町と王都のあいだ2
旅自体は凄く順調だった。遅れも、予定内の遅れだったから宿には無事に着いたし、僕とセージの体調も思ったより平気だった。僕はいつまで経っても馬車に慣れなくて、存在を忘れて居られれば大丈夫なんだけど、思い出した途端にどうしようもなくなっちゃう。
セージが一番だけど、みんなに迷惑をかけていた。ミントは途中の宿で交代して、遅れて他の人が王都まで連れて来てくれるらしい。何も大丈夫って保証はないのに、口を揃えて大丈夫だからって言う。そりゃ──さ。大丈夫って言わなかったらまともに旅なんてできないことぐらい、わかるけど。これまで嫌ってほど言い聞かせてみたけど。
旅がとにかく怖くて。理屈なんて役に立たなかった。何か、悪いことが起きる気がして、拭えなくて、嫌だった。
不幸にも、僕達は旅の間に新年を迎えてしまった。せっかくのお祝いなのに、宿の人達が勧めるお酒も断って、僕は子供だからお菓子をもらえたけどそれだけだった。セージとどんな風に新年を祝おうかって話していたのが遠い昔みたいに感じられた。
毎日僕は膝に揺られて、その人と短いおしゃべりをする。アシュトンは僕の心配と、実用的な旅の知恵なんかを。キャピタルは貴族的な教えと振る舞い方を。ランドーニは会話における人心掌握術と、荒事の処理の仕方を。
なんでも、元々この三人は旅の間に僕に最低限の教育をする為に選ばれたらしい。アシュトンは、普通なら見栄張りなおばさん(既婚女性)が必ず一人は迎えに入っていただろうと教えてくれた。
そうならなかったのは、速さ優先の旅だったからだ。貴族の旅ではこの一週間の旅を最短で一カ月で組むだろうとは、キャピタルの言葉。うん、非合理的な方法が好きらしいってことは本でなんとなく知ってた。
「ランドーニは色んな知り合いが居るんだね?」
「はい? ああ、さっきの商人か。あれは、昔ちょっとした揉めごとを収めたことがあるだけですよ?」
「やんちゃだった、だっけ?」
「そーそー。跡取りに決まっちゃったから、とりあえず大人しくしてるけどな。俺には向かないな、貴族社会は」
「僕にも向かないと思う」
ランドーニは歯を見せて笑った。友達と言うと立場が難しくなるから、公の場では友人という言葉は使わない方が得策、とキャピタルは教えてくれた。面倒だよね~、でも僕は勝手に友達と思うことにした。
みんな良い人だと思うけど、キャピタルは腹黒い性格だとはランドーニの言い分。本人に教えてあげたら、裏切り者~って言われちゃった。自業自得だよね♪
「ラマルは案外、修羅場もくぐり抜けてるよな。全然怖がってなかったし、逃げ方に迷いがない」
そう……予想通りと言ってはなんだけど、誘拐犯その二はその三、その四と並んで頻繁に出没した。護衛が優秀だから何もなかったけど、困ったものだよね。一回、ティイガが吼えて追い払ったら、辺りが騒然としちゃって……山狩りをすることになった人達に本当に申し訳なかった。
「あれの方がよっぽど怖いよ。知ってると思うけど、僕ってば十六年も保護者なしで生きてたんだよ? 今更……あんなのにビビれって言われてもねぇ」
苦笑するしかないよ。ちなみにあれっていうのは、後ろを走っている馬車のこと。……馬車って言うのも、躊躇われるんだ。
「宮の人間はビビりまくるだろうが、その辺の心配がないのは良いな。教えがいがあるし、なかなか良い生徒だ」
「でもな~……飽きたよ」
過ぎ去る景色にあまり変わり映えはしない。街や村に着いた時には一瞬見て回れるけど、準備ができたら即出発! だし。
「これでもめちゃくちゃ急いでるんだが、野宿はだめらしいからな」
「……僕は野宿しないことの方が珍しかったんだけどなぁ? 面白いね、アシュトンやキャピタルって野宿苦手なの?」
「まさか! 騎士ったって、行軍すりゃあキャンプだから殆ど野宿みたいなもんだよ。セージも同じだろ」
「じゃあ、野宿にしない? 誰も困らないと思うよ」
「ん~、そうしたいのは山々なんだけど、どうにもなぁ~。ババア――じゃねぇや、ダフネという神子の身代を預かる責任者が居てな。任された手前、見つかったら後が怖いからな~」
──ダフネさん。アシュトンもキャピタルも口にした、その人。あんまり好かれてないってことと、とにかく僕を心配している人ってことくらいしか、知らないけど。
「ダフネさんて、どんな人なの?」
「そうだな、良いか? 本の知識で良いから、厳格で心配性がちょっと行き過ぎたご婦人を思い浮かべろ。年の頃は五十くらい」
「……思い浮かべた」
「そんな人だ」
「う、うん」
そんな人らしい。まだ会ったこともないのに、会うのがちょっと不安になってきた。
「ま、後一日もあれば着く。飽きただろうが、もうちょっと辛抱してくれ」
「……ランドーニも、もうちょっと辛抱してね」
「いや~、ラマルは別に良いんだが、キャピタルの野郎がよぉ~」
三人共、とても大人だから。セージはとても優しい人だから。何も言わないけど――この誰かの膝の上に乗る移動方法が、負担にならない訳がない。
日数が伸びたのは盗賊や山賊のせいだけど、それでもみんなに申し訳なかった。
「馬に乗れるようになりたいな」
「……ちょっと無理だと思うぞ、背が足りない。ポニーには乗れるだろうが、旅先でわざわざポニーを配置するのは辛いな」
いきなり無理があった。ヘコむなー、無理かー。チャレンジはしてみるけど、冷静なランドーニの声は、現実的な忠告なんだろうとわかった。
「じゃあ、馬車に乗れないといけないのかぁ…………うぅ」
「無理すんなって。あんだけ怖がってて、そう簡単に乗れるようにはならないだろ」
実は、もう一度や二度じゃなく馬車に再挑戦している。結果は……言わずもがな。
「ん……やっぱりあれだけは止めとく」
「それが良い」
休憩を挟んで次はキャピタル、アシュトン……翌日の最後にはランドーニが担当することになった。一番、位が高いから、それが妥当なんだって。
「王都に着いたら止まらずにアード宮まで行く。そこでダフネ達が待ってる手はずだ」
「お別れなんだね、九日間ありがとう。お世話になりました」
「まだ早くないか?」
「そう? 後だと暇がないかもってアシュトンが言ってたから、今の内と思って」
「先見の明がある」
王都の門では確認のために三分くらい足止めされた。王都の中は沢山の音と匂いが入り混じって、いよいよなんだと胸が高鳴った。僕は目立たないように、布を被って荷物のふりをしてる。その隙間から感じる熱や声だけで、圧倒されていた。
「凄い人が沢山居る……! お祭り、」
「じゃあないぜ。ようこそ、王都ペトワルタへ」
「ほへ~」
本当は今すぐ飛び降りて街と言わずどこと言わず、片っ端から見て回りたいんだけど! ――我慢しないとね。でも、お休みとかあったら絶対に観光しなきゃ。こんなに楽しそうな場所、初めてきた。
「さ、直に着く。もう荷物になってる必要はないから、取って良いぞ」
「うん」
顔を上げてみると……人気のない林に向かっていて、街は背後だ。これじゃ今までと何も変わりがない。ようするにつまんない。
「はは、そんな顔するな。機会があったら、いつか俺が王都中を引っ張り回してやるよ」
「ほんと?! 絶対だよ? 忙しくて会えないとか言ってたくせに、約束しちゃったからね?」
「おいおい、俺だから良いが--これからはそんな、口ばっかりの約束を山ほどしなきゃいけなくなるんだ。気を付けろよ? 言質を取られたら、面倒だ」
「忠告ありがとう。気を付ける。後……一応、アシュトンにもキャピタルにも挨拶したけど、ランドーニからももう一回言っておいてね」
「おう、畏まりました神子様。恐縮にございます」
林が終わって開けた場所に出る――そこには、頭を下げた人が二十人くらいずらっと並んで跪いていた。い、いつからその格好なんだろう? 訊きたいような聞きたくないような……。
馬車の止まる音に体が反応し、一行が目的地に到着した。僕はランドーニに助けられて馬から降り立つ。
この後のことは旅の間アシュトンとキャピタルにお願いして、想定しうることをできる限り教えてもらった。だって、“マルセラ様”って呼ばれた時みたいなのは恥ずかしいし……。セージに言われて気づいたけど、僕って知識はあっても全然それを生かせないんだよね。経験値ってものが足りない。 いきなり自分の地位が表面上だけといっても、国中で上から五番には入るところに上がるんだよ? もう、盗賊なんかよりよほど怖かった。
「皆の者、出迎えご苦労様です。私が今代の精霊の神子──マルセラ・ティファトです。まだまだ未熟者ではありますが……これから、よろしくお願いします」
言葉使いが慣れなくて、酷くゆっくりになる。これでも優しい方なんだって。僕の身分が一番高いから許されるとか。公式の場ではもっとなんか、書類でしか使わないような言葉にしないといけないんだって。それも、避けては通れない未来に使う機会が待っているんだよね。
挨拶が終わると跪く人達の中から一人の女性が立ち上がった。ダフネだ。聞かなくてもわかるほど、苦労や厳格さが滲み出た人に見えた。
「お初にお目にかかります。マルセラ様、私はこのアード宮を管理しております、ダフネ・シェニタスと申します。どうぞお見知り置きくださいませ」
ここだ。
「はじめまして、ダフネさん。貴方のことは迎えの者からも良く聞きました。なんでも、事故当時から今までとても心に思って頂いたとか。未熟な私ですが、これからは乳母のように、頼らせて頂けたら心強いです」
アシュトン曰わく、ダフネを味方に付けることは重要なこと――アード宮でダフネに逆らえる人は居ないからだ。そこで、作戦を授かった。一度丁寧にへりくだってしまえば、ダフネの性格的に気に入られることは間違いないだろうって。
「まあ、まあまあ。なんてありがたいお言葉でしょうか! マルセラ様のご無事とそのお言葉だけで、このダフネ、報われる思いでございます。慣れないことも多々あるかと存じますが、なんでも私めに頼ってくださいませ」
大成功、かな。後ろに跪いているアシュトンとキャピタルの笑顔が見えるようだった。本当に感謝だよ、こんなことしようなんて、全く思わなかった気がするもん。
「そなたのような優しく頼りがいのある人と一緒ならば、これからもつ、つつがなく過ごせると思います。ありがとう」
「もったいないお言葉ですわ。それでは、マルセラ様もお疲れでしょう。おくつろぎの準備をしておりますので、どうぞ中へ」
進められるままに頷いて、建物の中に入って行く。うわぁお、何これー! 一歩踏み入れただけで漂う良い匂い……。
「軽食をご用意しました。作法など気にせず、お好きなものをお召し上がりください」
「凄ーい。じゃあ、頂きます!」
目の前のご馳走の山に、思わず付け焼き刃も剥がれてはしゃいじゃう。まずは一口──ん、これは?!
「お口に合いますか?」
あ、合うなんてものじゃない……! よく知ってる果物なのに、なんでこんなに柔らかくて甘いの?! しかもお砂糖を塗したねじねじドーナツやタレを塗ったおやきまで……! 幸せ~♪ こんなに種類も量もあって、何を食べるか悩んじゃう! 僕はこれ以上ないってくらい笑顔になって、食べるのに忙しい口に代わって肯首で返事をした。
「良かったですわ。それでは、ご無礼ながら私は一度下がらせて頂きます。こちらでしばしごゆるりとなさってください。何かあれば、あちらの侍女にお申し付けを……失礼致します」
紹介された侍女さんに手を振ったら、控えめに手を振り返してくれた。う~ん、美味しい。
ペコペコだったお腹はみるみる満腹になってしまった。それでも用意された軽食達は全然なくならない。お腹が小さいから当然だけどね。あ、セージにも分けてあげたいな。──セージはどこだろ? 僕一人だけ、ここに案内されちゃったから……後で会えるよね。
ラマルが案内されて行き、俺達は荷物を解いて運び込むことになった。
たかが荷解きなのに、ランドーニやキャピタルまでがせっせと使用人に指示を出すアシュトンさんに従って荷物を運んでいる。運んでもらってかなり助かるのだが、皆の顔がかなり必死だ。何かに追われ取り憑かれたかのような形相。
「セージ、ダフネ様がいらっしゃるまでにいち早くこの馬車をどかします。とりあえず入り口横の部屋に入れて行ってますので、ご心配なく」
「あ、ああ。ありがとう……だがどうしてそんなに急ぐんだ?」
「それは──」
キャピタルの説明に合わせたようなタイミングで、件のダフネ様が戻って来た。ラマルの前とは打って変わって、無表情の中に固さを感じる厳しい表情だった。
「貴方達──貴方、ランドーニ。こちらへ来なさい」
「はっ!」
あのランドーニが、まるで真面目な兵士みたいな素早さでダフネ様の前で礼をした。
「他の者は作業を続けるのです。部外者はいつまでもここに居てはなりません」
「かしこまりました!」
一瞬ダフネ様に集まった緊張が、冷たい一瞥でバラけた。ダフネ様が現れたことにより更に素早く慌ただしく荷物が片づけられて行く。
「ランドーニ、貴方ともあろう者が何故マルセラ様を膝に乗せてここに現れたのですか? 荷物だけを運ぶ為に馬車を仕立てたのではありませんよ。納得出来る理由でなければ、以後マルセラ様の目に触れることを禁じます」
耳に入った言葉に頬が引きつった──嘘だろう。こんな横暴な、しかも理由を聞く前からランドーニを蔑む声音は、目の前でランドーニが人を殺す場面でも見ていたかのようだ。
ちょっと、いやかなり──目を付けられたくないな、と思った。こういう決め付けから入る手合いはだめだ。しかも相手の立場が上であればあるほど、俺はどんどん排除されていくんだ──経験がある。
荷物を運んでいるせいでランドーニの答える言葉までは聞こえなかったが、ランドーニは慌てることなくダフネ様と真っ直ぐ顔を突き合わせていた。恐らく、その質問をされることは初めからわかっていたんだろうな。
「──それでは、旅の間ずっと誰かの膝の上に居た、と言うのですね?」
「はい。致し方なく」
「わかりました。下がってよろしいです、後で旅の報告書を私の部屋に届けなさい」
「かしこまりました」
ダフネ様は一度も振り返ることなく歩き去る。──場の緊張がわずかに緩んだ。
「ふー、おっかなかった。相変わらず怖いお方だ」
ひょうきんな身振りは重い空気を取り払ってくれた。近寄って肩を軽く叩く。
「……大丈夫だったのか?」
「ああ、お咎めなしだ。ダフネ様は怖いけど、理不尽なことはあんま言わねえよ」
あんまり、か。言うこともあるというだけで身構えてしまうのは臆病が過ぎるだろうか?
「そうか、良かった。自分のせいでランドーニが叱られたと知ったら、ラマルが悲しむからな」
「おいおい、お前は悲しんでくれないのかよ、セージ?」
「俺はダフネ様からは逃げて置きたいんだ、悪く思わないでくれ」
「気持ちはわかるがなー、この後絶対に呼び出されるから覚悟して置けよ?」
絶対にと言い切られて、流石に良い気分はしなかった。避けられないことを教えてくれたのは良いんだが、内容がありがたくない。
「そんな顔すんなって。ただでさえ野獣っぽいのに」
「酷くなると?」
「いや、そうは言ってねぇ。迫力は増すかな?」
それはつまり、酷くなってると……。まあ良い、気を取り直してランドーニに礼を言うと“対策参謀長”キャピタルに知恵を授けてもらえないかと話しかけた。
「キャピタル、良いか?」
「セージ、ダフネ様を見た感想は?」
「はは、お見通しってことか」
言わんとしていることを皮肉られて、少し複雑になった。頼るなと言われてしまったらどうしようか──焦る。
「ええ、ですから対策を考えて差し上げますよ。貴方ではどう考えても不利ですからね」
「ふぅ……すまないが、よろしく頼むよ。行き当たりばったりで臨むには相手が悪過ぎる」
「でしょうね」
どこか近くから、『あの人ですからね……』という幻聴が聞こえて来て、貴族といえどみんな苦労しているなと同情を禁じ得なかった。
「俺はどうすれば良い? ラマルに教えたみたいに頼むよ」
「ひとまず、覚えることは決まっています」
キャピタルの話を真剣に聞いている内に時間は過ぎて行った。




