少女の提案
わたしは靴箱から自分の靴を取りだすと、上履きに履き替え、短く息を吐いた。うららかな青空がのぞく朝。一日の始まりにも関わらず気が滅入っているのは、昨日ある通知が届いたためだ。それはこの前のオーディションの落選通知だ。結果はもちろん、あの子の言った通り落選だった。
これで何度目の落選通知だろう。そんなに大きな役でもないのに。いつもいいところまでいっても、あと一歩でオーディションに受かることができない。応募するたびに落選を増やしていく……。そんな感じで時間が経過し、わたしはもう十七歳になっていた。
世間的にはまだ若者には分類されるだろう。だが、テレビや映画ではわたしと同じくらいの子が活躍している。
そんな子の活躍を見るたびに悔しい気持ちが湧き上がってくる。
わたしは彼女たちと同じ立場にさえ立ったこともないのに。ただの嫉妬だろう。
「どうかしたの?」
突然聞こえてきた声に顔を上げた。その声に聞き覚えがあったからだ。目の前に立っていた子に愕然とする。この前一緒にオーディションを受けた、わたしに悲惨だと言った女の子だったからだ。
彼女は長い髪を両脇で三つ編にしていて、あの日よりももっと幼く見えた。目が合うと微笑んだ。
「久しぶりのほうがいいかしら?」
彼女は髪の毛をかきあげた。
「同じ学校だったの?」
「そうよ。この前、転校してきたの。家庭の事情ってやつ?」
わたしはそれ以上聞けず、黙り込む。そう言われてずけずけ聞けるほど無神経ではない。
「今日一緒に帰りましょう」
わたしに選択の余地のない、断言された言い方のような気がしないでもなくない。
一緒に帰るだけなら、何も実害はないだろう。
「いいですよ」
「放課後ね。わたしは成宮千春」
「わたしは平井京香」
成宮千春はじゃあね、というと、わたしに背を向けて歩いていった。
ホームルームの終了を告げるチャイムが鳴り響いた。辺りを見渡したが、教室の外にあの子がいる気配は全くなかった。あの子と一緒に帰る約束をしたものの、待ち合わせの場所を決めていなかったのに気付いたのだ。
わたしは彼女の名前しか知らないし、彼女もそうだろう。彼女がわたしのクラスを知っているとは思えなかった。
「真田さん」
わたしは隣の席の女の子を呼んだ。
彼女は帰り支度を止めて、わたしを見た。
きりりとした印象を受ける、綺麗めの女の子で、クラスに一人はいる、交友が広く、誰とでも仲良くできるタイプで、顔の広い彼女なら千春を知っているのではないかと考えたのだ。
彼女は突然呼び止めたわたしに嫌な顔をせずに、微笑んだ。
こういうところが、彼女が誰にでも好かれる理由だと思う。
「成宮千春って子知っている?」
「成宮?」
そう言うと、真田美紀は眉間にシワを寄せた。
「確か転校生だよね。五組の子」
「五組か。ありがとう」
わたしはお礼を言うと、わたしは身支度を整え、教室を出ようとした。
扉のすぐ近くに女の子が立っているのに気付いた。成宮千春だ。
千春は右手を挙げて、わたしに挨拶をした。
「もう来ているなら、声をかけてくれればよかったのに」
「あなたを観察していたの」
彼女はそういうと、無言で歩き出した。
観察って、そんなに見ても面白い行動はとっていないのに、何を考えているんだろう。
不可思議におもいながらも、彼女のあとについていくことにした。
千春がやっと口を開いたのは、学校の門をくぐった後だった。
「あなたは女優になりたいの?」
「なりたい」
わたしは即答する。
「どうして? 注目を浴びたい? 大金を稼げそう?」
「違うよ。会いたい人がいるの」
千春はその言葉にああ、と呆れたように微笑む。
「好きな俳優とか? そういう子多いよね」
「好きといえば、好きなんだけど、女優さん。成宮さんは知らないかもしれないけど、二十年くらい前の映画をやっていた人で、高木水絵さんっていう人」
「高木水絵」
千春は呆然と見つめていた。でも、彼女の表情はわたしが名前を挙げた人を知らないという表情ではなかった。
まさかその名前が出てくるとは思わなかったとでもいいたそうな表情だった。
「知っているの?」
「昔の映画でね。そんなマイナーな人、もう芸能活動していないよ」
「それでも会えるかもしれないでしょう」
「だったら無駄よ。そんな理由だったら目指すだけ無駄だと思う」
「でも、もう一人いるの。仁科秋」
千春は目を見張る。だが、彼女は突然笑い出した。
彼女が一体何を考えているのかさっぱり分からない。
「あなたいいセンスしているわ。仁科は正直どうかと思うけど、気に入った」
「何で?」
千春は肩をすくめて、ただ笑うだけだった。
「彼女たちに会って、どうしたい?」
逆に聞かれて困ってしまった。会うことに精一杯でそこまで考えていなかったのだ。
それこそ憧れの人に会いたいと思うだけで。
「言い直すね。ならなぜ、女優になりたいの? 志した理由は別にあるの?」
「その二人の演技を見てすごいって思ったの。引き込まれて、何も見えなくなる。わたしもそういう風な女優になりたいと思った。それに月並みだけど、女優っていろんな人の人生を演じられるから素敵だなって思っている。だって出ているドラマや映画の数だけ人生を演じられるのだから」
「そっか」
千春は肩をすくめると、微笑んだ。
「一応本気みたいだね。なら、わたしたちの事務所に来ない? あなたは事務所に入っていないんでしょう? あなたを映画に主演させてあげる。もちろん、いろいろ押さえておかないといけない事項もあるし、決定とはいいがたいけど」
「主演? なんで? それにわたしたちって?」
「わたしと兄がやっているの。従業員もほとんどいないけどね。つてはあるから、そのあとどうなるかはあなた次第よ」
オーディション会場で男性が千春を見て微笑んでいたのを思い出した。あれもつてなのだろうか。
女子高生とその兄でそんな仕事がとってこれるような世界なのだろうか。
疑いの気持ちで彼女に問いかけた。
彼女に事務所の名前を聞いてみるが、全く聞いたことがない。
「なんでわたしなの?」
彼女はわたしを見て、笑みを浮かべた。
「顔。すごく綺麗だと思うわ。あなた」
彼女の思いがけない反応に何も言えなくなる。
彼女はわたしを見て、くすっと笑った。
「それも一要素ではあるけど。でも、なんとなくあなたならできるんじゃないかと思ったのよ」
「何を?」
「いろいろと」
彼女ははぐらかしたまま答えようとしなかった。
オーディションもまともに通らないわたしに彼女は何を見たというのだろう。
疑いの気持ちがわたしの心に湧き上がる。
「怪しいものに売り飛ばそうとしているわけじゃないよね?」
「は?」
まさか、そんな風に切り替えされるとは思わなかったのか、驚いたようにこちらを見る。
「大丈夫よ。大体わたしだって、高校中退はしたくない。変なことなら同じ高校の子に声をかけないわ。無理にとはいわないけど、わたしの家に遊びに来る? 映画もたくさんあるから。お兄ちゃんにも会せるわ。それからゆっくり考えて決めればいい」
「遊びに来るだけなら」
「決まりね」
彼女は不機嫌そうな表情も見せずに、明るくそう返した。