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森と家のあいだで2

 うっすらと開けた目に飛び込んできたのは、セェジの寝顔だった。

 寝ている時にはあんまり怖い感じはしなくて、僕は起こさないようにそっと顔に触った。

 どこもおかしいとこはないみたい。でもセェジと僕はまるで違う生き物かってくらい変わって見えるから、つい確かめてみたくなって……。

 おんなじ、なのかな? どうやらおんなじ人間らしいけど、僕はまた十六歳の女の子じゃなくて十歳くらいの男の子に見られた上に、体がくっついてもそれがわからなかったんだね。人間に思われただけましか。

 でも僕が十六の女の子だったらたぶん、セェジは一緒には寝てくれなかったと思う。昔から一回でいいからこうやって家族みたいに、下心のない大人の人とくっついて寝てみたかったんだよね。今はセェジの勘違いに感謝だ。


「ん……」


 呻き声に、心臓が一瞬だけ飛び上がった。けれどセェジは起きた訳じゃなかった。よかった……と思ったのもつかの間、セェジは上から腕を伸ばして僕の首の辺りに置いて完全に下敷きにすると、そのまま僕の体全体をすっぽりと抱えてしまった。


「ひゃぁ……っ!」


 叫び声をなんとか飲み込んで、起こさないようにそっと動いてセェジと向き合う格好になった。

 今は閉じられてるけど、その瞳は顔なんか関係なく優しかった。目を見れば僕をどう思ってるかくらいはわかるから――セェジが良い人なのは間違いないと信じて居た。ずっと良い人かはわからないから気をつけるけど、今は──大きな胸板に手を回して、ぎゅっと抱きしめてみる。お父さんとかってこんな感じなのかな──?

 僕は想像していたよりも固かったセェジの体に抱きついたまま、その心地よさにもう一度眠ってしまった。

 


 いつもの如く日が昇ってすぐ目覚めた俺は、腹にぺったりと張り付いているラマルに気づいて苦笑した。


「おはよう」

「ふぁあっ?!」


 軽く肩を揺さぶって呼びかけると、大げさなほどに驚いて目を覚ました。


「大丈夫か? すまん、脅かすつもりはなかったんだ」

「あ、あぁ……セェジか。おはよう、へーきだよ。気にしないで」


 気にするなと先に言われてしまったが、どうにもあの驚きようの理由を聞きたくなってしまう。


「にしてもずいぶん驚いてたな?」


 軽い調子で聞けば答えてくれるかもしれないと、立ち上がりながら口に出してみた。


「うん、あんまり誰かの声で起こされたことなくって、めちゃくちゃ驚いちまったよ」

「お前は本当に何にもやったことないな。ほら、顔洗うぞ」


 眠たいのか目を擦るラマルを連れて、台所へと立つ。水は昼間に汲み置きしているから、わざわざ井戸まで汲みに行く必要はなかった。

 バシャバシャと冷たい水を浴びたラマルは、途端にしゃっきりと話し始める。


「今日はなんだか寝過ぎちゃったな。いつもはこんなに明るくなる前に起きてるのに」

「そりゃ怪我をしたってのと、慣れない場所で寝たからだろ」

「そうかな? あ、足もうあんまり痛くないや。セェジのおかげだね!」


 毎日のパンとサラダを用意して、卵を焼いて少しだけ豪勢にした朝食を用意した。怪我の治りが早くなるから卵を食べろ、とは親父の言い付けみたいなものだ。


「そいつは良かった。ちょっと気を付けて歩いてみろ」


 俺の言葉通りにそっと椅子から降りて、捻挫した足に体重をかけてみている。コーヒーを淹れると、すっかり腹が空いていた。


「うーん、まだ歩くのは怖いかも」


 そうは言うものの、ゆっくりと庇いながら前に進むことは出来ている。ラマルが治りかけで無茶をするタイプには思えないが、今日一日は用心するように言った。


「調子に乗って痛めるなよ?」

「平気だよ、前に一回酷くしてこりごりだもん」

「はは、なら平気か。今日は何か仕事の予定はあったのか? その、仲良くしている人のところ以外に行く場所とかは?」


 二人でむしゃむしゃとサラダやパンを平らげていく。この食欲があれば、ラマルの怪我も直に治るだろう。


「んーん、特にないよ。僕は冬しか……仕事しないんだ。いつもはご飯のために森に行くだけ」


 そう言われると、奥深い森で採集をしていたあれはいつものことだったのかと納得した。

 屋根さえあれば外で眠る孤児も多い。冬は寒さに凍えてしまうが、寄り添って寝ている様子は寛容な店主の居る店の路地裏で見ることがあった。


「冬に仕事って、何をしてるんだ? 煙突掃除は夏が本番だろう?」

「煙突掃除ね、たまに誘われるけど僕にはできないんだ。高いところに上れなくて」


 体の小さなラマルなら、仕事といえば真っ先に煙突掃除が思い付く。危険な仕事だが、孤児がやれる仕事のなかでは一番収入があるため、事故が絶えないにも関わらず、望んで掃除夫の下に行く孤児もまた絶えない。


「上れない? 無理やりやらされないか、お前の体だと?」

「そうなんだよ、やなこと思い出すなぁ。……初めて梯子に足を載せて、上がろうとした瞬間に背中から落ちてさ。それ以来、ちょっとでも足場が不安定だと震えちゃって……全然だめなんだ」

「災難だったな。でもあれは危険だからやらない方が良い」

「けど、みんなは羨ましがったり残念がったりするよ。せっかく実入りの良い仕事ができるのにって」

「わかるがなぁ、あれで死んだ子供たちは少なくない。できることなら止めさせたいくらいだ」

「……そうなんだ。確かに、僕が聞いただけでも死んじゃった子は何人も居るね」


 ラマルの様子は言葉を探しているみたいに見えた。あまり明るくない話題だったかと反省して、別の話を振り直す。


「見てわかる通り、俺は体がでかくなるのが人より早かったからな。子供の仕事はあんまりやらされなかったが、代わりに大人の仕事をやらされたもんだ」

「へ~、僕からしたらセェジのが羨ましいな。大人と同じことができたら、すごくいいね」


 ラマルは一応の笑顔と共に、甘くしたコーヒーを飲み込む。はは、まだ苦いようだ。次があったら別の飲み物にしてやろう。

 このくらいの歳の頃、自分が何を考えていたか思い出してみる。ん~……? あんまり覚えてないなぁ、ずいぶん昔だから仕方ないのか。歳だから……とは思いたくないな。まだ数えで二十四だ。


「羨ましがるほどのもんじゃないが。確かにお前からしたら、そう見えるかもな」

「うんうん、で……何の話ししてたっけ?」

「あーと、お前が冬にしている仕事って何だ?」


 少し逸れてしまった話を戻し、ラマルのしている仕事について幾つか訊ねた。


「僕は新聞とか手紙の配達をやってる。特に冬の間には手紙が増えるから、郵便屋さんが配達する人を募集するんだ」

「……まさかとは思うんだが、冬の間もそんな薄着で過ごす訳じゃないよな?」


 ラマルは自分の薄汚れたシャツに目を落とし、何かに納得するように頷いた。


「そうだよ。沢山着るけど、こういう服ばっかり」

「おいおい……」


 感心したよりは呆れが、顔に出ていた。いきなりラマルが睨むようにに目を細め、こちらの顔色を窺がいだした。


「だ、だめなの? なにかおかしいですか?」

「や?! 俺みたいに体がでかくても寒いものは寒いのに、ちょっとは気を付けないと……足の怪我といい、もっと自分の暮らしに気を配れよ」

「そ、そうだね……」


 とっさに否定したものの、後に続いたのはだめ出しに他ならなかった。

 だが、いくら着込んでも凍死しかねないし、足を挫いても助けを求められなければ、どこかで行き倒れかねない。年端もいかない子供が今からそれでは、危機意識が低すぎると思うんだ。


「頼る相手は選んだ方が良いが、本当にのたれ死ぬかもしれないだろ?」


 視線が明後日の方向に向くと、唇が不愉快そうに歪んだ。


「大丈夫だって思わなきゃ生きていけないよ。そうしなきゃ、きっと死んでしまうから」


 この子がどう思って、どう生きてきたかはわからないが。この言葉はあんまり悲しかった。

 運が悪いなら死ぬしかないと、悟りの境地みたいなものに達して居ながらも、また未だ死という隣り合わせの存在に怯えきって居るような……複雑な表情だった。


「次からは俺が居る」

「え?」


 何とも意外そうな声だった。てっきり俺がお説教でもするだろうと、内心で身構えていたに違いない。


「だからな? 今まではそうだったんだろうが、これからは俺に言えよ。絶対って言えないのがちとかっこ悪いが、お前のピンチにはきっと俺が助けに行く」

「ほ、本当に? なんで急にさ、そんなこと言うの……?」


 戸惑いとほんの僅かな嬉しさを滲ませて、ラマルは手元のコーヒーカップを見つめていた。


「一期一会っていう言葉があるだろ、せっかくの出会いだ。お前を一度は助けたんだから、二度三度と助けたって良いだろ?」

「そうかな? う、……ん。そうかもね! そしたら、僕もさ、次はセェジを助けられるようになるからな!」

「その息だ。俺がよぼよぼの爺さんになる前に助けてくれよ?」

「な、何それ? お爺さんになっても助けるよ?」


 待たせないで欲しいと皮肉ったつもりが、まるで通じなくて可笑しかった。


「ははは! そうだな、これっぽっちのことでずっと助けてもらえるなら、ちょっとまた森にでも行って来ようか」

「あー。っ今日も森に行くの?」


 自分が何かをわからなかった違和感に気づいていながら、何もなかったことにしたらしい。俺はラマルに仕事の予定を話すと、今日は家で大人しくして居るように言い付けた。


「ということで、俺は今日は詰め所に顔を出して来なきゃならないから、家で留守番しててくれ」

「え? 僕もう帰るよ。歩けるようになったし」


 台所に汚れた皿を突っ込んだままで、ラマルの足の包帯を替えて薬を塗り直す。されるがままのラマルは、くすぐったいのか時折笑いを堪えていた。


「そんなに遅くならないで帰るから、待ってろ。送っていく」

「大丈夫だって! セェジにそんなしてもらっても悪いから」

「悪いから~? 余計なこと考えてないで、親切は受け取っておけ。それともまだ俺が不審者に見えるか?」

「まさか! セェジは~、うん。お人好しってやつだよね!」


 笑顔で言い切られた。矢で射られたように言葉がグッサリと突き刺さる。自覚はあるがな。


「イタタタ……」


 体を折り曲げて胸の痛みを堪えるふりをしてみれば、ラマルは大きな声を上げて笑ってくれたのだった。


「でもやっぱり、そこまで心配するほどじゃないと思う。昨日は無理してたけど、今日はいけるって」


 そこまで言われてしまい、結局今日は自分が折れることになった。昨日はこっちの意見を聞いてもらったし、現に歩けるくらい回復してるからな。

 ラマルの頭に手を置いて、わしわしと撫でくりまわす。


「ああ、わかった。また何か困ったら、いつでもこの家に来いよ」

「うん、あの……困ってなくてもきて良い? 遊びに」

「来い来い、毎日でも良いぞー、居ないこともあるだろうがな」

「居ない時はどうすれば良い?」

「ん? ミントが居る時はすぐ帰ってくるが、居ない時は遠出をしてるから待たないほうが良い。というより待つな! 真夜中になることもあるんだ」

「わかった。じゃ、じゃあ……またくるな! ありがとう、セェジ」


 足を引きずりながら、手を振って家を振り返る。何度も、何度も振り返るもんだから危うく転びかけて、それでもラマルは振り返ることを止めなかった。

 まるで俺の家が幻で、今にも消えてしまうんじゃないかと恐れて居るように見えて、なんだかなぁと心配になった。

 暮らしぶりもだが、それ以上に気持ちが不安定な気がして、目が離せない……いや離したくないと思ってしまうのだった。

 そうして詰め所に寄った俺は報告をして、その日は真っ直ぐ家に帰った。居るはずはないとわかっているのに、不思議とラマルが居るんじゃないかと、そんな気がしてしまったからだ。……案の定というか、もちろんラマルは居ない。

 がっかり、というよりはしんみり? いやこれは……そう“ぽつねん”という奴かもしれない。

 今日はいつもと変わらない日だ。ただ昨日が特別だっただけで、こんな寂しさを覚えるはずがない……ないと思おうとしても、俺が感じているものは紛れもない寂しさだった。つまらない、本当につまらない人間だと俺は自分を思う。

 暗い気持ちに支配されるのを嫌って、空いた時間は買い物に出た。細々とした雑事は次から次へと見つかって、日々どれほど怠けていたか身につまされる羽目になった。

 ──だがラマルは来るのだろうか? 来るだろう、来るはずだと思っても何の確証もない……『困ってなくてもきて良い?』と訊いたあの言葉だって、気まぐれかその場限りのものにさえ思える。

 寝る前になってそんなことを考え出したせいで、結局嫌な考えを振り切ることも出来ず、いつも通りベッドに入った。

 後から思えば、たった一日で俺はあのすぐ拗ねるラマルという少年に魅了されていた。変な意味には取らないで欲しいんだが、それはまさに魅入られるという言葉が相応しかった。

 何故なら、一日だけでなくずっと未来まで、俺はラマルに惑わされることになるからだ。

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