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決断を告げるとき

 わたしは別荘の外に出ると、深呼吸をした。

 あの映画を見たときから、わたしの夢が始まった。

 だが、わたしの夢を終わらせたのも、あの映画だったのだろうか。


 尚志さんがわたしに連絡を取ってくることは一切ない。彼にとってわたしはもう終わった存在なのかもしれない。何度言い聞かせても、わたしの今の決断がしっくりきた。


 わたしの決断は十年後、二十年後に間違っていると思うかもしれない。

 自分で自分が幸せだと思えたら、後悔しないならそれでいいのだと分かった。



 わたしはその決断を千春に一番に告げた。


「いいの?」


 わたしは頷く。


「京香が決めたならわたしは応援するよ」


 彼女はしばらく考えると、ニッと笑った。


「撮影が終わったらプレゼントをあげる」

「いいよ。そんな」

「お金はかからないからいいの」


 強気な笑顔を見せるが、そのプレゼントが何かを彼女は教えてくれなかった。


 母にも電話をした。彼女は「わかった」とだけ言っていた。


 橘美咲がこの世からいなくなっても、平井京香にはこれから長い人生がある。今からどこまでできるかは分からないが、大学を受けようとは思っていた。学費と当面の生活費はどうにかなるだろう。

 その話を千春にすると、千春は自分の家に住めばいいと言ったが、それは千春曰く、一つの策らしい。別の策があるのかと聞いたが、彼女は一切教えてくれなかった。


 杉田さんにもそのことを告げた。彼は特別引き止めるようなことも言わずに笑顔で頷いていた。彼はわたしがどんな決断をするか察していたのではないかと思わずにはいられなかった。

 本井さんも「その方向で話を進める」と言っただけで深く追求はしなかった。


 わたしは成宮秀樹の部屋の前に立つと深呼吸をした。

 さっきの本井さんとのやり取りを思い出していた。

 わたしが一番言いにくいと感じていたのは、父である成宮秀樹だった。

 彼だけが身近な人で知らないという奇妙な状況が生まれつつあった。

 そんなわたしに本井さんはこう言ってくれた。


「言いにくいならわたしが言うわよ」

「自分で言います。でも、わたしの夢の道を開いてくれたからか、言いにくくて」


 彼は程度の差はあれ、わたしに期待してくれていたのだ。だが、母親の前で娘と呼んでくれた彼に失望されたくなかったのだ。


「きっと彼はあなたがこうして自分に言うのを戸惑っているのをしったほうが傷つくでしょうね」


 わたしは意味が分からずに本井さんを見た。


「あなたのお母さんが倒れた日、本当は起こそうとしたのよ。でも、成宮監督があなたを呼んだとき、あなたは寝言で『お父さん』と言っていたの。それで、起こせなくなってね、そのまま帰したというわけ」

「わたし、そんな記憶ない」


「当り前よ。寝ていたんだもん。でも、監督は偶然でもいいと言っていたわ。きっとほんとうに嬉しかったんでしょうね。だから、時間が経って、それでも彼とあなたたちの関わりが残っていたら、そう呼んであげるといいわ。どんなに時間がかかってもね。きっとあの人は待っているわよ」


 父と娘。そんなありふれた言葉に飢えていたのはわたしだけではないと分かり、その言葉に近づくために行動を起こそうと決めた。

 わたしは彼の部屋をノックした。すぐに扉が開き、驚いた顔の成宮秀樹が顔を覗かせた。

 わたしは会釈すると部屋の中に入った。


「この映画が終わったら、大学に行って、普通に就職しようと思っています」

「もう映画には出ない、と?」


 わたしは頷いた。


「ごめんなさい」

「分かった。撮影が終わったらもとの生活に戻ればいい」

「映画のPRもあると思うので、きりがつくまでは頑張ります」

「その必要はないよ。君がいてもいなくても大して変わらない。それにマスコミの前に頻繁に出るようになったら普通には戻れなくなる。それに主演女優が表に出ないままというのも面白い気がするんだよ。杉田君が君の分まで頑張ってくれるよ」


 わたしはそう流暢に語る成宮秀樹に驚きを隠せなかった。


「少し前に彼から聞いた。君が迷っているみたいだから、辞めると決断したときは引き止めないでやってほしいとね。それに僕がほしかったのは大物女優になりそうな子ではなくてね、彼女の役を演じることができる子だ。君は完璧にその役をやり遂げようとしてくれる。千春の目に狂いはなかったと実感したよ」


 これ以上はない言葉に、思わず目から涙が溢れてきそうになった。

 彼は監督として、わたしを認め、受け入れてくれたのだろう。


 その態度は嬉しい反面、もの寂しさもある。


「これは成宮監督としての意見だよ。これからは成宮秀樹として君に言う」


 わたしはその言葉に再び彼を見た。

 わたしの視界の中の彼がわずかに滲んでいた。


「君には才能がある。自分の子供が才能のあることではなく、別のことを選ぼうとしているのは残念ではある。きっと千春や水絵のように、ほかの何かを見つけてしまったんだろうな。だから、良かったとは思っているよ。父として、普通に幸せになってほしい。そのためのサポートをするよ」

「ありがとうございます」


 わたしの目の映る監督の輪郭はもうはっきりしなくなっていた。

 わたしは慌てて涙をぬぐった。


「志望校は決めた?」

「まだ迷っています」

「こっちに残るにせよ、母方の実家に戻るにせよ、大学の学費やその間の生活費の面倒を見たいと思っているんだが」


 わたしは思いがけない言葉に彼を見た。


「今まで知らなかったとはいえ、親らしいことを何一つできなかった。だから、これくらいはさせてくれ」


 お母さんに相談したらどういったのだろうか。

 だが、わたしはお父さんに甘えてみたかったのかもしれない。

 涙をぬぐい終わった後、「はい」と返事をした。


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