奇跡の起こる夜
街を照らすオーナメントを視界に収めると、わたしの胸に一つの思い出が蘇った。
ちょうど一年前、尚志さんと偶然出会い、何度も泣いたクリスマスの出来事だ。
あのときは世界が終わってしまったような気がして、立ち直れない。そう思ったわたしを支えてくれたのは杉田さんだった。
尚志さんが好きだと痛感した今でも、杉田さんは大切な人だった。
恋とは違う、多分、親友や兄弟といったような気持ちだったのだろう。
恋とは違っていても、その存在感は大きい。
だからこそ、尚志さんをどれほど好きでも、千春に尚志さんの居所を聞こうとはしなかったし、尚志さんにも連絡を取ったりしなかった。
自分の幸せを望んだわたしが、これからどうしたいのか分からずにいた。
ただ、受験という当面の目標がわたしの支えだったのだろう。
「さすがクリスマス、混んでいるね。でも、この通りを抜ければもうすぐだよ」
千春はそういうと、苦笑いを浮かべた。
クリスマスである今日、千春がわたしの家にやってきたのだ。
彼女はわたしを見て、笑顔を浮かべたのは一時間前の出来事だ。
「わたしからのプレゼント」
彼女は封筒を渡すと、家に上がった。
「千春ちゃん、いらっしゃい」
母親が玄関にやってきて、千春と言葉をかわしていた
その封筒の中身を確かめると、住所と電話番号が記されていた。
そこに書かれたのは尚志さんの番号だとすぐに分かった。
母親にあいさつを終えた千春と一緒に、自分の部屋に戻ったのだ。
ふすまを閉めたわたしに千春が呼びかける。
「迷っているの?」
わたしはその問いかけに何も反応できないでいた。
「それは康ちゃんのことが引っかかっているの?」
わたしは彼女を思わず凝視した。
彼女は目を細めて微笑んだ。
「見ていればわかるよ。京香も康ちゃんもお互いを本当に信頼していた。だからこそ、あの映像が撮れたんだと思う。京香は康ちゃんのことが好き?」
「好きだよ。人としてすごく。でも、それは恋愛感情とは違うの。親友のような、もう一人の自分のような、また特別な気持ちなの」
彼を好きな彼女に言いすぎたかもしれないと思ったが、彼女はにっこりとほほ笑んだ。
「京香が恋愛とは違うと思っているなら、好きな人としてお兄ちゃんと一緒にいたいと思ってもいいんじゃない?」
「でも、ずるいよね」
知らない振りをしていたら、それですませられるだろう。
杉田さんへの気持ちは恋愛とは違う、胸を締め付けることもなく、一生色褪せないと思える気持ちだった。
尚志さんの性格を考えたら、そんなわたしを受け入れてくれると思えない。
わたしがそう言うと、千春は肩をすくめていた。
「お兄ちゃんと一緒にいたくて、普通の幸せがほしくて辞めたんでしょう? それならそのことを兄にもっと訴えるべきだよ。あなたのせいで辞めることになったんだから責任とってとか言ってさ」
「そんなことはいえない」
「埒があかないよな。二人ともいい子すぎるんだよね」
千春はわたしの手をつかんだ。
そのままわたしの体を引っ張っていく。
「おばさん、京香を借りていい?」
「いいけど、ご飯は?」
台所には朝から母親が気合を入れていった料理の数々が並んでいた。
「今日の夜にきっとそれを全部平らげてくれそうな人が来てくれますから」
母親は小さな声を上げる。
「そうなの?」
「だから邪魔者は退散しないとね」
彼女は唖然とした顔の母親をよそ目にそのまま外に出た。
家の外は嵐のように雪が激しく吹きしきっていた。
前方さえもしっかり見えなくなるほどだった。
「早く」
千春はそう言うと、わたしの手を引っ張り、駐車場に連れて行った。
見たことのない車に千春はキーを差し込んだ。
「車、持っていたの?」
「父親の車。どうせ父親は缶詰状態だから借りてきた」
「仕事決まったの?」
「原稿料も安いみたいだけど、本人は満足みたい。ここ数日、意気揚々としていたから」
彼女は明るい笑みを浮かべていた。
とまっていた長い年月に別れを告げて千春の父親も新しい道を歩みだしているのろう。
寒い季節なのに、そこまで体を打ち付けるかのような寒さは感じなくなっていた。
わたしは彼女に急かされるようにして車を乗り込んだ。
わたしはそこで彼女にもう一つの聞きたいことを切り出すことにした。
「お母さん、大丈夫かな」
「大丈夫でしょう。多分ね。ま、伯父さんには後から怒られるかもしれないけど」
「なんで?」
「京香を連れ出しちゃったから。本当は京香にも会いたかったみたいだから」
彼女はそう言うと、車にエンジンをかけた。
車はゆっくりと走り出した。
わたしは千春の横顔を見た。
「どうしてそこまでしてくれるの?」
「互いに好きなのに、そんなことやっているとさ、どうも気になっちゃうの。それに、京香以外の人にわたしの姉になってほしくない。わたしってあまり気の合う人、いないから」
「でも、結構無難に誰とも仲よくしていたよね?」
「それは表面的なもの。小さい頃、人を蹴落とす人たちを当たり前のように見てきたから、誰に対しても壁を作るようにしているの。京香と康ちゃんだけは特別だったけどね」
そのとき、わたしの視界にオーナメントが飛び込んできた。
それがちょうど今だ。
「恩返しをしたかったの。京香がいなかったら、わたしたちの家族はずっとばらばらだった。わたしの家族をまとめるきっかけを作ってくれた京香が幸せになれないなんて絶対ダメなの。それに、康ちゃんの願いでもあるんだ。だから、わたしのためでもあるんだよ」
「杉田さんが?」
「京香にはお兄ちゃんと幸せになってほしいと言っていたの。だから、これは三人分のクリスマスプレゼントなんだよ」
その言葉にわたしの視界がかすんだ。
彼は最後までわたしの支えでいてくれた。
彼とは歩む道が違うが、幸せだと思える結末にたどり着いてほしかった。
とまっていた車の流れが再び動き始める。途中、横道にそれると、車の数がぐんと減り、すいすいと進む。その車がワンルームのマンションの前で停まる。
「行こうか」
千春がそう微笑んだ。
わたしは唇を噛み締めると、口を開いた。
「一人で行くよ」
きっと千春は全て話をしてくれるだろう。
わたしが説明するよりも丁寧に分かりやすく。
兄がわたしを拒もうとしたら、その背中を叩き、わたしを見させようとする。
彼にとって妹は特別だ。
だからこそ、自分で動かなければいけないと思ったのだ。
千春もわたしの意図を汲み取ったのか、優しく微笑んだ。
「分かった」
わたしは部屋の番号と、オートロックの番号も教えてくれたので、難なく中に入り込めた。
そして、エレベーターに乗り込むと、何度も胸元をこぶしで叩いた。
まず、何を言えばいいのだろう。
一つずつ、時間はかかるかもしれないけれど、ゆっくりと話そう。
わたしの気持ちを。
彼は受け入れてくれないかもしれない。そう思っていても。
エレベーターが千春の言っていたフロアで止まり、その一番奥の部屋まで歩いていった。
表札のない部屋の番号を何度も確認した。
わたしは唇を噛み締めると、右手の人差し指でインターフォンを鳴らした。
すぐに扉が開いた。そして、尚志さんが出てきた。
彼はわたしが何かを言うよりも早く口を開いた。




