わたしの家族
今まで話をしていた千春が突然静かになってしまった。
彼女の顔が真っ赤になっていた。
兄が彼女の弱点なのかもしれない。
「嫌な思いをさせて悪いな。もし君がその気なら、次の日曜、時間があるかな? 詳しい話をしたいと思うけど、できればそのときに確認をさせてほしいから練習もしておいてくれ。他にもあと一人来ると思うから」
「でも、わたしは話を受けるかはまだ決めていなくて。それにお母さんにも話をしないと」
「それはあとから考えてくれればいい。事情をいろいろと説明したいんだ。いろいろとあってね」
わたしは意味が分からないが、とりあえず頷いていた。
「あなたの名前は?」
「俺は成宮尚志。こいつの兄だよ。よろしく頼むよ」
千春は待っていてと言い残すとそのまま部屋を出て行った。
部屋にわたしと尚志さんだけ残された。
改めて彼をちらっと見ると、目が合ってしまった。
「聞きたいことあるなら言ってくれて構わないよ」
彼はわたしを見て微笑んだ。
わたしは思わず顔を背けた。
用事があったわけではない。ただ、彼を見たかったのだ。
わたしは自分の気持ちをごまかすために、彼を見た「用事」を適当に繕うことにした。
「この家にはDVDやビデオがたくさんあるんですね」
「置き場所に困っていて、放置している状態だよ」
わたしはまさかそんな返事が返ってくるとは思わずに彼を見た。
「変なこと言った?」
「そうでもないです」
てっきり誰がこれを集めているという具体的な話になると思っていたためだ。彼以外だと両親辺りなのだろうか。
「飲み物でも出すよ。コーヒーでいい?」
わたしが頷くと、彼はカウンターキッチンの中に入る。
「一つ聞いていいですか?」
「何?」
「どうしてこの家にはこんなに昔の映画があるんですか?」
「いろんな理由があるけど、簡単に言えば父親の趣味かな」
「お父さん?」
尚志さんは頷く。
「今、どこで何をしているか分からないけど、映画が好きな人だったから」
彼の瞳に悲しみが映るのが分かった。
他にも聞きたいことはあったのに、彼の瞳に口止めされてしまった。
お父さんがいないということは母親と三人で住んでいるのだろうか。
「おまたせ」
ジーパンにシャツというラフな格好をした千春が明るい言葉とともにリビングに入ってきた。
「コーヒー飲むの? ならわたしのもよろしく」
彼女はソファに座ると、テーブルの上に置いてある雑誌に手を伸ばすと、それらを重ねだした。一通りまとめ終わると、千春はソファの背もたれに手を置き、のしかかるようにこちらを覗きこんできた。
「見たい映画やドラマあるなら流す? 貸してもいいよ」
「そうだね」
わたしは一通り視線を送る。そして、端のほうにわたしが好きだった仁科秋が出ていた映画のビデオがあるのに気付いた。その隣にあるビデオに触れようとすると、突然横から手を掴まれた。
「この辺りはダメ。別の場所から選んで」
「どうして?」
「どうしてもよ」
わたしは仕方なく、別の作品を捜すことにした。
千春はキッチンにいる兄を睨んでいた。
「面倒だから片付けておいたのに。お兄ちゃん、どうしてこれをここに並べたのよ!」
「邪魔だったからだよ」
「物置は物を片づけるところでしょう」
尚志は千春を見ることもなく、淡々と答えた。
なぜ千春はその近くにあるビデオをそんなに見られたくないのだろうか。
「この映画をお願い」
わたしは二人にこれ以上言い争いをしてほしくなくて、昨年ヒットした映画のDVDを差し出すことにした。
映画を観終わり、帰ろうとすると、千春が送ると言い出した。
「大丈夫だよ。送ってもらわなくても」
「いいよ。どうせ買い物行かないといけないしね」
千春はそう言うと、わたしの肩を叩いていた。
結局千春に押され、尚志さんに見送られ、二人で彼女の家を後にすることになった。
「お兄ちゃんもあなたを気に入ったみたいだよ」
「そっか」
気にいると言っても映画に出る人としてだろう。余計な期待をしないように、自分に言い聞かせていた。
わたしは気持ちを整えるために、別の質問を彼女に投げかけた。
「おじさんも事務所の関係者なの?」
「当たっているような、少し違うような。ま、今度の日曜になれば分かると思うよ。わたしは正直嫌だけどね」
彼女はげんなりとした顔をする。
「だったらわたしを誘わなくても。別にいい人がいるんじゃない。それこそ前原さんとか」
「違うの。あなたがいいんだけど、おじさんに会うのがね。ちょっと面倒な人なの」
怖い人なのだろうか。千春が難しい顔をしたため、それ以上聞けなかった。
わたしと千春はそこから歩いて十分ほどの場所にあるスーパーの前で別れることになった。
わたしの住むマンションはそこから二十分ほど離れた場所にある。家に入ると、電気をつけた。
家に帰っても大抵お母さんは仕事中だ。
わたしの父親はわたしが生まれる前になくなったのだ。だから、父親の写真をみたこともない。
お店はお母さんがおばあちゃんから受け継いだもので、常連客もいるため普通に暮らせる程度には食べていけている。
ただ休みなく働き、わたしに決して愚痴をこぼさない母親を見ているともっと楽をさせたいという気持ちが湧き上がってきた。
大学に通い、いい会社にはいるのが正攻法なのだろう。だから、勉強もしっかりしている。成績も学校でトップクラスに位置していて、地元の国立大も狙える範囲にはいる。大学に入ればアルバイトもできるし、母親の店を手伝ってもいい。
それがわかりながらも、どうしても夢をあきらめきれなかったのだ。
母親もわたしの夢を表立っては反対しなかったし、わたしのこれからの学費も貯蓄してくれているようだった。
彼女なりにわたしの幸せを考えていてくれたのだろう。