かけがえのない人になるために
木々の青みが黄色や赤系の色に変化していく、夏から秋に変わる季節。
気温はそこまで下がりきらないが、過ごしやすくなってきていた。
「来年、大学どうするの?」
千春はジュースを飲みながらそう問いかけてきた。
今は九月に入っている。国立大に行くならセンターの出願をしておかないといけない。
「無理だよ。全然勉強していないし」
「意外といけるかもよ。京香は前もってよく勉強していたし」
大学に行くなら早いほうがいいのだろう。わたしには決めることが多くて、答えが何一つ出せないのだ。
「出願だけしておくって手もあると思うよ。行かないなら行かないでいいし」
「そうだね。考えることばっかりでパンクしそう」
「いいんじゃない? 頭は使えるときに使ったほうがさ」
「そうなのかな」
できれば悩み事なんてないほうがいい。
「悩めば悩むほど、いい答えが見つかると思うから」
そう千春がいうが、わたしはまどろみの中をさまよっている気分だ。
わたしは仕事を続けるべきなのだろうか。
尚志さんはわたしが演技をやめたら一緒にいてくれるのだろうか。
そして、お母さんにとってはどっちがいいのだろう。
いろいろな思いが去来するが、その答えを示せないままだ。
「人を好きになるってさ、苦しいことだよね。何も忘れられなくて、苦しくて」
「まあね。その相手がお兄ちゃんってことがいまいち理解はできないけどね」
妹の彼女だとそうなのだろう。
「わたしだって何でお母さんがお父さんのことを好きだったのかも分からない」
「そんなものか。おばさん美人だし、伯父さんよりもずっと若いものね」
千春はくすっと笑っていた。
「気晴らしに買い物に行かない?」
千春は伯父さんの車の鍵を見せた。ついこの間、免許を取得したらしい。
「どこに?」
「とりあえず近くの町に」
千春に促され、車に乗ることになった。
目的地を決めずに家を出てきたためか、前に杉田さんと一緒に行ったショッピングモールに行くことになった。
「わたし、パフェ食べたい」
「いいよ。行こうか」
千春の提案にのり、エレベーターの前に行くと、わたしたちより若干年下だと思われる女の子に声をかけられた。わたしは彼女たちを見た覚えがあった。撮影のときにエキストラにきていた女の子たちだったのだ。
「久しぶりです」
「わたしたちのこと分かるんですか?」
「分かります」
彼女たちのわたしを見る目がきらきらと輝く。
「忘れられていると思っていたから、嬉しいです。これから頑張ってください。応援してます」
二人のうちの一人が深々とわたしに頭を下げた。
その言葉に胸の奥に痛みを感じた。
「ありがとう」
そう笑顔で答えるのが精一杯で、頑張ると言えなかった。
わたしはこれからをどうするか迷っているのだ。
贅沢なのかもしれない。わがままなのかもしれない。
彼女たちは頭をさげると、わたしのもとから去っていく。
「気にしなくていいよ」
千春はわたしの肩を叩き、そう呟いた。
わたしは彼女の言葉に頷くことしかできなかった。
尚志さんに出会わなければ、こんな悲しみも虚しさもなかった。
それでも、こんな幸せな気持ちを味わうこともなかっただろう。
「恋愛なんてさ、ほとんどの人はいつでもできるって言うと思うんだよね。でも、誰かを本当に好きになったとき、次に誰かのことを愛しく思える保障があるわけじゃない。そんな人と永遠に会えないかもしれない。次がないかもしれないって思うの。でも、京香にとっては夢も同じ。だから、後悔しないように選んでね。お兄ちゃんを選んで、後悔されたら妹として悲しいもの。きっと京香も苦しむと思う。だから、京香の望む生き方を選んでね」
彼女の言葉に視界がじんわりとかすんだ。
「どうしてみんなわたしにそんな優しくしてくれるんだろうね」
両親だけじゃない。千春も、尚志さんも杉田さんも本井さんまでもわたしのことを考えてくれているのを肌で感じ取った。
「人によるけど、わたしと康ちゃんは一緒かもね。なんか危なっかしくて、無理しそうで放っておけないからだと思う。それにやっぱり幸せになってほしいんだよ。それは本井さんと両親も一緒かもね」
「尚志さんは違うのかな」
「自分のものにしたいと思っているんじゃない? でも、京香の幸せを望んでいるとは思うよ」
一番見も蓋もない言い方をされているのは気のせいだろうか。
「この前、杉田さんの妹に会ったんだ。京香に会いたがっていたよ。早く映画が見たいって。ただ、杉田さんとのキスシーンがあると言ったら動揺してたけどね」
「わたしもお母さんには言ってないな。お父さんは知っているだろうけど」
「お父さんもカットしようか迷っているみたいだよ。杉田さんがいい人だと分かっていても、内心、気が気じゃなかったんじゃないかな」
「そうなの?」
驚き千春を見ると、彼女は明るい笑みを浮かべた。
今回、映画に出なければ尚志さんにも杉田さんにも出会わなかった。千春ともここまで親しくなることはなかっただろう。自分の父親のことも知らないままだった。
わたしにかけがえのない財産を残してくれた。
このまま仕事を続ければ、また別の財産を得るかもしれない。
最初言っていたように、いろいろな人の人生を演じながら。
だが、これから数十年という時間をあゆむであろうわたしの心はどうなるのだろうか。他の人の人生を演じることで満足なのだろうか。
母親の言っていた誰かにとってかけがえのない人になってほしいという願い。
わたしはその特別な存在になれるのだろうか。
ただひとつわかるのは、わたしにとって尚志さんは紛れもなくかけがえのない人だった。




