立場と想いのあいだ
僕がアード宮に入ってから一カ月あまりが過ぎた。沢山の人に助けられながら、なんとか全ての人の前に出られる作法を身に付けた僕は今日、国王陛下へお目見えの日を迎えた。
「マルセラ様、昨日の練習通りにすれば何も心配はいりませんよ」
「ラマル様、王城の中ではあちこちを見ないようになさってください。挙動不審に思われてしまいますので」
「わかったよ、ダフネ、シィナ。わかってるからっ」
うぅー緊張する! どうすれば良いのかはわかってるけど、失敗したらどうしようと思うとみるみる自信は萎んでいった。そうこうしている内に王城に着いて、しかも控えの間から謁見まで雪崩れ込むように進む。
早くない?! って思ったけど、控えの間までが長く待たされたせいかな? 歩きながらきょろきょろするなって言われたけど、正直そんな余裕なかった。
「マルセラ・ティファト前侯爵令嬢」
呼ばれたぁ! 僕は裾を踏まないように、なるべくしずしずと見えるように俯きながら前に進んだ。拝顔は許可があってから……。
「お初にお目にかかります。マルセラ・ティファトと申します。今代の精霊の神子にてございます」
「面を上げよ」
よし、このまま行けば良いんだ。王様からの言葉は練習通り、型通りの物だから淀みなく答えることができる。この後は忠誠を誓って、杖を貰うだけ……!
「『私、マルセラ・ティファトは、神より賜った精霊の力を持って、この国の発展と幸福に力を注ぐことをここに誓います』」
杖を渡す式は問題なく終わることができた──。あんまり記憶がないことを除けば、よく成し遂げたよ、僕!
「ご立派でございました。この後に陛下より個人的な晩餐会に招かれております。お召し物を着替えまして……」
晩餐会! 謁見が緊張しすぎてそこまで気が回ってなかったよ?! なんか煙でるかもよ?! 気持ちが休まらないまま、ついでに記憶も飛んだまま、僕は真っ暗になる頃に無事アード宮に帰ってくることができた。
「ご苦労様でした、マルセラ様」
「セージ!」
部屋の前にはセージが立っていて、もう寝る時間のはずなのに僕を待っていてくれたとわかって嬉しくなった。疲れが一気に吹き飛ぶ。
「いやー、立派なもんだったな。まさに“精霊の神子”って感じで」
「何それ。からかわないでよ~、さ、入って。今お茶を――お酒の方が良いかな? お腹は空いてない?」
「お茶で頼む。腹は減ってない」
「わかった。シィナ、二人分のお茶を持って来て」
「畏まりました、失礼します」
僕はシィナが居なくなってすぐにお気に入りのクッションに座って笑いかけた。セージも笑ってクッションの上でくつろいだ。
本当ならテーブルと椅子があるはずなんだけど、ベッドと同じようにダフネに言って居間から外してもらった。
僕は座るのに支え木を踏みつけて台にしないといけないし、セージには少し小さい。だったらそんなくつろぎ難いものより床にクッションを置いた方がよっぽど良いからね。
「今日は凄く緊張したよ」
「頑張ったな」
「でしょ~? セージ、褒めて褒めて!」
「偉いな。毎日お疲れ様」
胸がじーんと温かくなる。この夜のほんの一時が、僕の癒やしだった。
「失礼します」
シィナがお茶を置いて、扉と棚の間に立った。シィナは何も言わない限りそこに立ち続ける。
「あのねあのね、今日の晩餐会は凄かったよ~? 考えられないくらい柔らかいお肉が出てさ、もうめちゃくちゃ美味しくってね。セージにも食べてもらいたかった!」
「ほうほう」
セージと今日のことを話すだけの時間が幸せで。『求めて欲しい』と訴える気持ちに何度目かわからない蓋をした。大丈夫。相談したラウネによれば希望がない訳じゃないって励ましてくれたし。今はセージに『僕はずっとセージが好きだよ』って伝え続けることが大切なんだから。
「僕の話はこれでお終い。ね、セージは今日は何があったの?」
「俺か? 今日はな」
セージの一日は訓練と護衛の予定を確認することがほとんどみたい。でも、セージは色んな人に話しを聞いたりして王都の面白い話をしてくれる。僕が興味を持ちそうな話ばかりしてくれるから凄く楽しい。
しゃべり続けたせいか喉が渇く。相槌を打ちながらカップに手を伸ばした。作法の練習と思ってお上品な持ち方を意識する。……よし、なんとかできてる。
「上手い上手い、頑張ってるな」
「あ、でしょ? まだ不安なとこもあるけど」
「そうなのか? ちゃんと出来てるじゃないか」
「これは優しいからなんとかね。ダンスとか挨拶とか、とにかく覚えることが沢山あって」
「そうだよな、貴族になったからには大変だ。神子の仕事もあるのに大丈夫か?」
セージが心配してくれたことが嬉しくて、僕はつい声を高く大きくしてしまう。
「大丈夫! 奉納の舞はこれから正式に始まるんだよ? そうだ、最初は御披露目もかねて王城前広場でやるから、セージも見に来てね?」
「知ってる。民衆を押さえるのは俺の役目だから、見てる暇はないと思うけどな」
そうだよね、セージは護衛だから……実は護衛中って全然顔が合わないんだよね。前に居ても後ろに居ても。
「んーでも、セージが見たいんならいつでも見せてあげるからね♪」
特別に思ってる──アピールの基本はさり気ない一言から。ラウネの助言を思い出す。
身長差を生かした上目遣いで、今こそとばかり完璧な笑顔で──そんな僕の全力の大好き攻撃はいつものセージの調子で流された。うぐぅ。
「それはそうと。明日から外出が多くなって、夜遅くまで予定が詰まってるらしいな。あまり無理するなよ?」
撃沈した心を立て直すために──僕は意味ありげにセージの手元を見て、さっきとは違う本心からの笑みを浮かべた。
「ありがとう、セージ。心配してくれて嬉しい」
「ラマル」
流石のセージもこれには耐えかねるか?! ちょっと良い雰囲気──を破ったのはノックの音だった。……この時間に来る人なんてダフネに決まってる。
「ダフネ様でございます。明日の確認にいらっしゃいました」
「……シィナが聞いて置いて」
なんとか二人きりの貴重な時間を邪魔されまいと思うのに、ダフネは毎日わざわざ会いにくる──シィナにあらかじめ伝えて置いてって言うのに本人に直接とかって。
「マルセラ様、失礼致します。入ってもよろしいでしょうか?」
扉の外から声が聞こえてきた……またか。だめって言うと、セージとやましいことしてるんじゃないかって──僕にじゃなくてセージに言うんだよね。だから、僕はダフネを部屋に入れざるをえない。
「……はぁ、入ってもらって」
シィナに告げてすぐ、扉が開く。
「こんばんは、マルセラ様。明日のご予定を確認させてくださいませ」
「ねぇダフネ。ずぅっとシィナが聞いてるし、何か変更があればシィナに伝えてって、そう言ってるよね?」
不満げな声と表情を作って、恨めしくダフネを見る。これも社交術の一環で、相手に思い通りに動いてもらうためのもの。ちゃんと伝わってるはずなのに、いつも邪魔するんだから……!
「ですが……大切なことでございますし、護衛の一人とあまり仲が良いと噂されても困ります。こうして私の目で確認しておきませんと」
「セージが何かするって? シィナが見てるから平気だってば」
もう一カ月もおんなじことをしてるせいで、ダフネもはっきりとセージと恋仲にはさせたくないと伝えてくる。セージが小言を言われるのは可哀想だけど、会えなくなったら僕の方が可哀想だもん。
というか、本当ならやましいことをして欲しいくらいなんだよ、僕は! ……本当に邪魔なのはダフネじゃなくて、セージを呼びつける僕の命令かもって思うけど、それは気にしてたら進めないよね。がんば、僕!
「それではマルセラ様、ダフネ様。私はそろそろ失礼させて頂きます。お話しはごゆっくりどうぞ」
そして板挟みのセージはいつものように、事態を収めるために帰ってしまう。
「もう行くの?」
「そうですわね、もう遅い時間ですから、マルセラ様のご負担になるといけません」
「むぅ」
こんな時、ちょっとでも──セージが残ってくれたら。残りたいって言ってくれたら良いのになって思う。
「おやすみなさいませ、マルセラ様、ダフネ様。失礼致します」
「おやすみ、セージ」
今日もそんなことはなくて──セージはダフネに恐縮しながら部屋を出て行った。
「明日は、」
床を叩いてダフネの言葉を遮る。一秒だって聞きたくない。そもそも明日やることなんて、僕は一週間も前から知ってるんだから! 邪魔する口実だってことぐらい、ダフネも僕も──セージだってわかってるんだから!
「シィナに言って! もう用は済んだでしょ? 下がって、もう邪魔しないでよっ」
睨みつける視界が少しだけ滲んだ。何故か悔しさと惨めな気持ちがせり上がる。
「マルセラ様……私は、お恐れながら貴方様の為を思って」
「聞こえなかった?」
僕は笑った。拒絶する為には笑顔が一番有効だってことは、ダフネから学んだこと。
「……おやすみなさいませ、失礼致します」
扉が閉まる。セージが居ないと、この部屋は妙に広くて……ガランとしていて。僕は苛立ちをどこにも向けられず、寝ることにした。
「もう寝る」
「ラマル様、着替えをお手伝いします」
「要らない。シィナもおやすみ。明日の朝セージに言伝をお願いね。昨夜はごめんね、今日の夜も予定がなければ来て欲しい──って」
「畏まりました。おやすみなさいませ、ラマル様。良いお眠りを──」
寝室は僕だけの空間。椅子に座ればやっと気が抜けて、深いため息に疲労が染み出していた。日記に向かって最後の文字を書くと、筆を置いて立ち上がる。服をぞんざいに脱いで籠に入れると、シャツを頭から被って布団に寝転んだ。
今頃隣りの部屋では、シィナが寝る支度をしてるだろう。この寝室からは隣りの部屋を通らないとどこにも行けないから……。
僕がどれだけそっと起きても絶対にシィナは起きちゃって、僕がまた眠るまで寝ない。そこまですることないと思うんだけど、どうせダフネが見張って置くように命令してるんだろう。平気って言っても聞いてくれない。
「はあぁ~……」
大きなため息をもう一つ吐いて、布団に顔を埋めた。
もう僕は夜這いになんか行かない──行けない。一番真剣に怒られたもん。次にやったら絶交とまで言われた。
わかってたけど……さ。明日もきっと、セージは仕方なく僕の部屋にくる。それから僕の気持ちに気づかないふりをして……ダフネがやって来て……困ったセージは帰ってしまう。
昨日もそうだったから、良い加減わかる。やっぱり僕は相手にされてないんだって。セージは“神子の命令”を無視できないから、だから僕の相手をしてくれるけど──そうじゃなかったら──。
嫌な考えを追い出した。昨日も寝る前に同じこと考えたのに──もう寝なきゃ。寝なきゃいけないんだ。布団をかぶってロザリオを繰りながらお祈りを呟いて、目を閉じた。
ラマルの部屋を出て、出来る限り早足で寮へと向かった。途中でダフネ様に呼び止められる危険性を下げる為だ。また同じことで注意されるのはごめんこうむる。
ダフネ様がラマルの心配をする気持ちはよくわかるのだが、俺自身ラマルと居たいし、来て欲しいと言われれば断れない。
なんとか誰にも話しかけられることなく、寮にたどり着けた。ほっと一息吐いてそのまま寝てしまおうと部屋に戻る際、娯楽室と化している居間を通りかかった。
「おー、セージ。ラウネ様が話があるからいつものとこに来いってよ。マルセラ様の話だと」
「……わかった。ありがとう」
「お前も隅に置けないなぁ、マルセラ様とラウネ様の連チャンなんて、羨ましいぜ」
同室の奴はこっちの事情も知らないで羨ましがる。こんな目で良いなら、ラウネの方はぜひ変わって欲しいくらいだ。
「全くだぜ。おい、お前の番だぞ」
「悪い、じゃあな。伝えたぞ」
賭けカードをしている連中を尻目に、俺は憂鬱な気分でラウネの待っている馬屋の前に行くのだった。『あら、セージじゃないの。こんな女に呼び出されても無視したら良いのに。真面目だから……可哀想ね、このラウネって人も』
「こんばんは、セージさん」
「こんばんは、ラウネ様」
「あら、様なんて付けないで。ラウネと呼んでちょうだいって言ってるのに」
お決まりの会話……そして。
「話とは何でしょうか?」
俺はもう寝たい。今日は護衛でずっと気が抜けなかったし、さっきのラマルの上目使いのせいで、正気が失われかけていたから。
ふっとラマルの見上げる瞳が蘇ってきた。拗ねたような甘えた表情に、突き出した唇が──ああ違う! 消えろ!
「マルセラ様のお相手をしてお疲れでしょう? 明日からは遠慮してもらうように、私から言いましょうか?」
「いいえ、別に……大したことではありません。ただ話をしてお茶を飲んだだけですので」
「そうなの。それなら今から私の部屋で、お酒でもいかが? 頂き物の良いお酒があるのよ」
「マルセラ様の、お話──というのは?」
「だから、あの子にセージさんの時間を拘束しないように言ってみましょうかっていうご相談じゃない。わかってるでしょう?」
うふ、と笑うラウネは……これ以上なくわかりやすく、俺に男性的な興味があると示していた。うんざりだ。『年増が色目使っちゃって哀れね~。セージには逆効果よ、わ、私やラマルみたいな擦れてない子が好きなんだから、いい加減諦めなさいよね!』
「お気遣いはありがたいですが、迷惑には思っていないので大丈夫です。今日はもう遅いですし、宮までお送りしますよ」
侍女達はアード宮に部屋を与えられていて、俺達護衛は大神殿を挟んで向かい側の別棟の寮で寝泊りしている。伝説としてだが、下心を持った男は大神殿より先には行けず、神子には決して近づくことが出来ないとか……まあどうせ尾ひれの付いた話なんだろうが。
「親切にありがとう。それじゃあお願いするわ、セージさんて優しいのね」
ラウネはすすっと近づき、手慣れた風に俺の腕に手を乗せた。嫌味でなく、とてもエスコートされるのが似合う女性だと思った。『ちょっと! また私に断りもなくくっ付いて! 離れなさいよ、セージもされてないで嫌がりなさいよっ』
「そういえば、私とは飲んで頂けないのに、また護衛の皆さんで飲み会に行ったとか。今度は私も呼んでくださいな」
「そうですね。ラウネ様はお美しいから、きっとみんな喜びます」
『もう私の前に現れるんじゃないわよー!』静かな小径を歩いて林を横切る。今は暗くて見えないが、この林はラマルの能力で常に春と夏がいっぺんに来たような状態だった。誰かが《楽園》と名づけたと聞いたな。
「いやだわ、お世辞が上手なのね、セージさんたら。そう思うなら、今度の時には絶対誘ってくださらなきゃ嫌ですよ?」
「ええ、それはぜひ」
「送ってくださってありがとう。ここまでで大丈夫。じゃあ、お休みなさい」
「ああ、お休みなさい」
扉の前で振り返って礼をしてくれた。ラウネの考えは読めないが、俺じゃなかったら普通に気があると思ってしまうだろう。
「ラマルとは仲が良いそうだから、それ目的ではなさそうだし……どういうつもりなんだか」
すぐに今来た道を引き返して、まだ賭けに興じている奴らに忠告してから部屋に戻る。
明日の準備をしてからいつも通りベッドで目を閉じれば、睡魔はすんなりと俺の意識を連れて行った。




