恋と罪のあいだ2
馬車は眠っている間にアード宮に着いていた。部屋まで運ばれることもあったけど、まだ昼間なので起こされる。
アード宮までの短い道のりの途中、ふと目線を《楽園》に向けた。林の中に入るだけであんなにも喜びが溢れていたことを懐かしく感じて、足は勝手に秘密基地に向かっていた。
「ラマル様」
「ついて来ないで」
そう言ったけど、別に追い払いたい程じゃない。泉が湧き出る横には、セムとノイルから成る秘密基地が変わらずにあった。
「──お休みしよう」
「お休みですか?」
シィナに言ったつもりはなかったけど、どうせだから答えた。
「僕、今日から精霊の神子はお休みするね。誰にも会いたくないから、シィナもそのつもりで居てね」
「ラマル様──」
何か言いかけたシィナの前に、セムの枝が伸びてきた。僕はこの秘密基地でしばらく休む。誰にも邪魔されないで──誰にも会わないで。
それは素晴らしいと賛同してくれたように、ノイルも枝を茂らせていく──僕は何も力を使っていないのに、歌さえ歌ってないのに基地が大きくなるのは凄かった。
「ありがとう、セム、ノイル」
お礼の返事の前に、焦ったシィナの声が聞こえてきた。
「ラマル様! 今日にはルシアン殿下と面会が、その後には生誕祭がございます! そちらはどうなさるのですか?」
「出ない。マルセラ・ティファトはお休み──そう言って置いて」
そんなことで済むとは思ってない。だけど、こんな乱れる気持ちで婚約発表なんかできる訳がない。ごめんね、ルシアン。
「わかりました。では私もラマル様にお供致します」
さっきまで木の壁を通して聞こえていた声が、真横に移動した。
「シィナ? どうやって……」
「私は、“白き守護者”の片割れです。今まで黙っていまして申し訳ありません。今より、ラマル様のお心を一番に守る盾になることを誓います」
「守護者って……ティイガは」
「知っております。かつてティイガを寝室に招き入れたのは私です」
「そうだったんだ」
なんだかストンと納得してしまった。そっか……“白き守護者”だったんだ。
よく見ると、シィナの足は樹木になっていた。セムとノイルと一部同化して入ってきたんだ。シィナは本来は木の姿をしてるんだろう。ティイガが虎の姿をしているように。
「このようにラマル様をお守り出来なかった私が、今更信頼して頂けるとは思って居ません。ですが……ラマル様と外との伝令役にしてください。せめてこれからはお役に立ちたいのです」
「じゃあ、よろしく」
どうでもよくなった僕は適当に返事をした。居ても居なくても良いけど、基地の中には居ないで欲しい──と思ったら、すぐに目の前から掻き消えた。
「予定の変更を伝えて参ります。何かあればお声かけください。どこに居ても駆けつけます」
「そう」
シィナが居なくなると僕は一人だった。静かで泣きたくなって、失われた命を偲んで涙を流した。『ごめんなさい……ごめんなさい』
「ラマル様、ルシアン殿下がいらっしゃいました。いかがされますか?」
「ん、ああ……」
寝てしまっていたようだ。起きると外にルシアンとシィナが居るのがわかった。ルシアン。今は会えない──僕はルシアンに顔向けできない。
「ルシアン殿下、ラマル様は面会を拒否なさっています。お引き取りをお願いします」
「ま、待てよ! だって今日はラマルの誕生日なんだぞ? おかしいだろ、何があったんだよ? ラマルは基地の中に居るんだろ? せめて顔を見て……」
「シィナ、ルシアンに謝って帰ってもらって。婚約も……できないって」
誰にも聞こえないくらい小声で呟いたのに、ルシアンの大きな声は止まってシィナの冷静な声が聞こえてきた。
「ごめんラマル! 俺、全然約束守れなかった……ラマルが謝ることなんてないだろ?! こ、婚約発表は延期しても良いから……今日はラマルの為にたくさんの人が集まってくれたんだし、少しだけでも」
沢山の人が集まってくれた。その沢山の人が、僕を疑って仕事をしない人間だと謗った。
なのにルシアンとの婚約が決まった途端に、またすり寄ってきて……そんな人達のために笑えって言われるの? そんな人達のために《奇跡》を起こして、僕は……僕は──!
「ルシアン、僕は友達を殺したんだ。僕の気持ちも──一緒に壊れてしまった」
「ラマル! そんな──俺が、何もできなかったから!!」
ルシアンのせいじゃないことは確かだよ。でも、僕達の婚約は《奇跡》の代償だった。命を贖うことができる代償なんてない……それだけ。
「ラマル様、そのままお伝えしても良いでしょうか?」
「良いよ……もう何だって良い。ルシアンが帰ってくれるなら」
社交界が嫌になった訳じゃない。ルシアンが嫌いになった訳じゃない。仕事が嫌になった訳でもない……僕は人間の欲望にはもう付き合えない。友達を殺してまで起こしたい《奇跡》なんかない。
「婚約が《奇跡》の代償? な、そんなことある訳……じゃあ父様が言ったのは、嘘だ……そんなのッ」
嘘でも良い。真実と違う意味だったとして、結果は変わらない──あの時、僕のルシアンを好きな気持ちは踏みにじられたんだから。
「ごめんねルシアン、精霊の神子であることが嫌になったんだ」
“精霊の神子”も故侯爵令嬢であることも……要らない。僕は一人でだって生きていける。ずっと一人だったんだから。今も、そう。
「俺……帰ります。ラマルに、ごめんって……ラマル!」
ルシアンが泣いていた。その涙が僕のためだと思うと、胸が痛い。この痛みだけは、なくならないで欲しかった。
「……お腹空いたな」
「私がアード宮から用意して参ります。少々お待ちください」
「待って、要らない。ほら……それは神子のためのご飯でしょう? この林にも食べ物はあるから、平気」
「では林から集めて参ります。ラマル様はお休みになっていてください」
そうか……そう言われると反対することはなくなった。辺りは日が暮れて暗かったので、読書用の虫達に来てくれるようにお願いした。
優しい光が沢山集まって、僕の周りを照らしてくれた。本を読みたいな、神子様達の書いた日記が。
「ラマル様、食べ物を集めて参りました。どうぞお召し上がりください」
シィナが手の中に木の実や草を抱えていた。既に洗ってあるのか、それは濡れていた。
「ありがとう。それと僕の部屋から、本を全部持ってきて欲しいんだけど」
「畏まりました」
机に転がる赤い木の実を一粒口に入れてよく噛んだ。懐かしい渋みと酸っぱさ。ここにくる前は毎日食べていた。
ここにくる前は──幸せだったなぁ。シスター・マリー、レムさん、教会のみんな……そういえば手紙の返事を書いてない。いつからか手紙自体を読まなくなっていた。時間はもうあるんだから、ちゃんと読んで返信を書こう。
「ラマル……そこに居るの?」
気が付くとランプを持ったラウネが基地の前に立っていた。
「ラウネ……久しぶり。こんな時間にどうしたの?」
セムが枝を少しだけ動かして窓を作った。お互いに顔だけが見える。
「そのね、来る途中でシィナさんに本を頼まれて……受け取ってくれる?」
「ありがとう! ごめんね、重かったよね?」
窓から手を伸ばして本を受け取っていく。ラウネが持っていた本は十五冊もあった。
「これぐらい気にしないで。それより、誕生会と婚約発表に出なかったって聞いて来たんだけど」
「ああうん、神子はしばらくお休み。ラウネはどうしてた?」
「誤魔化してもいつかバレるでしょうから言うけど、捕まっていたの」
「え? 僕のせいで?」
「違うというかそうというか……国命に従わなかった罪で、投獄されちゃった」
それは、つまり僕のせいだね。
「でも出られて良かった。何かあったの?」
「あなたが出てくるように説得しろ、って言われて。もちろん私はラマルが心配で来ただけよ……だから下手したら、また牢屋行きかしら?」
「笑い事じゃないよ……次ラウネを牢屋に入れたら、二度と仕事しないって言って。本気だから」
ラウネは笑ってるけど、外が暗いだけじゃなくて顔色が凄く悪い。明るい声が空元気のように聞こえる。無理してないか心配だ。
「わかったわ。何か必要なものはない? 何でも言って」
「じゃあ……もう誰にもこないで欲しいって伝言、お願いしても良い?」
「もちろんよ、伝えて置くわ。それで……いつまでお休みするつもりなのか、訊いても良いかしら?」
ラウネはじっと瞳を見つめている。前にも、こうやって見つめられたことがあった──いつだっけ?
「とりあえず春まではお休み。夏になったら出るか考えるね」
お休みしたい期間と言われてすぐに答えが出た。殺人的日程表が終わる頃までだ。
「春まで──わかったわ。それも伝えて良い?」
「良いけど、絶対に戻るかわからないから──期待しないでね」
頷いたラウネは、何かを堪えるみたいに眉をしかめた。どうしたのかな。
「ねぇ──ラマル、一度だけ謝らせて。本当にごめんなさい。何もできなくて、あなたを守れなくて」
何故だかみんなが同じことを言う。シィナ、ルシアン、ラウネ……みんなが悪かったところなんてないと思うんだけどな?
「ラウネ泣いてる? 泣かないで……」
「勝手に、私は勝手にあなたのこと娘のように愛そうと決めていた。なのに……守るどころか守られている。自分が情けなくて……悔しい」
愛されている痛み。さっきも感じた痛みが、壊れた胸の中にある。
「ラウネは守ってくれたよ。たくさんのことしてくれてる。……風が強くなってきたよ? もう帰った方が良いんじゃない?」
「ありがとう……また会いに来ても良い?」
「うん、それで外がどうなってるか教えてくれたら嬉しい。また、新聞が読みたいな」
「任せて、また来るわね。──お休み、ラマル」
「お休み、ラウネ」
ラウネが帰ってから、本の残りや毛布なんかを体中に抱えたシィナが帰ってきた。流石にセムとノイルが広い空間を作り、そこによたよたとシィナが入る。
「遅くなり申し訳ありません。本の他にも、お部屋の必要そうな物を持って参りました」
「ありがとう……っと」
まだ空いている枝の隙間から、日記だけを外に投げ捨てた。精霊の神子の象徴みたいだし、今、書いてまで残したいことはない。代々続いてるからどうしたって言うの──むしろその立場を、自身を憎んでいた。
「失礼しました、ラマル様」
「ううん、要らない物を捨てただけ。シィナは悪くないよ」
本を全部って言ったのは僕だしね。
「……それでは外に控えておりますので、何かありましたらお呼びください」
「わかった。お休み」
「お休みなさいませ、ラマル様。失礼致します」
シィナの気配がなくなった。多分、本来の姿に戻って森の一部になったんだろう。
静かな空間が心地好い。久々に、朝まで起きずに眠ることができた。
ラマルが神子を休むと宣言して《楽園》に籠もったという事実を聞かされても、驚きはなかった。
聞いたとほぼ同時に、という異様な速度でラマルを説得しろという命令が来たが、ある理由で断った。一つは殴られた顔で会いに行けないということと、もう一つは『神子を辞めたい』と言われ、叶える約束をした直後だったからだ。
「お前が神子様を説得しないのであれば、お前を餌に神子様を釣るという案が出されるだろう」
隊長の言葉に、誤解のないように意図を伝える。
「私は、神子様を説得する任務に不満はございません。ただ、『辞めたい』とまで仰った神子様を言葉だけで説得するのは、難しいと思います。何か、神子様のご負担を取り除けるようなお話と共に説得するのが、一番の得策ではないかと愚考しております」
「よし、わかった……上層部にはそのように伝える。セージ・ガルハラ少尉には説得に必要な材料、及び提案を集めることを最優先の任務として与える」
「了解しました!」
俺の提案は上層部にも受け入れられ、“精霊の神子”復帰対策室を設けることになった。
俺は対策本部を王宮の一部屋に任され、そこに“精霊の神子”ではない、マルセラ・ティファトの為に何かしたいと思っている人に集まって欲しいと考え、日時を指定して集合をかけた。
対策本部への参加条件は“精霊の神子”を辞められる、もしくは長期休養に相応しい具体案を提出すること。
この条件を聞いた上層部に文句を言われたが、これは復帰してもらう為に必要なことだと説得した。他に上手い言い方が思い付かなかったのだ。
ただ心配するだけなら、誰にでも出来る。軽い気持ちで“神子を助けた英雄”になりたい、と考える人間も大勢居るだろう。数だけ居ても邪魔にしかならないことは想像が付く。
そんな人間をなるべく弾いて、ラマルを一刻も早く救ってやりたかった。




