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シスターと兵士のあいだ

 勉強かぁ……。セェジと別れてからずっと、そのことを考えている。教会でのことと、セェジのこと──そして痣のことを。

 僕の体の胸の真ん中辺りには、三センチくらいの痣がある。丸い、模様みたいな痣が……。


「何を考えている?」

「ティイガ。今日はね、教会に行ったんだよ。セェジと一緒に」


 僕ったらティイガと居るのに話しかけもしないでぼーっとしてたみたい。報告にきてるのにだめだなぁ。話しかけられて、昔……ティイガが言った、『何があってもその痣を誰にも見せてはいけない』と言う言葉を思い出した。


「またセェジとかいう男の話か。気を付けなさいと言っているのに」

「そうだけど、セェジはいい人だから。それでね?」


 僕は恩人であり家族でもあるティイガに、教会で勉強ができることを話した。僕は通いたいってことも一緒に。


「……教会で、他の子供達と一緒に学びたい?! とんでもない。そんなに深く他の人と関わってはいけない。ラマル、危険だから止めなさい」


 案の定、ティイガは反対した。そう言われるだろうって思っていたから、僕は即答できなかったんだ。


「ティイガはいつもそう言うけど、セェジもいい人だったし、危ないことなんて何もないよ?」

「それは違う、君に関わる人間が善良だろうと、全ての人間が善良ではない以上、ラマルは必ず危険な目に合う。わかってるだろう? 今まで通り、静かに暮らせば良いんだ。──あんな目に遭ったのに、」「けど! わかるけど、僕だってずっと静かに暮らしてたけど、もっと色々なことがしたい! どうしていっつもだめって言うの?」


 僕はずっとティイガの言うことを聞いてきた。痣のことも、無闇に人を信じてはいけないってことも。ティイガは僕よりも大きいし、経験も豊富で僕は何度も助けられてきた。もちろん反発もしたし喧嘩も何度もしたけど……今は仲直りしたけど別の家で暮らして居る。一番の友達だから、反対されると悲しかった。


「すまない。何でも反対することが君の為になる訳じゃないとわかって居る。居るんだが……心配なんだ」

「そうなの? どうして心配するの?」


 ティイガは目を細めて、僕の前で座った。


「……僕達は友達であり家族だね?」

「うん」

「友達や家族を心配してはいけない?」

「そんなことない!」


 ティイガの言いたいことはすぐにわかった。でも僕は我慢してきたよ、たくさん……たくさん。


「ラマルがどう思っているのかはわからない。ただ僕はずっとラマルの為を思ってきた。もちろん今もね……だから、ラマルが自分の一番したいことをすれば良いと思う。……僕の考えと合わなくても、そろそろ自分で答えを出す時期なのかもしれない」

「じゃあっ」

「本当にラマルが勉強をしたいなら、通うのも良いだろう」

「本当に! うん、ありがとう、ティイガ!」

「何を言っているんだい。君が決めるだけさ。もう君も大人だからね」

「でも、大好きだよ。賛成してくれて嬉しいから、ちゃんとしっかり気を付けるよ」


 僕はティイガの肩に手を回して抱き付いた。ティイガは優しく笑って、僕を撫でてくれた。やっぱりティイガが反対しているのに行くのは嫌だったから、認めてもらえてよかった。

 痣のことは──言い出せなかった。神子であっても、そうでないとしても、『何故?』と口にしてしまえば、この楽しいセージとの毎日が、消えてなくなってしまうようで……なんとなく怖かった。




 翌日のラマルは満面の笑みで、やって来て早々、「僕、教会に行くことに決めたよ!」と嬉しそうに言った。


「いきなりどうした。昨日はあんなに迷っていたのに、どういう風の吹き回しだ?」


 恥ずかしそうに顔を綻ばせて、ソファに勢いよく背を預けた。


「あのさ、前にお世話になってる人が居るって言ったでしょ?」

「ああ、聞いたな」

「昨日相談したら、教会に通ってもいいって言ってくれたんだ!」


 それを聞いてなるほどと思った。週に二日とはいえ習慣が変われば色々とあるだろうから、それで躊躇っていたのか。


「良かったな。明日が丁度土曜日だから、道具を持って行けば参加出来るだろう。時間はお昼過ぎからだって聞いたぞ」

「え、道具って何かな? 僕道具なんて何にも持ってないし……それって絶対になきゃだめ?」


 道具が必要と知った途端にソファから身を乗り出し、血相を変えて慌て出した。


「それなら心配するな。俺の古い物があるから、それを貸してやろう。一応教会でも貸してもらえるし、今言ったのは俺のをってことだ」

「そ、そっか。よかったぁ。道具まで貸してくれるなんて本当にありがとうな! うわ、楽しみだ♪」


 心配なことがなくなればとても溌剌はつらつと喜ぶ。ボロボロのクッションを抱きしめると、投げて遊び出した。


「そんなに勉強したかったのか? 俺はお前くらいの時は、まだまだ遊びたかったけどな」

「だってさぁ、新聞とか本とか見る度に、ちょっとでも読めたらいいな~って思ってたからさ。ずっと憧れてた」


 ふと表情を伺えば、まるで夢見るように笑っていた。結果から言えば、教会に連れて行ったことは間違いじゃなかったってことだな。良かった良かった。


「そうか。じゃあ明日の為に筆記用具を探して来るか」

「探すってなんで?」

「もうとっくの昔に使わなくなったから、奥の方にしまい込んであるはずなんだよ」

「え~、それ大丈夫なの?! なくしてたりしないよね?」


 本当に、笑っては心配して拗ねたり、くるくると変わる表情は見ていて飽きない。気が付くと変化している表情をつい目で追ってしまう。


「平気だって。ただ手伝ってくれたらぐっと早く見付かると思うぞ?」

「ふふ、しょうがないなぁセェジは! 僕が手伝ってあげるから、早く見つけよっ?」

「ああ」


 こんな子供らしい反応が酷く可愛く思える。自分になかったもので、少しだけ妹を思い出した。

 物置と化している部屋の片づけをしながら、時間はかかったがなんとか黒板とチョークの入った鞄を引っ張り出すことに成功した。俺が使う前から中古だった為、見た目は多少ボロいが、皮製のおかげか中身はなんともなかった。


「ごほっ、ごほっ! 埃っぽい~。すっかり汚れちゃったよ」

「悪い悪い。そうだ、なんなら風呂に入って行けよ。今からお湯を沸かすから」

「風呂……? ふろ、聞いたことあるな……?」


 聞こえるくらいの小声で呟いたラマルの言葉から察すると、どうも思い当たる節がないらしい。それは温泉のある街にでも行ったことがなければ、知らなくても仕方ないな。

 燃やす物はあっても水が豊富でもないここらでは月に一度くらいの習慣だし、俺は臭いで誰かを不快にしない為に週に一度入るのでかなり特殊なケースだ。顔以外に敬遠される要因を作らないように、なるべく清潔にして居た。いつでも風呂に入れるように、沸かす為の薪は休みに大量に割ってある。


「風呂と言えば、大量の温めた水に浸かって体を洗うものだよな。ラマルは好きか?」


 なるべくラマルが拗ねないように、気を使って訊ねてみた。


「あ! あ~あ~、風呂ね。あの! でも僕はお風呂は入ったことないかな。まあ今日は遠慮して置くよ! また、またな!」

「そうか?」

「うん、ほらもう外も暗くなるから、帰るよ! じゃあな、セェジ」

「なら今日は止めて置くか。今度機会があったらな」

「う、うん」


 昨日ほどではないとはいえ、びくびくと怯えた様子に笑みが零れた。無理やり茹でられやしないかとか、また人の顔を見て怯えてるんじゃないだろうな? 

 そう言えばラマルは出会ってから今まで、俺の人相でからかわれはしても怯えられたことはないと気づく。ふむ、思ってるほど年が低い訳じゃないんだろうか──しかしこんな時は深く訊かない方が身の為だ。


「明日は俺も昼から仕事があるから、早めに教会に行こうな」

「え? どうして?」

「おいおい、一人で行くつもりだったのか? シスターにお前を頼まないといけないし、明日くらいはついて行くさ」


 ぱあっ! と、いきなり辺りが明るくなった。……ように感じたのは気のせいだが、人の笑顔にはそんな力があると思う。少なくとも、ラマルの笑顔で俺の気持ちは明るくなった。


「じゃあさ、明日は待ち合わせしよう!」

「待ち合わせ? いつもみたく朝からここに来れば良いだろ?」

「そうだけど、待ち合わせがいいんだって!  場所は~、うん。昨日別れたプレッラの看板があるところ。そこで、お昼前に待ち合わせ」


 いいでしょ? と見上げる瞳に満ちた期待を裏切るつもりはなかった。慕う姿に絆されたのか、すっかり俺はラマルの期待には何でも応えたくなってしまっていた。こいつの期待なんて可愛いものだから困らないがな。


「わかった、待ち合わせだな。遅刻するなよ?」

「しないよっ。セェジこそ、遅刻すんなよ?」


 そんな調子で話していたから、夕暮れから夜により日が傾いていた。引き留め過ぎたかもしれない。


「おい、そろそろ帰った方が良い。真っ暗になる前に家に帰れ」

「あっ! いけない。じゃあまた明日!」

「おう! また明日」


 ぱたぱたと埃を立てて遠ざかる足音も、聞こえなくなった途端にひっそりとしてしまう。


「……うーん、一人はこんなに静かだったか?」


 明日の為に一通り支度を済ませると、灯りがもったいないとばかりにすぐに寝た。

 翌朝はほんの少しだけ早起きをして、ミントの世話をたっぷりする。これは週に一度、土曜の習慣だ。自分の部屋よりも、手狭な馬屋の方がよほど清潔に保ってあった。


「さ、今日はブラッシングの日だぞ」


 『私の美しさの為に精々奉仕するのね』自分でも寂しいと思うのだが、世話をしながら独り言を言う癖があって、大抵は愚痴なのだが……今鳴いたように、その独り言にミントが時折返事をすることがある。きっと賢い馬のことだから、俺の言わんとしていることなんかもお見通しなのだろう。


「よし、別嬪さんが更に磨かれたな」


 『顔はあれだけど、私の世話は一人前よね。これからも気が向いたら喜ばせてあげるから、まあ頑張りなさい』ただミントの返事が全部わかることはまれで、いつも何となくしかわからないのが残念と言えば残念だ。まあ、気分や体調はよく見ていればわかるからな。今はとても満ち足りて、嬉しそうに尾を振って居た。

 そうこうしている内に待ち合わせの時間が近づいて、俺は持ち物を点検すると家を出た。ミントに鞍を付けて、手綱を引いて歩く。

 乗って行っても良いのだが、あえてゆっくり歩いて行き、近所の人達と挨拶をして交流する。俺にとっては、ご近所づきあいも大切にしていることの一つだった。

 それでも遮る物の少ない道のりはすぐに終わり、待ち合わせにはまだ早いくらいの時間に看板が見えた。


「お~い、おはよーセェジ!」

「おっ、お前も来たとこか。おはよう」


 看板に着いたと思ったら、後ろからラマルがやって来た。


「ミントもおはよう」


 ミントが尻尾を振って一声鳴いた。『おはようラマル』


「今日は何か用事でもあったのか?」

「ん? うん、ちょっとね。大したことじゃないよ」


 その口振りと表情から、隠しごとの気配を感じた。だが内容まではわからないので、口には出さない。


「少し時間も早いし、お前は飯を食って来たか?」

「ご飯はまだ……でも平気だよ、帰ってから食べるから」


 教会に向かって歩きながら会話をする。昨日と同じ物ばかりが映るせいか、昨日より質問の数が減っていた。


「セェジさ、その手に持ってるのって昨日見つけた奴だよね?」

「ああ、お前が使う道具だな」

「僕が持つよ、というか持ってみたい! しばらく僕に貸してくれるんだからいいでしょ?」


 それもそうかと思い、革の手提げ鞄をラマルに手渡した。


「ほら、重かったら言えよ?」

「うん!」


 確か昨日道具のような物は何も持っていないと言っていたから、仮にでも自分の物を持てるのが嬉しいのだろう。背の低いラマルが手に持つと、広く作ってある黒板に合わせて鞄は地面すれすれまで下がっていた。


「下に付きそうだな。流石にチビなだけある」

「う~、今はちびだけどその内でっかくなるよ! ほっとけ!」

「はは、だと良いがな~。小さい頃にチビだとずっとチビの可能性も高いぞ~?」

「んもう、ちびちびうるさいっ! ほら着いた。さっさと仕事でも何でも行っちゃえよ!」


 ラマルを怒らせるのはとても楽しかった。まるで真剣に会話しているようで、気軽な日常会話なのに一々真面目なのだ。冗談ってものがない。


「まあ待てよ。シスターに挨拶をだな……」


 そう言っていたら、教会の中からシスターが出て来た。心なしか驚いた顔でこちらに向かって来る。シスターはこんな驚きの表情でさえ余裕というか品がある。


「まあ、お二人ともどうされたのですか? まだ来られるかはわからないのでは?」

「騒がしくてすみません。それが、昨日になってラマルが行けるようになったと言うから、今日お願いできるか聞く形になってしまって」


 そこでラマルがまた真剣な顔になった。


「ごめんなさい、シスター。今日でも大丈夫ですか?」

「それは大丈夫ですよ、いいえ。大歓迎です」

「本当ですか? 迷惑だったら次でも……」


 シスターの戸惑う様子を見てラマルは急に及び腰になってしまった。全く、こういうのは大人が気を回して、子供は知らないふりをしてた方が可愛げがあるんじゃないか?


「良いって言ってるんだから、大丈夫だって。気を回し過ぎだお前は」

「そう? そうかな」

「子供達は来たり来なかったり、いきなり通い出すようになる子も多いですから、お気になさらず」

「そっか! 良かった。じゃあよろしくお願いします。シスター」


 シスターの優しい説得にラマルは気にするのを止めたようだ。教えた通りに深く腰を曲げて挨拶した。

 俺もシスターのような気遣いを出来るようになりたいが、なかなか上手くいかないな。というか、ついからかうのがいけないのか? そんな気もする。


「よし、それならお前に仲直りの印だ。終わったらお昼代わりに食べろ」


 手に持ってきたもう一つの布の手提げから、弁当箱を取り出してラマルの片手に持たせた。


「えっ? だめだよ、セェジのお弁当でしょ?」

「いや、俺のはちゃんと別にあるから」


 もう一つ同じ弁当箱を見せると、ラマルは安心して微笑んだ。

 そのままだと遠慮して受け取らないと思ったから、きちんと理由と自分の分まで用意してきた甲斐があった。因みに、この弁当箱が本来は二つで俺の一人分の量だということはラマルには内緒だ。


「じゃあ……もらうけど」

「何っ? 弁当はもらうけど俺は許してもらえないのか?!」

「違うよー! セェジったら、ふざけてぇ……。このお弁当に免じて許したげるよ♪」

「ラマル君、また言葉が崩れていますよ。『許してあげる』と言い直してください」

「ゆ、許してあげるよ!」

「シスターは厳しいなぁ、それならラマルも安心だ。じゃあな! 終わったらこっちには寄らないで真っ直ぐ帰るんだぞ?」


 ミントに跨がって軽く馬具を点検し、それから手綱を引いた。ミントが歩き出す。『気を付けなさいよ、ラマル』


「ま、待って! お弁当箱を返しに行ってもいいでしょ? ちょっとだけ、ドアの前に置くだけだから」

「そのくらいならな。待ってたりしたら、暗くなって帰れなくなるぞ?」

「わかった。ちゃんと自分のとこに帰るから、行ってらっしゃい!」

「行ってきます!」


 俺は詰め所に向かって馬を走らせた。今日からはいつものように、警邏けいらや見張りの仕事が増える。あまりラマルの相手が出来なくなるかもしれないな、なんて考えながら。

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