恋と少女のあいだ
冬が深まり寒さに痺れるような痛みを感じるようになった。こんな日の朝は特別辛い──はずだった。
窓から外を見れば降り積もった雪が一面を真っ白に包んでいた。その中に居た時のことを思い出して、少し顔をしかめた。
「寒そう……」
セージはもうお仕事に行っていて、今日は教会で僕の義父になってくれる人に会う日なんだ。……なんだか外に出るのが嫌だな。寒いから? それとも女の子だってセージにわかってしまうから? 養子になれないかもしれないから?
違う。ほんとは──今が幸せだと知ってしまったせい。吐いた息の白さに釣られるように、涙が滲み出した。すぐに指で拭って、頬を叩く。
「笑顔、笑顔! セージも言ってたじゃん、笑ってるのが一番だって」
独り呟いて自分を励ませば、セージを思って胸が温かくなった。もう大丈夫。
「うん、行こう」
『行ってきます!』ってみんなに言えば『行ってらっしゃい!』って返してくれる。僕は幸せな気分でセージの家を出た。
「……はじめまして、ラマルです」
「はじめまして、ラマルくん? 私はジョージ・ギューダと言う者で、準男爵という身分だけど、主に輸出入に投資している商人だ」
自己紹介をしてくれたその人は、僕みたいな子供にも差別的な視線を向けずに、真っ直ぐ目を見て話してくれる人だった。僕の勘と経験が、信頼に足る良い人だと教えてくれる。裏づけるように、シスターも何も問題のないしっかりした人物だと保証してくれていた。
「さっそくで済まないけれど初めに良いかい? 僕の子供になりたいって君が言っていたとシスターに聞いたんだ、それはどうして?」
「……僕には夢があります。もしあなたの子供になれたら、夢を叶える道が歩けるようになります、だから……今、僕を気に入ってくれたなら。ぜひ僕を養子にしてください」
深々と頭を下げると、男性の視線を感じた。シスターは部屋の外で待っていてくれている。
「……君の歳は幾つ?」
「十六歳です。もしかして、もっと小さい子が良かったですか?」
「ううん、違うよ。ただ君は見た目の印象と随分違った話し方をすると思ったんだ」
ほっとして顔を上げた。ソファに座って僕を見ている彼は、優しさと賢さを兼ね備えた表情で僕を見ていた。階級が低くても貴族だからなのか、品の良さと自信が格好から言葉使いからありありと見てとれる。──気に入られなきゃ。
「僕は君をとても気に入ったよ。実は僕は、私は……子供が望めない体質だと医者に言われていてね。なら早い内から後継者を自分で育てようと思ったんだ」
そういう彼は確かに養子を貰うような年寄りには見えない。どう見たって三十代で、実際には三十二歳だと聞いている。
今が、打ち明けるチャンス。
「……そのことなんですが、実は。僕は男の子をふりをしているけれど、本当は女、なんです。もっと早くに言うべきだったんですけど──っ」
「構わないよ。わかっているつもりだ、シスターからその可能性を聞いた後に君を見て、僕も女の子だろうと思って居たから」
あっさりとそう告げられて、僕は気が抜けてしまった。……良かった、良かった。まだ希望は希望のままだ。切り捨てられなかったことに自分でも驚くくらい驚いたらしく、体が震え出した。
「それなら、お話を進めて頂けますか?」
「もちろん、こちらからお願いしてるくらいなんだよ。正式に書類を作って、来週には僕の……君と僕の家に来て欲しい」
叶う。叶うんだ、夢は。この人が叶えてくれる、僕の夢の一つを。そしてこれから沢山の夢を叶えていける力をくれるんだ……!
僕は掴んだ夢の切れ端を大切にしようと誓った。嬉しくて嬉しくて、僕は子供みたいに彼に一方的におしゃべりしてしまった。何がしてみたいとか、何が好きとか今まで何をして暮らして居たかとか……無駄なこともいっぱい言ってしまったけど。僕のお義父さんになってくれる人は、笑顔で全部聞いてくれて、真剣に相槌まで打ってくれて。
ディフィスト少尉の子供にはなれなかったのは残念だけど、僕はこの人と家族になれることが嬉しかった。
教会を出れば夕方になるかならないかの中途半端な時間。セージの家に寄って報告する時間はまだあると踏んで、駆け足気味に浮かれた気持ちを連れて行く。
早くセージに言いたい。きっと喜んでくれて、もしかしたらお祝いに何か食べに行こうって話になるかも。ううん、こんな日くらい我が儘言っても良いよね? 蒸しパンと鶏焼き串と……頭の中はこれからのことでいっぱいだった。人気のない道を走る僕は、いつもは気を付けるはずの背後を一度も振り返らなかったことを、すぐに後悔することになった。
「っうあ!?」
突然横から茂みに向かって突き飛ばされた。と気づいたのは、目の前に瞳が異様に底光りする男が立ちはだかってからだった。
「へへ、やっと一人になったな……おらっ!」
逃げなきゃ!! 痛みを頭から追い出して、すぐ走れる体勢になる。大丈夫。
「くっ!」
覆い被さるみたいに手を伸ばしてきた男を避けて、スタートを切った。
「逃がすか!」
街道側に男がいるせいで、道が悪い林の中に逃げ込む。『助けて!』心の中で叫んだ瞬間に、鳥達が一斉に飛び立った。転ばないように前だけを見ていたせいで、後ろの男が何かを投げる動作にも気づかなかった……。
「ぎゃぁッ」
足元に何かが絡み付いて僕はあえなく転んだ。嫌だ、捕まりたくない。何とか……縄を外そうとして、正面に迫ってきた男の影に心臓が跳ねた。
「手間取らせるなよ……ま、準備はしてあるから逃げられる訳ねーけどなァ」
僕の反撃を予想してか、簡単には近づいてこない。口振りからも子供を攫うことに慣れてるんだと悟った。どうしよう……このままじゃ僕、このままじゃ──っ!
「助けてーーっ!! 誰かーー!!」
大声で叫んだ瞬間、火花が散った。殴られたことに気づいて、視界が歪む。気持ち悪いッ──。
「ごほッ、がっ……!」
髪の毛を掴まれる。
「良い度胸してんなぁ。あんま抵抗すっともっと痛ぇことするぜ? 大人しくしろよ……」
身じろぎして、男の腕を外させようと手を伸ばす。苦しい、痛い。嫌……だ! 僕の幸せが壊されるなんて嫌だ!
セージ。助けてよ、セージ!
『お前のピンチにはきっと俺が助けに行く』って言ってたよ。お願いだから、僕を助けて……!
「た、たす……っ」
「やっと大人しくなったな……」
『セージ──!』
「ん?」
呼ばれた気がして顔を上げたが、一人の家で誰に呼ばれるというんだ?
情けないような恥ずかしいような気になりながら、鳥達が騒がしい窓に近づいた。きっと鳥の鳴いた声のせいだな、なんて考えていたら馬屋の方から騒がしい物音が聞こえてきた。
「泥棒か?!」
すぐさま槍を手に取って馬屋へ駆けつけた。だがそこには、狂ったように外に出ようとするミントが居ただけだった。
「どうした? 怪我でもしたのか?」
ミントは俺を見つけると暴れるのを止め、代わりに柵に置いたまんまにしてある鞍を小突いて頭で小突き、咥えて引っ張った。『ラマルが危ないの! 乗って!』これは乗って欲しい時にミントがよくする動作だ。
「お、おい。どうしたっていうんだ? 落ち着け」
『落ち着いてる場合じゃない、早く!』そう言われた気がして、俺は迷わず中に入り鞍を付けミントの上に跨がった。
「よくわからんがお前に任せる。頼むからぶつかったり曲がり損ねるなよ?」
『任せて……!』ミントは壮絶な勢いで駆け出した。流れるようにトップスピードに乗り街道に出るとあっという間に減速し出した。そして勢いはそのまま茂みの中へ行こうとする。
「どっちに行くんだ? 本当にこっちなのか?」
『黙って』というように一鳴きするミント。辺りを探る為に見渡した俺の目には信じられない光景が飛び込んで来た。
「……この痣、お前“精霊の神子”だったのか! マジかよ、大当たりだぜ。これで一生……」
「はあっ!」
ラマルに圧しかかっている男の頭を渾身の一撃で蹴り飛ばす。血が熱く沸いて、とても冷静でいられない。
「ぐぁあ! な、なんだお前。憲兵か?!」
槍を持って来て本当に良かった。ぐったりと倒れる子供……ラマルがどうしようもなく心配だが、今はこの男の相手だ。
「へッ、いつもなら逃げるとこだが、そいつは俺の獲物だ……よく見りゃお前、そこのガキとつるんでた兵士か。なぁ、そいつを助けるより──」
随分とおしゃべりな男だ。殺さないように言い聞かせながら、リーチを生かして傷付けつつ足を取る隙を待った。
「チッ! うぜえなっ。話ぐらい聞けよ……!」
「黙れ」
「お前もそいつを利用する為に近づいてたんだろ?! なら」
「そんな打算で近づいたりする訳がない!」
やっと転ばせることに成功して、首に刃を当てて背中を踏み付けた。
「よく聞けよ! そいつはな“精霊の神子”なんだぜ? お国に突き出せば一生遊んで暮らせるんだぞ?!」
ラマルが、“精霊の神子”──? 女の子、だったのか。気づかなかった──。
ショックを受けるのは後回しにして、俺は男の腰の袋をぶちまけて縛れそうな物を選ぶと男の両手両足をきつく結んで引っ括った。
「クソがっ!!」
しゃべらせて置くと禄なことを言いそうにないので、猿ぐつわで口も塞いだ。最後に外れないか絞めて確かめると、男はあからさまに痛がるふりをした。木に括りつけて……よし、終わったな。
「ラマル!」
そばに駆け寄って抱き起こす。頬の殴られた痕を見て、一気に男への殺意がぶり返した。だが殺す訳には行かない。
「ぅ、セー……ジ?」
「気が付いたか?」
パチリと目を開けたラマルは、俺を見て安堵したのか泣き出してしまった──。
「セェジ……ふぇ、あーーー! え、えーーん!き、た……。っく、うえぇ」
「遅くなってごめんな」
何も言えないほど泣きじゃくるラマルを慰めながら、俺は男を確実に引き渡す為の算段を立てた。
やはり人を呼ぶことにして、一度犯人から目を離したのだが、幸いにして逃がすことなく男を砦に連れて行くことが出来た。道中ミントが男を殺しそうな目で睨んでいて、万が一逃がしてもミントが即座に捕まえてくれたような気がする。『よくも神の乙女を拐かそうとしたわね──蹴り殺してやりたいわ』
傷付いたラマルを抱えて教会に行くと、シスターはすぐに手当てやベッドの用意をしてくれる。
「ごめんなさい」
誰もいない教会の廊下で待つ時間、ラマルはある程度落ち着きを取り戻して見えた。
「……今度は何を謝ってるんだ?」
「僕、セージに嘘吐いてた。精霊の神子だって黙ってた……」
腕の中で怯えるラマルを責めようなんてつもりは、始めからない。
「その話は後だ。あんなことがあったばかりなんだから、少し休みなさい」
「セージさん、ラマル。部屋が用意出来ましたのでお入りください」
シスターがラマルの頬に薬草の湿布を貼り付け、足の怪我を念入りに清める。ベッドに腰かけるラマルの顔色は青白く、それ以上に浮かない表情だった。
「ありがとう、シスター」
「ラマル、大変な目に遭いましたね。今日はここでゆっくり休んでください。私がついていますから」
「……じゃあな、ラマル。ちゃんと俺が見舞いに来るから、抜け出したり帰ろうとしたりするなよ?」
ドアに向かおうと立ち上がると、ラマルは釘を刺した俺を引き留めて立ち上がった。
「待って。嫌だ。僕もセージの家に行く」
「いけませんラマル、それは……」
ラマルは憎悪さえ含まれていそうな恐ろしい視線でシスターを黙らせた。
「ラマル、シスターの言う通りだろ。そんな目で見るもんじゃない」
「……譲れない。今日セージと話したい。泊まらせて欲しい」
十六歳の女が……それも“精霊の神子”が、一人暮らしの男の家に泊まる訳にはいかない。しかし誰がどう言っても引きそうにないラマルに、シスターが呆れてため息を吐いた。
「仕方ない子ですね。私もセージさんの家にお邪魔します。それで良いですか?」
「……うん。ごめんなさい、シスター」
またラマルが涙を零した。拭ってやって頭を撫でてやりたいと思ったが、しない。もう今までと同じように接することは出来ないだろう。
「良いんですよ。あなたはもっと我が儘になって良いんです」
シスターの準備を待つ間、ラマルは押し黙ってしまった。こちらもどう話しかければ良いのかわからず、重い空気がまとわり付くようだ。
「なあ、ラマル……」
「お待たせしました。行きましょう」
話しかけたと同時にシスターが戻って来て、完全に機会を逃してしまった。そんなに深刻になるなと言いたいだけなんだが、ラマルの様子では言ってみたところで難しい気もする。
「それにしても、セージさんはよくラマルの危機がわかりましたね?」
「ああ、それはミントが教えてくれたんです。でなかったらどうなっていたことか……」
「ミントにお礼言わなきゃ。ずっと僕のこと心配してくれてるし」
「本当ですね。美味しい餌を持っていってあげましょう」
三人で普段通りのふりをしていて、居心地が悪かった。家に帰り着いてすぐに夕飯を食べ終える。
「ご馳走様でした。ねセージ、お風呂は沸いてる?」
「入りたいなら沸かすが、怪我をしてるだろ?」
「どうしても今日入りたいんだけど、だめかな?」
「そんなに入りたいのですか? 今日は止めて置いた方が良いですよ」
「うん、わかってるけどちょっとだけ。足は入れないから」
今までそんなに風呂好きという訳でもなかったのにおかしなことを言うラマルに、俺は軽口を叩く。
「せめて明日にしたらどうだ? じゃなきゃシスターと一緒に入れば良い」
「そうですね、そうしましょう。直接見ていれば私も安心です」
「じゃあ今から用意するんで、待っていてください」
……という訳で俺はシスターとラマルの為に風呂を沸かしていたりする。
『そいつはな“精霊の神子”なんだぜ?』誘拐犯の男の声が再生されて、俺はやるせない気持ちになった。“精霊の神子”が居たというだけでなく、それがラマル。
この国で国王の次に国民の支持があり権力を持つ、宮に住むような雲上人……ラマルのことでなければ良いと切実に思った。喜ばしい事実のはずなのに、どうしても嬉しいと思えない。
ラマルとシスターが上がると、せっかく沸かしたので俺も入ることにした。やっぱり贅沢だよな~風呂って。気分が解れたし、だからラマルも入りたくなったんだろうと思った。
「セージ、入るよ?」
「ああ、何か用か?」
まだ少し濡れてるのか艶やかな髪を肩に垂らしてラマルは俺の部屋に入って来た。ラマルとシスターには客間を用意してあった。ラマルの親になってくれる人が俺の家に来たら必要になるかもと思って準備してあったのだが、まさかこんな風に使うことになるとは。
「あの……大切なこと、お礼を言いたくて──」
頬を蒸気させて赤くなっている。丸っこい目に輪郭、高い声や柔らかな手など言われて見れば女の子らしいところが沢山ある。ラマルが今着ているのはレムさんからもらった男の子用のパジャマだった。
「お礼なんて良いのに──という訳にはいかないな。入れ。パジャマだけだと冷えるだろ」
子供だからとばかり思っていたが、そう子供という訳でもなかったしな。やはり頬の腫れは酷くなり、ラマルの顔に醜く張り付いているように見えた。
「危ないところを助けてくださり、本当にありがとうございました」
見上げるラマルは真剣な口調で切り出した。まだ今日出来事なのに、無理をしている素振りは見せない。シスターの言った『強くあろうとする』という言葉を実感する。
「どう致しまして」
「それで、僕が精霊の神子だっていう話……本当なんだ。だから、僕は女の子で……セージに黙ってたんだ」
「ああ、とても驚いたがわかったよ。お前だって生きていく為に頑張っていたんだから、そんな嘘くらい許されるさ。俺は怒ってないから、泣くな」
瞳を潤ませて涙を堪えるラマルが愛おしい。
……急に女の子だったとわかって、考えが突飛になっているな。今までと変わらないラマルだと思うのに、自分の感情の変化に戸惑いを隠せなかった。
「訊かないの? どうして、とかっ……早く言っても良かった、とか」
「言いたいか? それとも訊いて欲しい?」
立ちすくんでいたラマルは俯いて目元を拭うと、俺の手を取った。
「セージが聞いてくれるなら──言いたい」
簡単にまとめると、仕事を貰う為だったりなるべく人買いに目を付けられないように男の方が良いと悟り、それ以来ずっと当たり前に男のふりをしていたそうだ。
自分が“精霊の神子”だと知ったのは最近で、例の神子を題材にした小説で確信したらしい。ラマルの話は感情や背景が何も語られなかったせいで、箇条書きの文を読んだみたいに聞こえた。
「大変だったな」
それしか言えることがなかった。ラマルはずっと俺の手を握って居た。命綱か何かみたいに、話している間中離すことはなかった。
「泣いちゃってごめんなさい、セージは僕が泣くと悲しいよね。でも……止められないんだ」
「泣きたい時は泣いて、また笑え。それでラマルの悲しいのが流れていくなら、俺は悲しくない」
「うん、うん」
しかしこの時、ラマルは俺に全てを明かした訳ではなかった。これは秘めていた真実の中のほんの一部分だったのだ。
「さあ、今日はもう寝ろ。シスターを呼んで来ると良い」
「あの、さ……シスターにはレムさんの家に泊まってもらうことにした」
「ん? どういうことだ? シスターが納得したのか?」
「納得してくれたよ。僕のお願い、聞いてくれる?」
シスターが納得したというのが信じられなかった。まさか、それならどうしてわざわざここまでついて来たんだ? しかしラマルのお願いは内容を聞かなくてもわかった。
そして、ラマルからの好意が、はっきりと伝わってきた──これを気のせいだと思い込めるほど鈍くはない。
「それは出来ない。お前もレムさんのところに泊まらせてもらいなさい」
「前もしてたんだから、一緒に寝るくらい良いでしょ?」
「だめだ。良かったら言わない」
きっぱりと言い渡す。実際がどうとか、前はとか関係ないのだ。世間は例え煙のないところにでも火を見つける……ラマルのこれからが傷物になって良い訳がない。
「本当に今日だけ! もうこんな我が儘言わないから、お願いセージ!」
必死に頼み込むラマルの期待の目が痛い。この期待を裏切りたくないと思ってしまうんだ。
「客間で……お前が寝付いたら俺は自分の部屋で寝る。それでも良いなら……」
「うん! それでも良い。ありがと、セージ」
嬉しそうに笑うラマルから、風呂上がりの石鹸の香りが漂ってきた。突然、自分の忍耐に自信が持てないと気付いて愕然とした。客間に行くまでの間に、気を取り直す。
「消すぞ」
昨日までと同じようにベッドに寝転ぶと、ラマルが俺の上に乗ろうとしてくる。それを止めて横に落とした。
「むう~、ちょっとくらい良いじゃん」
「お前な、俺が出て行く時にその状態だったら起こしちまうかもしれないだろ?」
正直に言えば、体全体が密着してしまう状況は避けたかった。万が一反応してしまったら、自己嫌悪で立ち直れないかもしれない。
「……セージ、もう寝ちゃった?」
「寝たらだめだろ。お前が早く寝ないと俺は寝れないんだぞ?」
「……セージはさ、僕のこと──どう思ってる?」
──来たか。予想はしていたが、しないで欲しかった質問。
「好きだぞ」
冗談めかして言う。ラマルの真剣さを今だけは冗談にしてしまいたかった。
「僕は。僕はセージが好き! ……恋人になりたい意味で好きなんだ。恩人でも友達でもなくて、それ以上に近くに居たい」
「止めろ」
「なんで? セージは、僕のこと、好きって言ったじゃない?」
震える手が俺の二の腕に乗せられた。袖を握りしめて、答えを求めている。
「お前の気持ちには応えられない」
「……っ! やっぱり、僕が子供だから? セージも、シスターみたいなきれいな女性が良いの?」
「待てよ! 勘違いするな。俺は今すぐ答えが欲しいと言われても、考えられないと言ってるんだ」
嘘だった。ラマルの口調が自分を責めるようなもので、慌ててつい嘘を言ってしまった。だが引っ込める訳にもいかないのでなんとか言い訳を考える。
「セージは僕のこと良く知ってるよね? なんで、すぐには考えられないの?」
「……俺は今日、お前が襲われているところを助けて、実は女だったと知っただけじゃなく、“精霊の神子”だったんだぞ? そんな時に、好き……とか言われても混乱して、うまく考えられない」
「そう……だよね。セージは精霊の神子は居ないと思うって言ってた。居ない方が良かったのかな……?」
「馬鹿! それは、全然違う。誤解だ。神子が嫌なんじゃない、神子様の力に頼りっきりのこの国が嫌なんだ。俺は……お前を尊敬しているし、好きだとも思う。ただそれが──恋愛なのかわからない」
それも嘘なんじゃないかと考え、しかしすぐに打ち消した。言葉を重ねれば重ねるほど、まるで断りの言葉を言えないように聞こえる。自分でそう思うのだから、ラマルが聞いたら──。
俺の腕に乗っていたラマルの手が肌をなぞって下りていき、手を掴んだ。鳥肌が立つのを耐える──これ以上は、何だと言うんだ。正気を保て……おい、ラマルだぞ?
「僕……セージの気持ちがまだ恋じゃなくても良い。好きじゃなくて良いから──」
ラマルが布団を捲って上半身を起こした。視線を向けると……上に何も着ていない。白い肌が闇に浮かび上がって、胸の真ん中辺りにぼんやりと丸い痣らしき物が見えた。
「何してる!」
離れようとして、手を握られて止められる。簡単に振り払ってしまえるのだが、それが出来ない。何を考えたら正しい? くそ、だんだんわからなくなって来る。
「──セージのものになりたい、」
掴まれた手が導かれて幼い膨らみに近づ───「だめだ!」
「僕を抱い──あっ!」
無我夢中だった。ラマルから離れなければいけない。その一心で、転げるように家を飛び出した。
違う、違うんだ。何が違うのかもわからないが、きっとわかってはいけない。俺は追い詰められて、息を切らして走りながら教会に行こうとだけ考えた。
きっと神父さんなら──教会なら、この俺を許してくれるだろう。……ラマルを一人の『女』として見てしまった俺を。




