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木洩れ日と日だまりのあいだに  作者: 結衣崎早月


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嘘と正しさのあいだ2

この話だけ、ティムガーン視点があります。

 どうして。なんで。

 意味のない言葉が頭を占めて、心の全部がセージを求めてた。

 いつからこんなに好きだったのかもわからないのに、とにかく僕はセージが大好きで。大好きだった……?

 僕はどうしたら良いの? セージはなんて言った? 僕は──。

 絶望すれば良いの? 希望を持てば良いの?

 今日は幸せな一日になるはずだった。式典と、誕生日に、プレゼント……なんで? 予想通りに上手くいかなかった、なんてものじゃない。

 僕は確かに、今日セージに改めて告白して──返事をもらおうとしてた。一週間前、セージが僕を大切に思ってくれてるのが伝わってきたから。心配で、無礼なのわかってたのに僕を放したくないって思ってくれたんだって──違ったのかな……僕の思い込みで──くすっ。

 訳もなく笑いが込み上げて、すぐに理由に思い当たった。これじゃあ道化師だよね……こんなの、僕が勝手に好かれてると勘違いしただけ……ふふ。

 馬鹿みたい、哀れで、愚かでいっそ──あの頃に戻って、出会ったばかりの二人のままだったなら。

 ただ少年のラマルで、神子でもなく女でもなく──世間知らずで無垢に思われていた。セージに恩と憧れを抱いていただけの存在だったなら。

 ふらふらと寝室に入る。お茶を下げようとしたシィナに声をかけられたけど、返事をする気力もない。でもなるべく部屋には入らないでってお願いしたのにな……もしかしたら、セージと恋人になってるかもしれない、なんてとんちんかんな妄想をしてたからね。

 ふふ、わからないな……わからないよ。僕の何がいけないのか、セージの何がいけないのかわからない。

 あの言葉達に嘘がないとするなら、セージは僕が嫌いじゃない……“隣りに立てないから気持ちに応えられない”だけ。

 ねえ……嫌いって言ってくれなきゃ、嫌いにもなれないよ? 興味ないって言って、もう子守に付き合うのは飽きたって言ってくれなきゃ、変な期待を持っちゃうよ?


『すまない──』


 布団の上に倒れ込んだ。

 まだ僕は泣いていた。ぐちゃぐちゃでわからないのに、悲しみと痛みだけはやたらとはっきりしていた。鼓動と痛みが同じ速度で脈打つ。

 ティイガ……シスターマリー、レムさん。みんなに会いたい。みんなで笑っていたあの時間が、一番幸せだった。プレッラに帰りたい。


「ラマル」


 不思議と名前を呼ばれた気がして、体を起こした。そこには、何食わぬ顔でいつもと変わらないティイガが居た。また、涙が溢れる。


「ティイガ……」


 昔にもこんなことがあった。辛くて悲しくて仕方ない時、ティイガが会いにきてくれて……。何故ここに居るのかと思ったけど、今訊きたいのはそんなことじゃなかった。


「僕に会いたいと思ってくれただろう? ねえお姫様、泣かないで。何があったんだい?」


 お姫様──それはティイガが僕をあやす時にしか使わない呼び方。


「セージが、……僕の、気持ちに応えられないって……言って。けど、理由も教えてくれなくて……わからない。セージが何を言ってるのか、わからないんだ」


 ティイガは頷いて僕の髪を撫でてくれる。人の手には僕の頭は小さいけど、虎だった時と何も変わらないぬくもりに慰められた。


「全部吐き出してごらん? 怒りも、悲しみも──そうしたら、一つずつ話をしよう」


 もうだめだった。ここにきてからずっと張り詰めていた糸が切れるのを感じた。グズグズで、意味も理屈もない感情が口を動かしている。


「セージは狡いよ! もっとずっと前に断ってくれれば良かったのに、今更……なんであんなに優しくしたの?! なんで抱きしめてくれたの?! ……好き、だ。それでもやっぱり、セージが大好きなんだよぉっ!!」


 最後の最後で出た言葉は本心。自分の言った“好き”に打ちのめされてしまって、僕は全てを込めて泣き叫んだ。好きと叫ぶ心は止められなかった。今からでも追い縋って口づけてしまいたいよ。許されなくて良い。セージが欲しい。

 ……やがて、涙は収まった。


「ラマル……僕はラマルに意地悪を言いたい訳じゃないんだ。でも……ラマルには辛い話をするかもしれない。良い?」

「ぅん、平気」


 声がかすれていて、なんとか聞こえるようにと咳払いをして喉を整える。


「僕はここに来てから、少し人間の勉強をしたんだ。人間を知らな過ぎるのも問題だと思ったから」

「うん」


 ティイガの話が長くなるのを感じて、僕は相槌をなるべく頷くだけにしようと決めた。また泣いてしまったら、話を止めてしまう。ついでに座り心地の良い姿勢になって、膝を抱いた。ティイガの顔を見ていたら、また泣いてしまうような気がして、俯いた。


「人間の中でも、セージ・ガルハラについて……なのかな? とにかく、彼を知る機会が多かったのは確かだ。そして思ったんだけど、セージは何も特別なことはない男だよ。普通に善良で健全に臆病で……嘘を吐いたりもするし、理不尽を受け入れてしまう弱さもある」


 ティイガの言葉が染みてくる。どうしてもセージを思い浮かべてしまって、視界が滲む──頷いた。


「ラマルには悪いけど、あの程度の男は沢山居る。同じようなことを考えて、同じような人生を送ってきた人間が。いや、何も似てなくて良い。もっとずっと素晴らしい男だって幾らでも居るだろう」

「あき、諦めろ……っていうの?」


 話の流れから行く末を悟って、信じられない気持ちで訊いた。


「いや……心の中は誰にもどうにも出来ない。でもね、ずっとセージだけを男として見なくても良いんじゃないか? セージから少し目を反らして、それからどうするかを決めても遅くないと思う」

「誰を見ても、セージが好きだったら?」

「好きで居れば良い。諦める必要だってない。僕は──ただね、ラマルが酷く辛そうなのを見て居るのが嫌なんだよ」

「できるかな……」


 セージのことを考えない。出会う前はずっとそうだったはずなのに、戻れる気がしない。


「出来なくても良いんだよ。でも……諦められるなら。セージを好きな気持ちにお別れを言う準備をして置いた方が良い」


 好きな気持ちにお別れを言う準備……? それがこのティイガから出てきた言葉とは思えなくて、笑っていた。


「僕は、どうしたら、良いんだろ?」


 自分で何をするか決めて生きてきたのに、何を選べば正しいのかわからなかった。こんな気持ちは初めてで──ううん。セージと出会ってからは、初めてばかりで──いつからか僕は昔と違う人間になっていた。


「そうだね──ある程度は心を決めてあげないと、生き辛いだろう。……一つはセージを諦めること。好きでなくなれば結果は何でも良い。もう一つはセージを想い続けること。納得出来るのなら、片思いを続けても良い」

「どちらかなの?」


 ティイガは儚げに笑った。もしかしたら、僕が可哀想でそっと笑ってくれたのかもしれない。


「セージへの気持ちの向きは、大まかに分けてどちらかだろう。憎むなら前者、振り向かせるなら後者……そうだ。ラマルが絶対に選んではいけない選択肢ならわかるよ」


 選んではいけない選択肢、それは賢いティイガならわかるんだろう。僕には何もわからない。


「……なぁに?」

「セージの為に身を引くこと。ラマルはラマルの為になることしか出来ない。自分に嘘を吐くのは辛い結末が待つばかりだ。止めた方が賢明──だろう?」

「うん、そうだね。僕は──一度、セージから離れてみるよ。それから、また、どうするか決めていこう」


 まだどちらか選べないけれど、どうすれば良いのかはうっすらとわかった。自分のために生きる──セージと会う前と同じことを考えて生きれば良い。

 僕の落ち着いた気持ちが伝わったのか、ティイガは肘を付いて寝そべったそばに僕を導いた。大人しく近づいて、ティイガの腹に顔を向けて丸くなった。……懐かしい。


「ねえラマル、質問しても良い?」

「もちろん良いよ」


 僕は顔を上げない。ティイガはまた僕の頭を撫でて、髪を慈しむ。


「ラマルはセージに、昔の生活について何か話をした?」

「話……? あちこちの町に行って、料理屋の下働きと赤ちゃんをあやす仕事をしてたこと……くらいは話したかな。──それがどうしたの?」

「全然、話してないんだ?」

「……何が」


 ティイガが何を言いたいか、わかってしまったけど、わからないふりをする。今……必要ないことなのに、なんでそんなこと訊くの。


「辛かった出来事や気持ち。ラマルを構成している大切な要素だよ」


 物は言いようと言うけど、本当だね。あんなことで僕という人間が造れるなら、世の中は正しいことだらけだ。


「忘れろって言ったのはティイガだよ? 忘れてたから、話してない」


 嘘だった。忘れられる訳がない、骨身に凍みる寒さやひもじさ……人間として扱われない毎日を。忘れられる訳がない。


「セージはラマルにとって、辛い過去を打ち明けるに値しない人間だったんだね」

「そ、んなこと。ない。だから、忘れてたから……」

「セージを狡いと言ったラマルも狡いね。自分の全部をさらけ出してもいないのに、愛して欲しいだなんて」


 ──衝撃。ティイガの告げた言葉は、僕の思いもよらない事実──真実だった。


「それは、違う。僕はセージに愛して欲しいなんて……大体、もし、昔の話をして……嫌われちゃったら、どうするの」


 僕にとって辛い話というのは、今している話だとやっと気づいた。恐る恐るティイガの顔を見る。


「隠しても偽っても、ラマルは全身でセージに愛して欲しいと訴えてるよ。ただの恋人じゃなく、伴侶として──一生の傍らとして求めている。だのに……傷も痛みも見せないで、取り繕った外側だけを好きになってもらおうなんて……僕からしたら、おこがましいよ」

「ティイガは人間のことわかってない! 違うんだよ、人はきれいで明るく見える物が好きなの。痛みや傷、なんて……忘れてしまった方が良いもの、だよ?」


 そう言ったのはティイガだったでしょう? 僕は間違ってない。間違ってないと言ってよ。


「確かにね。だったらセージは、明るくきれいなラマルも好きじゃないし、ボロボロで泣いてばかりのラマルを知ったら嫌いになる……そういう男だってことだ」


 違う!! 叫んだと思ったのに……口からこぼれたのは、小さな小さな肯定によく似た否定だった。


「ちが……う、違う……」


 セージは泣いてばかりの僕を抱きしめてくれる。明るく笑った僕に笑い返してくれる。強がる僕の心配をして……庇ってくれる。


「違うの? ああ……話してないんだから、わかる訳ないね。もしかしたら、ラマルの全部を知れば、セージはラマルを愛してくれるかもしれないけど、それをしなかったのはラマルだもの」

「何……それ」


 全部話したら、セージが愛してくれるかもしれない? 何でそんなこと言うの? ゆめまぼろしみたいな例えを言うティイガじゃなかったでしょ? おかしいよ。

 そんな言い方、期待してしまうよ。変だよ、そんなの。セージもティイガも──わからないことばかり言わないで。


「可能性の話だ。あの男はお人好しだから、絆されてくれる可能性は充分あると思う。ほら、ラマルもよく言っていた、心配性で堅物なんだから」

「優しさに漬け込むの?」


 声がどうしようもなく震える。


「愛してもらえるなら、何だって出来るんだろう? 今更じゃないか、散々お人好しを利用して来たのに」


 ……王都に一緒に来てもらったのは、紛れもなくセージの性格に漬け込んだ行為だと思って、否定できなくなる。


「そうだね……けど、もう遅いよ。セージは僕の誕生日の後プレッラの町に帰るんだって。そうしたいんだよ……セージは」

「まだ四カ月も先の話だ。……いや、ごめんね。ラマルがセージから離れると決意したのに、余計なことを言った」


 本当に、余計だよ。わざとだってわかるよ。


「それを言いにきたの?」

「まさか。ラマルの涙を止めに来たんだよ」


 お話の中の王子様みたいなセリフ。ティイガも昔とは違う人になっていた。


「……ありがとう……ありがとう、ティイガ」


 ティイガは僕のことしか考えない。僕と自分の為になること以外はほとんどどうでも良いと、口癖みたいに言っていた。だから……やっぱりこれも、ティイガの優しさ故だろうと思うと、怒りの矛先が丸くなってしまうんだ。


「お礼を言うなんて、おかしなラマル」


 困った顔のティイガに、僕は小さな頃に戻ったつもりですり寄った。


「わからないけど、でもありがとう」


 今言われたことの全部がわかった訳じゃない。でも、やっぱりティイガには何度もお礼を言わないといけない気がしたんだ。


「おやすみ、ラマル。また明日があるさ」

「うん、おやすみ、ティイガ」


 前にこのやりとりをして眠ったのは──一年以上は前かな。最後に考えたのはそんなことだった。




 愚直な男──セージという奴は、己を貫く意志の強い男だったらしい。

 頬の泣き跡が生々しいラマルの顔。昔と比べたなら、幼い丸みが取れていることがわかる。しかし、幼さがなくても丸みが強いせいで、誰からも幼く見られてしまうのだ。

 ラマルがこれからどんな道を選ぶかはわからない。セージに、いつかはこの子を抱くだろうと預言めいたことを告げたのに、自信がなくなっていた。

 確かにあの瞬間、ラマルを抱いて幸せそうな二人が見えたと思ったのだが。あくまで可能性の一つであり、それ以外の未来もあるのかもしれない。

 まあ──ラマルが笑顔で居られるなら、僕は何でも構わない。ラマルが幸せであると、我々はまた幸せを感じる。受け取った言葉や感情の仔細な移り変わりまで、それは余すことなく我々に伝わる。

 それは人間ではないが故に神に与えられた力。神子を人間から守る為の存在である僕なのに、守護者失格なほど傷付けてしまった──二度目だ。ミズリーア、そしてマルセラ。

 僕は当然、マルセラという名は知っていた。でも──僕の手で育つこの子に、マルセラになって欲しくなかった。ラマルで居て欲しかった。

 幾度も守護者として始まり、また終わった僕だけれど、今回の僕は今までからすると異色だった。欲求が強過ぎる……自分でわかっているのに、望みを叶えたくなる。

 白くなければならないのにね。今の僕は何色なんだろう?

 『ティムガーン』パチリと目を開けた。『呼んだね。グリシィナ?』

 ラマルを起こさない為だろう……扉のすぐ向こうにいるグリシィナは、声を出さずに呼びかけて来た。


『ラマル様は平気かしら?』

『君にもわかるだろう? まだ危ないね──でも大分安定したから、目覚め次第かな。僕は心配してない』

『良かった。ありがとう』


 控えめな彼女は、僕とは正反対の守護者だ。佇むことで寄りどころになり、最後には逃げ込めるところとなる存在。……のはずだけど、ラマルの中ではその場所に居るのは恐らくマリーだろう。

 グリシィナもまた、これまでの彼女とは違うようだった。彼女のことは本人に任せて、僕はラマルの為に思考する。

 この思考はラマルの為にある。体は、声は、時間は──全てがラマルの為にならなければいけない。

 僕はそれを(ことわり)だと理解している。それ以上でも以下でもない。

 歴代の神子の中で、僕らに感情や思考が筒抜けだと、一人だけ一目で見抜いた子が居たな。僕ではない僕の記憶をなぞって、ラマルに役立ちそうな事柄を整理することで時間は過ぎていった。

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