいけない?ラブストーリーなら胸の高鳴るような好きな人がいて。
僕の好きな人は。いや、でも告白するにしても早すぎると言うか。
「いや、僕告白とかしたことないんですけど」
「馬鹿、お前がしたことなくてもいいんだよ、これは物語なんだから。お前が主人公だから、お前はお前になりきって告白すればいいの。お前が告白するんじゃなくて、お前になりきったお前が告白するってことだ!わけわからん!まあいい、走れ、青春ラブストーリーは、だいたい走る場面がある!」
またお尻を蹴られそうになったので、とりあえず廊下に出て走り出した。
「もっと全力で走れ!」
背中から、タンクトップの怒声が響く。
くそ、あのタンクトップ野郎!
図書室を過ぎ、トイレを過ぎ、階段を転がりながらおりていく。
一階までおりてくると、下駄箱が見えた。
どうせ僕の靴はない。
下駄箱を通り過ぎ、上履きのまま外に出た。
キャリアウーマンが、今にも校門を出ようとしているのが見えた。
走りながらに汗が首に伝っていくのがわかった。
追いつけ、追いつけ。
呼び止めればいい。
でも、彼女の名前は、名前はなんて言うんだ。
「あ、あの」
校門を出たところで、キャリアウーマンに追いついた。
彼女は振り返ると
「残念、間に合いませんでした!」
と嬉しいような、悲しいような、何とも言えない顔で言った。
いつの間にか、僕の服装はブレザーではなく、普段着ているジャージになっていた。校門のそばで、ジャージの男が立っている。
コンクリートだったはずの地面が、黒くなっている。
途端に大きな渦に変わる。
落ちていく。
ぐるぐる廻る。
すとんと落ちる。
浮遊する。
三行半のくたびれ儲け、ツクツクボウシはまだ鳴かぬ。耳から鼻くそほじって飛ばせば、夜のとばりがおりてった。橋頭堡を押さえられては、ものぐさ太郎もだまっちゃいないぞ、それ塩まけ豆まけお前まけ。旋回四回落下傘、竹槍もって、つつきにいった。こうして平和が訪れた。