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木洩れ日と日だまりのあいだに  作者: 結衣崎早月


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宮と大神殿のあいだ2

 朝目が覚めて、僕は見慣れない天蓋と真っ白なレースに驚いた。そうだ、ここはアード宮なんだ──。毎朝目覚める度にまるで異世界にきてしまったような動揺を覚える。流石にこのベッドはダフネに伝えて変えてもらうべきだと思った。心臓に悪いもん。

 踏みつけた絨毯は毛足の長い深緑の高級品で、本棚の横のソファは杏色をしてる。実際このソファでも僕は余裕で眠れるんだけど──万が一寝てしまってもシィナにベッドに運ばれる気がした。

 僕が起きるとシィナがやってくるので、顔を洗うお湯を持ってきてもらう。水で充分って言ったんだけど、ダフネにあの調子でお願いされて、温かさに罪悪感を覚えながらお湯を使っている。ここには子供なんていないけど、でも大きな街の宿では水汲みは孤児の大切な仕事で、その小銭のために争いが起きるほどだ。ここでは井戸を掘っているらしいけど、それでも誰かが重い思いをして運んだことに変わりはない。

 なのにその上、誰かがこれを沸かして丁度良い温度になるように気を使うんだよ? ──それを侍女頭のラウネに言ったら、苦笑いされてしまった。


「普通は誰もそんなことで気が咎めたりしません。マルセラ様はもう水汲みなど一切しないで良いのですよ」


 だってさ。でもそう簡単には昔の感覚は変わらないらしくて、地位だけが上がっても戸惑うことが多かった。

 シィナは髪を梳かして結い上げてくれる。そう言えば、僕はもう顔を隠さなくて良くなったので、目にかかる前髪と後ろの髪も、痛んだ部分はみんな切ってもらった。鏡には健康そうな顔色の少……女。誰がなんと言おうと少女がいた。幼女って言うなあ!

 あ、そんなこと考えてる場合じゃなかった。今日も予定があるし、まずは朝食だ。


「ご飯を食べるから、ラウネを呼んできてくれる? 話があるんだ」

「畏まりました」


 食堂ではいつも一人でご飯を食べる。そして手を洗うと、朝食の用意がしてある幸せを噛みしめて『頂きます』を言った。今日も凄く美味しい。『いつも恵みをありがとう──』


「失礼致します」

「入って」


 ラウネは朝からきれいだった。髪を纏め上げている飾りがキラキラして、それに負けないくらい笑顔が素敵で……少しだけ、お母さんてこんなかなーと思う時があったけど、独身と言っていたラウネに失礼なので頭から追い出して置く。


「おはようございます、マルセラ様。お話があると伺って参りました」

「うん。長い話になるから、とりあえず座って?」

「ありがとうございます」


 ラウネはダフネと違って一度勧めただけで席に着く。お水を一口飲んで、カップを机に置いた。ラウネの言葉に続いて僕は用意していた質問を投げかける。


「ラウネはダフネの娘、なんだよね?」

「はい、その通りでございます」

「だったらラウネは季節ごとには入れ替わらない使用人なの?」

「──いいえ、私であっても一年中この宮に仕える訳ではありません。ですが、仕えていない時も他の者よりここに来る許可は得やすい立場です」


 へえ……ダフネって娘であっても例外は作らないんだ。本当に厳格な人なんだな。


「よくわかったよ。それなら、無理のない範囲で良いから──僕の相談に乗ってくれないかな?」

「相談ですか? もちろんです。しかし、何故私に?」

「ちょっとね、すぐに入れ替わっちゃう人になかなかしにくい相談で……ダフネとシィナは、違うかなって」


 言い淀む僕にラウネは不思議そうに首を傾げた。


「大変お言葉かと思いますが、ご友人のセージ・ガルハラ様に相談なさっては如何でしょうか? 真摯に対応してくださると思いますわ」

「そう、そのね。セージのことなんだ」


 僕は恥ずかしさで何度もつっかえながら、セージを好きで告白したけど、保留状態だってことを説明した。


「まあ! そういうことだったのですか。私でよければ、ぜひ相談に乗らせて頂きます」


 ラウネは嬉しそうに微笑んでくれた。前から誰かに相談に乗って欲しいと思っていたけど、きっときれいなラウネは恋愛経験もあってぴったりな人だろう。

 ──セージがきれいな人は苦手だと知っていて彼女にお願いしたのもある。相談した人とセージが万が一恋人になんてなったら、正気で居られなくなるに違いない。


「ありがとう、ラウネ。お仕事の時には無理だと思うけど、僕のことはなるべくラマルって呼んで。二人きりの時には僕が相談に乗ってもらう立場なんだから、砕けた言葉で良いからね?」

「お優しいお言葉ありがとうございます。それなら遠慮なく、ラマルと呼ばせてもらうわね?」

「うん!」


 そして時間が許す限りセージと出会ってからのことを話した。ラウネは真剣に聞いてくれて、セージに嫌われないように体を触れ合わせない好きの伝え方を教えてくれることになった。

 今日この後は神殿で能力の使い方を学ぶ。何をどれだけ使えるのかを知り、また自分なりに応用して使えるようになるまで、毎日毎日一生修行が続くんだって。

 そう聞くと大変そうだと思うけど、神官の人達はみんな優しいし僕にとって嫌なことは何一つなかった。


「おはようございます、マルセラ様。さっそくではありますが、昨日お教えした歌のおさらいからに致しましょう」

「はい」


 歌は音を覚えるのが大変だけど、言葉はとても優しい。ここで教えてもらった歌はどれもが愛や慈しみの想いが込められていて、歌うだけで気持ちが優しくなれる。


「……素晴らしいです、マルセラ様はもう昨日の歌を覚えてしまわれたんですね?」

「はい。今までの踊りもちゃんと覚えて練習もしました。動物や虫達へ指示を出すのも、少しですがやれるようになりました」

「マルセラ様は本当に優秀な神子様ですね。苦手な分野もないようですし、こちらが驚くほど勤勉でいらっしゃる」


 力の使い方を一つ知る度に、僕を脅かせるものが少なくなっていくのがわかる。植物や土、風までが僕の想いに応えて姿を変え、願いの通りに力を貸してくれる。

 ──この力が幼い頃にわずかでも使えたなら。そう思わずには居られないほどの圧倒的な力だった。


「マルセラ様は読書がご趣味とお聞きしましたが、一度は読んで頂きたい書物があるのです」

「はい! 本は凄く好きです。どんな本なんですか?」

「超自然理論、と言うと難しいかもしれませんが……」

「もしかして、ダビデリア・ムーソルの著作? 《超自然理論、その本質》?」


 聞き覚えのある単語が出てきて思わず興奮してしまう。超自然理論というのは本の作者が作った言葉だからだ。


「ご存じなのですか? あれは大きな図書館にしかないのですが……」

「あ、名前だけです。読んだことはなくて、もし読めるなら凄く嬉しいです! たまたまダビデリアの小冊子を読める機会があって、めちゃくちゃ──違った、凄く感銘を受けたんです!」

「そうですか、それは素晴らしい。これは神官達が学ぶ為に編纂された物です。もしかすると……マルセラ様には物足りないかもしれませんが」

「そ、そんな。ごめんなさい、でしゃばってしまって。ほ、本当に読んでも良いんですか?」


 神官用の本ってことはきっと外に出しちゃいけないくらい大切なもののはず。僕は大神官様の差し出した手から、重厚な装丁の本を受け取った。重みと硬さが心地いい。


「こちらこそ、ご無礼をお許しください。その本はマルセラ様に差し上げます。読み終わりましたら、私の持つ原本をお貸ししましょう」

「えー?!」


 あの本の原本?! 古書マニアなら一度は目にしてみたい本第一位の?! ……神子になって良かった。本っ当に良かった! そしていつも以上の調子で僕は本にかじりついた。知らないことを教えてくれる本が好きだった。

 というか文字が読めなかった頃からの憧れがあって、初めて一冊の本を読み終わった時の不思議な感覚が、今も僕を惹きつける。

 超自然理論の本質。その裏表紙を閉じて、何気なく顔を上げた。大神官様が一度は読んで欲しいと言った、その意味がジワリと広がった。自然と人は一体になった時、常識を遥かに超えた力と命の本質に迫ることができる──それは神子のための理論だった。

 僕の目に昨日と同じ寝室、本棚、窓が次々と映って流れた。鮮やかに存在するこの世界に溢れるもの──を感じて、たった一冊の本が僕の神子の能力を格段に伸ばしたことが何をしなくてもわかってしまった。大好きな歌を何気なく口ずさめば──そこに魂が震えるほどの愛しさがあった。

 この力は隠さないといけない。すぐにそう決めた。わかることが増えた今は、神子がそんなに良いことばかりじゃないと考えを改めていたから。


「まさか、これほどまでに効果があるとは思いませんでした」


 大神官様に原本をお返ししてそう言われ、首を傾げた。彼の穏やかで澄み切った瞳に賞賛が浮かんでいて訳がわからない。


「効果ってなんですか?」

「私がお勧めした本は神子様にお仕えした元神官が書いた本と言われています。彼曰わく、自然に深く通じる者にはこの本の真価が現れるだろう、と」


 そう言って大神官様はよく磨かれた手鏡で僕の胸元辺りを映し出した。最初は何を映しているのかわからなかったけど、僕はその徴に気づいておののいた。


「痣が……何これ。こんなじゃ、なかったのに」


 神殿にくる時にはいつも神子服を着るから、慣れてからは鏡を見ないで着替えていた。でも──今鏡に映った痣は、もう痣とは呼べないほどくっきりと美しく肌に刻まれていて、まるで家紋のような紋様へと変貌していた。


「神子様の力がこれ以上なく成長された、その証ですよ。細かく美しくなるほど大きな力を動かせると言われています」


 それで神子服はこんな胸の開いた、わざと痣を見せる作りになってるんだ──神子の今の力を見せるために。僕は喜ばないといけなかったのに、呆然としてしまって、その後の大神官様の言葉が全然入ってこなかった。心の中の声が大きすぎて、しばらくはその声に気を取られていた。

 『これでは神子を辞めることなんてできない』『神子は辞められるものじゃない』『辞めたいと思っている癖に、周りを騙して幸せに浸っている』『違うよ……僕は』


「マルセラ様? いかがされました?」


 はっとして大神官様に謝る。一人きりでもないのにぼーっとしてたら、また怒られちゃう。不気味で怖いって。


「ごめんなさい、驚いてしまって」

「さぞ驚かれたでしょう。痣に変化がなかった時に落ち込んでしまわれるといけないので、お知らせしないようにしているのですよ。おかしなことではありませんから、ご心配なさらないでください」


 僕はまるで別の心配をしていた。


「あの……もし、何ですけど。神子の力がなくなってしまったら、神子はどうなりますか?」

「それは──」


 修行は終わり、幸せな気持ちになれないままご飯を食べて机に向かった。今日あったことを日記に書いて、聖書に向かってお祈りする。祈りの上っ面をなぞっている内に、シスターのことを思い出した。手紙を書きたいと思って、ペンを取る。なのにペンは動かない。


「神子の力がもし完全になくなることがあれば、別の神子がどこかで生まれる」


 神殿で勉強したことの中にもその話はあった。実は僕は生まれた時から神子の力が使えた訳じゃない。何故なら、先代の神子がまだ生きていたからだ。痣によって力が受け継がれることは決まっているけど、先代は神子のお役目を最後まで果たされた。その後に僕に受け継がれたんだって。


「ならもし──僕の力が別の誰かに使えたら。僕は要らない」


 ここで国に仕えなくても良いし、セージの家の隅っこに住んでも良い。何より……“自分”の力でお金を得られる。“神子”じゃない僕の持つ力で。神子の力は生まれつきでいわゆる反則に当たると思ってるから、神子業でもらったお金で家を建ててあげるのは──何か違う気がした。

 こんな考えはおかしいのかもしれないけど、僕にはかつて夢があった。働いて出世をしてセージに広い家をプレゼントしてあげる。それは神子だとわかってしまったから──叶わない夢。そう思っていたけど、でも叶うかもしれない。

 僕じゃない神子が生まれれば良い。今までは一時代に一人だったらしいけど、万が一死んでしまった時のために代わりになれる人が居るかもしれない。その人が見つかったら──力を譲れたら──。そんなことができるなんて決まってない。なのに真剣に考えてしまうほど、僕は夢を叶えてみたかった。

 かつては神子だと言おうと思ってたなんて、この際忘れることにした。可能性があるなら、神子を辞められるなら──辞めたい。ひっそりと決意して日記に決意表明を追加して、叶わなかった時の覚悟もした。

 大丈夫、セージに出世してもらう計画をラウネと一緒に立てるんだ。そっちが成功しても夢の一つが叶うことになる。同時進行すれば良いよね。

 例え自然の声が聞こえなくなっても、セージと二人で寄り添う未来。例え可能性がわずかでも、そんな未来を強く望んでいた。


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