かわした約束
「入っていいよ」
わたしは意外な反応にただ戸惑っていつつも、中に入ると、鍵を閉めた。
尚志さんはわたしが不思議に思っているのを感じ取ったのか、天を仰ぐと肩をすくめた。
「千春から電話がかかってきたからさ」
「いつ?」
「今さっき。話をちゃんと聞いてねってさ。あと、家の前でぐだぐだされると困るからとりあえず家に上げてねって」
わたしは深呼吸をした。きちんと素直な気持ちを伝えるために。
「わたしは」
「いくらでも待つよ」
わたしはその言葉に彼を見た。
尚志さんは初めて会ったときのような笑顔を浮かべていた。
「君を苦しめてしまったから。だから、もし、君が今までささえてくれた人たちのことを今、思っていても、忘れるまで待つ。君がそれでも俺と一緒にいたいと思ってくれるなら」
わたしは驚きのあまり尚志さんを凝視した。
彼は頬をそめ、頭をかく。
「嫌だというと思っていた」
「嫌だし、最初で最後だよ。こんなことは。でも、相手が君なら、待つのも悪くないって思う」
わたしの目頭が熱くなるのが分かった。
「わたしと一緒にいたらいろいろ書かれるかもしれない。そしたら尚志さんも、お母さんも」
「俺は別に何書かれても平気だから。だから、困ったことがあればこれからは俺に相談してくれ」
わたしは首を縦に振った。
「君は来年から一人暮らしになるんだよね」
「大学をお母さんの実家から通えるところを受ける可能性もあるから、今はなんとも言えないの」
「君がこのあたりの大学に行くなら、一緒に暮らさない?」
わたしはその言葉を聞いて、その場に固まった。
「どうして?」
「別に恋人になってくれと言っているわけじゃない。ただの同居人だと考えてもらっていい。兄弟のようなもの。君が出て行きたくなれば出て行ってくれて構わない。贅沢はできないかもしれないけど、普通になら暮らせると思うよ。生活費は気にしなくていいから」
答えは決まっていた。迷うわけもなかった。
わたしのそんな迷いを分かっていてくれるなら受け入れるだろう。
わたしは顔を綻ばせた。
「わたしに有利すぎるよね。条件的に」
「数年間の罪滅ぼしだよ」
彼はそう言うと、苦笑いを浮かべていた。
その話を部屋に来てくれた千春にしたら、彼女はわたし以上にはしゃいでいた。
「独占欲が強くて、自己中なお兄ちゃんにしては思い切ったね」
尚志さんは千春に対して気まずいのか、顔を背けていた。
「そうしたいけど、お母さんに話をしないとわたしのほうはいいのか分からない。お父さんはどうなんだろう」
「言わないとまずいよね。やっぱり」
千春は何だか楽しそうだ。
対照的に尚志さんの表情が暗くなった。
「面白がるなよ」
「千春の家はお母さんも厳しそうだけど、特に『お父さん』がね」
「そこまで気にしないんじゃないかな?」
「あれでも昔は怖かったし、特に身内に対しては容赦ないと思うけど」
「頭でも何でも下げるよ。全く」
尚志さんはため息混じりに呟いた。
だが、ふと家を出て行くときの千春の話を思い出した。
「怒られるのは千春も一緒なんだよね?」
彼女の箸の動きが止まった。
「……忘れてた。でも、京香をクリスマスに連れ出したのは、同棲させてくれって言うよりはましだよ。怒られる量が減ったかも。ラッキー」
自分に言い聞かせているように聞こえるのは気のせいなのだろうか。
「わたしの代わりにたっぷり嫌味を言われてね」
千春は尚志さんを見ると、満面の笑みを浮かべていた。
帰宅後、わたしは父親が帰るのを待って、その話を母親にした。
今までどの程度彼女を掻き乱し、迷惑をかけてきたかそのことも分かっていた。
お母さんは話を聞き終わると、目を細めると、微笑んだ。
「京香は一緒に暮らしたいの?」
「暮らしたいと思っている」
「反対はしない。あなたの人生だもの。自分で決めなさい」
彼女は思いだしたように語りだした。
「ただ、二人が恋人になったときには教えてね。それに親として言わせてもらうけど、延々と同棲を続けるのはやめてね。しばらくは身動きもとりづらいかもしれないけど、あなたが大学を卒業するときにはきちんと決着を着けること。きちんと互いに責任を取れるような行動を取ること。これが条件よ」
「分かった。約束する」
わたしの返事に彼女は目を細めた。
「お父さんにはどうしたらいいかな」
「わたしから言っておくわ。今まで育ててきたのはわたしなんだから文句は言わせない」
母親に丸め込まれている父親の姿が思い浮かんだ。
お母さんは翌日にはお父さんに話をしてくれた。
どんな話し合いがあったのかは分からないが許可は得られたと尚志さんから聞いた。
春までは母親とここに住み、その間に尚志さんは新しい家を探すそうだ。
今の家には二人で住めないらしく、二部屋以上ある部屋を探すとのことだった。




