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人を魅了し、支配する女性

「あなたが彼女に魅入られたように父も魅入られてしまったのよ。彼女という存在に。彼女の見ていた世界にね」


 あくまで千春の言葉は穏やかなものだった。しかし、その口調がある意味の含みをもたせているような気さえする。


「魅入られるってどういうこと?」


 千春は右手を右の頬に当て、眉間にしわを寄せていた。


「どう言えばいいのかな。うまくいえないけれど、これだけは確実なの。お父さんの生活ががらっと変わってしまった。もしかすると人生まで変わってしまったのかもしれない」

「でも、人を好きになるってそういうことでしょう? 相手とつきあったり、結婚するだけで人生は大きく変わってくるのだから」


 それがわたしの思っていた素直な恋愛に対する気持ちだった。人を好きになったことがないわたしがそんなことを言っても理想論でしかないのかもしれない。


「でもね、それがいいほうに変わればいいのよ。でも悪いほうに変わったらどうするの?」


 千春の言葉にわたしの胸が鈍い音を立てた。

 それは彼女の見てきた重みだろう。わたしにはその答えが分からなかったのだ。


「変な言い方してごめんね」


 千春は肩をすくめて天井を仰ぐ。彼女の視線が天井から降りてきて、再びわたしの姿をとらえた。


「わたしが生まれてから父親が仕事をしていた記憶がないのよ。職業柄わたしが見なかっただけかもしれないけどね」

「お父さんの仕事は脚本家だよね?」


 父親が書いた映画だと言っていたからだ。

 彼女は首を横に振る。


「小説家だったの。藤井久明って知っている?」

「知っている。それがお父さんなの?」


 千春は頷いた。


 結構有名な小説家だったらしいという話を聞いた。らしいというのは図書館などにはたくさん納入されていたが、私の記憶のあるうちにはたいしたヒットも飛ばしていないからだった。新しい作品を書いていないなら納得はできる。ただ、逆をただせばそんなわたしでも名前を知っているレベルの有名な作家なのだ。


「あの映画の脚本家は名前が違うよね。藤亮大って」

「名前、似ているでしょう? 別の筆名だよ。父親が伯父に頼み込んで、脚本を書かせてもらったの。彼女で映画を撮ることは前もって決まっていたし」

「どうして?」

「母親に彼女を演じてほしかったらしいわ。ギャラもいらないからって」


 彼女は目を細めて微笑む。頬を赤く染め、どこか嬉しそうに見えた。


「お父さんはそのときから水絵さんのことを好きだったの?」

「母が亡くなった今でも彼女に支配されてしまうくらいにね」


 支配というのは嫌な響きだった。彼女が母親を嫌っているわけでもなさそうだった。

 それなら母親を好きだった父親の姿に何か考えるところがあったのだろうか。

 魅入られるという言葉。そして、彼女の父親が旅に出たとも聞いた。

 彼女の父親は今、何をしているのだろうか。

 わたしは疑問に思いつつもそれ以上聞くことができなかった。


「まあ、そんな父親でも感謝はしているわ。父親がお金を残してくれたわけだから、わたしも兄も学校に通うことができるけど、そうじゃなかったら困るわよね」

「確かにね」


 少なくともこんな家には住むことができなかったのかもしれない。


「飲み物飲む? 忘れてい」

「気を遣わなくていいよ」

「適当に見つくろってくる。アルバムとか適当に見ていていいからね」


 千春はそう言うと部屋を出て行った。


「魅入られる、か」


 わたしもそうなのかもしれない。彼女の存在が色濃く残っていた。まるでその人に恋をしているかのように鮮明に。それほど魅力のある人だったのだろう。

 わたしはアルバムを捲る。


 赤ん坊を抱いた水絵さんの姿があった。その傍にはしかめつらをした男性が座っていた。

 おこっているというよりは緊張で顔を強張らせているように見えた。その証拠に水絵さんは幸せそうに微笑んでいたのだ。

 これが千春の父親なのだろうか。

 わたしはアルバムを捲った。


 次のページにはハイハイをしている赤ちゃんの写真があった。なんとなく千春ではないなと感じる。そうなると尚志さんだろうか。


 そのすぐ後には幼稚園くらいのむすっとした顔の男の子が立っている写真がある。

 まるで写真を写している人を睨んでいるようだった、


「千春?」


 そのときわたしのいる部屋の扉が開いた。

 部屋の中に入ってきたのは尚志さんだった。


「どうして君が?」


 彼の見開かれた瞳がわたしの手元にあるアルバムを見る。

 彼は部屋の中に入ってくると、わたしからアルバムを奪い取った。

 わたしはそんな尚志さんの行動を見て、とっさに答えた。


「一応、千春の許可はもらっています」

「たく、あいつは。こんなもの見るなよ」


 彼はアルバムを持ったまま出て行こうとした。

 ドアの隙間から茶色のお盆が姿を現す。千春がわたしたちを見て首をかしげる。


「何しているの?」


 わたしは唖然とドア付近を見て、尚志さんはものすごい剣幕でアルバムを手に部屋を飛び出そうとしていた。

 考えればどんなシチュエーションか分かりそうな気はするが、千春は「こぼれる」と兄を言葉で押しぬけ、部屋の中に入ってきた。そして、お盆を部屋にあるサイドテーブルの上に置く。


「アルバムくらい別にいいじゃない。お兄ちゃんだって似たようなことしようとしたくせに」

「俺はお前と違って完璧に普通の人なんだよ。露出しまくっていたやつと一緒にするなよ」

「そういう変なことを言わないでくれる? 変な誤解したらどうするのよ」

「事実だろう」


 喧嘩するほど仲がいいと言う。多分二人も仲がいいのだろう、とは思う。


「わたし、お邪魔なら先に帰ろうか?」

「お兄ちゃんは部屋に戻っていて」


 千春は兄の背中を押し、部屋を追い出した。もちろん、彼が持っていたアルバムも一緒に部屋を出て行く。そして、扉を閉めた。


「それで日曜日はお兄ちゃんと一緒に行ってね」

「千春は?」

「わたしはちょっと用事があるの。待ち合わせはどこがいい?」

「どこでもいいよ」


 わたしは千春の強引なまとめでこの近くの最寄り駅で待ち合わせをすることになった。


「お母さんには話をした?」

「まだ。今日、話をしようかなと思っているけど」

「話をするのは日曜まで待ってくれない?」

「どうして?」


「伯父さんは厳しい人だから、どうなるか分からないし、断る可能性も少なからずあるとは思う。あなたのお母さんが反対しないと分かっているなら尚更、ね。もし、お母さんがダメだと言ったら、そのときは断ってくれればいいよ」

「わかった」


 そんなわけで日曜日にわたしは尚志さんと一緒に、彼女の伯父さんに会いに行くことになったのだ。

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