世界が終わる日
今日は世界が終わる日だ。このあいだ、あと3週間後に地球に巨大隕石が落ちてくる、今からではどんな対策も間に合わないと言われてもう3週間が経った。予測では、今日の午後に落ちてくる。
予測のしばらく後は世界各地で戦争や紛争が減り、替わりに犯罪が増えたが、今ではもう町も静まり返っている。
僕は二階のベランダにテーブルを出してお茶を飲みながら、廻りの鉢植えの草花と、静かな町の景色を眺めていた。空にはわずかに雲がかかり、暑くもなく寒くもない。
暖かい風が吹いて、白いレースのカーテンを揺らしていた。
向かいでお茶を飲んでいた彼女が言った。
「あのさ」
「何?」
「昔、仏教説話か道教説話かで読んだ話なんだけどさ」
「うん」
「カタツムリの角の上にも一つの小さな国があって、その国にも私たちと同じように人々が住んでいるって話があったんだよね。それは私たちからすれば小さくてはかない世界なんだけど、でもそこに生きている人々にとっては、やっぱり私たちと同じように生まれたり死んだりすることがあって、喜んだり悲しんだりしながら生きているんだって話で」
「そうなんだ」
「それでね…、もし私たちが生きているこの世界を外側から見ているような誰かがいるとしたら、やっぱりその誰かにとっては、私たちの存在もカタツムリの角の上のはかない世界のように見えるんだろうね。私たちにとっては決して小さくない喜びや悲しみや楽しみや怒りも、世界の始まりと終わりでさえも、わずかな間で過ぎ去ってしまう小さな出来事でしかないんだろうね」
「そうかもね」
「…」
僕たちはまたお茶を飲んだ。日は少し傾いて、午後のうららかな日差しが辺りを照らしていた。そよ風が吹いて、鉢植えのラベンダーと緑の葉っぱを揺らした。
しばらくしてまた彼女が言った。
「あのさ」
「うん」
「子供の頃に思ったことなんだけど、映画とかのストーリーで『人類が滅亡する』っていう展開と、『世界が滅亡する』っていう展開が、似たような意味合いで使われてるように見えて、あれはなぜなんだろうと思ったことがあったんだよね。
だって、人類だけが滅んで世界がそのまま残っているのと、世界も一緒に滅んでしまうのとは同じじゃないのに、それっておかしくない?人類ばかり重視して自己中心的じゃない?とか思ってね」
「うん」
「でも考えてみたら、滅ぶとか終わるとかってのは結局主観視点でしか見れないことであって、『自分』が滅ぶってことはある意味、世界が滅ぶのと似たようなものかも知れないよね。自分にとっては、自分が滅ぶと共に自分の世界も一緒に滅んでいくのだし。
自分の後にも仲間が生き残ると知っていればともかく、自分も仲間もみんな滅ぶと知っていれば、それは世界の終わりと同じようなものかも知れないよね」
「そうかもね」
「…」
僕たちはまたお茶を飲んだ。それからまた彼女は言った。
「昔、クリスティーの小説にそんな台詞があった気がするなぁ…。自分の生き死になんてこの広い宇宙からしたらどうでもいいちっぽけな問題だ、っていう人に対して、主人公が、あなた、それは大変間違った考え方ですよ、私は戦争中に空爆を受けている時でも、個人的な足の指の痛みがずっと気になっていましたよ、とかいう場面が」
「そりゃまた仏教的な考え方だね」
「そうね…」
壁掛け時計の音が鳴った。もう3時だ。あと30分もすれば世界は滅ぶ。
「それじゃ、お先に」
と彼女は言うと、お茶のカップに薬を入れて飲んだ。そして飲み干すと、椅子にぐったりともたれかかって、動かなくなった。
「…」
僕は頭を抱えてしばらくテーブルの上を眺め、それからまた顔を上げて辺りを眺めた。相変わらずうららかな午後の日差しに、鉢植えの草花、彼女が死んでいる以外は何も変わらないように見えた。
それから僕も薬をお茶に入れた。そして椅子から立って、カップを持ちながら東の空を眺めていると、光が見えた。日の光に並んでもう一つ、始めは星ほどの光だったが、やがて日の光ほどになり、さらに強く激しい光に変わった。
「おっといけない…。飲むのが遅すぎた」
そう言った次の瞬間にはものすごい光と衝撃がやってきて、全てが消え去った。