相手役の人
千春はわたしの話を聞きながら、お手製のサンドイッチをかじる。わたしは中庭で昼食を食べながら、昨日、弘に映画の話をしたことを千春に伝えた。
「黙ってくれているならかまわないと思うよ。それにいろいろ情報が出てくるだろうしね」
「情報?」
「相手役の人が決まったの。結構かっこいい人だよ」
その言葉にわたしの動きが止まる。
わたしは脚本の内容を思い出しながら胸を高鳴らせていた。
「誰?」
千春は空になった自分のお弁当の蓋を閉めた。
「名前言っても分からないと思う。でもいい人だよ。わたしや伯父さんのよく知っている人だもの」
わたしは「知っている人」という言葉から尚志さんのことを一瞬考えていた。だが、自分で否定する。尚志さんなら名前を言って分からない人のわけがない。
「だから今日会いに行こうよ。向こうには許可を取っているの」
「分かった」
千春の知り合いなのだから悪い人ではないと思っても、期待と不安の入り混じった気持ちを抱いていた。
授業が終わると千春に引っ張られるようにして学校を出た。
「どこで会うの?」
「この近くの喫茶店で待ち合わせだよ」
そう言った千春の足が、アンティークな印象の喫茶店の前で止まる。
店の中に入ると、鈴の音が店内に響き渡った。
千春は店の店主らしき若い女性に手を振ると、奥に入っていく。
店の中は明かりの量を徹底的に落としているのか、窓から差し込む太陽の光が店内を照らし出し、幻想的な雰囲気を醸し出した。
その光に照らし出されるように一人の人が物憂げ瞳で窓の外を眺めていた。
その情景がか、彼のどちらの影響が大きかったのかが分からないが、絵になると感じていた。
「康ちゃん」
千春の弾んだような声が届く。
わたしは思わず千春を見た。
彼女は子供のように顔を崩した笑みを浮かべている。
千春が誰かをこんな風に呼ぶのを初めて聞いたのだ。
椅子に座っていた人がこちらを見る。
彼は目を細めると、頭をぺこりと下げる。
「この人が杉田康司さん。今日話をした人だよ」
「この人が?」
彼はわたしと千春のやり取りを見て、もう一度微笑んだ。
通った鼻筋に、男の人にしてはふっくらとした唇。その唇は血色がいいのか赤かった。その肌も肌荒れとは程遠そうな陶器のようなきめ細やかな肌だ。長い睫毛の下から優しそうな目が覗いている。
わたしが彼の姿の把握に精一杯になっていると、彼が不意に立ち上がる。
身長はわたしより頭二つ分ほど高い。尚志さんとおなじくらいだろうか。
「初めまして。杉田です」
優しく、なだめるような声にも関わらず、その声には独特の鋭さがあり、よく通る。
「どう?」
千春が興味深そうにわたしを覗きこむが、わたしは千春を見る余裕がなかった。
まるで彼の瞳の中に閉じ込められてしまったかのように身動きができなくなっていた。
同時にどこかで見たような既視感があった。
テレビや雑誌、ネットで見たのだろうか。だが、いくら考えても答えがわからなかった。
「初めまして」
わたしは声を上ずらせながら、やっとの思いで言葉を絞り出した。
彼は眉根を寄せ、わたしの顔を覗きこんできた。
整った顔に思わず顔をのけ反らせる。
「君、昨日大学にいたよね。千春から高校生と聞いていたけど」
「大学?」
その言葉に、わたしの昨日の出来事と、今の記憶がつなぎ合わされる。
昨日、泣いているわたしにはなしかけてくれた人だ。
「気のせいです」
わたしはとっさに否定していた。
きっと千春になぜ大学にいたのか聞かれるだろう。
尚志さんを見に行き大学に行き、女の子と楽しそうにしている姿を見て泣いたとは彼にも千春にも言いにくかった。
彼は何かを感じ取ったのか、わたしの言葉を信じたのかは分からないが、それ以上何も言わなかった。
「俺の勘違いだね。悪かった」
わたしは彼の言葉に胸を撫で下ろした。
千春が興味深そうにわたしと彼を見ていた。
わたしと千春は彼に促されて椅子に座った。
「どうぞ」
彼はわたしと千春のちょうど中間にメニューを差し出した。メニューに大きく乗ったオムライスに心を奪われるが、さすがに夕食には早い時間だ。
「わたしはコーヒー」
千春は即決すると彼と世間話を始めてしまう。
その様子を見て、絵になると率直に思ってしまっていた。この二人が主役なら、あの映画を撮るときも、他愛ないシーンさえも心惹かれるものに変えてしまうだろう。
「決まった?」
彼はわたしの視線に気づいたのか、笑みを浮かべる。
「紅茶で」
千春がお店の人を呼び、注文をしていた。女性は千春に会釈をすると、店の奥に消えていく。
「今、何歳ですか?」
わたしは千春が注文を終えるのを待って口を開く。
「大学一年だよ」
「一つ上ですね。大学は?」
「だめだったら留年しようかと思っている。それに大丈夫だよ。監督もできるだけスケジュールは合わせるからって。君は受験生だよね? 大学は?」
君という呼び名にドキッとする。それは尚志さんがわたしをそう呼んでいたためだ。
だが、その気持ちをおくびにも出さないようにして会釈した。
「わたしは今年は受験しないでおこうかなと思っていて。留年したらもったいないし」
「確かにね。学費はただではないし、留年するよりははっきりしていてわかりやすいか」
千春は何かを思い出したかのように口を開いた。
「康ちゃんと京香の志望学科って同じでしょう? なら教えてもらえば京香も大学に行けそうだよね」
「奇遇だね。ノートとかなら貸してあげるよ。一年で変わらないだろうし」
今年は大学に行かないと決めたはずだったのに、心が揺らいでいた。
なんとなく彼に言われると、そう思えてくるから不思議だった。
0を1にしてしまうような、不思議な心強さがあった。
「それは京香が決めることだから無理強いはしないけど、スケジュールならどうにかなるから大丈夫だって。もし行きたかったら行くといいよ」
彼女はそう言ってこの話題を締めくくった。あまり言うと、わたしが気にしてしまうとでも思ったのだろう。
「二人は知り合いなの?」
わたしは千春と杉田さんを見ながらそう尋ねた。
「知り合いって知り合いじゃなきゃここに呼べないでしょう?」
察しがいい彼女が何でこんなときに限って的外れなことを言い出すのだろうか。
わたしは彼女にどう言ったら通じるだろうかと必死に模索していた。
「彼女とは幼馴染みたいなものだよ」
杉田さんはそう言うと、肩をすくめた。
千春の過去のことを知っているのだろうか。
「幼馴染か。そう言えなくもないね。上手い言い方を思いついたね」
千春はまるで他人事のような言葉を並べた。
わたしたちの注文した品がテーブルの上に届き、わたしは紅茶に口をつける。
千春がコーヒーを手に取ったときだった、彼がくすりと笑う。
「千春ってコーヒー飲めるようになったのか」
「コーヒーくらい飲めるよ」
「昔、コーヒー飲んで苦いって泣き出したことあったのにね」
「そんな昔のこと言わないで」
千春は頬を膨らませて、杉田さんを睨む。
「康ちゃんだって女の子に間違われていたくせに」
「別に気にしてないから、そのことを言ってもムダ」
千春は唇を尖らせた。
いつもはしっかりしている彼女がそんな砕けたような表情をするのは新鮮で、ただ驚きだった。
甲高い携帯の音楽が鳴り響く。千春は携帯を取ると、言葉を交わす。
「そうそう。今、康ちゃんと会っているの。京香も一緒だよ。……分かった」
彼女は電話を切ると、肩をすくめた。
「ごめん。ちょっと家に帰らないと」
「お兄さんから?」
何気ない言葉だったのだろう。
杉田さんがそう言った。
千春は一瞬顔を強張らせ、わたしを見た。
「伯父さんからだよ。後は二人で適当に話してみたりするといいよ。康ちゃんにはあまり気を使わなくて大丈夫だから、ね」
彼女はそう言い残すと、コーヒーを飲みほしお店から出て行った。




