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わたしの名前の由来

 しばらく経って、わたしと杉田さんは千春に呼び出された。彼女の手には冊子が握られていた。


「これが正式な脚本」


 千春はわたしと杉田さんに脚本を手渡した。

 中身を確認すると、各所の細かいシーンが変わっている。

 彼女の伯父が今、そんな変更をするとは思えない。そこである結論にたどりついたのだ。


「これってもしかして」

「そう。父親が書いてくれたの」


 千春は頬を赤くして、子供のような笑顔を浮かべていた。


「連絡取れたの?」


 千春は何度も頷く。


「京香たちの映像を撮ったのもこのためなの。そのビデオを持って、伯父さんが会いに行ってくれたの。近いうちに戻ってきてくれるって」


 彼は杉田さんが熱を出したとき、一週間程度留守にしていた。それはそのためだったのだろうか。

 彼にどんな心境の変化があったのか分からない。あの映像がどんな影響を与えたのかも理解できなかった。だが、千春がそうやって嬉しそうにしているのを見ていると、わたしも嬉しくなってきた。


「あとね、京香の名前はどうする? 本名のままでもいいことはいいけど」

「名前?」


 芸名というやつだろうか。

 考えたこともなかった。


「本名のほうがいいの?」

「わたしは別の名前のほうがいいと思う。そっちのほうが何かと便利だから。でも、わたしのときとは違って、一般に本名が広く知れ渡る可能性もあるから、意味はないのかもしれないけど」

「千春は秋ちゃんだったんだよね」

「春だからね」

「そんな理由で決めたの?」

「母親と父親がね」


 彼女は肩をすくめる。

 わたしが全く気づかなかっただけで 、よく考えたら最初に彼女の名前を聞いたときからヒントはあったわけだ。


「杉田さんは?」

「こどものときの名前をそのまま使う予定。杉村康」


 千春が彼のことを康ちゃんと呼んでいる理由が分かった気がした。


「本名に近い感じだね。わたしはどうしよう」

「まだ時間があるからゆっくり考えるといいよ。名前の字画や由来を考えて決めてもいいしね。京香にもきっと素敵な由来があるんだろうね」

「由来なんてあるの? 適当に響きが好きだからとかいってつけたんじゃない?」

「かけがえのない人でいてほしいってことじゃないか?」


 わたしは部屋の入り口から聞こえてきた言葉に促されるようにして顔を上げた。

 そこに立っていたのは成宮秀樹だった。

 その言葉に真っ先に反応したのは千春だ。


「どうして京の香りがかけがえのない人なの? それならもっとふさわしい名前があるでしょう?」


 成宮さんは肩をすくめる。


「なんとなく、だよ」

「なんとなくねえ」


 千春は眉間にしわを寄せ、何かを考え込んでいた。


「そんなに気になるならお母さんに聞いてみるよ。多分、意味なんてないとは思うけどね」


 結局その日は名前が決まらなかった。成宮さんがお母さんと相談して決めたらいいといっていたこともあったと思う。



 わたしは夕食の後片付けをしている母親の背中を見つめる。


「わたしの名前の意味って何?」


 彼女は蛇口の水が止まる。ゆっくりと振り向いた。


「どうしたの? 突然」

「芸名を決めないといけなくてね、その名前を決めるってことになったの。で、わたしの名前の意味の話になった」


 彼女は肩をすくめて、優しく微笑む。


「昔、平安時代は香りが重要なものだったの」


 平安時代の話題が出てくるのが不思議だった。千年以上も前の時代の話で、別に母親が平安時代を好んでいたという雰囲気は全くなかった。


「そうだっけ?」

「そうよ。移香とかそんな文化があったの。だから私の中でね、京と香りは欠かせないものだというイメージがあったの。だから、あなたがいつか好きな人ができたときその人のかけがえのない人でいられる人生を送ってほしいと思ったの」

「そう……なの?」


 そんなこと初めて聞いたし、そこまで母親が考えて名付けてくれたとは思わなかった。


「簡単に他の人に気づかれたら面白くないから、ちょっと捻ってみたのよ」

「捻りすぎ。絶対に分からない」


 分からないはずだ。だが、彼は知っていた。

 わたしの胸がどくんと鳴った。


「絶対に誰にも気づかれない自信があるの」


 彼女は得意げに言った。

 わたしの口から思わず言葉がこぼれる。


「同じことを言った人がいたの」

「誰?」


 彼女の言葉さえも心なしか震えている気がする。


「成宮監督」


 彼女の顔に悲しみが宿るのが分かった。


「そう。似たことを考える人もいるものね」


 彼女はわたしに顔を背けると、それだけを口にした。彼女の背中はそれ以上わたしに追及されることを拒んでいるように見えた。



 千春は頬杖をつき、肩をすくめている。わたしは放課後になってから、誰もいなくなった教室で、昨日の話を彼女に一通り済ませた。


「伯父さんの言ったとおりだったのかあ。よくそんな変な意味が分かったね」


 彼女は納得できないようだった。

 わたしも同じだ。だが、それ以前から母親が変な表情を浮かべることはあった。


「考えても仕方ないか。名前、お母さんは何か言っていた?」

「好きに決めなさいってさ」

「京香は希望はある?」

「何でもいいかな」


 千春はノートを開くと、そこにすらすらと書き綴る。そこには橘美咲と書いてあったのだ。


「和歌にも橘の香りについて詠んだものがあるんだってね。だから、京香の由来になぞらえて、こういうのはどうかな。美咲はね、美しく咲き続けてねってことで」


 わたしの頬が赤く染まった。


「名前負けすると思うよ」

「そんなことないよ。京香、可愛いもの。響きもかわいいでしょう? もし気になるなら秋までに言ってよ。そしたら変更するからさ」


 秋には出演者が全て決まり、顔合わせがあるからだ。


「分かった」


 わたしはいい案が思いつかずに彼女の提案を一旦受け入れることにした。

 杉田やお母さんにその話をすると、彼は「いいんじゃないか」と言ってくれ、わたしはその千春がつけてくれた名前をそのままつけることにした。


 秋に入るとわたしは杉田さんと一緒に顔合わせに行った。そこにはわたしたちの同級生役の子や親役の人もいた。

 名前を知っている人も何人かいたが、皆丁寧に応対をしてくれた。


 そのほとんどが成宮監督の昔の映画に出たことがある人だということは杉田さんから聞いた。だから、何も実績がないわたしに親切にしてくれたのだろう。

 だが、その中で一人、わたしを睨みつけるように見つめる子がいた。

 彼女はわたしの親友役の子で荏田ひろみといい、嫌われているのが分かった。彼女とのからみがそんなに多くないのが不幸中の幸いだった。

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