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聞かされた二年分の想い

 わたしは一週間の休みをもらい、久しぶりに家に帰ることになった。母親とは電話で何度か話をしただけで、三カ月ぶりの再会だ。


 わたしは千春が母親から託された家の鍵で、鍵を開けた。わたしは鍵を内側からかけると、ほっとため息を吐いた。


 廊下の奥からお母さんの声が聞こえ、わたしは思わず奥の部屋に行く。そこには三か月前と変わらない母親の姿があったのだ。


「元気だった?」

「元気よ。この前は洋服を送ってくれてありがとう」

「うんん。サイズはどうだった?」

「ぴったりだった。お疲れ様」


 わたしの脳裏に千春から聞いた成宮監督の話が過ぎる。だが、結局言い出せないまま母親と他愛ない言葉を交わす。世の中には知らないことがあるということも分かったからだ。彼女は知らなければ、今と変わらない人生を送れるし、彼女の心をこれ以上掻き乱したくなかった。


「荷物おいてくるね」


 立ち上がったわたしをお母さんが呼び止めた。

 母親は一枚のチケットをわたしに手渡した。


「京香ってこれ好きだったわよね?」


 そのチケットを見て、わたしの胸がどくんと鳴った。

 それは尚志さんと一緒に行った水族館のチケットだった。


「どうしたの?」

「知り合いが一枚だけもらったの。よかったら千春さんと言ってきたら?」

「お母さんも一緒に行く?」

「でも仕事休めないからいいわよ」

「ありがとう。もらっておくね」


 母はほとんど休みなく働いていた。

 若い時はそれでもよかったが、これから先もそれで体が持つかどうかは分からない。そして、彼女はそれで幸せなのだろうか。

 わたしはチケットを受け取ると、部屋に戻った。


 千春に家に着いたことを伝えるためにメールを打つ。水族館のことも言おうかと迷ったが、結局家についたことだけを彼女に教えた。尚志さんとの思いでの場所に彼女を連れて行きたくなかったのだ。

 きっと千春を必要以上に苦しめてしまうから。


 わたしは翌日、一人で水族館に行くことにした。中に入ると、館内は空いているものの、二年前とほとんど変わらない情景に目を走らせた。

 二年前、わたしはこの場所に尚志さんといた。それがずっと、まるで子供のときのできごとのように昔のことに思えた。

 懐かしいような、悲しいような、恥ずかしいような不思議な気持ちだ。

 きっと尚志さんにとってはもう過去のことなのに。

 そうおもったわたしの前方を歩く姿に思わず息を呑み、物陰に隠れた。


 どうして彼がここにいるのだろう。

 彼、尚志さんに会うのはあのキスをされたとき以来。

 どこかに行ってほしいと思いながら、その姿を目で追っていた。


 彼は一人で穏やかな目で辺りを見渡していた。

 彼は奥に歩みかけたとき、その彼を呼ぶ声がわたしの背後から聞こえた。


 彼女はあっという間にわたしのそばを通り過ぎ、尚志さんの傍まで行く。それはあのクリスマス、尚志さんと一緒に歩いていた女性だった。

 二人は待ち合わせていたのだろうか。二人がつきあっていても、関係ないし、咎める権利もない。そう思っていても二人の姿を追ってしまっているわたしがいた。


「奇遇だね。どうしてこんなところにいるの?」

「君は?」

「友達と一緒にいたんだけど、成宮君を見かけたからびっくりして追いかけてきちゃった」


 尚志さんは苦笑いを浮かべると、やさしく微笑んでいた。


「一人なら一緒に見ない? 友達が成宮君と話をしてみたいと言っていたの」

「いや、いいよ。友達って会社の人?」

「大学時代の友人。成宮君ってもてていたから。その子もけっこういいと言っていたんだよ」


 その言葉に尚志さんは苦笑いを浮かべた。


「ここによく来るの?」

「たまに一人でぶらっとね」

「彼女と来たんだ」


 彼女。そんな人がいたっておかしくない。尚志さんの年齢なら早い人なら結婚を意識したり、結婚している人だっている。


「彼女じゃないよ」


 尚志さんは強い口調で否定した。


「何意識しているのよ。彼女は恋人じゃなくて、代名詞の彼女でしょう? sheの彼女よ」

「屁理屈だな」

「まあいいじゃない。彼女、映画に出るってね」

「らしいね。千春に聞いた?」


 その女性は頷く。


 二人が話をしているのはわたしのことだと分かった。

 自分のことを話していると分かっていて、盗み聞きをするの勇気はなかった。

 わたしがその場から離れようとしたとき、思いがけない声が届いた。


「彼女のことが好きなの?」

「まさか」

「千春ちゃんが言っていたよ。あなたはあの子のことが好きだって」

「それはあいつが勝手に言っているだけだよ」

「わたしもそう思った」


 二人は人の流れを遮っているのに気づいたのか、列を離れ、わたしのそばにある観葉植物の隣までやってきた。身動きが取れなくなり、心臓が辺りに聞こえてしまうのではないかと思うほど激しく高鳴っていた。


「あなたの彼女を見る目はとても優しいもの」

「そんなことないよ。君や千春を見るときと同じだって」

「好きな人が誰を見ているかくらいわかるよ。あなたはわたしを振ったんだから、本当のことを聞く権利あると思うんだよね」


 彼女は冗談めかした口調で口にした。

 尚志さんはため息を漏らした。


「別にいいのよ。それはね。好きでもないのに付き合ってもらっても、幸せになんかなれないもの」

「そうだよ。俺は彼女のことが好きだと思う」


 千春に言われたことが、現実味を増していった。


「つきあってるの?」

「それはないよ。諦めるって決めたから」


 彼女はふうんと呟いた。


「そのうち他の人のことを好きになれそう?」

「それは分からないけど、今のうちは無理だと思う」


 少し間が空いて押し殺したような声を出した。

 彼女はその言葉を聞いて、肩をすくめた。


「黙ってつきあえばいいのに。伯父さんから手を出ししたらだめとでも言われたわけ?」

「言われたけど、それだけじゃない。俺は彼女の夢を邪魔してしまうと思うんだ」

「結構成宮君って独占欲強そうだからね。演技で好きと言うだけでも怒っちゃいそう」

「そんなことないよ」

「そんな気がする。それなら最初から全力で阻止したらよかったのに。あの子なら、あなたがそんな夢捨ててくれって言ったら捨てたかもよ?」


「どうだろうな。でも、そんなことは言えないから。夢だったみたいだから、それを俺が止めろなんて言えないし、そういったことを理解してくれる人とつきあうのがいいと思っていたんだ。俺って最低なやつなんだよ」


 わたしの胸がどくんと鳴った。

 わたしが決して知らされることのなかった、二年間の彼の思い。

 幾度となく蔑んだ目をしていた彼が見ていたのは、わたしではなく彼自身だと悟った。


 わたしを受け入れられない自分の弱さを気にして、彼は苦しんでいたのだろうか。


「どうせあなたのことだから、その辺りのことも上手く言えずに、彼女に暴言吐いたりしてそう」

「どうしてそんなことまで分かるんだよ」

「そうなんだ。半分冗談なんだけど、かなり成宮君ってやばい人だったんだね」

「俺はあいつが絡むとそうなっちゃうんだよな。だから、絶対に言えないけどね」


 そのとき、観葉植物から見た彼の目はとても澄んで見えた。

 本当のことを二年前に言われたら、わたしはどうしたのだろうか。

 その答えは今更、分からない。


「あいつの名前やらは絶対誰にも言うなよ」

「わかっているよ。千春ちゃんにも言われたし、その辺りの口は堅いわ。でも、今日の話はどうしようかな」


 彼女はいらずらっぽく彼を見た。


「口止め料にジュースを二本おごってよ。もう一本は友達の分」

「分かったよ」


 二人はそのまま自販機のほうに歩いていった。

 わたしはその隙に水族館の出口へと歩を進めた。

 頭が混乱して、ただ前に歩き続けることしかできなかった。


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