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彼からの別れの言葉

 あれから十日が経過し、尚志さんからは一度も電話をかかってくることはなかった。わたしも連絡をとっていないのでどうこう言えないが、いつもいつもは一週間に一度は何かと電話をしてきてくれていたため、そのギャップに戸惑っていた。

 忙しいんだろう。そう考えても胸の奥が締め付けられていた。


「考えごと?」


 千春がわたしの顔を覗きこんだ。


「なんでもないよ」


 千春は勘がいい。だから、わたしは極力彼女の前で尚志さんのことを考えないようにしていたが、うっかり考えてしまっていたのだ。


「今日の帰りね、わたしの家に来て」

「尚志さんは?」

「家にいるんじゃない? 最近よく家にいるから。大学も休みが多いみたい。学園祭とかあっていたみたいだし」


 それでもわたしには電話をくれなかった。

 つきあってもないわたしにそんなことをする義務もない。

 連絡をしてくれなかったことが彼はわたしのことをなんとも思っていないと伝えているのかもしれない。


 意識していたのを悟られないように、普通に接しよう。


 千春の家に着くと、彼女の家に寄ることになった。

 彼らしき靴はあるが、今までのように出迎えてくれることもなかった。

 今までとは違う家に来たみたいだ。


「尚志さんは?」

「部屋にいるんじゃない? だらけてばかりだからね。そんなことよりさ」


 彼女はわたしの手を引き、リビングに入る。そして、机の上にテーブルの上に置いてある白い冊子をわたしに渡す。ぱらぱらとみて、それが何かすぐわかる。それはわたしが出ると言っていた映画の脚本だったのだ。


「できたの?」

「いくつか修正箇所があって、まだ完成していないけど、京香が読みたいと思って借りてきたの」

「ありがとう」


 わたしは弾む心で脚本に視線を落とす。その物語の中に入り込もうとしたとき、階段のきしむような音が聞こえてきた。リビングの扉が開いた。


 そこに立っていたのは尚志さんだった。彼はわたしと目が合うと、そのまま出て行こうとした。


「お兄ちゃん、あとで京香を送って行ってね」

「何で俺が」

「もう暗くなるし、危険じゃない」

「いいよ。一人で帰れるから」


 わたしは彼からそれ以上の否定の言葉が聞こえてくるのが怖くて、慌ててそう口にする。


「分かった。送っていくよ」


 彼はそのままわたしを見ないでリビングを出て行った。彼が歩いていったのは玄関のほうだ。

 わたしと千春は目を合わせた。


「あとでと言ったのに。また明日ね。それは持って帰っていいよ」


 わたしは脚本を鞄の中に入れると千春に別れを告げ、玄関まで行く。だが、尚志さんはもう玄関にはいなかった。

 靴を履き、外に出ると尚志さんが門の外に立っていたのに気付いた。

 彼はわたしを一瞥すると、そのまま歩き出した。

 彼の態度はわたしを嫌っているとしか思えなかった。もうわたしのおもりをするのが嫌になったのかもしれない。

 わたしの前を歩く尚志さんの後姿がぼやけてきた。


「大学はどうするの?」


 突然不意打ちのように聞こえてきた言葉に、わたしは軽く涙をぬぐい深呼吸した。


「行きたいけど、どうしようか迷っています。中途半端になるのが怖くて。留年はしたくないし」


 尚志さんは振り向かずに言葉を続ける。


「撮影は一年もかからないから終わって受けたかったら受けてみてもいいかもな。どの大学受けるつもりだったんだ? 君って結構成績いいんだよね?」

「尚志さんと同じ大学です」


 彼がわたしの志望校に通っていたのは千春から聞いて知っていたのだ。


「来年浮かれば俺の後輩だったんだ」


 魅力的な言葉だった。


「今、三年ですよね?」


 尚志さんは頷く。


「来年受かれば一緒に通えたかもしれないですね」

「そういえばそうだな。でも授業は一緒じゃないから。俺は卒論しかとる気ないから」

「そうですよね」

「やりたいだけやればいいよ」


 彼はそう言うと、振り向いた。

 そのときの彼の表情はどこか寂しくて、わたしの心を締め付けた。



 わたしは家に帰ると何度もその脚本を読み返していた。千春の伯父さんが書き直したのだろうか。ところどころ現代にアレンジされていて、より共感できるものになっていた。

 ラストに差し掛かったとき、ドキッとする。そこにはキスシーンがあったためだ。

 前の映画にもあったためあったことは知っていた。だが、わたしが出るということはキスをしないといけないわけで。


「相手役は誰がやるんだろう」


 わたしは尚志さんの顔を思い浮かべていた。


 彼ならいいのに。

 彼にはその気がないことは分かっていた。それでも役の上でも恋人になれたらどんなにいいだろうと思わずにはいられなかった。


 翌日、千春にそれとなく話をしてみることにした。彼女は肩をすくめる。


「他の役はちょこちょこ決まっているみたいよ」

「相手役は知っている?」

「相手役はまだ決定してないけど、目星はついているよ。ただ、断られるかもしれないから、まだ教えられない」

「そっか。キスシーンがあるから気になっていたんだ」

「そういえば残っていたね。まずかった?」


 千春は苦笑いを浮かべていた。


「いいよ。忘れていたけど、知っていたし。でも、わたしは誰ともキスとかしたことないから、最初は好きな人としたいな、って思ったんだけどね」


 わたしの髪を優しい風が撫でる。


「お兄ちゃんなら、それまでにつきあえばいいじゃない」

「そううまくは行かないよ」

「うまくいくよ。大丈夫だって」


 千春は尚志さんがわたしを好きだといまだに勘違いをしているようだ。

 彼女の言葉に背中を押され、家に帰ってから電話をしてみることにした。

 しばらく経って電話がつながった。


「何か用?」


 彼は冷たい口調でそう告げる。


「何もないです」

「それなら切るね。忙しいから」

「電話してごめんなさい」


 そう口にした直後、向こうから電話がきれ、反動のようにあふれ出た涙が原形をとどめなくなるのをただ眺めていた。


 そして、昨日の彼の「やりたいだけやればいい」という言葉が、別れのあいさつのように聞こえて仕方なかったのだ。


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