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朝帰りした日

 わたしが息を吸い、セリフを紡ぎだすと、杉田さんが動きを止めた。


「そこは大きな声を出すところだけど、怒鳴るのとは違うよ」

「そうですよね」

「平井さんは優しいんだよね。でも、彼女はもっと感情的だから」


 杉田さんはそういうと、苦笑いを浮かべた。

 わたしは彼に怒鳴るシーンがうまく演じられず、彼に三日連続で合ってもらっていたのだ。

 この部屋を借りて二週間以上が経過していた。


 ところどころつまるわたしとは対照的に、彼はもうすでに役に入り込み、ほぼ完ぺきに勇という少年を演じ切っていた。

 このままでは彼に迷惑をかけてしまうし、どうにかしなければいけない。 

 焦りばかりが先行しそうになった。

 彼の顔がいつもより赤く染まっているのに気付く。

 彼の足元がふらつき、わたしはとっさに彼の腕をつかんだ。

 彼の腕はすでに熱を持っていた。


「杉田さん、体調悪いんですか?」


 一度目は否定していたが、二度目には彼は認めていた。

 わたしが額に触れると、その額はかなり熱かった。

 彼がこんな熱を出していても、ここにいるのはわたしの練習を見てくれているため。


 彼の演技はもう非の打ち所のないレベルに達していると、千春のおじさんも言っていたのだ。

 一方、わたしは何度も注意をされていた。

 自分のことばかりでなぜ、彼のことをもっと見なかったのだろう。


「家は近くですか?」


 成宮監督は今週の初めからどこかにいくといい、ここ数日は顔を合わせていなかった。なので、わたしが送っていくしかない。

 彼は大まかな駅名と住所を告げた。

 タクシーで十分いける距離だ。


 タクシーを呼ぶと、タクシーが来る頃合を見はからって、彼を下に連れて行く。そして、時刻通りにやってきたタクシーに乗り込んだ。

 そこから三十分ほどで目的地のワンルームマンションについた。

 彼と一緒に家の中に入った。


 彼の部屋はわたしの予想に反して散らかっていた。何もかも完璧にしているタイプだと思ったからだ。

 わたしは彼をベッドに寝かせた。


「悪いな。きちんと体調管理しないといけないのに」


 彼は呻くようにそう告げた。


 部屋の中を見渡すと、本などが各所に置いてあるが、流し台は綺麗だった。ガス代にもほとんど汚れがない。


「料理、苦手なんですか」

「あまりしないかな。どうして分かった?」

「ガス台が綺麗だからですよ。こまめに掃除をするようには見えないし」

「意外と鋭いね」


 杉田さんは苦笑いを浮かべていた。


「できるだけ自炊したほうがいいですよ。栄養も偏るし。というか、そんな話をしている場合じゃないですね。今日はゆっくり休んでください。しばらく傍にいますから」


 わたしは彼に断ると、タオルと洗面器を借り、彼の傍に行く。そして、寝ている彼の額の上にタオルを載せた。


「ありがとう。でも帰ってもいいよ。送ってくれてありがとう」

「少ししてから帰ります」


 杉田さんは微笑むと、そのまま眠りに落ちていった。

 頬が赤いながらも、眠っている彼を見て、ほっと胸をなでおろしていた。


 今は六時を回ったくらいだ。心配だったのと、少しでも早く元気になってほしくて、彼が起きて何か食べたいものがあったら作ろうと思い、彼が起きるのを待つことにした。



 わたしの腕が強い力でつかまれた。そのことに驚き、目を開いた。


「平井さん?」


 わたしはぼんやりとした記憶の中、杉田さんの声を聞き、我に返る。


「朝になっているんだけど」


 朝?

 わたしはまだ寝ぼけていて、すぐには意味が分からなかった。

 窓からは明るい光が差し込んでいる。

 しばらく考えて事情を呑み込んだ。


「さっき携帯も鳴っていたよ」


 わたしは携帯の履歴を確認すると、母親からの電話が十件入っていた。

 わたしは頭を抱えた。

 要は杉田さんが起きるまで待っていようと思ったらそのうちうとうとしてしまって、爆睡してしまったということだ。

 メールでも送っておけばよかったかもしれない。


「お母さん?」


 わたしは頷いた。


「僕も謝るよ」

「気にしないでください。わたしが眠ってしまったのが原因だし」

「元々僕のせいだし。できればそうさせてほしい」


 彼は申し訳なさそうな顔をしていた。

 彼みたいなタイプはわたし以上に責任を感じているのかもしれない。

 確かに事情を説明するには事情を説明してくれる人がいたほうがいいが、それが男の子というのはどうなのだろうか。彼は同じ映画に出るという特別な事情もある。母親も信じてくれるかもしれない。

 わたしは彼に頼むことに決め、お母さんには今から帰るから待っていてほしいとメールをした。


 玄関に扉を開けると、母親が飛び出してきた。その眼にはクマができ、あまり眠っていないとすぐにわかった。

「京香、こんな時間まで何をしていたの」


 だが、彼女の言葉はわたしの後ろにいる杉田さんを見てすぐに止まる。

 彼女は眉根を寄せた。

 娘が朝帰りをして、男を連れて帰ってきたのだ。そんな顔をする気持ちも分からなくはない。


「ごめんなさい」

「すみません」


 わたしと母親の間に割ってはいるように杉田さんが頭を下げた。

 母親は頭を抱えると、ため息を吐く。


「上がってくれる? 話は後で聞くから」


 わたしたちは家の中に入ることにした。


 杉田さんが一通り話をしてくれた。一緒に映画に出ること、昨日、熱を出してわたしが看病をしてくれていたこと。

 彼女は話を聞き終わると、ため息を吐いた。


「それで看病をしていたら眠っていたというわけね」

「ごめんなさい」


 母親はため息を吐く。


「今回は大目に見てあげるわよ」


 わたしは顔を上げる。


 母親は肩をすくめた。


「男の子を連れてきて、そんな説明をするくらいだもの。それにそんなすぐにわかる嘘はつかないでしょう? あなた高校は?」


 わたしはその言葉に噴き出す。

 母親は杉田さんをわたしと同じ年かそれ以下だと思っていたのだろう。

 杉田さんは顔を赤くして、俯いていた。


「一応大学生なので」

「ごめんなさいね。今日、大学は?」

「午前は授業が休みなので、今から行こうかと思っています」


 母親は頷いた。


「熱があったのなら、休んだほうがいいと思うわ。それに正直に言ってくれてありがとう。今度からはちゃんと電話でもメールでもいいから連絡しなさい」


 母親の手がわたしの頭に触れる。


「分かった」

「二人はつきあっているの?」

「え?」


 わたしと杉田さんは同時に声を出した。


「違うよ。本当に共演者というだけで、友達だとは思っているけど」

「そうなの? ごめんなさいね」


 杉田さんとそう見られたことが不思議でならなかった。


「ちょっといい?」


 母親はわたしだけを隣の部屋に呼び出した。


「学校、行く? 休んでもいいわよ?」

「行くよ」

「遅刻で連絡しておくわ。話はずれるけど、彼っていい子ね。真面目そうで、ああいうこと付き合ってくれたら嬉しいかも」

「そんなんじゃないよ」

「分かっているわよ。京香の言うことだもん。信じている」


 尚志さんよりも彼の方が気に入ったのだろうか。そうおもうと複雑で、どこかくすぐったい。

 わたしは手早く制服に着替えると杉田さんのいる部屋に行く。

 杉田さんはまじまじとわたしの姿を見ていた。


「高校の制服? 似合っているね」


 彼に他意がないことは分かっているが、それでも恥ずかしくなり目を伏せてしまった。そして、強引に話を切り替える。


「体調は大丈夫ですか?」

「もう大丈夫だよ。今から学校に行く?」

「そのつもりです」

「途中まで一緒に行こうか」


 わたしは母親に学校に行くと告げると一緒に行くことにした。



 昼休み、一連の流れを千春に話すと、彼女は意外そうな顔をした。


「まさか熱出していたとはね。わたしに連絡してくれればよかったのに」

「眠ってしまうつもりもなかったから。彼の容態が落ち着いたら帰ろうと思っていた。でもわたしのために母親にも謝ってくれて、驚いた」


 千春は微笑んだ。その笑みはどこか居場所を求めているような寂しそうな笑みに見えた。


「いい人でしょう? 康ちゃんは誰にでも優しいから」


 わたしは気づかない振りをして、千春の言葉に頷いていた。


 教室に戻ると、弘がわたしを手招きする。彼の机の上には問題集が広げてあった。


「ここ教えて」


 わたしは弘の志望校の変更を受けて、学校にいるときは彼に勉強を教えていた。

 弘は勉強を頑張っているようだった。

 志望学科が違うので同じ大学に行ってもあまり意味がないが、それでも千春と同じ学校に通いたいようで背中を押すことにしたのだ。

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