少年と少女のあいだ3
井戸端会議に割り込んできた兵士が言ったのは『児童暴行容疑』──僕のせいだ、とすぐに気が付く。どうしよう? なんとか誤解を解かないと、セージが捕まっちゃう!
完全に潔白でも、憲兵に取り調べをされたってだけでどうなったのか、ミントの口から聞いて居た──『泣きながら、昔根も葉もない噂にボロボロにされたことがあるって。──しかもね、プレッラに来てからもそのことを知った仲良かった知人女性に罵られて、その後二度と会ってもらえなかったことがあるのよ。その時に教えてもらって……女性は別に恋人ではなかったらしいけど、それにしても誤解でそんなに傷付けられて可哀想よね』なんて酷い話だろうと怒りを覚えた。あの優しいセージにそんなことがあったなんて──にも関わらずずっと優しい人なんだ。と嬉しくもなった。
『──まあ、私はそれを見て多いに同情してあげたのよ。セージったらそれは喜んでたわね。わ、私に仕えられるんだから当たり前だけれど?』ミントは本当にセージが大好きだ。ミントがもし馬じゃなくて人間だったら、僕はミントの存在を知ってすぐにセージを諦めただろうと思ったくらい。
とにかくその話を聞いてから、僕はセージが勘違いされないように気を使うようになった。
最初に大声を出して迷惑になってしまったのを謝りに回ったのと、セージ自身がそれまで努力していたおかげもあって、僕とセージは誤解されたり怪しまれなかったんだけど──それを昨日の泣いてしまったので、自らぶち壊してしまったんだ……。
セージがやっと築いた信頼をここで台無しにしたら──僕、自分が許せなくなる。絶対にそれだけは防がなくちゃ!
兵士達は逃がさないと言うように、俺の肘を掴んで拘束した。
「どういう容疑でしょうか? 詳しくお願いします」
馬屋でミントがいなないた声が聞こえた。『セージに何すんの! 代わりに私が相手になるわよ?!』こういった雰囲気に敏感だから、後で落ち着かせてやらないと。
変に冷静なのは当たり前で、捕まることも兵士達の行動にも慣れてしまっているからだ。誤解を解くのは大変だが、必ず解けると信じている。
「昨夜、この辺りで貴様が少年に暴行を働き泣かせたという通報があった。取り調べを行う、来てもらおう」
「ま、待ってください。それは誤解です……!」
兵士に連れて行かれそうになった途端に、ラマルが血相を変えてその兵士の前に立ちはだかった。
「君は……もしかして、暴行されたというのは君かい?」
「違いますっ。僕は泣いてしまったけど、決してセージに暴行なんてされていません。待ってください!」
「我々もいきなり逮捕しようという訳じゃない。事情を聞かせてもらう為に連れて行くだけだよ。わかるかい?」
ラマルが十六歳に見られていないのは、兵士の口振りですぐにわかった。実際のラマルは法律を諳んじてみせるくらい頭が良い。
「だったら僕が行ってあなた達に説明します。勘違いで連れて行かれて、僕のせいでセージがこの町の人に誤解されるのは嫌なんです!」
「どういうことかね?」
まるで昔のことを目の前で見ていたようなラマルに、俺は一瞬違和感を覚えた。
俺は確かに誤解されやすいが……それこそヤスミンの時には兵士に連行もされた。当然その後には親父の店も俺自身も噂で酷いことになった。だがなんでラマルがそれを……? 聞かせたことはなかったはずだが──誰か、シスターにでも聞いたのだろうか?
「セージのことを良く知らない人は、見た目と兵士に連れて行かれたって言うそれだけで、セージを悪い人みたいに噂したり嫌がらせしたりします。だから連れて行くなら僕にしてください。でなければセージの家かどこかでお願いします。お願いします!」
涙を滲ませて、ラマルは頭を脛に付くほど下げた。体が柔らかいんだなぁなんて、無関係なことを考えた。そうしないと、うっかり泣いてしまうかもしれなかった。
兵士はあまりに必死なラマルを見て、俺の両肘を放した。顔見知りである憲兵の一人、ディフィスト少尉がラマルの前に座って目線を合わせた。
「君の言いたいことはわかったよ。ガルハラ一等兵の人柄は聞き及んでいるし、直属の上官は『ガルハラが結婚する以上に児童を襲うなんて有り得ない!』と断言したほどだ」
上官ん!! 嬉しい気がするが結婚以上にとは何事だ! ……信頼されている、と思おう。心の平穏の為にそれが一番だ。考えたら負ける。でも同僚や上官に対する説明を今から考えておかないと。
「それでも連れて行かなければならないのですね?」
ラマルの言葉にディフィスト少尉は束の間驚いたようで、次の言葉まで間があった。
「その通りだ。ただ──君も当事者な訳だし、君と同時に取り調べを行おう。それに兵士に拘束させるのは止めさせよう。噂はそれで幾分ましにはなるはずだ」
「譲歩して頂きありがとうございます。とても理解の深い方でいらっしゃるのですね」
微笑んだラマルの口から出てくる敬語が、別人の話すようで奇妙だった。
「では行くぞ」
ディフィスト少尉を先頭に俺とラマルがついて歩き、その後ろから二人の兵士が挟む形で俺達は砦へと向かった。
町中の人間の視線を集めたが、ラマルが明らかにわざと「誤解で連れて行かれるなんて酷い!」と大声で繰り返したので、きっと家に何かされたりはしないだろう。……多分。
砦──と言っても防御機能は高くなく、最低限の訓練所を備えたごく小規模のものだ。勤務先ではないので、実は俺もあまり来たことはなかったりする。
ラマルはしきりに辺りを窺っては小声で俺に質問した。そして聞こえていたディフィスト少尉に答えてもらっては、恐縮して謝っていた。案内してもらったのは机と椅子しかない小さな部屋だ。詰め所にも似た部屋があるから、取り調べ室だろう。
「それでは昨晩の事情というのを話してもらおう」
ラマルには一旦黙っているように言ってから、日常的に仲が良いことと出張から帰るのが遅れてラマルが不安がって泣いたことを簡単に話した。
「なので、喧嘩というか良くあることといいますか……仲直りもしているので深刻なことは何もありませんでした」
「ふむ、なるほど」
内容を真向かいの兵士が調書に書き留めてから、質問を幾つかされ答える。
「な、納得してもらえましたか?」
話が一通り済んでから初めてラマルが発言した。
「では次にラマル君にお聞きします。セージ・ガルハラ氏のことをどう思っていますか?」
「友人であり恩人でもあります。助け合える対等な関係にあると思っています」
「恩人、ですか」
含みを持った、言い難そうな顔をしている兵士にラマルが言い放った。
「セージが本当は僕に性的な関係や行為を迫ってごねられたのではないか疑っている、とは言い辛いですか?」
「んなっ?!」
耳を疑った。どうしてそんな話がラマルの頭から出てくる?! ラマルの奴、今日はどうしたんだろう……。
「ふむ、その通りだ。児童暴行には良くあるケースだし、被害者の児童が加害者を庇うことも良くあるから、慎重に調べなければならない」
扉の横に立つディフィスト少尉が調書を取る兵士に一瞥をくれると、代わりに答えた。机に向かう彼は感情を隠すのは下手なようで、屈辱を感じて顔を赤くしていた。
「お望みでしたらここで裸になって痣や痕がないと証明しましょうか? 僕とセージにそういう事実はありませんし、暴行というのは間違いです」
「……わかった、その必要はないだろう。今の証言を書類にするから二人共サインをしてもらいたい」
「わかりました」
「わかって頂けて何よりです」
最後までラマルは毅然とした態度で少尉や兵士と会話していた。
「ラマル少年、君はとても決断力があり賢い。もし将来の道をまだ決めて居ないなら、将来ぜひ私の部下として雇いたい。ご両親がおられないのであれば、その為に私の養子になってもらえないだろうか? 相応しい環境があれば、君は大樹になれるだろう」
取り調べが済んで砦の表まで見送りに出てくれた少尉が、ラマルに向かって真剣に告げた。
「ありがたいお言葉ですが、今はお断りします。準男爵から養子にしたいと打診されている話がもしなくなったら、その時はもう一度考えさせて頂けますか?」
「既に君に目を付けている人間が居る――か、当然だな。お願いしよう、その話がもし消えたら、次は私の養子になることを考えてくれ」
呆然とその会話を聞いていた俺はラマルの意外な一面を知って、実はまだラマルのことを全く知らないのではないかと思った。
「ねー、セージ」
「どうした?」
「肩車して欲しい!」
「良いぞ、動くなよ……っと」
普段は控えめに手を握りたがるだけだが、たまにこうして肩車をねだることがある。仲の良い家族連れを羨ましそうに見ているところを見ると、やはりまだ父親に甘えたい部分は残っているようだ。
「今日さ、ごめんな」
「どうした? 何を言ってるかちんぷんかんぷんだぞ?」
落ち込んだ調子で謝るラマルをからかったら、平手が頬に当たってぺちりと音がした。
「僕のせいじゃん? 砦に行かなきゃいけなかったの」
「違うって。昨日のは俺のせいだし、自業自得だろ」
「セージは人が良過ぎ」
「どこが。小心者なだけだ」
「悲しい気持ちは見せないで、辛いことがあっても何でもないさって……凄いと思うけど、僕はセージが口さがない噂されたり誤解されるのヤだ」
「何も言えないのは臆病者だからなんだ。お前は勇気があるよな、あんなにはっきり物が言えて」
ラマルが頭を掴んだ手に力を入れた。せっかくの休みだというのに、今日は碌なことが出来ないだろう。昨夜の罪滅ぼしにラマルと商店街で遊ぶつもりだったのに。
「セージが臆病者で小心者なら……僕が勇猛で大器になるね?」
「おお、そいつは良い! お前は体が小さくて苦労しそうだからな。心はでっかく育て」
「うん!」
家に着いて肩の上からラマルを下ろすと正面から頭を撫でて言った。
「ありがとうな、庇ってくれて。本当に嬉しかったぞ」
「う、うん。あんなの、何でもないさ! 当然でしょ、親友なんだしっ?」
「照れるな照れるな」
「煩いなぁっ」
耳から首まで真っ赤になったラマルをからかって、食事の後はもう一度ご近所にお土産配りと誤解で兵士に連れて行かれてしまったという話をして回った。
「大変でしたね、セージさん。ラマル」
「シスター、本当に大変だったんだよ!」
最後に教会に寄るとラマルは誰より堂々と声を大にして、ありもしない容疑で砦に連れて行かれたと文句を言った。まったく、しょうがない奴だ。俺の為だと思うと怒るに怒れなかった。
「それじゃあ、これはお土産です。少し多くしたので教会の皆さんで召し上がってください」
「ご親切にありがとうございます。神のご加護を……セージさんは」
視線を合わせられて、妙な話の振り方だと感じた。
「はい」
「ラマル君のことを大切にしているんですね」
「そりゃあ、懐いてきて可愛いですよね」
「ラマル君はセージさんといる時が一番子供らしいですしね」
いつも真っ直ぐな言葉で話すシスターにしては含みがあって、砦でのラマルを見ていただけに何となく不安になった。
「また何かラマルのことで?」
「ああ、違います。どう言えば良いのか……セージさんが思うよりも、ラマルは成長しています。あなたには見せないようにしているみたいですが、あの子の隠している部分に注意してあげて欲しいのです」
隠している部分、ね。確かにもっと良く見ていないとあっという間に成長して追い抜かれてしまいそうだ。
「そうですね、ラマルは成長していくし知らない一面がまだまだある。俺は実はラマルのことを全然知らないような、そんな気がしました」
「ラマルは強くあろうとして努力も惜しみません。私はここで見た誰よりも強いラマルが誰よりも心配です。ですから……セージさんが、包んであげてください。私では出来ないから」
天使がおとぎ話を紡ぐような無表情に近い表情で、シスターは俺を見上げて視線を合わせた。切羽詰まってはいないのに不思議な圧力と意思を感じた。これも、知っている人の知らない一面。
「それが俺に出来るか……もし悩んだら、相談に来ても良いですか?」
「もちろんです。夜遅くでも朝早くでも、きっと来てください」
シスターにお礼を告げて教会を出ると、すぐ横の壁でラマルがもたれかかって立っていた。
「あ、セージ! やっと終わったの?」
「ああ、それより先に帰れば良かったのに。もう用はないだろ」
「用はないけど、そこまで歩こう?」
言われるままに並んで歩く道、ラマルが何か話したいことでもあるのかと待ってみたが、結局何も言われないままいつもの別れ道に来てしまった。
「じゃあな、気を付けて帰れよ」
「……うん、セージ。ばいばい」
何か言いたそうな顔で、それから笑って手を振って。今日は最後の最後までラマルがおかしな一日だった。
「……なんなんだ、あいつ?」
その様子を見ていた人物に気づくことなく、俺は家に帰るのだった。




