恋と恋のあいだ
不覚にも、次に目覚めたのはその日泊まる宿に着いた時だった。
「起こしてって言ったのに!」
「怒ることじゃないだろ? お前を起こす方が手間だったんだ」
「嘘だ」
誰が考えても、僕を起こして立たせた方がセージの負担は少ない。僕が声をかけられたらすぐに起きられるってことは今までで証明してるから、それは言い訳にならない。
「俺がお前を寝かせて置きたかったんだよ」
うん、まあね。そう言われたら何も言えない訳で……。『好き』と少々唐突に、好きな気持ちが降ってきた。
「つ、次は起こしてよね?」
「次はな」
本当に起こしてくれるかどうか怪しかったけど、動揺を隠して不機嫌そうに釘を刺しておいた。
あれ? 僕ってこんなにセージのこと好きだったっけ? なんか当たり前に聞こえてきて、しかも胸に馴染んでる。
……でもこれは、好きじゃなくなりつつあるってことだよね? 少なくとも一瞬より長い時間、セージを好きな気持ちから離れられてたってこと。前向きにそう考えて、お仕事へと向かった。
「神子様、実は特別にお願いしたいことがあるのですが……」
「お願いしたいこと?」
不意に既視感に襲われる。なんかついこの前聞いたような……というか、殆ど同じことを前の仕事で言われてたじゃん。
「私は植物達の育成と病気対策ということしか伺っていないのですが、他にという意味でしょうか?」
「はい、ですが神子様の御力であれば負担にもならないことです。ぜひ御力添えください」
「話を聞いてから判断します。どういった内容でしょうか?」
前回と同じように答えて、喉に魚の小骨が引っかかったみたいな違和感を感じた。
「実は私どもの領地には御神木と呼ばれる木があるのですが、それをもっと管理しやすい場所に移すことは出来まいかと、かねてより考えておりました」
地図で示された御神木の位置を見て、すぐにその木と力を繋いだ。──なるほど。
「……わかりました。それは不可能ではありませんが、もしあなた方が御神木を移した後に拓いた場所を耕そうと考えておられるのでしたら、おすすめしません」
「な、何故でしょうか?!」
僕が言った“もし”は図星だったらしい。
「この御神木の周りで豊かな実りがあり、動物達が健やかなのは土地由来のものではなく、この御神木あってのことです。御神木を移してしまえば、恵みもただ移るだけでしょう。本当に管理の問題であればやむを得ないですが、違うのであれば悪戯に環境を弄らない方が良いと思います」
「むむぅ……そうなのですか。では、致し方ありません。こちらから言い出したお話ではありますが、今回のお願いはなかったことにして頂きたい」
深々と頭を下げた領主に、僕は領主も大変だなーと思った。どこに行ってもこんな子供が丁寧な扱いをされるのは──例えば謝る必要のないことで頭を下げられるのは、それだけ僕の働きで領民の口を食べさせられるかが決まるからだもんね。
これまで領主の中で僕を舐めてくる人は少しだけ、それも若い人しか居なかった。腰が低い人の方が多いことを不思議に思っていたけど──その理由がやっと実感できた気がする。
「もちろん構いません。何も遜られる必要はないですよ、それでは今回の儀式の場へ案内をお願いします」
領主はお礼を繰り返してから、やっと頭を上げた。ほっとしている中にまだ緊張が残っていて、僕が真顔で目を合わせたせいだと気づいて、慌てて微笑んだ。
「どうぞこちらへ。ご案内致します」
儀式は何も問題なく終わった──問題なくどころか御神木の聖域効果に助けられて、今までの儀式の中でもとても良い結果が出た。
領主と土地の代表者達は揃って感謝と奇跡を讃える言葉を口にした。ねぇ──《奇跡》って何だろうね?
長かった出張が終わり、やっと王都に帰って来ることが出来た。調整の甲斐もあって、到着は朝の早い時間だった。
ラマルは充分に睡眠を取っているから社交の予定があるが、護衛達は疲労の色が濃い為その日は一日休みになっていた。
言われて見れば俺の負担は増えたかもしれないが、負担の分だけ休みももらっていたし、自由な時間は逆に増えた。
しかしラマルはというと──休みの時間はひたすら寝ているようにしか見えず、気が休まる時間はあるのかと不安になった。
いや、それは俺が見るべきことじゃない。宮には侍女も沢山居るし、体調は医者があれだけ毎日管理しているんだから大丈夫だろう。
前より顔を合わせるようになったのだし、いつも明るく働いているんだから『ラマルは大丈夫だ』と自分に言い聞かせた。何故言い聞かせる必要があるのか、までは考えなかった。考えたくなかった……のだろう。
そうしてお昼前に、出張前に約束したアシュトン邸へと出向いて行った。
キャピタル曰わく──花は必須。出張先で買ったお土産があると尚良いが、話だけでも失礼には当たらない。そして約束の時間から五分程度遅れて行くこと──メモを読んで、準備が整っていることを確認する。
そして貸し馬車を降りると、街屋敷の中でも一際目立つ重厚感のある門を叩いたのだった。
「ようこそいらっしゃいました。セージ・ガルハラ少尉でございますね?」
「はい。レディ・カミュイン・アシュトンへ私が来たと伝えて頂けますか?」
「畏まりました。レディ・カミュインがいらっしゃるまでこちらでお待ちください」
執事さんはとても丁寧な物腰で出迎えてくれた。今日の俺の格好におかしなところはなかっただろうか? 揃いのスーツというのはめったに着ないから、どうにも落ち着かない。
「ご訪問ありがとうございます、ガルハラ少尉──来てくださって嬉しいです。本当に」
体感で十分ほど居間のソファで待っていると、アシュトンさんが現れた。慌てて立ち上がる。キャピタルの話では来客は三十分は待たせるものと聞いていたから、完全に不意打ちだった。
──夜会用のドレスとは違う、レースも刺繍も控えめなドレスは彼女によく似合っていた。何織りというのか知らないが、偶に見かける変わった織り方のパールグレイの生地を裾をわざと不均等に重ねて仕立てられている。多分そのスカートは今の流行りなんだろう。
後ろにはお目付役という未亡人の女性がついて来ていた。挨拶だけすると黙ってしまったので、アシュトンさんに意識を戻す。
「お会い出来てこちらこそ嬉しいです。……えー、今日の装いは素晴らしくお似合いですよ。どうぞ、こちらはささやかな物ですが」
よし、なんとか恥ずかしさを乗り切ってお世辞を言えたぞ。
「ありがとうございます、とても奇麗な花束ですね。セージさんにそう言って頂けると、まるで美人になったみたいな気持ちになります」
アシュトンさんはほんのり頬を染めて、テーブルを挟んだ向かい側の椅子に座った。手で勧められて、自分も座り直す。
「アシュトンさんは元々美人だから、きっと言われ慣れてますよね」
「まさか。父はよく言ってくれますけれど、私に求婚者なんて居ませんから。みんな父が怖いらしくて」
「そうなんですか? でも確かに、お父上の武勇伝を聞いていれば気持ちはわかりますね」
今回の訪問の目的は表敬訪問ということになっている。一般的に、表敬訪問とは一時間~二時間程度お客様をもてなすのが適切。
アシュトンさんは俺に酒やお茶、軽食を勧めてくれる。そして俺はつい昨日までの出張の話をして、初めての社交活動を緊張しながらもこなせていた。
「神子様の御力を目の前で見られるだなんて、凄いことですね」
「凄いというか、見ていると魔法みたいな気がしますよ。それにラマルは踊りも歌も上手で、儀式だけでも見る甲斐がありますね」
「ふふ、セージさんは神子様のことをラマルって呼ぶんですよね。──今度私もそう呼んでみようかしら?」
「あ、いや。直した方が良いですよね、マルセラ様……と言わないと」
「あら、直されるほどのことではないと思いますけど? マルセラ様もセージさんのことは友人で特別な扱いをなさってますから、誰も咎めたりしませんよ」
「それでも一応、立場というものがありますから」
「セージさんて、私よりもずっと立場とかに気を使われるんですね。私が甘やかされて育っただけかもしれませんが」
話している間中、アシュトンさんは表情を豊かに変えた。つまらない話にも真剣な顔で聞いてくれて、意見も親切なものばかり……俺は、自惚れても良いのだろうか?
「そうだ。忘れるところでした、今日はお土産を持って来たんですよ」
「本当ですか? 嬉しい。中身を開けても?」
胸ポケットに入っていた小さな箱を差し出すと、昼間の光が瞳に映り込んでキラキラと輝いていた。喜んでくれる姿が、ラマルに似ていると思った。
「どうぞ、ご期待に添えないかもしれませんが」
アシュトンさんは綺麗に包み紙を剥がして畳むと、木の蓋をそっと開ける。
「奇麗……! 素敵だわ、この白い飾りは何ですか? 石では無いみたいですけど……」
蓋を開けて出て来たのはブローチだ。彫金してある台に大きな白い飾りをはめ込んで組み合わせ、つるりとした表面なのに立体的に鳩が描かれている。地味だし宝石でもないので夜会には付けられない安物だが、今のドレスなんかにはよく似合うと思う。
「それは動物の骨を磨いてブローチにしたものだそうです。伝統の技術が使われていて、全て一点物という話です」
「そうなんですね。こんな技術があったなんて……珍しい上に鳩のブローチで。私って鳩が大好きなんです。とっても気に入りました! 大切にしますね」
「喜んで頂けて良かったです。その、今付けたところを見させてもらっても良いですか?」
「もちろん! 言われてみれば、このドレスにぴったりだわ」
留め金を外して胸元の中央に付けると、アシュトンさんはどこか誇らしげに背を伸ばして微笑んだ。
「うん、思った通りお似合いですよ」
「お上手ですね、セージさんは。私……勘違いしてしまいそうです」
躊躇いがちに言ったアシュトンさんは、喜びから諦めに似た表情を見せた。
「勘違い? 何をですか?」
「その、セージさんはご存知ないですよね。こうやって私に花束をくださったり、訪問してくださるのは、貴族の常識なら求婚したい……という意味になるんですよ。あ、でも私は、セージさんが気遣ってくださってるからだってわかってますよ? でも──アクセサリーをプレゼントして頂いて、こんな風に褒めて頂いたら──単純なので、勘違いしちゃいそうです」
「あ、そうなんですか?!」
知らなかった──という驚きと、勘違いしそうだという彼女の表情に、また驚きを隠せなかった。
ラマルに告白された後の、無理をした笑顔を思い出したからだ。アシュトンさんのは照れが大きく見えて、余計に気持ちが伝わってきた。
「ふふ、知らなかったんですよね。きっと今日も、キャピタルかランドーニ辺りから言われて来てくださったんじゃないですか?」
図星だったが──俺はアシュトンさんを嫌いという訳じゃない。奇麗な女性の中では好きな方だし、怖いとも思わない──今は友人だと思っている。
「はは、実は来たのはそうです。でも──褒め言葉は心から言ってますし、ブローチも花束もアシュトンさん、レディ・カミュインに似合うと思って選びましたよ」
これもまた一つの選択肢じゃないか? 俺を好きな女性なんてめったにいないし──ラマルとラウネがいたが──何より、ラマルを好きな気持ちを少しでも忘れられるかもしれない。
何も婚約する訳ではないし、レディ・カミュインの求婚者になるのは……そんなに間違ってもないだろう。
「もう、セージさんはお優しいから……! なら、また私に会いに来てくださいますか?」
「喜んで、伺います。今日はそろそろお暇しますね」
「はい! い……いつでも、都合の良い日にいらしてください。午前中にカードをくだされば、万が一だめでもお断りを差し上げられますから」
立ち上がった俺にレディ・カミュインは自然に立ち上がって、見送りをしてくれるようだ。
「ご丁寧にありがとうございます。次に来る時には、もっと貴族や社交界のルールを学んで来ます」
「私はそのままのセージさんで良いと思います。お耳に入れるようなことでもないんですけど、私は女の癖に騎士をやっているから社交界では壁の花なんです。あまり……詳しくなられなくて、大丈夫ですよ」
その言い方は奇妙で、壁の花という言葉も初めて聞いた俺は、なんと返すのが正解かわからなくなってしまった。
「だったら、レディ・カミュインに教えて頂いても良いですか?」
なんか妙なことを言ってしまった。
「ええ、私でよければお教えしますね。本日はご訪問頂きありがとうございました。またいつでもいらしてください」
「ありがとうございました。また来ますね、失礼します」
扉の前でお辞儀をしてくれたアシュトンさんの胸元で、ブローチの鳩が羽ばたこうとしていた。
「求婚……か」
それも悪くない。……ラマルに気持ちを残したままなのは不誠実な気もしたが、この気持ちだって一生という訳じゃないだろう。
ラウネとは違い、前向きに未来を想像しても拒否反応は出なかった。ほのぼのした家庭が築けそうだ。
帰りの馬車の中で、必ず近い内にもう一度訪れようと決めた。




