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失恋したクリスマスに告げられた愛の言葉

 天を仰ぐと、目の前にはくすんだような灰色の雲が広がっていた。

 今日はクリスマスで、各所にはオーナメントが輝いていた。

 恋人と過ごす日。

 巷ではそう言われている。


「どうかした?」


 街中に呆然と立ち尽くすわたしの肩をぽんと叩いたのは杉田さんだった。

 今日も彼はわたしに付き合ってくれていたのだ。他の日と同じように。


「杉田さんは彼女、いないの?」

「いないよ。今は別に彼女とかほしくないから」

「好きな人は?」

「誘導尋問?」


 彼は肩をすくめて苦笑いを浮かべている。


「そんなつもりじゃないけど。ごめん」

「好きな人はいることはいるよ」

「誰?」

「秘密」


 彼はそう言うと、それ以上は教えてくれなかった。

 それは大学の人なのだろうか。

 彼が誘えば大半の人はいいと言いそうだ。


「その人をデートに誘ったりはしないの?」

「多分断られるから」


 彼の冬の風のような辛辣な表情にわたしは息をのんだ。

 わたしは自分で聞いたくせに、それ以上何も言うことができなかった。

 どんな答えを期待していたのだろう。


「君は?」


 彼は何かに気づいたように言葉を続けた。


「ごめん。平井さんは?」

「もう大丈夫ですよ。君だろうが、あなただろうが何でも」


 最初、彼にそう無理難題を押し付けたが、あれからもう長い時間が過ぎた。

 わたしの心の痛みも尚志さんに会わない時間に比例するかのように、徐々に軽くなっていったのだ。

 もう彼はわたしのことなど何も思っていないだろうし、忘れているだろう。


「いないよ。今まで一度もね」

「でも、千春は君に恋人がいるって言っていたよ。好きな人だったかな?」

「またあの子はそんなことを」


 彼女はわたしと兄がつきあってほしいという願望を抱いているのだろう。

 未だにその願望を捨てていないのか、昔そうした話をしていたのかは分からない。


「それはないよ」


 それならどんなにいいだろう。

 窓ガラスに映る自分の姿を見ていた。

 その後ろには幸せそうなカップルの姿があった。ふと尚志さんとあんな風に歩けた未来もあったのだろうかという希望を胸に抱き、そんな自分を笑っていた。

 冷たい風がそばを駆け抜けていき、わたしは肩を抱いた。


「ケーキでも買って帰ろうか。おごるよ」

「いいの?」

「僕からのプレゼント。好きなお店があるならそこにいこうよ」

「ありがとう」


 よさそうな店がないか辺りを見渡したとき、甘えたような声が聞こえてきた。


「ねえ。成宮くん」


 わたしはその名前に反応し、顔をあげる。

 わたしの少し前には背の高い男の人と、髪の毛を肩まで伸ばした女の人がいた。

 おのずと、わたしの胸が高鳴った。

 彼の姿を見るのは四月に大学に忍び込んで以来だった。

 まるでわたしの心臓が別の生き物かのように意思に反して動き出し、少し冷めた目元も整った顔立ちも、全く変わらず、彼への気持ちは過去ではないと思い知らされた。


「面倒だからパス。行かないよ」

「どうして?」

「嫌だって言ってるだろう? 面倒だから」


 彼は冷たい口調で突き放す。わたしならそれで怯むだろう。

 彼女はその程度では怯まなかった。


「あの子とは行けたのに、わたしとは無理なの? 千春ちゃんから聞いたから。あなたは」


 彼女の言葉をかき消すように彼は言った。


「そうだよ。君とは無理だし、行きたくない」


 強い口調とは裏腹に、淡々としていて気持ちがこもっていないように思えた。

 あの子って誰だろう、とわたしは二人の姿を目で追っていた。

 二人は信号のところで足を止める。

 女性は寂しそうに笑った。


「わたしがどれだけ誘ってもダメなんだね。わたしもその子が羨ましい。期待を持たせないのが、ある意味正解なんだろうね」


 尚志さんはそれ以上何も言わなかった。

 車のエンジン音がざわついた町の中に響き渡った。


「平井さん?」


 大きい声ではない。ただよく通る声が辺りに響く。

 わたしと尚志さんとの距離は一メートルほどしか離れていない。杉田さんの声が聞こえるには十分な距離だった。

 尚志さんの体が一度だけ震えた。

 わたしは目が合う前に目をそらしていた。

 このまま知らない振りをしたほうがいいのかもしれない。そう言い聞かせても一度目をそらした視線で尚志さんの姿を追っていた。


 そこには目を見開いた尚志さんの姿があった。わたしを驚いた表情で見ていたのは彼だけではない。彼に詰め寄っていた子もわたしを見て唖然としている。

 わたしの胸に鈍い痛みが突き刺さり、押しつぶされそうになる。


 永遠に続くのではないかと思われる長い時間が信号機の音によって遮断された。

 尚志さんは皮肉っぽい笑みを浮かべていた。

 見なきゃよかった。わたしは自分の行動を後悔していた。


「知り合い?」


 杉田さんはわたしの顔を覗きこむ。

 彼は尚志さんとは直接面識がないらしいので無理はない。

 わたしは頷くだけで何も言えなかった。


「ねえ、あの子って」


 彼と一緒にいた女性がわたしを指差した。


「千春の友達と彼氏。お似合いだと思うよ」


 なぜあなたにそんなことを言われないといけないのだろう。わたしがどれだけあなたのことを考えて、思い出してないていたのか。泣いていたのかを知らないくせに。同時に、どれほど彼を思っていたのか、改めて気づかされた。


 わたしは唇を噛み締めた。

 今更冷たくするなら最初から優しくなんてしないでほしかった。

 自分がどんな顔をしていたかは分からないが、暗い顔をしていたと思う。悲しい顔もしていたかもしれない。


 尚志さんは背を向けると遠ざかっていった。

 傍にいた女性はわたしと彼を交互に見渡し、尚志さんの後をついていった。


「わたしはずっとあなたのことが」


 街中だとか、そんなことを全く気にしていられず、ただ自分の気持ちを知ってほしかったのだ。

 だが、思いを告げようとしたわたしの言葉を低く冷たい声が覆い隠す。


「俺は君のことは好きじゃないよ。あのときのことも千春が勝手に思いこんだだけで迷惑なんだよ」


 尚志さんがわたしに背を向けたまま、天を仰いだ。

 今、彼がどんな顔をしているのかは分からない。迷惑そうな顔をしているのだろう。

 わたしは胸の痛みをごまかすために、そっと唇を噛んだ。


「そうだよね。ごめんなさい」


 わたしの滲んだ視界で、尚志さんが遠ざかっていくのだけは確認できた。

 わたしは何を期待していたのだろう。彼が好きだと言ってくれるとでも思っていたのだろうか。そんな素振りをされたことさえもないのに。

 自分が滑稽で、情けなくて、笑いがこみあげてきそうになる。


「平井さん」


 わたしはその声で我に返った。

 杉田さんと一緒だったことを思い出したのだ。

 精一杯の笑顔を浮かべて彼に語りかけようとした。


「振られちゃった。わたしは彼のことがずっと好きだったから」


 周りの人は興味深々に見ている人もいたが、ほとんどの人がわたしたちを気に留めることなく歩いていた。

 わたしは足早に歩き出す。家へ帰るために、細い道に入ったときだった。わたしの体を温かいものが包み込む。

 杉田さんがわたしを抱きしめたと気づくのに時間はかからなかった。


「杉田……さん?」

「僕の前では無理に笑わなくていい」


 わたしは笑顔を浮かべるのを止めた。


「僕は君のことが好きだから、無理に笑っているのを見ていたくない」


 彼がわたしのことをそんな風に意識しているとは思わなかった。

 わたしの脳裏に千春の悲しそうな顔が横切った。


「でも千春が」


 わたしはそこで口をつぐむ。確証のないことを彼にここで言うべきではない。

 わたしを抱きしめる力が一層強くなる。


「彼女とはそんなんじゃない。気が合うとは思うけどそれだけだよ。君だけにはそんな顔をされると辛くなる」


 彼が千春のことを好きなのではないか。わたしがそう言うと思ったのだろう。

 だが、わたしは逆だった。千春が彼を好きなのではないかと思ったのだ。


「僕のことを好きになってほしいとまでは望まない。でも、泣きたいときに無理して笑うのだけは止めてほしい」


 目頭が熱くなり、大粒の涙がこぼれ出す。

 どうして彼が気づいたのだろう。

 泣きたくてたまらなかったわたしの気持ちを。

 わたしはいつの間にか泣き出していて、彼は泣き止むまでわたしの傍にずっといてくれていた。




 それからわたしは杉田さんと一緒に過ごすことが多くなった。

 必然的にそうなったということもあるし、一緒にいて楽しいというのもまた本当だった。

 彼に対して抱いている気持ちが尚志さんに対する恋心と同じものなのかはわたしには分からなかった。


 わたしはその年の末に成宮監督に呼ばれた。彼の事務所に到着すると、そこには肩のラインで髪を整えた長身の女性の姿があった。歳のころは二十四、五くらいで、黒い瞳が印象的な美しい人だった。


 彼女は口角を上げ、優しく微笑むと抑揚のない声を紡ぎ出した。


「彼女は君のマネージャーだよ」

「本井美子です」

「これから千春も私も忙しくなるから彼女に一存することに決めたよ。何か分からないことがあったら彼女に聞いてくれ」


 わたしは彼女と握手をした。


 彼女はわたしに細かいことをいろいろ指摘してきたが、親のことなどプライベートなことをあまり聞いてこなかった。


 一通り監督から聞いていたのかもしれないし、あまり仕事に関係のない話をするのが好きではないのかもしれない。

 だが、わたしにはそれくらいのほうが正直心地よかった。




 高校を卒業し、千春と弘が同じ大学に合格したことを聞いた。


 二人とも嬉しそうで、受験をしていないわたしまでうれしくなってきてしまっていた。




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