嘘と正しさのあいだ
僕の計画は完璧に遂行された。なのに──部屋に一人で居る時のセージはずっと浮かない顔だった。何を考えているのかわからなくてもどかしい。
当然というか、ルシアンと僕は一週間もの間、お互いの宮から一歩出ることも叶わなかった。神殿は宮の領地内にある建物だから通えたけど、楽園での息抜きさえだめだと言われてしまった。
でも、それくらいでセージの役に立てるならお安いものだよね? 僕はセージの浮かない顔に戸惑いつつも、やっとセージの喜ぶことができたと信じていた。
外出が許されたのは、セージの勲章授与式だった。陛下自ら手渡しされるそれを、戴杖式とは逆の立場で見ている。今日は晴れ舞台ということもあって、セージの軍服は新品だった。というか、セージが軍服を着ているのを始めて見た。とっても立派で、凄くかっこ良い。
しかも今日は奇しくもセージの誕生日! こんなにおめでたいことが重なるなんて、まさか思わないよね。そりゃ、そうなれば良いとは思ったけどさ。
式は粛々と進み、僕とルシアンから感謝の言葉をかけて。セージはそれに晴れやかな笑みで返してくれた。
──良かった。僕のしたことはやっぱり間違ってなかった──その達成感はあっという間に、そう、宮に帰ってすぐに壊される幻だった。
今日みたいなめでたい式の後には、大抵夜会が付いてくる──のが通例らしいが、今回は話が急過ぎたということで一カ月後に晩餐会をすることになった。それの主役ももちろん俺、というのだから参る。
だから今はねだられるまま、ラマルの部屋でくつろいでいた。俺以上に今日のことを喜ぶラマルが、興奮して頬を赤らめながら式の様子を語ってくれる。
「凄く立派だったってね、みんなセージのこと褒めてたんだから! 褒賞金も金貨二百枚なんて……きっと家を建てても余るくらいだよね? 凄いなぁ」
勲章授与式で行われたのは主に三つ、一つはそのまま勲章を与えること。名前が国の記録に残り、一応偉人として称えられる。避けられないとはいえ恥ずかしい限りだ。穴を掘って埋まりたい。
一つは褒賞金を与えることで、これが過去に類を見ないほどに高額だった。国王陛下は、自分の息子であり第一王位継承者を守った武勇に相応しい金額だと言っていたが、流石に金貨二百はやり過ぎだと思う。
何せ、生活水準を上流階級並に引き上げても二十年はそれを維持出来て、偶に贅沢をするくらいなら一生食うには困らない大金だ。
ラマルとルシアン殿下からは俺の誕生日でもあるから、心ばかりの贈り物になれば何よりだと有り難いお言葉を頂いたものの、正直に言えば喜びよりも戸惑いの方が大きかった。
最後の一つだが、これは地位を与えること。素晴らしい人間には相応しい地位を──というものなのだが、俺はこれを断った。理由は幾つかあるが、一番は俺が実際には大したことをしていないってことだ。周りの人間には謙虚な姿勢で立派な人格者だと更に褒められたが、俺に騎士爵位が相応しくないのは火を見るより明らかだろう。
この話の流れを変えたかった俺は、今朝ラマルが言っていた言葉を引っ張り出してきた。
「あ~……そういえばラマル、誕生日の贈り物をくれるんだったか?」
「そう、それね! ちょっと待ってて」
クッションから跳ねるように立ち上がって、寝室へと駆けて行ったラマル。今からあの弾けるような笑顔を壊すのだと思うと、胸が捩れた。
「おーい? どうした?」
なかなか戻って来ないラマルに声をかけると、ラマルは扉の向こうから顔を出した。
「ハッピィバースディ! セージ」
ラマルの背中から出てきた包みは、想像していたより大きな物だった。平たい箱を受け取ると、案外軽い。
「ありがとう、これはなんだ? 開けても良いか?」
「うん、開けて開けて!」
俺は受け取ったプレゼントの包み紙をぞんざいに破った。俺が不器用な訳じゃなくて、楽しみだという礼儀なんだ。
蓋を外すと中から覗いたのは、黒い布だった。洋服だな……肩の辺りを持って広げて見ると、それは俺が見てもわかるほど上質な布で仕立てられた夜会服だった。昔ながらの仕立てで、父親が着ていた一張羅を思い出す。
「これは――嬉しいな。ちょうど欲しいと思ってたんだ」
「本当? 良かった。ちゃんとサイズを合わせるために、セージの同僚の兵士さんに協力してもらったんだよ!」
夜会服なんて一着たりと持っていない俺なので、今回の晩餐会で仕立てなければならないと思っていたのだ。だがこういうのは時間と金がかかると聞くし、初めてのことで不安もあった。見れば箱の下には何に使うかわからない細々した物も入っているし、これで服装の心配はしなくて良くなったな。
「なるほど。着てみても良いか?」
「うん、汚したり破いたりしないでね?」
その注意はまるで親が小さな子に言うみたいなセリフだったが、ラマルがあんまり真剣なので怒りも湧いてこなかった。可愛いな。
滑りの良い生地に腕を通し、上着のボタンを一つ止めた。似合うだろうか? という意味を込めて、裾を伸ばしてラマルに向き直った。
「うわあ! セージかっこ良い! 凄く良く似合ってるよ」
手放しで褒めるラマルの言葉を鵜呑みには出来ないが、それでもなかなか様になっている気がする。体に合うように仕立てられたおかげか、既製服を着た時のように袖が短いとか肩が窮屈ということがない。
「はは、褒め過ぎだ。それにしても、どうして夜会服なんだ? なんというか……意外だな」
「そうかな? 僕ね、レムさんにセーターをプレゼントしてもらった時、凄く嬉しかったんだ。もちろん、セージがくれたサンダルもチョークもスッゴく嬉しかったけど。……レムさんが、僕に似合うかな? サイズはどうかな? って考えて作ってくれたんだって思ったら、特別な感じがしたんだ。だから──僕もセージのことを考えながら、それを選んだんだよ」
僕は服を作れないから、レムさんほど凄くはないね。照れてそう付け足すラマルに、これ以上その時を引き伸ばす意味はないと悟った。
俺のことを考えて、『特別な気持ちになって欲しい』と贈られた上着を脱ぎ、きれいに畳んで箱の中に戻すと横に置いた。この服を着る度に今日を思い出すんだろうな──とそんなことが頭をよぎった。
「ラマル、話がある」
「え? 改まって何?」
俺は座っているラマルの前にしゃがみ込み、両肩に手を置いて視線を合わせた。逃げたり反らしたり出来ないように。
「俺はお前から好きだと言われていたが──俺はお前の気持ちに応えられない」
「……え? 今……なんて言ったの?」
青ざめたラマルが弱々しい声で縋るように俺の服の袖を握りしめた。聞き取れなかった訳ではないだろうが、今度こそ間違いのないようにはっきりと繰り返す。
「──ずっと、お前の気持ちを知りながら保留にしていたが、結論が出た。俺はお前の気持ちに応えることは出来ない」
ますます色を失って、驚きと戸惑いで小さく震え出したラマルを見て、心が揺るがないように気を引き締めた。覚悟を決めたんだ。
「ど、どうして? ──納得できない、できないよ!」
大粒の涙が零れ落ちて、膝の上に滲みを作っていく。その涙も表情も見逃さないように、肩に置いた手に力を入れた。
「納得出来なくても、それが現実なんだ。お前がどうするかは聞かない──好きにしてくれ」
ただ、と続けるセリフがこの子の心を抉るものだとわかっていても、最後まで言い聞かせた。
「済まない──ただ、俺はお前の隣りに立てる人間じゃないんだ」
「理由を……教えてよ。僕、何だってできるよ?!」
必死になって、涙を堪えながら、まるで袖を放したら死んでしまうと言うようなラマル。
それでも俺は同じ言葉を繰り返した。ここで『女として見れない』とか、他に『好きな女が居る』と嘘を並べ立てるのが優しさだと思うのだが、どうしても嘘を吐くことが出来なかった。──否、したくなかった。
「今言ったことが理由の全てだ」
肩から手を放して立ち上がる。
「待って! なら……友達でも良い! 僕のそばに居て……お願いだからっ──う、ぁぁっ……やだ……ッ」
俺を引き止めようと立ち上がるラマルを、視線で牽制した。俺がそばに居ても、お前の幸せにはならない。
「お前の誕生日まではここに居るよ。だが、その後には俺は居ない方が良い」
「嫌……そんなのってないよぉ……なんでっ!」
泣き崩れるラマルを置いて、ラマルの部屋から立ち去った。もう二度とここに足を踏み入れないと決意して。
「これで良い……これが正しいことなんだ」
手の中の夜会服が入った箱を見つめて握り潰した。大切にしたいと思っているのに、そうせずに居られない。
今すぐ戻ってラマルを抱き締め、全て嘘だと……愛してると告げれば許されるだろうか? せめて泣かないでいてくれたら、という些細な願いが叶うことはなかった。
「おめでとう、セージさん」
後ろからの声に体が強張った。ラウネだ──目元を拭って、笑顔を作る。
「ありがとう、ラウネ……そしてこの間は、庇ってくださってありがとうございました」
「ああ、あれね。あれはお母様がおかしかっただけだから気にしないで。むしろ悪かったと思っているのよ」
「ラウネが気に病むことは何もないだろう。助かったよ」
「でもね、あれが原因なんでしょう? それでラマルに……」
決別を告げたことが、部屋から漏れ聞こえる泣き声でわかったのだろう。しかし首を横に振った。
「あれが無くても、俺は変わらない言葉を伝えた」
「──そう。なら構わないの、セージさんが──良いのなら。今日はせっかくのおめでたい日でしょう? 今から飲みに行きません?」
ラウネは俺の気を紛らわせようとしてくれている。ありがたくその誘いに乗って、同僚達を大勢引き連れて街に繰り出すことになった。
何もかも忘れて飲んでしまいたい。今日は勲章をもらった日だというのに、一つも浮かれた気持ちにはなれなかった。慰めと言えるのは、仕事をしなくても暮らせるだけの金をもらえたことくらいだった。
自分で自分に刻み付けたラマルの全てが、昔の思い出と一緒になってどんな時でも出て来ようとする。泣いている姿が笑顔と同じだけ多くて、本当に俺はどうしようもない人間だ。──これから、二人にとって正しい関係になるのだと、この時は確かにそう信じていた。




