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二人きりの時間

 翌朝、わたしは千春に連絡をして、彼女たちの家に行くと告げた。千春も兄から聞いていたのだろう。いつでもいいとわたしに言ってくれた。

 千春の家の玄関のチャイムを鳴らすと、尚志さんが顔を覗かせた。


「さっき千春が出かけたけど会わなかった?」

「すれ違いになったのかな。出直しましょうか」

「いいよ。そのうち帰ってくるだろうし。上がる?」


 わたしは頷いた。

 わたしが通されたのはリビングで、相変わらずものすごい量のビデオテープやらDVDが並んでいた。


「相変わらずすごいですね」

「変わり者の一家だからね。この中には母親の出ている映像も、たくさんあるよ。母親を撮るためにカメラを買ったような人だから」


 尚志さんはそういうと笑っていた。

 どんな家族だったのだろう。

 わたしにはよくわからなかった。


「だから、写真もこの家で一番多いのは母さんの写真なんだよね。母さんは困っていたけど」


 写真という言葉で、この家に来た時の一件を思い出した。

 本当はもっと早く謝らなければいけなかったのに、なあなあになってしまっていた。


「この前、アルバムを見てごめんなさい」

「俺も大人気ない対応をして悪かったよ。子供のときの写真って恥ずかしいからさ」

「かわいかったのに」

「だから恥ずかしいんだよ。かわいいって言われても複雑っていうか」


 彼は頬を赤らめて苦笑いを浮かべていた。


「ごめんなさい」

「君が悪いわけじゃないよ。紅茶でも入れるよ。座って」


 わたしは近くのソファに腰を下ろした。

 彼は紅茶を手にすぐ戻ってきて、テーブルに二人分のカップを並べた。

 何を話せばいいのかとっかかりが掴めず、黙ったまま紅茶を口に運ぶことにした。


「本、見に行く?」


 わたしが飲み終わったタイミングを見計らったかのように、尚志さんがそう告げる。

 わたしがうなずくと、二人でリビングを出て行くことにした。


 階段を上がり、右手の一番奥の部屋の前に行く。


 尚志さんが扉を開けた。

 部屋には本棚がたくさんあって、もちろん本も同様に並んでいた。


「ここに読まない本を入れているから。好きな本があったら適当に選んで」


 書庫みたいなものだろうか。

 中に入ると、本棚を見渡した。

 その中に藤井久明の名前を見つける。

 その本は探偵ものの小説だ。

 わたしがそれを手に取ると、尚志さんは苦笑いを浮かべた。


「親父の本? ほとんどミステリーばっかりだけど、ミステリーは好き?」

「好きです。でも恋愛小説を書いているのかと思ってました」

「映画のことを聞いたからかな」


 わたしは頷いた。


「あの映画は滅多に恋愛小説を書かない父親が書いたから話題になったんだろうな。いつもは人が殺される話ばかりだからね」

「久明って本名なんですか?」

「いいや、本名は尚明。読みにくいから久にしたって言ってた。ちなみは藤井は適当らしいよ」

「尚志さんの名前はお父さんの名前から一文字取っているんですね」

「そういうこと」

「この本を借りてもいいですか?」

「いいよ。本を入れる袋を持ってくるよ」


 彼はそう言い残すと部屋を出て行く。


 わたしの知らない尚志さんの過去を親であろう彼は知っているのだろう。

 その本の発行日を見ると二十三年前だった。わたしも尚志さんも生まれてはいなかった。

 それどころか、わたしのお母さんがお父さんに出会う前に書かれた話なのかもしれない。そう思うと不思議な気分になっていく。

 尚志さんが黒の紙袋を持って部屋の中に入ってきた。

 わたしはその紙袋を受け取ると、本を五冊ほど入れた。


「俺の部屋にも新刊が何冊かあるかな。持ってくるよ」


 尚志さんの部屋という言葉に反応していた。

 男の人の部屋ってどんなものなのだろう。本よりも尚志さんの部屋に興味が出てきた。


「わたしも行っていいですか?」

「いいよ」


 彼は戸惑うこともなく、即答した。


 尚志さんの部屋はその隣の部屋で、殺風景な部屋だった。部屋の中にはベッドと机、机の上にはノートパソコンが置かれている。

 クローゼットの中には洋服が入っているのだろう。部屋の隅には本棚があり、そこにはある本が並んでいる。

 尚志さんは本を十冊ほど取ると、わたしに渡す。


「好きなやつがあったら持っていっていいよ」

「どうしよう」

「ゆっくり決めればいいよ」


 わたしは床の上に座り、本を選別する。

 同時に彼の部屋にいるという環境がわたしの胸を高鳴らせていた。


「どうせなら全部借りてもいいし。俺は読み終わったからいつでもいいし」

「千春は?」

「あいつも読み終えたって言っていたから大丈夫だよ」

「全部借ります」


 彼はわたしの提案に首を縦に振った。


 わたしたちは尚志さんの部屋を出て、リビングに戻ってきた。わたしが着て一時間たつが、まだ千春は戻ってこない。


「あいつ遅いよな。どこに行ったんだか」

「心配しているんですね」


 千春はしっかりしている。それでも、心配しているのは彼が兄だからだろうか。兄弟のいないわたしにはそうした兄弟の絆はよくわからない。


「父親が出て行ったのがあいつが小学生の頃だったから、必要以上に守らないといけないって思ってしまうからかな。あいつには鬱陶しいと言われるけどね」


 彼女たちは近くに伯父がいたとはいえ、二人で過ごしてきた。その絆は普通の兄妹に比べて強いのかもしれない。

 わたしが一人でに納得しようとしたとき、尚志さんが言葉を漏らす。


「あいつは自分のせいで父親が出て行ったかもしれないと思っているから、心配なんだよ。自分を追い込むんじゃないかってね」

「彼女が芝居をやめたからってことですか?」


 尚志さんは頷いた。


「実際そんなことはないとは思うけど、俺は父親じゃないから本心は分からない。だから、否定はできないけど、その分あいつを見ておかないといけないと思うんだ。うざいかもしれないけどさ」


 かまったり、かまわれたり、そんな関係をうらやましいと思った。


「でも私は一人っ子だから兄妹とかって羨ましいですよ。千春に恋人ができたときにでもきちんと子離れというか妹離れをしたらいいんじゃないですか?」

「それって俺がシスコンみたいだな」

「妹思いってことだと思います」


 尚志さんの頬がほんのりと赤くなる。

 わたしは変なことを言ってしまったんだろうか。


 彼は困ったように微笑み、何かを言おうとした。だが、彼の言葉を、携帯の着信音がかき消したのだ。彼は携帯を確認すると、顔を引きつらせてから、呆れたような笑みを浮かべる。


「全くあいつは」

「千春ですね。どうかしましたか?」

「ものすごくくだらないことだよ」


 彼はそのメールの内容を教えてくれなかった。

 しばらく経って玄関が開く音が聞こえてきた。


「千春だろうな」


 尚志さんは立ち上がる。わたしは本を床に置いて、尚志さんの後をついていく。

 リビングにはスーパーのビニール袋を小脇に抱えた少女が立っていた。

 千春はわたしたちを見ると、そこからアイスを三本取り出した。


「メロンとオレンジとピーチどれがいい?」

「オレンジ」


 千春はわたしにアイスを出しだした。そして、メロンを尚志さんに渡す。


「これを買いに行ったの?」

「後は夕食の買い物をいろいろとね。お兄ちゃん、麦茶を入れて」


 彼は仕方ないと言いながら千春の荷物を受け取り、部屋の中に入る。


 わたしも彼の後を追おうとすると、背後から腕をつかまれた。


「キスくらいした?」

「そ、そんなものするわけないでしょう?」

「キスくらいしたらよかったのに」

「そんなことできるわけないでしょう? つきあってもないのに」


 わたしはあくまで小声で彼女に告げた。

 千春が自分の兄に送ってきたのはそんな内容のメールだったのはないか。

 そう考えると尚志さんの態度にも納得がいく。


「つまんないの」


 千春は何を期待していたのか肩をすくめると部屋の中に入った。



 それから他愛ない話をして時間を過ごすと、家に帰ることにした。

 帰ろうとすると尚志さんに呼び止められる。


「送るよ」

「近いから平気ですよ」


 わたしは目をそらして答えた。

 千春の発言で、どうも彼の顔を直視できないでいたのだ。


「送るから」


 彼はそういうと強引にわたしの持つ紙袋を奪い、靴を履いた。

 リビングでは千春が顔を覗かせ、手を振っていた。

 彼女はわたしとお兄さんが付き合えばいいと思っているんだろうか。

 家の外に出ると淡い光が辺りを包み込んでいた。


 わたしは歩き出した彼の後を追った。

 淡々と歩く彼の足取りが大通りに来た時に止まる。


「君はそんなに女優になりたい?」

「なりたかったです」


 過去形にしたのはもう終わった夢だと信じて疑わなかったからだ。

 尚志さんは何かを考え込んでいた。


「君の夢、かなうといいね」


 そう言うと、彼はわたしの肩をぽんと叩いた。



 わたしは夏休み、尚志さんと一緒に何度か遊びに行った。

 千春の家だったり、買い物だったり、食事をしたり。どれも他愛ないことだが、今まで生きてきた中で最高の夏休みになったのだ。

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