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木洩れ日と日だまりのあいだに  作者: 結衣崎早月


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34/62

欲望と眠りのあいだ

 ふと暦を見ると、いつの間にかあの誘拐未遂事件から一カ月が経とうとしていた。まだたったの一カ月……ああ、そうだ。舞踏会は確か明日じゃなかったっけ?

 今は神殿で新しい踊りを覚える為に修行中で、最近では珍しくひと息吐ける時間だった。

 汗を拭って実際に息を吐き出すと、指導役の神官が手拭いを差し出してくれた。ありがたくそれを受け取る。


「神子様、近頃お忙しいようですね? 何やら顔色が悪くていらっしゃいます。さぁ、お座りになってください」


 そして進められるままに椅子に腰を預けた。──疲れた。


「お気遣いありがとうございます。これも私のお役目ですし……ご心配は無用です」

「そうでしょうか? 少し、やつれられたような気も致します。今お茶を持たせますね」


 この神官はとても優しい人で、お茶に茶菓子に世間話と、僕を少しでも休ませようとしてくれた。こんな人が沢山居てくれるから、余計に疲れた顔は見せないようにしないといけない、と思う。


「平気です、元から痩せっぽっちだからそう見えちゃうだけなんです」


 それは本当のことだけど、自分でも言い訳としては苦しいと思っていた。だって一週間の間に五回も同じことを言われたら──そりゃあねぇ、いくら何でも事実だってわかる。


「無理をなさっているのではありませんか? 日程は存じ上げませんが、きちんと休まれていますか?」

「無理だなんて──そんな。休んでますから、本当にご心配なく」


 うん、してるよ。無理してるけど……やれ、って言われたらやるしかないよね? 僕の顔を覗き込んだ優しい神官の格好が髪を隠した物で、シスターの面影と少しだけ被った。

 シスター、そういえば最近返事を書いていない。セージにフられてから、書くとまた泣いてしまいそうで……なんとなく書けないで居た。


「それならよろしいのですが。もし何かありましたら、いえ、少しでも辛いとお思いになりましたら、遠慮せず私どもに仰ってください」

「はい、ありがとうございます」


 偽物の笑顔で精いっぱい笑う。気持ちは本当に嬉しいけど、それでどうにかなるなら、もうなっているよね。心配してくれている人には言えないような、可愛くない言葉ばかりが頭に浮かぶ。まるで、昔みたい。


「それでは本日の修行はこれまでと致します。神子様、何卒ご自愛くださいませ。お疲れ様でした」

「ご指導ありがとうございました。お疲れ様でした」


 たった五分のお茶会だったけれど、寝ている以外で一番休めた気がした。頑張らなきゃ!

 なるべく自分の志気を高めて、気合いを入れ直した。──なのに、すぐに気分が落ち込む。いくらやろうと張り切っても、袋の底に穴でも空いているかのようにしぼんでしまう。

 それでもいくらか軽くなった気持ちで、今日も夜会のために早くから支度をしなきゃいけない。……夜会ではなるべく馬車を使わないように、ドレスを着るようになった僕は特別に早く会場に行って、そこで着替えることにしていた。

 セージを一日中拘束する訳にはいかないもん。……本当にできるなら、してしまいたいけれど。その気持ちからは、そっと距離を置く。

 ドレスを着るようになった理由は、お父さんとお母さんが……僕がいつか着ると信じていた、可愛らしい小さな子用のドレスがお屋敷に残されていたから。

 まだティファト領には行けていないけど、王都にも借りていた町屋敷があって、そこは管理人の手で今も居ない主人のために整えられていた。町屋敷に行ったのだって、ほとんど一瞬だったけれど。

 けれどその一瞬で、僕は愛を感じることができた。子供部屋に溢れた玩具は、少しずつ僕に与えられるはずだった欠片。身に着けられることのない、美しいドレスやレースのリボン。

 そのドレスはやっぱりサイズや流行のせいで着られないんだけど、リボンは色褪せることなく使うことができたんだ。だから、そのリボンに合うドレスを仕立ててもらうことになった。

 まだ僕には似合わないけど、お母さんの持っていた装飾品も、今度その町屋敷から送ってもらうことになっている。


「ラマル様、参りましょう」

「よろしくね」


 馬に乗せられた僕はシィナと並んで今夜のお屋敷に出かけて行く。ドレスや道具は先行して馬車で運んでいた。……僕の我が儘で、凄く面倒な手間や苦労をかけているのがわかる。

 別に今までのように神子服を着て馬に乗ればそれでおしまい、でも良いんだ。良いんだけど……神子服にリボンは合わない。それに、誘われないとはいえ舞踏会ではドレスの方が正式な姿であって、神子服は神子だけの例外だから──うん。

 僕はどんな言い訳をしても無駄だと思った、要は神子で居たくないんだ。お父さんとお母さんの望んだ可愛らしい姿をして居たいんだと。兵士達やシィナに感じた罪悪感を軽くすることを諦めて謝った。我が儘でごめんなさい、みんな。

 お屋敷では最早手慣れているシィナが、着つけやお化粧、髪のセット等を全てこなしてくれる。

 魔法がかけられていくようなこの時間は、ほんの少し好きだった。


「ラマル様、明日の舞踏会のことで質問したいのですがよろしいでしょうか?」

「何かな?」


 こうやって前日には衣装なんかを決める。と言っても、僕にはこだわりがないからシィナの提案をそのまま受け入れるだけなんだよね。


「明日はルシアン殿下がいらっしゃるとお聞きしました。いつもは白のみを身に付けていらっしゃいますが、ドレスとリボンを淡い桃色にしてみてはいかがでしょうか?」

「桃色……なんでルシアンが出ると変えた方が良いの?」


 確かルシアンはまだ幼いという理由で、一切夜会の類いには出られなかったはずだ。明日の舞踏会に出るのは、恩人のセージのための夜会だから特別に許可をもらったということだった。


「それはもちろん、ルシアン殿下のお瞳の色が赤だからです。並んでお立ちになった時、お互いに引き立て合うことでしょう」


 なんで目の色を気にするんだろう? そんなに大切なことかな?

 白いドレスを着た今、姿見で僕の格好を見てから隣りにルシアンが居るのを想像した。ルシアンは黒か、いや……紺のスーツかな? 茶色は流行的に多分選ばれないから、どちらかだろう。

 そうして横に立つ僕は黒髪に白いドレス、ルシアンは茶髪に黒、または紺のスーツ、目に合わせた赤い蝶ネクタイが打倒と考えると……。


「なるほど、僕が地味に成りすぎちゃうってことだね。わかった、シィナの言う通りで構わないよ。髪型も任せるね」

「ラマル様でしたら地味に成りすぎることなんてあり得ません。調和が取れた方が良いというだけですわ」


 シィナは優しい言葉をかけてくれる。そりゃ、励まして笑顔になってもらわないと困るよね。今から舞踏会なんだから、笑顔笑顔!


「いつもありがとう、シィナ。じゃあ行ってくるね!」

「行ってらっしゃいませ」


 今日の夜会はここだけじゃなくて、もう一つ出なければいけない。本当なら宮に引きこもってごろごろして居たいけど、疲れの残った頭と脚でなんとか失礼のないように夜会を乗り切った。


「はぁ……嫌だな」

「いかがされましたか?」


 朝早くから起きて、今日の予定は実際に休む暇がない。でもそれより、舞踏会の会場でセージと顔を合わせないといけないのが嫌だった。


「んん、何でもない」


 お仕事なんだと思うから、出張の間は耐えられるけど……仲が良い友人で恩人としてセージと接するというのは、心を離そうと努力している最中では複雑だった。嬉しさと気まずさと痛み……色々と混じり合って、雨が降る前の雲のように膨らんでいる。

 朝食を食べて神殿で一通りのおさらい。修行は基本的に最低限になっていて、新しいものを覚える時だけ予定が組まれている。

 お昼からは夜会で知り合った人達に表敬訪問。社交に力を入れようと決めたからには、社交界のルールにきちんとのっとらないといけない。

 そして、夜。まだ夕方だけれど王宮に着けば夜になるだろう……今日はセージと馬車に乗って行くことが決まっていたから、ここでドレスアップしないといけない。

 僕はそんな必要感じないけど、神子の管理をしている文官に言わせると、主役二人が睦まじく馬車から現れるのも舞踏会の演出の一つなのだそうだ。


「さあ、できました。とても良くお似合いです、ラマル様」


 シィナの言う通り、この薄桃色のドレスは今まで着たドレスの仲では一番僕を可愛く見せることに成功していた。

 こけた頬が桃色効果でぼやけてふっくら見えるし、痩せすぎな胴体もフリルで誤魔化してある。髪の毛もいつもより時間をかけただけあって、可愛いリボンの花が頭の上で咲いていた。


「凄いね、シィナ。本当に可愛く見えるよ。ありがとう」

「当たり前のことをしたまでです」


 いやいや、侍女の仕事だからってここまで完成度の高いドレスアップはさぞ大変だっただろう。しかも下地が僕だからね──それを当たり前と言ってしまえるなんて、流石はシィナだ。


「ありがとう、それじゃあ忘れ物はないかな? ……うん、行ってくるね」

「行ってらっしゃいませ」


 僕は宮付きの侍女であるカリンと表へ出た。シィナは身分の問題で夜会には出られないそうで、その代わりに侍女の中でも貴族の一員である彼女と、今シーズンの夜会には参加していた。因みに、彼女はシィナ以上に無口だ。

 シィナは静かで余計なことを言わない感じだけれど、彼女は必要なこともあまりしゃべらない。身振りか一言だけで会話を成立させて居た。そういえば昨日も声を聞かなかった。ちょっと癖のある声だから、それを気にしているせいかもしれない。


「マルセラ様──お待たせ致しました」


 門の前に着いたと同時に、セージが現れた。うわぁっ!


「プレゼント、着てくれたんだね」


 必死で、にやにや笑ってしまわないように力を入れたせいで、素っ気ない言い方になってしまう。ああでも、その方がまだ良いよね。


 ──格好良い。

 軍服姿も凛々しかったけど、それとは全然違った雰囲気をまとっている。それに、セージは最近貫禄みたいなものが出つつあって、堂々と立っていると様になるのだ。

 見た目はなんの変哲もない基本形の夜会服だから、多分僕の目がおかしいだけなんだけど──格好良いものは格好良い。

 もし今が誰に見られているかわからない外じゃなかったら、フられたなんて忘れたみたいに興奮してセージを褒めちぎっていたに違いない。良かった。


「はい、神子様に贈って頂いた大切なものですので、今日お披露目するのが相応しいと思いました」


 これは社交辞令だから──わかっていても、やっぱり笑顔になってしまいそう。淑女は微笑むだけで、感情を露わにするのもはしたないなんて──誰が決めたのか知らないけど、今はその謎のルールに助けられていた。


「とても良く似合って居ます」


 微笑んで、心からの言葉を口にする。今日、完璧にお友達として振る舞えたら、一歩進めるような気がした。


「お褒めに預かり光栄です。しかし私とマルセラ様を比べましたら、私等霞んでしまうでしょう。素晴らしく可憐な装いだと思います」


 う、これは、社交辞令、だから──。もう無理! 僕はとうとう我慢できなくて、顔中で喜びを表現した。お世辞だってなんだって、セージに褒められたら嬉しいのを我慢できる訳ない!


「ありがとう、セージ。凄く嬉しい! セージも格好良いと思うよ」


 それまで堅苦しいやり取りだったけど、僕の一言でセージの堅さが少しなくなった。あれ? 緊張してたのかな?


「僭越ながら、今夜は私にエスコートさせてください」

「はい──喜んで」


 セージの差し出した手に手を重ねて、そんで抱き上げられて、格好付かない僕は格好良いセージと王宮へ向かうのだった。



 遂に今日が来た。ラマルは知らないことだが、今日はラマルとルシアン殿下のお似合いぶりを社交界に披露する会でもあるのだ。

 ここ一週間ほど、出世と地位に関して相応しくないだの何だのごたごたがあって、最終的に何故か階級は上がって少尉になり、“精霊の神子親衛隊隊長”という肩書きに落ち着いた俺だったが──置いておこう。今日の舞踏会で王宮の文官の書いた筋書きはこうだ。

 神子様とルシアン殿下を守った今日の主役である、“神子親衛隊隊長の英雄”こと俺が神子様を抱いて馬車から登場。陛下夫妻と殿下に挨拶をして、ルシアン殿下にバトンタッチ。二人の為に一番最初のワルツが奏でられ、ホールの中心で大勢に微笑ましく見守られて仲の良さを見せ付ける。

 ──茶番だ。俺は噛ませ犬であり、ルシアン殿下との対比の為に利用されるということだ。文句を言う筋合いではないし、もちろん文官様にも素晴らしいと言いはした。──だが、良い気分でないことは確かだ。

 ラマルからもらった夜会服を身に付け、同僚達に身だしなみを確認してもらって寮を出た。

 予定よりも少しだけ遅れているような気がしたが、幸いにも門の前にラマルが現れたのは馬車から降りた直後だった。

 ラマルは──可愛らしく着飾っていた。なんというかぬいぐるみのようで、その中にもラマルらしい知性や活発さを感じさせた。初めてラマルのドレス姿を見たし、ファッションには何一つ詳しくないので、気の利いた台詞はまるで思い浮かばなかった。

 どうしよう、一応貴族のルールや社交界での挨拶なんかを習って来たが、付け焼き刃ではだめかもしれない──。と緊張していたら、突然ラマルが昔のように笑った。


「ありがとう、セージ。凄く嬉しい! セージも格好良いと思うよ」


 ──何だ。神子様でも貴族様でも、ラマルはラマルじゃないか。ここ最近はずっとラマルの社交用の姿を見ていたので、なんとなくラマルも貴族の仲間入りをして遠い存在になったような気がしていたが──そんなことはなかったみたいだ。


「僭越ながら、今夜は私にエスコートさせてください」

「はい──喜んで」


 装いも相まって、ラマルの笑顔は花が咲いたように見えた。

 さて、問題の馬車だ。いつもと同じ仕事なのだが、今日は大きく違うことがある。服装だ。ラマルのドレスに皺を付けようものなら、ラマルが恥を掻く──とダフネ様とラウネ直々にご指導頂いていた。

 絹は綿に比べて脆い上に、特別な織り方のドレス用の生地はすぐに変な皺が出来る──という予習を生かして、皺を作らないようにいつもより慎重にラマルを抱きかかえた。

 あらかじめラマルになるべく動かないでくれと言って置いた為、馬車の揺れにさえ注意していれば良い。


「着きました」


 なんとかなったようだ。ラマルのドレスに皺が出来る余地はなかった。


「うん」


 ハッ、俺としたことが一言も話しかけていない。ラマルだったからまだギリギリ大丈夫だが、社交の場では会話をするのが礼儀だと言われていた。

 ちゃんとしなければ、今日の主催者は陛下夫妻なのだから──いくら大目に見てくれると言っても、めったな失敗は出来ない。


「ようこそ、王宮へ。お越し頂きありがとうございます」


 馬車の誘導をしていた王宮勤めの兵士は、思いっきり顔見知りだった。

 くそ、笑いを堪えているのがわかるぞ? そりゃあドレス姿のラマルを抱く俺は変態にしか見えないだろうがなぁ!! くっ、悲しくなってきた……早く馬車を降りよう。

 そそくさと馬車を降りてラマルを下ろすと、王宮の使用人達がやって来て、上着や帽子等を速やかに預かって行った。

 ラマルは平然としているが、これだけでも俺には驚きだ。酒場なんかとは訳が違うな。


「セージ」

「ん?」

「馬車でごめんね、話しかけなくて……今日はセージは平民で一番低い身分だから、女性から話しかけられてない時には話しちゃだめなんだった。うっかりしてたよ」


 そうだったのか。……そうだったのか! 危なかった。このまま会場に行っていたら、完全に失敗を取り返そうとして失敗していたに違いない。


「いや、俺こそ注意してくれてありがとう。他にも何か失敗しそうだったら助けてくれな」

「うん、もちろんだよ!」

「頼むぞ」


 会場までの道も花で飾り付けられていて、そんな珍しい物達を見ようと観光気分で居たのに、やはりそれどころではない。もし俺に悪い噂が立ったら、ほぼ間違いなくラマルの悪評に繋がってしまう。


「セージ、そんな緊張しないで。縮こまってると情けなく見えるから、背筋を伸ばして堂々としてよね!」


 ラマルが胸を張るのを見て、前にもこんなことを言われていたと思い出した。


「畏まりました、マルセラ様」


 背筋を伸ばして頭を動かさない歩き方を意識する。そして俺の肘ではなく、手のひらに手を乗せているラマルの反応を窺った。


「ばっちり! 会話はなんなら、周りの人に任せておけば勝手に話が終わるから、しゃべり方よりも姿勢に気を付けてね!」

「わかった、気を付ける」


 そこで長かった通路は終わり、人がやたらと出入りしている部屋が見えて来た。うん、ラマルのおかげで、乗り切れそうな気がして来た。


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