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千春の兄と驚くべき才能

 千春の家はどこにでもありそうな洋風の一軒家だった。一つだけ他の家にはあまり見られないものがあった。それは千春の家のリビングに入ったときに気付いた。多くのDVDやビデオが並んでいた。問題はその量だ。本棚三つ分ほどの作品が並んでいたのだ。わたしは千春の許可を得て、それらを確認する。映画は多くのものを見ていた自信はあるが、わたしの知らないものがほとんどだ。


「好きなのがあったら借りてもいいよ」

「ありがとう」


 わたしが見たい映画を探していると、扉が開いた。扉をあけて入ってきたのは背の高い顔立ちの整った男性だ。

 その人を見てわたしの胸が不意打ちのように高鳴った。彼女の兄だろうか。男性的というよりは中性的な雰囲気を出していた。長い睫毛に、切れ長の瞳。涼しげな目元。通った鼻筋。俳優といわれても納得してしまうほどの容貌をしていた。顔も小さく、スタイルがいい。


「千春。お前」

「友達が来ているから説教なら後でにしてね。お兄ちゃん」


 千春に言われてわたしの存在に気付いたのか、彼の目が見開かれる。そして、彼は鋭い視線でわたしを見ていた。歓迎されているようには見えなかった。


「どう思う? 愚かな兄のために妹が見つけてきてやったのよ」


 千春が空気が読めていないのか、軽快な口調で語りだす。


 わたしは千春の口を押さえたい気分になる。

 くだらないことを言うなという言葉が飛んできそうな気がしたためだ。

 男性はわたしを食い入るように見ると、首を縦に振る。そして、わたしに近寄ってきた。


 彼はわたしの手を掴む。突然のことに驚きながらも、彼の力が強かったのと、彼の視線があまりに真っ直ぐだったため振り払えないでいた。


「君の名前は?」

「平井京香です」

「君、女優になりたいんだよね。演技経験は?」

「学園祭でならあるよね。昨年主演していたし」


 わたしの代わりに答えたのは千春だった。


「どうしてあなたが知っているのよ? 転校してきたばかりなんだよね」

「下調べは必須でしょう?」


 彼女は何をどうやって、わたしのことを調べたのだろうか。

 人に聞いて回ったのだろうか。


「毎日練習しているのか発声はいいと思う。声もよく通るし、見た目も申し分ない。でも、あなたは役の選定が悪すぎるのよ。人を好きになったことのない人が人を好きになる役を演じられるわけがないでしょう? 想像で補うには圧倒的に経験が足りない」


 千春の口から飛び出してくる評価に驚いていると、彼女はウインクをした。

 まるでオーディション会場のわたしを見てきたようなことを言う。

 彼女の言っていたことは間違っていなかった。


「それで大丈夫なのか?」

「多分大丈夫。わたしが指導するから」


 主語のない会話が二人の間で続いていた。この兄妹は何を言っているのだろう。


「君の両親は?」

「喫茶店で働いています」


 わたしは父親の顔を知らない。産まれたときから母親が女手一つで育ててくれた。

 父親のいない子として周りから冷たい目で見られることも少なくなかった。


「君を採用するときは親に話をするけど、大丈夫?」

「大丈夫だと思います」


 母親も理解はしてくれていた。だが、採用というのは妙な言い方だ。


「あとはおじさんが気に入ってくれるかどうかだね」


 千春はそう言うと、肩をすくめた。

 おじさん?

 わたしの知らない名前がまた出てくる。


「大丈夫よ。わたしが気に入ったんだもの」

「まあ、千春には甘いから。でも」

「わたしがこの本を演じるから、あなたも同じように演じてみて。もちろんコピーする必要はないけどね」


 彼女は本棚から小冊子を取りだして、わたしに渡した。表紙は無地で何も書かれていない。

 そこは少女と父親と思しきやり取りがつづられている。


「見ていて」


 千春はわたしと笑みを浮かべた。そして、目を閉じると、唇を軽く噛んだ。

 彼女の瞳が見開かれる。でも、その瞳はわたしの知る千春ではなかった。もう少し幼く見える。

 鳥肌が立ち、辺りの空気が一変するのが感じられた。


 中学生くらいだろうか。


「本当、パパったら最悪」


 地ある葉唇を尖らせ、乱暴に机に座る。彼女は肩をだらんとさせて、天井を見ると、溜め息を吐いた。


「そんなこと言ったってテストで悪い点とるお前が悪いだろう?」


 そう言ったのは彼女の兄だ。

 彼は腕組みをして、無表情のままだ。表情は作っておらず、声だけだが、慣れているのはすぐにわかった。


 千春は自分の兄を睨むと、重い足取りで近寄ってきた。


「どうして? たった二点じゃない。それでもクラスでトップだったのに、あの人は満点意外に認めないのよ」

「諦めろよ」


 千春はわたしと兄を一瞥すると、首を背けた。


 目の前の少女は千春ではなく、父親に不満をぶつける少女であり、兄は彼女の父親へと変貌していた。

 動く二人とは対照的に、まるで時間が止まった気がした。

 ずっと前に感じたような、もどかしくて自分もその物語の一部と化したような不思議な感覚。 


 いつだっただろう。そう考えて、その答えがすぐにわかる。

 そうあのわたしが憧れていたあの二人の女優の演技を見たときだ。

 彼女が視野に入ってくるだけで、彼女の周りにある全てのものが背景と化していた。全てが作り物のように、存在感をゼロにしてしまう。


「どう?」


 その言葉でわたしは我に返る。千春は千春の表情を浮かべ、こちらを伺っていた。


「こんな感じ。何変な顔をしているのよ」

「だって、すごいなって思って」


 わたしは素直な本心を告げた。


「あなたは女優になりたいのでしょう? それならこれくらいできないと論外よ」


 彼女のもっともな言葉に反論できないが、彼女ほど演技がうまい人はそうそういない気がした。


「この前のオーディションの演技もね、こうしたらよかったのよ。脚本は覚えている?」


 わたしは頷いた。


「じゃあ、友人Dの言葉を言ってみて」


 わたしは深呼吸をすると言葉を綴った。女子高生の他愛ないワンシーン。それがわたしがオーディションで受けた役だ。


「あなたが好きだと言っていたあの人はどうなっているの? 一緒にいるのを見かけたのよね」


 千春の目が輝き、頬がほんのりと赤くなっていく。そこにいるのは人に恋する少女だ。


「違う。勉強をしていただけよ」


 千春がわたしを見て、笑顔を浮かべる。


「でも、帰りがけに家まで送ってくれたんだ。遠回りだったのに」


 些細なことで喜ぶ、恋する少女。まるでそのものだ。千春のキラキラとした目の輝きがなくなり、さっきの冷めた感じの目に戻っていた。


「こんな感じだったら、合格できたんじゃない?」

「もしかして、受かったの?」

「受かったのはあなたの後の前原さん」

「じゃあ、前原さんはあなたよりうまいの?」

「どうだろう。彼女にはスポンサーだってついているしね。彼女の実家ってそこそこの規模の会社を経営しているのよ」


 千春は興味がなさそうに肩をすくめた。

 彼女は自分はいいと言っていた。それと何か関係があるのだろうか。


「成宮さんは女優なの? 発音もすごくいいし、表情だって」

「だってこいつは」


 千春は自分の兄の足を踏みつけ、肘で脇腹つく。


「素人よ。素人。一般人だって。あなただってやってみなさい。プロになりたいのでしょう?」

「でも、そんなにうまくできない」

「やりなさい。命令よ」


 彼女の言葉には有無をいわせない強さがあった。


 わたしはさっき千春がやった通りにやってみようとした。


「本当、パパったら」


 そう言おうとするが、言葉が上ずる。


「そんなんじゃだめよ。照れてどうするのよ」


 早速千春の注意が入った。


「こういうところでやるのは恥ずかしいかな、なんて」


 わたしが千春を見ると、彼女は怖い顔で睨んでいる。


「そんなんで女優になれるわけないでしょう」

「お前は自分基準で物事を考えるなよ。お前がいいと思ったなら、大丈夫だよ。きっと」


 彼はそう言うと、千春の頭をぽんと叩いた。



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