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木洩れ日と日だまりのあいだに  作者: 結衣崎早月


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54/62

ラマルとセージのあいだは

 真剣に机に向かって、ペンをインクに浸す。

 セージへのお手紙を書くのは、緊張する大変な作業だった。


「だからラマルさえ良ければ、馬車を使わなくて良い距離の出張や日帰りでの出張をしてみないかってお話が来てるの」

「出張……」


 あの無言の土地が脳裏に焼き付いている。痛みが今も僕を苛んで、二度としてはいけないとそれを拒絶する。


「無理はしないで。これはやらなければならないことじゃない。少なくとも私は行かないで欲しいくらいよ」

「ラウネ……ありがとう」


 だけど、じゃあ僕はやっぱりアード宮には居られないよね。辞めたい、でもここに居たい……。


「僕、実はセージと街を観光しようって言ってて……でも予定が流れたままになってるんだ」

「そう言えば、随分前に手紙を預かったことがあったわね」

「もしセージとお仕事以外で話せたら、また一緒に馬車に乗れるかもしれない……って思うんだ」

「そういうこと。わかったわ、じゃあセージさんに予定を訊いておくわね」

「待って! 訊くのは良いんだけど、手紙を書くからそれを渡してもらえる?」

「良いわよ。書けたらシィナさんに渡してくだされば大丈夫だから」


 そして僕は便箋と睨み合っている。書きたいことは沢山ある。けれど──なるべく必要なことだけを書いて、封蝋したのだった。



 ティイガと何もめぼしい文献が見つからないと話して、もう一週間が経とうとしている。

 焦燥感が湧いてくるが、それでも確認できた文献の方がしていない文献よりも多いんだ。

 何日も詰めていた時、対策室に寄るとラウネに話しかけられた。


「セージさん、ラマルからお手紙よ」

「あ、ありがとう」


 いきなり手紙を渡され、既視感と驚きに呆けてしまう。


「確かに渡したわよ? ほっぽりだしたらただじゃ置かないから!」

「よくわからないが気を付ける」


 物騒な台詞を残してラウネは自分の仕事に戻った。彼女も重要な仕事を幾つか持っているからか、やけに忙しくしている。


「室長、ラウネさんからラブレターですか? それとも既に恋人だったり?」

「いや、違うよ。神子様からだ──大体、俺なんかに恋人は居ないさ」

「そうなんですか?! あ、確か少し前にだめに……すぐにはそういった話もし辛いですよね。失礼しました」

「気にするな。書類、ありがとう。遅くなる前に帰った方が良いぞ、気を付けてな」

「わかりました。お疲れ様です!」

「お疲れ様」


 手に持った書類の中で、ラマルからの手紙が妙に存在を主張してくる。忘れたり読まないなんてことする訳がないのに、日記と同じような強迫観念が襲ってきた。

 ──どうしても今すぐ読みたくなった俺は、神殿で文献を読むつもりでいたのに明日に回すことにした。

 最近は部屋には寝に帰っているだけだったが、久々に寛ぐ姿勢になった。


「読むか」


 誰にともなく呟いて、意を決してから手紙を開いた。

 『拝啓 親愛なるセージへ──近頃お仕事が忙しいようですが、体を労っていますか? 僕はラウネに伝えた通り、すっかり元気になりました。

 多忙なのは承知でお願いがあるのです。以前にお手紙で王都を観光しよう、と約束したのを覚えていますか? 僕が約束を破ってしまったようなものなのですが、どうしてもセージと街を観て周りたいので、セージのお休みに僕が日にちを合わせたいと思います。

 あの時の約束を守ってくれたら、僕はとても喜びます。

 けれどもし、セージが嫌だったら──その時は断ってください。お返事待っています。敬具 ラマルより』

 思っていたよりずっと簡潔な手紙で安堵した。何を想像していたのかわからないが、ラウネに脅されたせいで、深刻なものだと思ってしまったらしかった。

 あの手紙はもちろん覚えていた。誘拐未遂事件があって伸びた後、日程が変わりさらに伸びて……ラマルがお休みしてしまい行けなくなった──のだが、確かに今なら時間が取れそうだ。

 俺の休みは神殿での文献探しに全力を尽くしているせいでないように錯覚するが、一兵士だった時と比べて極端に少ない訳ではない。

 申請すれば一日の休みも受理されるだろう。卓上カレンダーを見てちょうど良い日を見つけると、俺はその日に×印を付けた。

 後はラマルに返信を書けば良い。ふと、日記をまだ読んでいないことを思い出したが、むしろ読んでしまう前で良かったと思った。

 もし日記を読んでいたらまともに顔を合わせられなかっただろう。心配事が一つ減り、楽しみが増えた俺は返信を二度ほど読み返してからラウネに預けた。


「直接渡せば良いのに、わざわざ私に預けるの?」

「それはそうだが、ちょっと気恥ずかしいだろ? 頼むよ」

「冗談よ、ちゃんと渡すわ。でもいつに決まったのか教えてもらえる?」

「何でだ?」

「それはもちろん、大人の事情があるでしょう? なるべくラマルを悲しませたくないもの」


 何を指して言っているのかピンと来なかったが、からかわれている訳でもなさそうなので予定日を伝えた。


「わかった。次の市場が立つ日にしようと思ってるんだ」

「それは良いわね! 賑やかだしお買い物も楽しいでしょうね。ありがとう、セージさん。助かったわ」


 さっそくラマルに渡して来ると言って、ラウネは駆け足にアード宮に向かった。ラマルはシスターが帰ってからも、まだアード宮の神子の部屋で寝泊まりしているらしい。

 《楽園》に戻ろうとするのを、シィナさんとダフネが二人がかりで説得してとどめたと聞いた。


「さて、神殿に戻るか」


 少しでも早く、神子の力を譲り渡す方法を見つけなければならない。今はそれしか考えられなかった。

 返信してから三日後の朝、俺は身支度を整えるとミントを厩舎から出して久々に鞍を付けた。


 『今日はラマルとデートなんでしょう? なのに相変わらず冴えない男ね~あんたって。もっとお洒落くらいすれば?』


 ミントはずっと構ってやれなかったせいか、最初はご機嫌斜めだったがアード宮に着く頃には、馴染んだ様子に落ち着いていた。


「最近乗ってやれなくて済まなかったな」


 『わかってるんなら時間作りなさいよ! ま、ラマルの為に忙しいから許してるのよ? じゃなきゃ、どっか行っちゃうからね?』


「ありがとうミント、ここでちょっと待っててくれ」


 綱を門に繋ぐと、中に入ってラマルを待った。少し早く出て来たせいか、まだ姿が見えない。

 《楽園》が近いこの空間はとても空気が清々しい。体を伸ばしていると、アード宮の方向から侍女を連れたラマルが現れた。


「おはよう、セージ!」

「おはよう。今日はシィナさんは来ないのか?」

「うん、シィナは髪が目立つから嫌だって言われちゃった。凄くきれいなのにね?」

「ああ、そうだな」


 シィナさんの螺鈿のような髪色より、ラマルの力強い黒の方が俺は好きだ。そんな柄にもないことを思ったが、何も言わないでおく。


「じゃあ街に出発! 僕、楽しみでよく寝られなかったよ」


 はにかんで笑う顔を見て、心配していたことが何も起きないと良いと願った。


「子供みたいなこと言うなぁ。帰る頃には疲れて寝こけるんじゃないか?」

「そんなことしないよ。まったく、セージったら相変わらず意地悪だよね? もうっ」


 不満げに膨れた頬を突いてやりたい。しかしそれをすると、余計に機嫌が悪くなるのを知っていた。


「そうだ、ミントに二人乗りで行くつもりでいたから侍女さんの足を考えていなかった。馬には乗れますか?」


 彼女に訊ねると、しっかりと頷かれた。


「なら馬を連れて来てくれる? 僕達はここで待ってるから」


 これにも首を縦に振った。あまり気にしていなかったが、俺はまだ彼女が喋るところを一度も見ていない。


「今日晴れて良かったね。良いお天気!」

「本当だな。市は雨だと中止になるから、晴れて良かった」

「そうだ、市が立つんだってラウネから聞いて楽しみでさ~」


 心底はしゃいでいるラマルに自然と笑いが零れる。まるで町にいた時のようだ。居心地の良い空気に、今日はラマルをとことん楽しませてやろうと決めた。


「朝飯は食ったか?」

「ううん、屋台で食べたいと思って何も食べてない」


 予想通りだった。事前に色んな人に訊いた市場のお勧め屋台情報が役に立ちそうだ。


「侍女さんも来たし、ラマルは何が食いたいか考えて置けよ」

「うん♪」


 ラマルはミントに久しぶりに会うので懐かしげに話し合っていた。ミントが何と言っているのか訊いたことがあるが、翻訳してはくれなかった。かなり気になる。


「そうだラマル。今日の財布だが、ちゃんと王宮の予算から貰ったお前の金だからな。変な遠慮しないでパーッと使えよ」

「何それ! でも、うん。わかったよ」


 ラマルは金銭面にとてつもなく五月蝿い。かつて蒸しパンを奢る、奢らないで一時間言い合ったことは懐かしい思い出だ。

 結局、出世払いということでその後は言わせないようにしたが、いつも物の値段を気にして遠慮しかしていなかった。


「一応俺も自分の金は持って来てるし、足りなくなったら後で清算するからな」

「僕が気にすると思って準備万端なんだ? わかったって!」

「そりゃあな、わかれば良いんだ。よし、行くぞ」


 全員に確かめて馬を走らせる。と言ってもせいぜい早足で、二十分も行けば目的の市場に着いてしまうのだが。


「うわ、なんかやってる! あれは何をしてるの?」


 ラマルが指したのは市場の中に入る為の受付だった。


「あれは切符を買って、その半券を出す場所だ。ここの市は出入りにお金がかかるんだ」

「あれがそうだったんだ。馬も預けるの?」


 馬車や馬が係の人に連れて行かれるのを見て、そんな質問をしてくる。相変わらず質問が多い奴だ。


「ああ、俺達も降りるぞ」


 質問の止まらないラマルに適当に答えてやって、市に入る。


「またね、ミント」


 『良い女は貢がせるのよ。わかった?』ミントの言葉にラマルは笑っていた。侍女さんは黙って後ろを着いて来る為、ともすれば存在を忘れがちだ。


「何を食べるか決まったか?」

「うんとね、とりあえず鶏串! 後は見て考える」

「鶏串だな。確か入口近くにあるらしいぞ」


 見回すと屋台はすぐに見つかった。ラマルは一本、俺は二本買ってその場でかぶりつく。


「ん~♪ 焼きたては美味しいね?」

「美味いな。あ、侍女さんは要りますか?」


 首を横に振られた。


「あのね、今日は自分のことは気にしないで欲しいって言われてるんだけど……」

「そうだったのか。でも俺達だけっていうのはちょっとな」

「だよね」


 ラマルも同じ考えなのか困り顔になっていた。


「だからさ、市場の中だけで良いから別行動にしない? カリンの好きな物買って良いから。ね?」


 ラマルは手を取って彼女に小さな袋を握らせた。賄賂……? いや、大げさだな。お目付役が必要ないのだから、ラマルの気遣いだろう。

 そして侍女さんの名前はカリンさんと言うらしい、初めて知った。戸惑って手の中の袋と俺、ラマルを何度か見る侍女さん。

 ずっとそう呼んでいたせいか、変えられそうになかった。あまり親しくない女性の下の名前は呼ばないと誓っているしな。


「市が畳まれる頃に入口で待ち合わせしましょう。付き合わせてしまったら申し訳ないし、侍女さんが嫌じゃなければ別行動の方が良いんじゃないですか?」


 一瞬考えた彼女は納得したように頷いた。市の中なら大丈夫だと判断したのだろう。


「お礼なんて良いよ。いつも助けられてるからさ、楽しんできてね!」


 深々とお辞儀をして、侍女さんは人混みに紛れて行った。


「次、行くか?」

「うん、へへっ」


 その後は人気の屋台や気になった物を食べていって腹を満たした。


「少し食い過ぎたな。休憩しよう」


 止まった場所は中央の噴水広場。ここには鳩が沢山集まることで有名だ。空いているベンチに座って一休みする。


「さっきのパンも美味しかった! ラウネ達にお土産にしようかな?」

「食べ物は土産には向かないな。日持ちする物なら良いと思うが」

「そっか。色々考えないとだめだね」

「お、果汁入りの飲み物が売ってるぞ。飲むか?」

「良いの?! 僕ね、ずっと飲んでみたかったんだぁ♪」


 はしゃぎっぱなしのラマルを見ていると、もっと早く連れて来てやれば良かったと思った。しかし市は毎月立つし、また予定を調整して来れば良いか。


「おいおい、悩み過ぎだ。二つまでだぞ?」

「でもさ? ん~」


 好きな果汁を選ぶと混ぜてくれるのだが、これが決まらない。ぶつぶつ言ってあれもこれもとかれこれ五分近く悩んでいる。


「仕方ないな、俺の分もお前が決めて良いぞ。それで頼めない奴は次に来た時にしろ」

「本当に?! やった! じゃあ、この組み合わせとこれ。お願いします!」


 店員と二人で微笑ましくラマルを愛でてしまった。


「お、美味いなこの組み合わせ。さっぱりして良い感じだ」

「ほんと? じゃ、僕のと交換!」


 無邪気にそう言うラマルに、回し飲みはどうなんだとも言えず、俺もラマルが飲んだ後のジュースを飲んだ。──甘い。

 休憩した後はみんなのお土産を買いに行こうと言う話になった。


「荷物は俺が持つからな、気にしないで買って良いぞ」

「だったらいっぱい買えるね♪ さっき通ってきた中で気になったお店があるから、そこからで良い?」

「もちろん」


 市場を隅々まで巡ってお土産を山ほど買うと、頃合いよく市の屋台が畳まれていく時間になっていた。


「もう店仕舞いなの? お昼ちょっとしか過ぎてないのに」

「そういうものなんだよ。じゃあ侍女さんを待たせるといけないし、帰ろうか」

「うん!」


 この後は特に決めていないが、ラマルに希望がなければ本屋や美術館にでも行こうかと思いながら侍女さんと合流した。


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