罪と奇跡のあいだに
僕は友達を殺した。
「どうして……」
目の前には撓わな実を成らし、収穫は今か明日かと待ちわびる装いの果樹達が、寂しそうに並んでいた。
『ごめんね、ごめんね……』誰の声かわからない。僕のだろうか、みんなのだろうか……? 外からは護衛と領主達の《奇跡》を畏れ敬う声が遠く聞こえる。
気づくと涙が零れていた。嘆く資格なんてないのに。
『僕を許して──!』 もう二度と声を聞かせてくれない大地に、心は崩折れて慟哭した。何故僕は立って居られるんだろう?
「神子様、ありがとうございます。これで我々は助かります、正に《奇跡》!」
領主はまだ何か喚いていたけど、その中で賞賛される《奇跡》の言葉が──反吐が出る──繰り返される度に、胸に深く深く楔を打ち込む。
「黙ってください」
失ったものが大き過ぎて、その様を喜ぶこの人とは話ができない。偲ぶには、人の声はあまりにも煩わしい。
「し、失礼しました。お疲れのところを……護衛の方々、神子様を宿へとお送りしてください」
「……っ、ごめんなさい──」
総てに込めた謝罪は、返ってくることなく空虚な土に吸い込まれた──。
「何か?!」
「いえ──何も」
雫の一粒さえ、誰にも見せてやるものか。この罪は僕のものだ。
笑えていることを願って、なんとか顔を歪めた。そうすればここを離れられると知っていたから。
誰がどうしてこんなことをさせたのかわからないけれど、はっきりと誰かの意思を感じた。単なる言い訳かもしれない……自分のせいじゃないと思いたいのかもしれない。
なんだって構わないけど、いつからこんなにも狂って行ったのか記憶を底から浚ってみた──。
兆しは既にあった。ラウネからの質問。忘れていたそれを思い出したのは、業務連絡に混じっていた仕事内容の質問書を見た時だった。
書いてあることはあまり変わらないのに、そこには付け足された命令があった。
『次回から出張先で特別な《奇跡》を要請された場合、神子は可能な限りそれを叶えなければ職務怠慢に当たります。以降そのようなことの起きないようにご注意ください。』
「何これ?」
思わずそう呟いてしまう程、突拍子もない上に僕の──神子側の言い分を無視した警告文だった。しかも言い訳は許されないのか、質問ではなく命令系だ。
僕はすぐにこの警告について折り返し説明するよう求めたけれど、返ってきたのは『そういう内容で忠誠を誓ってるんだから、ぐだぐだ言わずに命令を聞け。』って答え。もちろんこんな酷い言葉では書いてない。でも僕は気分が悪くなってしまった。
「大丈夫ですか、ラマル様? お顔色が悪いようですが……?」
「大丈夫。この後は……お茶会だったよね?」
正直、こんな警告をされたところで僕のやることは変えられない。自然にとっても人にとっても良くない結果になるとわかっている《奇跡》なんて──起こせる訳ない。
僕は問題なく可能な《奇跡》は叶え、無理なものは理由を伝えて納得してもらって断りを入れた。
なのに──いつからか、今代の神子は仕事を選り好みして《奇跡》を気に入った人にしか授けない我が儘な小娘──そういう噂がまことしやかに流れ始めた。
この時にはまだ無視してしまえたし、味方も大勢いた。けれど抵抗のすべもないまま、崩壊は確実に進んで行った──。
「マルセラ様、お時間よろしいでしょうか?」
久々にラウネが会いにきてくれた。お願いしていたティファト領への出張が終わったからだろうと、僕は部屋に招き入れた。
「十分なら大丈夫です。お茶を用意させますね」
「ありがとうございます」
椅子に座ったラウネは妙に沈んだ顔だった。やつれたように見える。
「ラウネ、どうかした? なんか痩せた気がするし──顔が青いよ」
「大丈夫ですよ、それでお願いされていた代理人の件なのですが、報告に参りました」
「うん、ありがとう! どうだったかな?」
「きちんとこちらの意図は理解して頂けました。ご希望の遺品は、ご本人に直接お渡ししたいと言われましたので預かってはいません。信頼の為にも一度はマルセラ様に出向いて頂ければと思います」
「わかった。流石だね、ラウネ」
僕は目の前に出された書類に夢中で、ラウネの様子に気が付かなかった。
「マルセラ様、近頃マルセラ様に関して良くない噂が流れているのをご存知ですか?」
ラウネに言われて、僕は少し悲しくなった。そう、ラウネは王都を離れていたせいで今になって知ったのだ。
「そうなんだよね。一応、お友達に誤解を解くように協力してもらってるんだけど……なかなかね」
まだこの頃には社交に支障は出ていなかった。没落や隠し子、結婚などの話題に比べて注目度もなかったし貴族位が高いおかげかみんなが庇ってくれていた。
「では、噂の仕事を選ぶというのは事実なのですね?」
「そこだけを言えば、事実だよ。でもむちゃくちゃなお願いばかり言われても叶えられない。限界を超えて収穫量を増やしたいとか、山の水源を見つけて欲しいとか……そんなことしたら取り返しがつかなくなるのに!」
出張先での鬱憤が溜まっていたのもあって、つい愚痴ってしまう。こんなことが言えるのは今はルシアンかラウネくらい。シィナには何となく、あまり言わないようにしてた。
「マルセラ様、今日の報告に当たって、上司より厳命されました。マルセラ様に平等に《奇跡》を叶えるようにお願いして欲しい、と」
それはラウネの言いたい言葉ではないみたいだった。……ああ、ラウネは僕と仲が良いせいで言わされたんだ。そう気づいてしまえば、ラウネに対して申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「ご、ごめんねラウネ。ラウネに迷惑かけちゃうなんて──」
「謝らないで! 情けないわ、本当なら心配しないでと伝えないといけないのに。こんな……気まで遣われてしまったらどうすれば良いのか──」
「僕なら平気だから、気にしないでよ。ラウネも大変でしょう? 肩身が狭い思いさせてごめんね。──上司の人には、ちゃんと言うこと聞かせるって報告しておいて。後で何か言われたら、僕のせいにしてよ」
「馬鹿ね……そんなことしないわ。ただ、しばらく会えなくなると思うの。我が儘なのは私の影響じゃないかって当てこすられたから……」
「待ってよ。そんなの嫌だ、寂しいし……できるだけ上司には逆らわない方が良いよ」
「ラマル、心配してくれるのはありがたいけど……だめよ。ちょっと先伸ばしにしたくらいじゃ、何も変わらないんだから」
僕は次の予定のことをすっかり忘れていた。
「ラマル様、お時間です」
「ほら、もう行かないと」
「まだ話したいことが、」
「ラマル。私はずっとあなたの味方だから。できる限りのことをしてみる。心配しないでね」
「ラウネ……っ」
無理やり手を引かれて歩かされる。抵抗すると、抱き上げられてしまった。
「ふふ、人の心配よりラマルもしっかりご飯食べるのよ? またね」
「だめだって、止めてよラウネ!」
「シィナさん、よろしくね」
わかってるのに……ラウネが言いたいことも僕が言いたいことも、二人ともわかってるのに、話し合いにはならなかった。
ラウネは今日、知らんぷりして僕に会いにこなければ良かったのに。命令なんて聞かなかったことにしても良いし、逆に僕に絶対に命令を聞けって言えば良かった。
すべての選択肢の中で、ラウネは僕を一番にかばうことを選んだ。ラウネの一番負担になる選択肢を。僕はラウネの気持ちを無駄にしないために、自分のやり方を貫くしかないと思った。基から他の方法は選べないけど、曲げてはいけないと誓った。
段々と噛み合わなくなる歯車に、もう気づいていた。後ろ立てがあっても社交界では義務を果たさないのは貴族として相応しくない、と言われる。
僕は国王陛下に“精霊の神子”の義務を果たすと誓った。だからその義務を果たさないのは如何なものか……噂はエスカレートして言った。火消しも付け火も意味がないくらい、燃え上がって──そして、夜会やお茶会の招待状は目に見えて減った。
「レディ・マルセラの事情も知らないくせに……」
そう味方をしてくれていた人が、次に会えば手のひらを返した。
「事情はあるにせよ、神子という仕事である以上選り好みするのは……ねえ、神子様もそう思いませんか?」
僕に仕事をさせれば議会で強い発言力を持てる。それはれっきとした事実だろうけど、人が離れて行くのを諦めに限りなく近い感情で受け入れていた。
「みんな酷いよな、ラマルは当たり前のことしてるだけなのに」
噂が流れてから二カ月が過ぎて。今の僕の味方はアード宮の人達とルシアンしか居なくなっていた。社交場では、はっきりと不真面目と言われることもあった。
「仕方ないよ。言ってもどうにもならない……だって、友達を切り売りしたり絞り取ったり、できないじゃん?」
「当然だよ! ラマルにそんなことさせたりしない。俺もなんとかしてみてるんだけど、全然相手にされなくて……ごめんな」
僕は僕のために怒ってくれる人が居ると知って、くすぐったい喜びを知った。溢れる気持ちは、確かにルシアンを好きだと言っていた。
「ううん、ルシアンが僕の味方だもん。ラウネもシィナも、味方はたくさん居るから。全然平気だよ!」
まだ申し訳なさそうにしているルシアンの手を、僕は両手で握りしめた。平気だと伝えたくて。
「ラマル、俺が守るから。……できてないけど、全力で戦うから。笑ってくれよな」
「うん! ──ルシアン、好き」
体を寄り添わせて、唇を重ね合わせた。
「俺も! 俺のが絶対、好きだ」
赤く染まるルシアンが可愛くて、僕はルシアンを好きになって良かったと心から思った。セージに対しては何も思わないで居られた。
セージはセージでアシュトンと順調に恋を育んでいるみたいだったから、これで良かったんだと受け入れられた。
「ルシアンが──こられない?」
「はい、本格的に帝王学を学ぶ為とのことです。メッセージを預かっています」
翌週、ルシアンはいつもの勉強会に現れなかった。何も連絡がなくて当日にこないなんて──今までにないことだった。
「メッセージを見せて」
『これからはそちらに行けなくなります。打ち合わせは必ず守りますので、健やかにお過ごしください』──それだけだった。そして、噂に『ルシアン殿下を誑し込んで仕事をサボろうと画策していたらしい』というものが追加された。
出張がまたやってくる。社交はどんどんとスケジュールに空きを作り、欲しかった時間が生まれても、僕は気力を失って本を読み続けるしかできなくなって居た。
そんな頃、僕は個人的にと大神官様に呼び出された。きっと最近の修業の成果と噂についてだろう──と重い体を引きずって神殿に向かった。
「神子様、実は以前に話されていた歴代の神子様の日記をお見せしようと思い、不躾にもお呼び立てしてしまいました」
予想していたものとはまるで違って、ちょっと気が抜けた。大神官様もきっと僕の噂で、あちこちから圧力をかけられているだろうに……一度もその話をされたことがなかった。そもそも噂をしてはいけない、というのもあるとは思うけど、大神官様がどういうつもりでいるのかはわからなかった。
「ありがとうございます。秘蔵の書物を読ませて頂けるなんて、とても嬉しいです」
「こちらにどうぞ」
ため息が出そうになるのを抑えた。このところ絶えず頭痛がして、眠りも浅い。鏡に映る貧相な少女は、さらに幽霊のように見えていた。
「大神官様は、私に何も言わないのですね」
そう言っていた。言う必要はなかったのに、むしろこの時間をありがたく思っていたのに、自分からぶち壊すような台詞だった。
「神子様の選ぶことは神の選んだことです。皆にはそれが理解出来ないのです」
なるほど、と思った。神様にも神子様にも大神官様なりの誇りがあるんだ。そう思うと、何も言わないのではなく色んなことがあり過ぎて言えないのではないかと思った。
「ありがとうございます」
「……さあ、この部屋です。神子様であってもこの部屋の本は他には持ち出せないことになっています。それさえ守って頂ければ、私の許可も必要ないのでご自由になさってください」
部屋の中には本独特の、かびと埃の臭いが──しなかった。いつも掃除していてもこうならないだろう、というくらいに綺麗な部屋だった。不思議に思っていると──。
「ああ、この部屋はですね、歴代の神子様方のお力が残っているのです。どういった御業かは残っていないのですが、神子様の日記や一部の神書は劣化しないのです」
「そうなんですね」
本好きには夢のような部屋と本だ。古い本は傷めないように気を遣うし、部屋も掃除や日差しなど気を遣うところは多い。
「それでは失礼致します。お帰りの挨拶は不要ですのでお心行くまで読書なさってください」
「ありがとうございます、本当に」
大神官様の去った後、僕は神子様の日記を古い順に開いていくことにした。




