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複雑な家庭事情

「これは?」

「お母さんの赤ちゃんの頃の写真。でもこの辺りはいまいちかな」


 千春はアルバムを捲る。そこに写っていたのは二十歳くらいのまっすぐな瞳で前方を見つめている女性の姿だった。

 それはわたしの知っている「彼女」の姿でもあった。


「不思議な気分。めちゃくちゃ綺麗な人だよね」

「そうかな」


 千春は複雑そうな顔でその写真を見ていた。

 この頃の彼女は二十歳くらいの頃だ。千春と確かによく似ている。

 言われるまでなぜ分からなかったのだろう。


「わたしがあなたに声をかけたのはわたしのためなのよ」

「どういうこと?」


 わたしは首をかしげて千春を見た。


「あなたが好きなお母さんの映画をリメイクしないかっていう話があるの。それにわたしが出ないかって。彼女の娘ってことで話題性があるかもしれないってね。お母さんが亡くなったことも公表して」


 わたしは突然聞かされた言葉に彼女を見た。


「すごいじゃない。出るの? この前オーディションに出たってことはそういう気があるってことだよね?」

「出ないよ」

「どうして?」

「嫌だから」


 彼女はわたしの言葉をばさっと切り捨てた。


「わたしは素人だし、そんなものに出られるわけない」


 わたしは昨日の彼女の姿を思い出していた。演技の経験がないといっても彼女は十分上手だった。少なくともわたしよりは。


「でもそんなチャンス滅多にないかもしれないし」

「わたしは女優になりたいわけじゃないのよ」

「何になりたいの?」

「……言えない」


 千春は顔を赤く染めた。


「そんなに恥ずかしいものになりたいの?」

「誤解を招くような言い方しないでよ。ただ普通の人生を送りたいの。人の注目も浴びたくないから」


 千春の瞳に影が映るのが分かった。

 彼女はわたしの知らない何かを知っているのかもしれない。


 人生は一つじゃない。その人の数だけ、未来がある。

 千春の選んだ未来はわたしとは全く違うということだけなのだ。


「その夢、叶うといいね」


 千春は顔を染めて微笑む。


「わたしの話はいいのよ。でも、わたしの伯父がしつこいの。死ぬまでにもう一度あの映画を撮りたいと言い出してさ」


 彼女は咳払いをすると、まくしたてるように早口でそう言った。


「死ぬまでにって病気とか?」

「そういうわけじゃないけど、言葉のあやみたいなやつだと思うよ。歳も歳だからね。わたしに才能があるからって。わたしを逃したら他の人が見つかるか分からないってさ」

「才能か」


 確かに彼女は上手だった。いや、そんな言葉で表現しつくせない。彼女が動き、何かを言うだけで彼女の世界に引き込まれる。引き込まれるというよりは引きずり込んでいく。

 それが彼女の伯父の言う「才能」なのかもしれない。


「別に興味がないことに才能があると言われても困るのよ」

「確かにそうかもしれないね」


 わたしからするともったいなくて羨ましいものだった。しかし、千春にとってはそうではないのだろう。


「でね、伯父が誰か適役がいたらわたしがでなくてもかまわないって言うのよ」

「適役ね。心当たりはあるの?」


 千春が細い指をわたしに向ける。


「だから、あ・な・た」

「はい?」


 わたしの頭の思考回路が全てストップしたような気がする。そんな感覚だったのだ。


「だから、あなたはどうかなって推薦しておいたのよ。伯父さんにね」

「にね、じゃなくてわたしには無理よ。絶対無理」

「でもオーディション出ていたじゃない。昨日だって、興味あるように見えた」

「そうだけど。急な話すぎるよ」

「一応、伯父の厳しいチェックは入ると思うわ。もしかしたらダメと言われるかもしれない。でも出てみたくない? あの映画に出られるなら。あなたが今後女優になれたとしても、あの映画に出られる可能性は二度とないの。そのチャンスが今、なのよ」


 その言葉に導かれ、映画の内容を思い出していた。

 少女の淡い恋物語だった。水絵が演じる果歩という少女が微笑み、笑うだけで彼女に目が惹かれてしまう。大地を照らす太陽も、辺りに漂う森林も、聞こえてくる鳥の鳴き声も彼女を引き立たせるために存在しているようだった。


 わたしはもう一つの千春と母親の共通点に気付いた。千春も、そうだったのだ、と。

 わたしの中の果歩という女性が千春に替わっても難なく受け入れることができるだろう。

 彼女は果歩になれる。


 そんな人を惹きつける彼女が人を好きになる。

 それは彼女の学校に転校してきた男の子だった。粗暴な態度を取るその男に対して少女は最初不快感を抱いていたのだ。しかし、彼女のそんな彼に対するイメージが一変する。


 彼の本心を聞いたときだった。偶然で、彼女が何も気にしなければ二人はすれ違い、その人生は交差することがなかったのかもしれない。でも、彼女は「彼」に気づいた。


「物事を偶然と片付けるのは簡単だよ。でもそれを運命だと思ったの」


 千春は舌をぺろっと出した。


「ごめん。これ、わたしがあの映画で一番好きなセリフなの」

「わたしも好き。セリフだけではなくて、ほんの何気ない仕草に果歩が気づいて、彼への誤解が一気に解けていくの。このために前半の時間は存在していたんだなって素直に思えて」


 千春は優しく微笑んでいた。


 彼女の微笑みを見て、わたしは必要以上に語りすぎてしまったようだ。


「ごめん。わたし、つい熱くなってしまって」


 思わずあれこれ語ってしまったことを恥じていた。


「この映画、いつ見たの?」

「お母さんが好きな映画だったの。ビデオに撮っていて、それを何度も見たの」

「親子で好きだったのか。それは意外だったかも」

「親子でごめんなさい」

「責めているわけじゃないのよ。ただ嬉しくて。わたしの両親や伯父以外にその映画を大好きな人がいてくれたと思うとね。だからあなたがいいって思ったのよ。わたしよりも何倍もこの映画のことを好きでいてくれているかもしれないとね」


 なんとなく彼女の言い方が気になった。

 彼女はこの映画をあまり好意的に考えていないのではないかと思ったからだ。


「千春はあまり好きじゃないの?」

「主人公の気持ちがさっぱり理解できませんから」

「千春はああいう男が嫌いなの? それとも果歩が?」

「だってあれは」


 彼女は人差し指を唇に当て、何かを深く考えているようだった。


「まあ、いいわ。知らないほうが幸せってこともあるし」

「気になる言い方しないでよ」

「だって考えてもみてよ。わたしの父親が書いた脚本なのよ? 何か気持ち悪いでしょう?」


 彼女はそう必死に主張する。


「素敵な話だと思うけど」

「でも父親が書いたラブストーリーなんて気色悪いでしょう? 赤の他人が書いていたらその感想も違ってくるかもしれない」

「お父さんがいないからよく分からないかな。どうなんだろう」


 千春の表情が曇った。


「ごめん。無神経だったかな」


 わたしは変な言い方をしてしまったかもしれないと思い、慌てて否定した。


「そんなつもりじゃなくて、本当によく分からないの。お父さんってどんな感じなのかな、とかね」


 わたしにとって父親は架空の存在でしかない。

 千春の顔がより暗くなっているのに気づいた。だから、話を切り替えようとした。


「千春はいつまでお父さんと一緒に暮らしていたの?」

「お兄ちゃんから聞いた? 母親が亡くなってしばらく経って、旅に出るって書置きを残してどこかに行ってしまったの。それから兄貴と伯父さんに育てられてきた」


 彼女の家もいろいろと複雑なのかもしれない。


「お父さんのこと嫌い?」

「嫌いというよりは腹立つかな。でもね、父親にも一つだけ同情の余地があるのかもしれないとは思っている」


 彼女は穏やかな口調でそう言葉を続けた。


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