打ち明けた想い
そんなわたしの手の甲に灰色の影が伸びてきた。
影を認識すると同時に優しい声が耳に届いた。
「大丈夫?」
わたしは顔を上げた。
そこに立っていたのは睫毛の長い、あどけない顔立ちをした男の人だった。
彼の髪の毛は光を浴び、とても柔らかく見えた。
彼の茶色の瞳にわたしの姿が映った。数秒後、彼は目を見開いていた。
わたしは泣いていたことを思い出し、体が熱くなるのが分かった。
こんなところで泣いてしまったのに気付き、恥ずかしさを覚えていたのだ。
「大丈夫です。すみません」
わたしは立ち上がると、足早にその場所を去ろうとした。
そのわたしの行く先を大きな影が遮った。
「京香、お前、泣いて」
弘が両手にお茶を抱えて立っていたのだ。
「何でもない」
弘がわたしの後ろにいる男の人を見た。
弘の目が鋭くなる。
「あいつに何かされたのか?」
「違うよ。あの人はわたしが泣いていたから声をかけただけで。後で話すから行こう」
弘はわたしの言葉に納得していないようだったが、それ以上は追求してこなかった。
わたしたちは大学を出て、近くの喫茶店に入ることにした。
わたしが落ち着くまでの間、弘は適当にわたしの飲める飲み物を注文して、あとは何も聞かずに黙っていてくれていた。
紅茶が届いても、二人とも手を付けようとしなかった。
頼んだ紅茶から湯気がでなくなってから、わたしはやっと言葉を紡ぎだした。
「わたし、好きな人がいるの」
「さっきの男?」
「違う。千春のお兄さんなんだ」
拡はあんぐりと口を開け、わたしを凝視する。
「確か、この大学に通っているんだよな。まさか、何か言われた?」
彼は今にも飛び出していかんとばかりの形相でわたしに迫った。
「違うよ。女の人と一緒にいて、楽しそうでショックで泣いてしまったの。わたしの片思いなんだ」
「彼女?」
「分からない」
「それなら別に悲しむ必要なんてないと思うよ。俺とお前も友達だけど、そんな関係じゃないじゃん」
「わたしの夢、知っているよね?」
「知っているよ」
「その夢が叶うかもしれないの。それから、話をしてくれなくなったんだ。偶然かもしれないけど、嫌われたかもしれない」
「え? マジで? よかったじゃん。よかったってのは、最初の話のほうで、成宮さんのお兄さんとは関係ないことで」
「分かっているよ。ありがとう。話ができなくてごめんね。まだいろいろと言えないことが多くて」
わたしは少しだけ弘の言葉に笑みを浮かべた。
「そんなこと気にするなよ。俺とお前の仲だろう。でも、成宮さんのお兄さんは何で、急に冷たくしだしたんだろう」
「分からない。でも、あきらめようと思うよ。今は苦しいけど、少しずつね」
弘がわたしの頭を乱暴に撫でた。
「髪の毛、くちゃくしゃになるよ」
「悪い。俺は話を聞くくらいしかできないけど、何かあったらいつでも話をしてよ」
「ありがとう。大丈夫」
「大丈夫はお前の口癖は大丈夫だからな」
彼は苦笑いを浮かべる。
弘とのやり取りにほっとする。
わたしはほかの誰かにいうことで、彼を忘れるという決意表明をどこかでしたかったんだろう。
その忘れられる日がいつ来るかは分からないけれど。
「心配かけてごめんね。今から大学の構内を見に行く?」
「今日は帰ろう。もう十分に見たしな」
彼はそういうと、冷えた紅茶をさっと飲み干した。
わたしが紅茶を飲み終わるのを待って、お店を出ることにした。
辺りはすっかり日が落ちていた。
そろそろ母親が返ってくる頃だろうか。
弘は足をとめ、まじまじとわたしを見た。
「夢ってどんな形で叶うんだ? 言わなくてもいいから」
「映画だよ」
「映画かあ。もちろん見に行くけどさ、お前がスクリーンに映っていたら笑っちゃうかも」
彼は冗談めかしたような言葉を並べる。
わたしは思わず笑ってしまった。
「他のお客さんに迷惑かけないように笑ってね。でも千春と一緒に行くと笑えないかもね」
「それは勘弁。映画の内容どころじゃなくなるって」
笑っていた弘が真顔になった。
「友人だから言うけど、だまされているわけじゃないよな? 世の中には悪い奴も多いから」
「大丈夫。千春の知っている人がかかわっているんだ。千春もいろいろとしてくれているみたい」
「それなら大丈夫かな。危険な目に遭いそうになったら俺に言えよ。いつでも守ってやるから」
「ありがとう」
弘は星の目立ち始めた空に視線を移す。
「作品って決まっている?」
「まあね」
わたしは彼の耳元で、あの映画の作品名を告げる。
彼は目を見張り、わたしを見た。
「まだ誰にも言わないでね」
「言わないよ。でも、それってお前の好きだった映画だよな」
「そうだよ。それを現代にアレンジして撮りなおすらしいの」
「でも、どうして成宮さんが……。そういえばあの映画の主演女優って成宮さんに似てるよな。まさか」
わたしは首を横に振る。
「気になるなら千春に聞いてね。わたしからは何も言えない」
「気になるけど、今は黙っておくよ。いろいろ詮索しているみたいに思われたくないし、それに今の言葉で何となく分かった」
わたしは苦笑いを浮かべた。
弘は肩をすくめると言葉を続ける。
「いい話だとは思うよ。逆に気を悪くしたら謝るけど、逆に疑問はあるよな」
「例えば?」
弘は頭をお辞儀をするように下げた。お辞儀をしたわけではなく、どうわたしに話を切り出すのか迷っているのだろう。
「気にしないでいいよ。今更遠慮って関係でもないんだもん」
弘はわたしと目を合わせずに何度か頷いた。
「昔撮った映画をどうしてお前で撮るのかとか。別にお前が悪いってわけじゃなくて、お前が出るよりむしろ演技ができるかは分からないけど、成宮さんが出たほうが話題にもお金にもなるんじゃないか、と」
弘は言葉を選びながらわたしにそう告げた。
「わたしもそう思う」
千春はわたしの何倍もうまく演じるだろう。
それに彼の言葉はわたしの疑問の核心をついていた。わたしを起用した以前になぜ、彼女たちがこの映画を撮ろうとしているのかだ。
お金のためというわけではなさそうだった。お金のためなら権利だけ売ったり、どこかのプロダクションと組んだほうがいいような気がする。現にそれをほしがっているところもあったようだ。
新人発掘のためとしても、甚だ疑問が残った。
それに千春は受験生にも関わらず、勉強の合間を縫ってわたしに演技の指導をしてくれていた。
きっとこの映画には何かがあるのだろう。
部外者のわたしがいろいろ考えても分からない。ただ、何かあるならいずれ教えてくれたらいい。
「でもいい経験になりそうでしょう?」
「そうだよな。大学は?」
「受けないと思う。ただ、勉強はしているから、一年遅れで大学に行くかもしれない」
「もったいない。京香ならまず受かりそうなのに」
「中途半端にはなりたくないんだ。だから頑張ろうと思う」
「そっか。頑張れよ」
「ありがとう」
本当は弘の士気を高めるために来たはずだったのに、わたしが元気づけられてしまった。
そう。泣いてはいられないのだ。
まだ、尚志さんの笑顔を思い出すと胸が痛む。
それでも前を見るしかないと自身に幾度となく言い聞かせていた。




