話しやすい人
鐘の音が鳴り止むのを待って、わたしは彼を見据えた。
「昨日のことなんですけど」
嘘をついたままでいるのは気分が悪かったからだ。
「気にしないでいいよ。何か事情があったのだろうし、無理に聞くつもりはないからさ」
まただ。彼の言葉を聞くと、心の奥が不思議な感触に包まれる。
わたしは少しだけ笑うと、首を縦に振る。
「千春のお兄さんのこと知っているんですか?」
「直接会ったことはないけど、彼女から何度も聞かされたから。彼女が口を開けばいつもお兄ちゃんだったから」
そんな彼女はわたしと兄の板ばさみのようになって辛い気持ちを抱いていたりするのだろうか。
わたしは何ともいえない気持ちになる。
わたしは会話が途切れてしまったことに気づき、何か話をしようと考えていた。だが、出会ったばかりの人になんでも話せるほど、器用な人間ではなかった。
わたしと彼の間には気軽に話せる予備知識がなにもないのだ。
そんなわたしの気持ちを見据えたかのように彼は告げた。
「無理に話さなくてもいいよ。僕も人と話しをするのは苦手だから。それにこうしてお互いに黙っている時間も苦手じゃない」
「そんなふうには見えませんね」
「そうかな」
彼はそう言うと、自分のコーヒーに口をつける。
彼と一緒にいると忙しかった時間の流れがふと止ったような、気がしていた。
今までそんなことを誰かと一緒にいて感じることなどなかった。
そんなふうに感じてしまう、自分の心が不思議でたまらなかった。
「君は女優になりたいの?」
君という言葉を聞き、わたしの心が再び痛んだ。
「あの、できればですけど」
「何?」
「できるだけでいいですから君って呼ばないでほしいなって。名前で呼んでくださってもかまいませんから」
「名前って京香さんだっけ?」
彼は首をかしげながら言った。
わたしは顔がほてるのが分かった。
それはそれで恥ずかしかったのだ。
「できれば平井でお願いします」
彼は頷く。
「分かった。平井さん」
声の高さも、質も違うのに、似た呼び方をされるだけで心が痛むなんてどうにかしている。
時間が経てば平気になるはずだ。できれば撮影に入るまでにさっと流せるようになりたかった。
「わがままを言ってごめんなさい」
「いいよ。気にしないで」
彼はあの少年とは真逆のタイプだ。人に壁を作っていると感じさせないし、まるで少年のまま大きくなった人だ。あの少年を演じられるのだろうか。だが、それができるから選ばれたのだろう。
「台本は覚えました?」
「覚えたよ。昔から記憶力だけはいいからね」
彼は優しく微笑む。
本当にイメージが違う。
わたしと水絵さん以上のイメージの開きだった。
「昨日一緒にいた男の人は友達?」
「高校の同級生で、幼馴染です」
「仲よさそうだったもんね。高校か。懐かしいよな」
「でも杉田さんもこの前まで高校生だったでしょう?」
「もう高校生じゃないからね」
「今でも高校生で通じますよ」
高校三年どころか、高校一年と言われても納得できそうだ。
彼はそんなわたしの気持ちを察したように苦笑いを浮かべた。
「できれば年相応に見られたいけどね。相手役が平井さんみたいな話しやすい人でよかったよ」
わたしはその言葉に胸が高鳴る。
「話しやすいですか?」
「うん。がつがつもしてないし、深くあれこれ聞いてきたりもしないしね。初対面で家族構成とか聞かれるとちょっとね」
「それはわたしもあまり聞かれたくないからかもしれません」
彼は屈託のない笑顔を浮かべていた。
わたしの感じていた不安や悩みはあっという間に消え、まるで彼とは以前から友人だったのではないかと感じてしまっていた。
彼はわたしを家の前まで送ってくれた。
「送ってくれてありがとうございます」
「どういたしまして」
彼は何かを思い出したように言葉を続ける。
「もし、オムライスを食べたかったらいつでもつきあうよ」
「どうして分かったんですか」
「メニューを見たときに目が輝いていたから」
心の中を見透かされていたのにも関わらず、嫌な気はしなかった。
彼は微笑むとわたしに背を向けて帰っていく。
その日の夜、千春から電話がかかってきた。
「康ちゃんのことどう思う?」
「いい人だね」
「京香と気が合うと思うの。よかった」
千春はそう嬉しそうに口にしていた。




