わたしのお父さん
四月を過ぎ、千春たちは大学に入学した。
合格してからも何度か千春はわたしに会いに来てくれた。その過程で尚志さんのことも聞いた。尚志さんは大学を卒業し、就職し、家を出たそうだ。
わたしは空になった引き出しを見てほっと息を吐く。
新しい旅立ちを迎えたのは千春達だけではない。わたしもあさってにはには成宮監督の持つビルで暮らすことになっていた。
そう決まったのは成宮監督に勧められたからだ。
わたしの母親は派手なことを好まない人だったし、彼女に迷惑はかけたくないために、わたしもそうすることにした。そして夏前には撮影が行われるという、彼所有の別荘に移り住むことになっていた。
扉がノックされ返事をすると母親が紙袋を手に入ってきた。そこには見たことのない洋服が入っていたのだ。
「これ、京香に買ったの。よかったら使ってね」
「ありがとう」
わたしは母親の気持ちの入った紙袋を受け取り、バッグに入れようとすると母親の声が再び届く。
「あなたは成宮秀樹のことをどう思う?」
一番に考えたのはわたしの名前の意味を知っていて驚いたことだ。だが、それは言えない。
「変な人かな」
わたしは二番目の答えを彼女に告げた。
母親はまだ難しい顔をしていた。
彼女はわたしが成宮監督と同じビルで暮らすことに抵抗があるようだった。だが、それが一番いいと千春に言われ、彼女も一応の納得はしてくれたようだ。
「そう。あなたは杉田さんみたいな人が好きなの?」
「そんなことないよ」
あのクリスマス以来、彼はわたしにとってとても大きな存在になった。だが、彼を好きなのかはまだ分からない。
「千春さんのお兄さんみたいな人が好きなの?」
わたしはすぐには返事ができなかった。その名前を聞くだけで、あの冷たいまなざしと、えぐられた心の痛みが蘇ってくる。彼への思いはもう過去にしないといけないのだ。
「つきあうことはないから」
それがわたしが言える精一杯の答えだった。
「無理はしないでね。そろそろ出かけてくるから」
「ありがとう」
母親が出て行ったタイミングで、わたしの携帯が鳴った。
発信者には千春の名前が記されていたのだ。
「引っ越しの準備は終わった?」
「ある程度は。大学は?」
「さっき終わった。今日、武田君と同じ授業をとっていてびっくりしたよ」
「偶然だね」
「本当、向こうもびっくりしていたみたい」
千春はそのときのやり取りを思い出したのか、微笑んでいた。
千春には杉田さんから告白されたことも、尚志さんに失恋したこともまだ言っていなかった。彼女の杉田さんに対する態度を見ていると、どうしても言い出せなかったのだ。
「引っ越したら遊びに行くよ。一人だと暇だろうし。京香の幼いころのアルバムってあるの?」
「アルバム? あるにはあるよ」
「持ってきてよ。見たい」
「いいけど、そんなものみてもつまらないと思うよ」
「そんなことないよ」
千春に強引に赤ん坊のころの写真を持っていくと約束させられた。何枚か写真を抜き取って持っていけばいいのだろうか。
わたしは物置に行くと、奥の本棚にある自分のアルバムを探し出す。だが、その隣に見慣れない写真屋でもらえる簡素なアルバムがはさんであるのにきづいたのだ。わたしの写真がそれにはさまっていればそれを持っていこうとアルバムを開いたが、その中にある写真を視界におさめたとき、言葉を失った。
それは母親の若い時の写真だ。だが、母親がうつっているだけなら、そんなに驚かないだろう。彼女の傍には男の人の姿があったのだ。そして、その顔立ちは成宮秀樹を連想させた。彼とは限らない。だが、母親や彼との言動を思い起こせば、ありえなくもないと考えてしまっていた。
その日の夜母親はいつもより遅く返ってきた。
彼女は椅子に座ると、ため息を吐く。
「お母さん」
三度言葉を飲み込み、四度目で彼女を呼んだ。
そうしてしまったのは、効いてはいけないことをきこうとしているのかもしれないと考えてしまったからだ。
振り返った彼女はわたしを見て、目を細める。何かを悟ったようなそんな表情だった。
「知りたいことがあるの」
「言ってみなさい」
わたしは母親から目をそらす。
「成宮監督とお母さんが一緒に写っている写真を見たの」
「ずっと迷っていたの。あなたに話をしておこうか。でも、言っておいたほうがいいのよね。彼と昔、付き合っていたわ」
「なら、わたしのお父さんなの?」
だから彼はわたしを選んだのだろうか。お母さんの子であり、彼の子だから。
彼女は首を縦に振った。
「彼はあなたが彼の子供ということは知らないわ。別の男の子って言ってあるの」
「どうしてそんな嘘をついたの?」
「あの人には負担をかけたくなかったから」
「負担って」
「私が彼の子供を産んだと聞いたら責任を感じるかもしれないと思ったから。でもそれは京香のことを負担だと思っているわけじゃないのよ」
「分かっている」
母親がどれほどわたしをかわいがってくれていたか知っているから、そんな表現に文句を言うつもりはなかった。
成宮監督が好きだから、迷惑をかけたくなかったのだろう。
「あの人、結婚していたの?」
身を引く理由といえば、彼が既婚者だったり、他に婚約者がいたというくらいしか思いつかなかったためだ。今は結婚しているようには見えなかった。
「少なくとも私とつきあっていたときはそうでなかったかな」
「なら、どうして?」
母親の目に悲しみが映った。
「あなたに聞かれたときの言い訳をいろいろ考えていたわ。でも、正直に言わないときっと納得してくれないわよね。一番の理由は私が弱いからよ。彼に拒絶されるのが怖かった。あなたをおろせと言われたくなかった。だから、何も言わずに彼のそばを離れたの」
昔の彼がどんな人間だったのかは分からない。ただ、お母さんはわたしの親でいることを選んでくれたのだろう。そのタイミングで妊娠しなければ、お母さんがおろしてもいいと思ったのなら、二人は結婚していた未来もあったのだろうか。そこに自分がいないことに気付かされ、なんともいえない気持ちが心を覆った。
「親のことだもの。今回のことと、わたしたちの過去のことは関係ないと彼は言っていたわ。だから、あなたはあの映画に出るといい」
「お母さんはわたしがあの人の娘だと知られたくないの?」
「できればね。あなたが言いたいなら無理強いはしないわ。でも、彼が信じてくれるかは分からないけど」
女ではなく、母親として生きることを選んできくれた彼女の願いをできるだけ叶えたいと思った。
だから、わたしは「言わない」と母親に誓ったのだ。
二日後、成宮秀樹と千春わたしの家にやってきた。母親と彼は軽い挨拶を交わしただけで、わたしの荷物を運ぶのを手伝ってくれた。
わたしは彼の横顔を見ながら、その本意を覗きたいと幾度となく願ったが、その答えが見えてくることなく、荷物が車に積み終わる。
「いつでも帰ってらっしゃい」
車に乗り込もうとしたわたしに、母親が鍵を渡した。
わたしはそのカギを握りしめると、頷いた。
車に乗り込むと、千春がわたしの肩を叩く。
「これからしばらくは大変だろうけど、頑張ろうね」
わたしは彼女の言葉に頷いた。
そのとき、ふっと千春が最初に声をかけてきてくれたのを思い出した。
彼女との出会いは偶然だと思っていた。だが、彼女が伯父と母親の過去を知っていて、声をかけてきた可能性もゼロではない。いや、おそらく彼女は知っていたのだろう。彼女の言動がそう物語っていた。
それから一か月後、記者発表が行われた。
フラッシュが瞬く空間で、ただ用意されたセリフを話すのに精いっぱいで、ほとんど何も覚えていなかった。ただ、杉田さんの存在がわたしの不安な心を紛らわせてくれたのだけは覚えていた。




