森と家のあいだで3
朝……ううん、まだ夜明けの薄暗さが残っているくらい。辺りには朝もやの匂いが立ち込めている。一人膝を抱えて、すり切れた毛布にくるまった。
目が覚めてまず、一昨日セェジが森で僕を助けたのなんて、傷ついた小鳥を世話するのとおんなじだったんじゃないかって考えて、勝手に苦しくなってしまった。
今日、またセェジの家に行こうかなって考えてるけど、迷惑だったらどうしよう?
『親切』に手を乗せただけで、何度も振り払われてきたから……。もしセェジの目があんな風になったら、って考えるだけで怖い。でもセェジに会いたい。笑い声とか、優しいこげ茶の目、僕よりずっと大きな手も……たったあれだけのことなのに、もう一生忘れられない気がした。
──うん、やっぱり行こう。きっとセェジなら、僕のこと歓迎してくれるよね──? これが決別したはずの《期待》だってわかっていた。
そんな気持ちを見ないようにしまい込むと、僕は朝ご飯を食べるために立ち上がった。
「こんにちは~っ! 違うかな、おはよ~う!」
少し寝過ごした翌朝、そんな気の良い声に起こされた。清々しい目覚め。
寝ぼけた頭がはっきりするより早く、窓を開けている自分が居た。
「ラマル……」
呟いた声はラマルには聞こえない。ああ、顔が見えないほどに遠くて良かった。
「あ! セェジ、おっはよー! まだ寝てたの~?」
玄関先で大声を出すラマルに、俺は朝から近所迷惑な奴だと叫んだ。
「あほ~、声がでかーい! いいから入って来い!」
「うーん! わかった~っ♪」
ちっともわかって居ない……はた、と自分も大声を出して居たと気づいて額に手を当てる。窓ガラスに映った顔が、不思議と嬉しそうに微笑んでいた。
慌ただしい音と共に駆け上がって来る。『床が抜けたらどうする』と二つ目の文句の内容を決め、機嫌良く洗ってあるシャツを取って着替えた。
ドアの前に来たところで足音がぴたっと止まる。
「おい、どうした?」
「あは、きちゃった! おはよ、セェジ♪」
「おはようは良いがお前なぁ、近所迷惑ってもんを考えろ! みんな驚くだろ?」
ラマルは急いで来たせいか少し息が上がっていた。その正面に立って黒いボサボサ頭を捕らえると、両手で上からぐりぐりと攻撃する。小さい頃、親父のお仕置きといえばこれだった。
「あ痛たっ、ごめん、ごめんってセェジ。反省した! ごめんなさい!」
「本当か?」
「ほんとにほんと、だから止めてぇっ」
「もうしないか?」
一旦手を止める。だがまだ離さない。
「しない、しないよっ」
「……なら良い。他の人に迷惑をかけない人間になれよ」
「は~い。でもさ、驚いたってほんと? それってセェジも?」
離してやった途端に笑いながら訊ねるラマルに、俺は肩すかしを食らってしまった。反省がどっかに行くほど、何がそんなに楽しいんだ。全く、これだから子供は躾けてやらないといけないんだ。
「驚いた。それより今から謝りに行くぞ。ついて来い」
「やたっ♪」
「何がやったって~?」
もう一度頭に手をかけ、警告の意味で少しだけ力を込めた。
「ごめんなさい、さっきから何回も謝ってるでしょ~?」
「ふん、しっかり反省したか?」
「ちゃんと反省だってしてるのにー」
その口調からは、悪戯が成功して浮かれている小坊主以外の何者も見付けられなかった。お仕置きの甲斐なく、反省さんは帰って来なかったらしい。
「ほらっ、さっさとお詫びに回るぞ!」
「わかったわかったからぁ、引っ張ると服が伸びる~」
「自業自得だっ」
ご近所に詫びられるような品も手元になく、誠意はあるのに手ぶらで挨拶に行くことになったが、周りの人達が皆さん良い人ばかりで助かった。
「へえーそうだったのね。セージさんがその子を助けて。もう良いわよ、謝ることはないから顔を上げて」
「ありがとうございます。……ほら!」
「す、すみませんでした……」
もう一度だけ頭を下げさせた。こういうことは小さい内に学んで置かないと、大きくなってから苦労するからな。
「セージさんは厳しいのね。じゃあきちんと謝れたご褒美に、はいこれ」
そう言った裏手の家の奥さんは、ラマルの手に手作りの飴を落とした。前に俺も頂いたことがあるが、この辺だと砂糖菓子自体が珍しいのに。
「あ、良いんですよレムさん。お菓子なんて貴重な物あげなくて!」
「えと、本当に、くれるんですか?」
「私はあげたいけど、セージさんがだめって言うならだめになっちゃうわね」
絶望してから控えめに縋るような視線をくれたラマルに、だめだと言える奴が居るなら代わりに言って欲しい……。なんて表情だよ。だめだと言おうもんなら、完全に俺が悪役だ。
「良いよ。食えば良いさ。ちゃんとお礼を言うんだぞ」
「わーい♪ おばさんありがとう。きれいで優しいなんて、僕憧れちゃうな!」
「まあ、お世辞なんて言ってこの子ったら。ラマルくん、だっけ?」
「うん!」
「美味しい?」
「すっごく!」
「そう、良かったね」
はしゃいで礼を言うラマルに、レムさんはとても親切にしてくれた。もう家を出たそうだが息子さんが居ると聞いたから、懐かしく思うのだろう。
他でも、ラマルは行く先々で気に入られてしまった。人慣れしていないと思ったのは何だったのか、口も上手いし愛嬌もあって、何より素直さが一番眩しく見えた。
一通りご近所を回ると、今日は一日休暇なのもあり、公園に行きたいと言うラマルを連れてぶらぶらと散歩に出ることにした。
まだ昼前の公園は、仕事中の人が時折前を横切るだけの静かな場所だった。あっちこっちと元気にはしゃぐラマルに、俺は早々にギブアップを果たし、ベンチに体を預けて座り込む。
「ふう……」
「よう。あの少年、良い子だな」
後ろから影が差す。この声は知人だと気づいて、振り向いて顔を上げた。
「バースじゃないか! 久しぶりだな。何だいきなり」
「いやぁ、生きてるっても顔を合わせなきゃいけない訳でもなし。やけに騒がしいと思ったら、お前が子供を連れて挨拶してるって言うじゃないか。気になってね」
どこか胡散臭いセリフで現れたこの男はバースと言って、この町に来る前からの友達だ。『久しぶり、子供を連れているなんて珍しいな』とだけ言えば良いのに、昔から持って回った言い方を好む男だったのを思い出す。が、そこが気に入っているところの一つでもあった。
ベンチの端に気だるく腰をかけて足を組んでも、俺は何となくこいつを憎めない。そんな関係だ。
「もしかして、お前もラマルに起こされた被害者の一人か?」
よく見れば、着ている物が草臥れていて起きぬけのようだし、真っ昼間に公園に現れた辺り、これから仕事がある風でもなかった。
「まあな。昨夜は遅かったから」
「おーい!」
謝らせようと、ラマルに声をかけると身振りで制止された。
「良い。楽しそうじゃないか。邪魔することもないだろ、遊ばせてやろう」
何も知らないラマルが、呼ばれたと思って大きく手を振って返した。バースが手を振れば、向こうは俺達二人の邪魔になると思ってか、すぐに注意を地面へと戻した。
「そうか? にしても久しぶりだな。一年ぶりくらいか。今は何をやっているんだ?」
前に会った時には情報屋とか言って居たが、まだ続けているんだろうか?
「今はな、人攫い」
「……冗談だよな?」
もし本当なら、いくら親友でも見逃してやれない。
「を、捕まえる仕事」
「おいおい、からかうなよ。真面目に取るとこだっただろ!」
「ははは、いかにもマジっぽいだろ? 何をするんだ、と訊かれたら情報屋とあまり変わらないさ。人捜しと根潰しって感じだな」
本人が認めるように、バースの人相は幼い頃から頬がこけていて、影があるせいか人にうらぶれた印象を与える。俺とは方向性が違ったものの、よく勘違いで悪戯等の犯人にされていた。そんな場面を見ていた俺が庇ったというか味方をしたのが、俺達の仲良くなったきっかけだった。
「根潰しだって?」
「組織立ってやる奴らが増えたからな、泳がせて根城を突き止めたら、憲兵に情報を流して一網打尽にお縄を頂戴するのさ」
「なるほど、お前向きだな」
昔からこの友人と言えば、誰からも『煮ても焼いても食えない男だ』と言われて名高い。その癖面倒見の良いところもあるので、憲兵とは違う裏よりの正義役というのは、天職じゃないかと思った。
「だろう? その仕事柄だから、忠告しといてやろうと思ったんだ。あのチビちゃんのこと」
「あいつが攫われるって言うのか?」
そんなことないだろ、と続ける前に伝わってしまったらしく、遮られる。
「チッチッチ、わかってないなぁお前は。今時なら子供ってだけで欲しい下衆は掃いて捨てるほど居る。第一、これだけ派手に自己紹介しちまってるからな……余計気を付けるべきだ」
バースからのありがたい忠告は、やけに重たく響いた。物騒な事件の多くなったご時世だし、確かに用心するに越したことはない。
「そうか……そうだな。確かに気を付けないといけない。本人にも教育しておくことにするよ」
「ま、そういうことだ」
それだけ言ってベンチから立ち上がると、胸ポケットからタバコを取り出して咥えた。
「もう行くのか?」
「また会えると良いな」
相変わらず変わった別れの挨拶だ。俺が「またな」と返すと、擦ったマッチを捨てるついでに手を振られた。
『なんだこいつ、』と思うよりも挨拶で手を振るのさえ恥ずかしいんだなと思う。バースの恥ずかしがり屋は根っからで、前髪を目にかかるまで伸ばしているのも、真正面に目が合わないようにだといつか聞いた。
持って回った言い方もそう考えると可愛く見えるってことだ。他人に言うと怪訝な目で見られるが、俺はとにかく良い奴だと知っていた。無二の親友だとバースも同じく思ってくれてるだろう。口には出さないだろうが──それでも少なくとも、友人だとは言ってくれるはずだ。
「セェジ! 今の人誰? セェジのお友達?」
いつの間にかラマルがすぐそばに居た。
「ああ、バースって言ってな。俺がお前くらい小さい頃からの友達だ」
「何話してたんだ?」
「お前のことだ。さ、もう帰ろう」
帰り道の間、自分の何を話していたのかとしつこく訊かれたが、往来で話すことじゃないからと宥めた。
あんまりしつこいから、途中の屋台で昼食代わりに小ぶりのパイを買ってやった。食べている間は静かなのだが、『僕のことって何?』と目が真っ直ぐに訊ねている。
「……もういいでしょ? 教えてよ」
家に着いて上着も脱がないうちにせがむ姿に違和感を覚えた。
「ん? ああ、お前もずいぶん頑固だな」
「教えてってば!」
ラマルは構わずぐいぐいとシャツの裾を引く。
「わかった。良いか? 真面目な話だぞ?」
「うん……」
真剣な顔と前置きに、ラマルは俺の話を最後まで黙って聞いた。台所でお茶を用意して、少しだけ真面目な話をする。
「だから、お前もちゃんと注意すること! わかったな?」
「……いい人だね、バースさんて人」
「まあな。わざわざそれを言いに来てくれたみたいだから、あいつの親切を無にするなよ?」
「うん、もちろん! 今までよりもっとしっかり注意する! だって……」
続いた声が小さ過ぎて聞こえない。
「なんて言った?」
「あ、なんでも! 僕だって攫われたりしたくないってこと」
「そりゃそうだな」
食器を下げると、サボっていた洗い物を片づけていく。さっき感じた違和感はもう頭の中から消えていた。
「ねぇ、セェジ」
「んーどうした?」
「僕、セェジの話が聞きたいな。どんな子供だったの?」
「おいおい、いきなりなんだ」
「バースさんとお友達だったんでしょ? 他には? お父さんとか、お母さんは?」
「ああ、どっちも居るよ。今も実家で商売してるだろう」
「ふーん、それで?」
「それでも何も、妹が居て俺が居て。あんまり話すようなことはないぞ?」
「え~、ないってことはないでしょ? 喧嘩したこととか、面白い話とか……聞かせてよ♪」
肩越しに振り返れば、ラマルのわくわくした顔が見えた。あんな顔をされたら、話さない訳にもいかない気になってくる。
「そうだなぁ、俺も聞いた話なんだが……」
ラマルはうんうんと幾度も相槌を打った。けらけらと笑い、疑うような声を出して文句を言ったりもした。
自分では大した事件もない少年時代のつもりでいたが、案外話してみれば何かはあるもので、一つ一つの話をラマルは面白がった。
「それって可笑しいよ~? 本当に?」
「俺は至って真面目だったな。無口な親父が珍しく大笑いしてたよ」
「あははっ、そうだよねっ♪」
笑っているラマルは堪らないとばかりに机を手のひらで叩いた。皿を洗い終わって、ふとラマルの怪我のことを思い出した。
「おお、そうだ。俺のことも良いがお前のことだ。昨日は大丈夫だったか? 足は?」
「うん、昨日は……平気だったよ。ちょっと心配されただけで、その人からもらった薬草を足に塗り直したし」
と言って、ラマルは椅子の上に足を上げると包帯を外し出した。
「そうか、叱られたか? どれ、見せてみろ」
「あつっ」
足首を見やすいように上に向けて、腫れを触って確かめる。
「腫れはもう引いたみたいだな。痛みは?」
「さっき歩いてたの見たでしょ? ちょっと気になるだけだよ。曲げなければ大丈夫じゃない?」
「ん、ならよしっ」
「けっこう心配症だなぁ~、セェジって!」
「にやにやするなよ、どういう意味で言ってる?」
こんなにことあるごとに笑って、よく疲れないなと思う。しかし子供なんてそんなものか。
「なんでもないよっ、へへ」
「お前こそ可笑しいぞ」
「良いじゃん! 何かして遊ぼうよ? それとも、今日もお仕事?」
包帯をまき直してやれば調子の良いもので、溌剌とした声で遊びに誘う。何だかなぁ、昨日とは本当に別人のようだ。
「仕事だが、今日はあの森の更に奥に行くんだ。ラマルはよく行っているんだろう? 奥まで入ったことは?」
「森かあ……何回か入ったことあるよ。獣に合わないように、そんなに深くは行かないんだ」
「俺がいるから獣の心配はないだろうし、ついて来るか?」
「えっ? いいの?」
意外に思って首を傾げた様子が、小動物に似ていた。
「だから来るかって」
「行く! ぼ、僕あの森詳しいし。セェジの邪魔しないっ」
「案内を頼むよ」
頭に軽く手を置くと、たちまち上機嫌になった。俺も子供の時は大人から頼られると得意になったことを思い出す。
「任せてっ、抜け道とかも知ってるから!」
自分用の飯を荷物に詰めて確認した後、ミントを連れ出して二人で森へと向かうことになった。
「ミントって、きれいな馬だね♪」
たてがみを撫でたラマルにぶるる、『べ、別に褒められたって嬉しくないわよ? 私がきれいなのは当たり前なんだから』とミントが返事をした。
「よくわかってるわね、ってさ」
「え、本当に?」
「俺にはミントの言ってることならわかるのさ」
「うわぁ、セェジすごい!」
「そんなこたぁない。ほら、走るぞ」
『そうそう、大したことないのよ』とミントに同意された気がして笑ってしまう。この子はなかなかミントだけに、そう甘くない性格なんだよな。街道に出ると風を切って走り、あっという間に森に着いた。
「ひゃ~、早いなぁ! いつももっと時間かかるのに……」
「ミントのおかげさ」
「ありがとう、ミント!」
『別に。これくらい軽いもんだわ』俺が目を見て撫でるのを真似して、ラマルが背伸びをして足元を撫でた。いつもよりミントが嬉しそうで、俺も嬉しかった。
「それじゃミントは気持ちよくないさ、ほら!」
「わあ! セェジ、高いよ」
ラマルの脇を掴んで抱き上げれば、ミントの背と同じ高さになった。
「ミントは腹と耳の裏が気持ちいいんだ。撫でてやれ」
「うん。ありがと」
ラマルはごしごしとしっかり腹を撫でてやり、耳の裏を絶妙に掻いてやった。『ちょ、ちょっとは喜んであげても良いけど』
「上手い上手い、ミントも喜んでるぞ」
「そっか、良かった……もう平気。下ろして!」
「おう」
怪我している足に負担をかけないよう、そっと下ろしてやる。今にも駆け出しそうなラマルについて、春の風で梢のさえずる森へと歩いて行った。
「早く行こう!」
「まあ待て。この間は地図の三分の一くらいを調べたんだ。と言っても入り口付近は調べやすかったから、奥ともなると難しいだろうがな」
「ふーん、その地図っての見せてよ」
懐に入れている地図を取り出して、ラマルの目の前に広げた。
「貴重な物だから、破くなよ」
「わ、わかった」
緊張した手付きに脅かしすぎたかとも思ったが、破られて怒られるのは俺だからな。
この国の聖書で聖獣の守る地と言われる森……そんな場所だもんで人も奥までは入らないし、地図を作るのだって許可が必要なのだ。この地図が作られたのだって、もう三十年は前らしいから、今とは多少の差異があるかもしれない。その調査を無理のない範囲でやるのも仕事の一環だ。
「というかラマル、地図なんて読めるのか?」
「この森の絵なんでしょ? だったら大丈夫。わかるよ……うん!」
しばらくして地図から顔を上げると、ありがとと言って丁寧に返してきた。
「じゃあ今日はお前が転んでいた辺りから、この泉辺りを捜すぞ」
「えー、捜すって何を? 薬草? それとも動物?」
「ん?」
……言ってなかったか? ──言ってなかったな。
「ああ、言い忘れてた。聞いたことがあるかもしれないが、捜すのは“精霊の神子”って言って自然に祝福された乙女だ。つまり人間。森の奥でこっそり誰かが暮らしてないかを確認するんだよ」
「せいれいのみこ……? 名前は聞いたことあるけど──それがセェジのお仕事?」
訳がわからない、と言いたげなラマルに思わずうんうんと頷いてしまう。
「そうなんだよ、変な仕事だろ? ちょっと考えればこんな森には居ないってわかりそうなもんだが、ちゃんと調べないとお偉いさんは納得してくれなくてな」
「ふーん、わかった。でも捜しても居ないと思うよ? あすこで誰かと会ったのってセェジが最初だし」
「そりゃあ居ないだろうがな、人が居た痕跡とか生活してた跡とかを調査して、報告するのが仕事だ」
それを聞いたラマルはキョロキョロと辺りを見回して、終いには空を見上げた。途方にくれる一歩手前だな。
「僕にできそうな仕事かな……?」
「ああ、それは大丈夫。ラマルは道案内と野生動物以外の跡を俺に教えてくれ。凄く助かるから」
「そっか! 動物じゃなければ人間、ってことだね。わかった、調べてみる」
「おお」
そこでラマルと一旦別れて、足場が悪いと言う泉の周辺を探ってみることにした。待ち合わせ場所は昨日ラマルが転んだそばの茂みだ。赤い実が成っていて、目印にちょうど良かった。
「ふむ……」
泉には動物の足跡が幾つか残っていた。土がぬかるむせいか、形も比較的はっきりわかる。
殆どは鹿や野犬といった中型の哺乳類の物。
でも、少しだけ気になる足跡があった。小さな指の跡……これは、どう見てもラマルの足跡じゃないか? しかも広い範囲にちらほらと見える。それは納得出来るんだが、何より気になるのは……大型の猫科動物の足跡がある。用心しているのか、とてもわかり難いし紛れている。でもこの大きさの虎ともなれば、人間も怖れずに襲うだろう。そこに残るラマルの足跡。
……やっぱりこの森は危険だ。ラマルはよく来ると言っていたが、止めさせなければ。せめてこの泉に来るのだけでも。
周辺で調べたいことはなくなったので、最後に水を汲んで水筒に詰めると岩場や木に場所を移した。
「セェジ! もう終わった?」
一通り調査が済んだところで、待ち合わせ場所に行くとラマルは既にくつろいでいた。座り込んだ周りに種と茎が散らばって、おやつにその実を食べていたことがわかる。
「ああ、そういうお前は随分早かったんだな? ちゃんと見て来たのか?」
「やだな、僕がサボったと思ってるの? しっかり調べてきたよっ」
手を付いて立ち上がると手のひらを払って、慣れた様子で赤い実を千切ると口に放り込んだ。
「美味しいのか? それ」
俺が小さい頃にも食べたことのない実だったので気になった。念の為、食用かどうか詰め所の図鑑で調べよう。
「ん? いや、酸っぱいから……癖で食べちゃうんだ。それより、さっきの地図見せて?」
言われるままに地図を差し出せば、ラマルは嬉しそうに自分の見て来たことを語った。
「ここらへんは目立ったものと言えば鳥と蛇の巣ぐらい。木の虚があるけど、今は餌の残骸があって人が居たとは思えない感じ」
「ほー、本当にしっかり見て来たんだな」
「でしょ? セェジの方はどんなだった?」
「そうだな、泉のところでお前の足跡を見付けたぞ」
そう言うとラマルは目を輝かせた。
「うん! 僕結構行くんだよね」
「だがな、そこにわかりにくかったが虎の足跡もあった。あそこに行くのは止めた方が良いと思うぞ」
「え……?」
輝いた分がまるっきり曇ってしまった。口煩いのかもしれないが、最低限気を付けて欲しいことだから、言わない訳にもいかない。
「虎はあまり泉まで来ないのかもしれないが、もし虎と出会ってしまったら、命の危険がある。わかるか?」
「……ごめんなさい。わかった、もう泉には行かない。奥には行かないようにする」
なんで謝ったんだ? 訊ねようとして止めた。もしかしたら、ラマルは虎がたまに来ていると知っていたのかもしれない。危ないと知っていたのなら、謝るのも理解できた。
「良いんだ。俺も叱りたい訳じゃない。もしラマルが虎に喰われちまったら、後悔するだろうと思ってな」
「本当に?」
「本当だとも」
「うん。うん、セェジ!」
ラマルがいきなり飛び付いて来る。不意を突かれたのと鎧を着ているせいで動き難く、まともに受け止めることが出来なかった。
「じゃ、今日は帰って飯でも食おう」
「僕も食べていいの?」
くりっと丸い目が俺を見上げた。俺はくしゃくしゃの前髪を更にくしゃくしゃにしてやった。
「当たり前だろ」
「やったぁ! ね、帰ろう?」
来た時と同じく、居てもたっても居られないというように手を引かれる。その小さな手に引かれて、俺達は家に帰った。