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運命を決める日

 辺りは人であふれかえっていた。。休日は家で過ごすことが多いわたしにとってこの人の多さは正直苦手だった。

 今日も母親はわたしより先に仕事に出かけ、友人と過ごすといったわたしに「楽しんできてね」という言葉を残していた。


 わたしは祖母に高校入学時に買ってもらったワンピースのすそを整えると短くため息をついた。わたしの足元に細長い影が届き、顔を上げる。そこには尚志さんが立っていたのだ。走ってきたのか息が乱れている。


「悪い。待った?」

「いいえ。気にしないでください」


 何度も彼を見たはずなのに、外で会うとまた違う印象がある。

 わたしは高鳴っていた胸の鼓動がより早くなるのを感じていた。

 こんな日に彼と一緒でまともに演技ができるんだろうか。


 そう不安な気持ちを抱いたわたしの頬を尚志さんがつねった。

 わたしは何も言えずに彼を凝視していた。

 目があい、妙な間がわたしと彼の間に流れる。

 彼は戸惑いがちに目をそらした。


「いや、緊張しているみたいだったから」


 だからといってほとんど面識のない子の頬をつねるのはどうかと思うのだけど。

 つねられたよりも顔を触られたことを意識して、胸が高鳴った。

 何を考えているのだろう。

 わたしは尚志さんが来てからの胸の高鳴りを忘れようと努めた。


「伯父は変な人だけど、怖い人じゃない。緊張しなくていいよ」

「でも厳しい人らしいと千春から聞きました」

「映画のことは聞いたんだよね?」


 わたしは頷く。


「伯父は千春にぞっこんだからね。その彼女が気に入ったと聞けば、いい印象は持っていると思うよ」


 その伯父に会ったこともないのにも関わらず、想像できるのがすごい。

 彼女の持っている資質のようなものだろうか。

 伯父も千春のお父さんと同じように魅入られてしまったのかもしれない。


 わたしたちは駅に行くと電車を乗り継ぎ、彼の指定した駅で降りる。

 その駅は人気が少なく、ほっと胸を撫で下ろした。


「人ごみが苦手?」


 わたしは頷いた。


「俺もそうだから気持ちも分からなくはないけど、仕方ないよな。ここから少しだから歩いていこうか」


 その言葉に頷き、あまり見慣れない町を見渡す。すると、その視界に軒並みの低い建物が並ぶ中に、目立つ縦に長い建物が視界に入った。


「行くよ」


 わたしはそのビルから目を離すと、信号を渡った尚志さんについていくことにした。


「事務所ってどんなところですか?」


 千春の話によると伯父さんの事務所のすぐ隣に千春が言っていた兄の運営する事務所があるらしい。ついでにそこを覗かせてくれるらしい。

 わたしはどんな返事が返ってくるか期待しながら、想像を膨らませる。


「開店休業状態」


 予想もしていなかった言葉に首をかしげる。


「伯父が映画を撮るときだけ人を集めるように使う感じだから、普段はすることもないんだよな。電話は大抵は伯父が取るし、取れないときは俺の携帯に転送しておけば問題ないし」

「そういえば大学生でしたよね?」

「そうだよ。人を雇う必要もないから便宜上俺がなっているだけだからね。本当は伯父が運営すべきだとは思っているんだけどな」


 めちゃくちゃいい加減な話のような気がしないでもない。

 そんなもので成り立つものなのだろうか。

 実質伯父が経営しているなら可能かもしれない。

 彼もやりたくてやっているわけでもないのだろう。


 わたしは小さな平屋のような事務所をイメージしていたが、尚志さんの足が止まったのは駅から見たビルの前だ。随所が古ぼけていて、新しいとはいいがたい。だが、とても大きなビルだった。


「このビルですか?」


 ビルの一室を借りているのだろうか。マンションの一室でお店を開いていたりする人もいる。そう思ったとき、頷いた尚志さんが鍵を取り出し、扉に差し込むのが見えた。


「何で鍵なんか」


「閉まっているから。誰か入り込むと面倒だからね。安全面からも」


 彼はわたしが何を言いたいか気づいたのだろう。しかし、その答えはやっぱりずれている。

 このビルを借りている人がみんな出入り口の鍵を持っているのだろうか。

 自分の部屋の鍵だけあれば事足りるのに。

 千春もいればわたしの疑問を即座に解決してくれただろう。そんな気持ちから言葉が零れ落ちた。


「千春も用事がなければ来てほしかったかな」

「誰が用事って?」


 尚志さんは不思議そうにわたしを見た。


「千春が」


 わたしの言葉を軽く笑う。


「あいつは暇そうに俺を玄関先で見送っていたよ。嫌だから逃げたんだよ」

「伯父さんに会うのがですか?」

「いや、伯父から説得されるのがね」


 彼女は映画の話が自分に来ていたと言っていたのを思い出した。

 だから彼女は嫌がったのか。


 尚志さんが扉を開け、わたしを中に導いた。

 そして、尚志さんは再び鍵を閉めた。

 このビルは何なんだろう。

 わたしは尚志さんがバッグの中に放り込んだ鍵を見ながら、気が重くなってきた。


 エレベーターを見る限り、五階建てのビルのようだ。わたしはエレベーターを上がるのかと思い、エレベーターの前に立つが、尚志さんが体温の高い手でわたしの腕をつかんだ。不意に胸が高鳴る。


「階段でいい? 二階だから」


 尚志さんの淡々とした口調を聞き、意識したのを恥ずかしく感じていた。

 その気持ちをごまかすために、彼から目をそらし、首を縦に振る。

 そして、エレベーターの奥にある階段を上がることにした。

 階段の電気は消えていて、窓から太陽の光がわずかに差し込むだけだった。


 木霊する足音がわたしの不安な心をかきたてる。

 二階に行くと、辺りを見渡した。部屋がいくつかあるが明かりがほとんどついていない。ついているのは奥にある部屋だけだ。廊下には段ボールが乱雑に並んでいて、人気がない。


「ここって他に誰か借りていたりとかしないんですか?」

「しないよ。でも掃除は行き届いているだろう?」

「そうですね。でも、税金とか大丈夫なのかな」

「まあ、持ち主の好きなようにさせるのが一番だしね。だからこそ愛着があるし、掃除もこまめにしているからね」


 尚志さんは苦笑いを浮かべていた。まるでその持ち主をよく知っているかのような。


「知り合いのビルなんですか?」

「知り合いというか、伯父が持ち主だと思う。俺もよくわからないけど、父親が土地を持っていてビルを建てたとかなんとか」

「持ちビルなの?」

「まあ、そうだろうな。でも昔から持っていた土地らしいし、今は人にも貸し出していないんだ。だから、実質伯父の住まいのようなものだよ」


 わたしの想像を絶する答えが返ってきた。

 わたしの家とは全く違う状況に、現実味のない空想話を聞いているような心境だった。

 一つの家で、ビルの廊下は家の廊下のようなものだろう。そう思えば思うほど、今の現状がとても不思議だ。


 わたしたちは伯父さんたちのいるという奥の明かりがついている部屋まで歩いていく。

 尚志さんが扉を開けると、すんなりと開いた。

 彼はそこから部屋の中をのぞき込む。


「伯父さん、俺だけど」

「こっちだ。こっち」


 明るく低い声が部屋の奥から聞こえてきた。


「ちょっと待っていて」


 尚志さんはそう言い残すとわたしを玄関先まで招き入れ、靴を脱ぐと部屋の奥に消えていく。

 入り口付近にはスチール製の壁があり、どこかのオフィスのようだった。掃除が好きだという話も納得できるほど、綺麗に整理されていた。どんな人なのだろう。


 覗きたい欲求にかられていると、尚志さんが戻ってきた。


「奥に来てもらえる?」


 わたしは尚志さんと一緒に奥の部屋に行く。ドアを開けると、そこには体つきのがっしりとした長身の男性が立っていた。彼は前方を見据えている。


 彼の瞳がわたしを見る。


「君が平井京香さんか」


 彼はわたしを視界に収めた直後、目を見張った。

 その目で姿をとらえられるとまるで言葉を忘れてしまったかのように言葉が出てこなかった。

 何だろう。わたしは理由もわからず、彼に魅入っていたのだ。ずっと忘れていた昔のおもちゃを見つけたような……。


「伯父さん、話をしないなら俺が進めるよ」


 尚志さんが困ったような声を出した。

 彼が我に返ったように目を見開く。

 そして、目を細めた。

 彼の瞳が優しくなった。


「悪い。寝不足でね。二人で話をさせてもらっていいか?」

「いいですよ」


 尚志さんは笑顔で答え、わたしを見る。


「伯父さんは変な人だけど危険な人ではないから安心していいよ。俺も隣の部屋にいるから」


 尚志さんはわたしの頭を撫でた。人の気持ちをなだめるときにする仕草なのだろうか。わたしは彼の言葉に頷いた。


「変人は余計だよ」

「本当のことだから」


 尚志はにやっと笑うとそのまま部屋を出て行く。


「そこに座って」


 彼は顎で彼の向い側のソファに座るように促した。

 わたしは彼の正面の席に座る。


「君はどうして女優になりたい?」


 その伯父さんはわたしを一瞥して穏やかな口調で尋ねてきた。


「水絵さんに憧れているからです」

「それは千春から聞いた。だが、水絵はやめた。この世界から逃げ出すためにね。それでも君は彼女に憧れていると言えるかい?」

「水絵さんが?」


 始めて聞く話だった。


 彼は頷いた。


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