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木洩れ日と日だまりのあいだに  作者: 結衣崎早月


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少年と少女のあいだ2

 今日は一週間ぶりにセージが帰ってくる。僕は朝から玄関の前で今か今かと待っていた。

 お昼だと気づいたのは、レムさんがご飯を差し入れてくれたからだった……。


「ラマルくん、もしかしたらセージさんも予定が変わったのかもしれないし、遅くなるといけないからうちで待ったら? ずっと外に居るのは寒いでしょう?」

「へーきだって! ほら、レムさんがプレゼントしてくれたセーターにマフラーに、もこもこの靴下! これがあれば全然寒くないよ。セージは予定が変わったら手紙に書くって言ってたし、手紙には何もなかったでしょ?」


 僕が一生懸命に待ちたいことを力説すると、レムさんに苦笑いされてしまった。


「でも、急に予定が変わったのかもしれないわよ? また風邪を引くかもしれないし……」

「レムさん、僕のこと心配してくれて嬉しいけど……僕、ただセージのこと一番に出迎えたいだけなんだ。レムさんも今日はお買い物とかやることあるんでしょう? 大丈夫だよ」

「まったく、私の方が説得されちゃうんだから、やっぱり口が上手いわ」

「セージが早く帰って来れば良いだけだし、心配しないで」


 僕がなんて言ってもレムさんはやっぱり心配してくれて、僕の内側があったかくなった。


「じゃあ、あんまり寒くなったりお腹が空いたりしたら勝手に家の中に入って良いからね?」

「うん、わかった!」

「絶対だからね」


 何度も頷いた僕のさらさらの髪の毛を撫でて、レムさんは帰って行った。お買い物の前には手を振ってくれたし、帰って来た時には蒸しパンを差し入れてくれた。


「……もう日が暮れちゃうわよ?」

「うん、きっともうすぐ帰ってくるってことだよね?」


 一度日が傾くと驚くような速度で夜になって行く──わかっては居ても、僕はこの場所から動きたいとは思わなかった。


「何かあったら、大きな声で呼んで。すぐに駆け付けるから」

「ありがとう、レムさん」


 とうとうレムさんは僕を説得することを諦めたらしい。ため息を吐いて、悲しそうに笑った。


「セージさんに早く帰って来てもらわなきゃ、今日は眠れない気がするわ」

「ばいばい」


 夜と夕方のカーテンが入れ替わる……空を見上げて、小説の一説を思い出した。きれい。ほぅと息を吐くとそれは白い姿を持っていた。

 セージ、何かあったのかな? 予定が変わった? ……事故、とか。ミントに何かあったとか。向こうで風邪引いちゃった……とか? 冷える身体を縮こまらせて、扉に背を預ける。

 帰って、くるよね……? セージ、どうしたのかな……。

 空と共鳴するように心も暗くなっていって……深い紺色と星々が一斉に滲んだ。

 寂しい、セージ。お願いだから帰ってきて、何にも悪いことは起きてないって証明してよ。そしたら僕は、強がって笑って見せるから。

 だから……。




 すっかり帰るのが遅れたなぁ。実家に帰った後にヤスミンの暮らす家に招かれて一晩過ごし、それどころか朝飯までご馳走になってしまった……。

 土産物を買わなきゃいけないと思い出したのがその後で、しかもどうしたって移動には休憩が必要だし、わかっていたのに何だかんだ宵の頃になってしまった……。

 町の入り口でミントから降りてゆっくり歩き出す。近所迷惑だからな、こんな時間に走らせたら。『ラマルが待ってるって言うのにこの男は……のんびりしちゃって、全く酷い奴──無自覚って性質悪いわ』


 さて、今日はもうミントの世話をしたらベッドに転がるだけだな。ラマルには悪いことしたな、きっと日暮れのギリギリまで待っていたんじゃないだろうか? まあ土産も買って来たし、それで勘弁してもらおう。


「ん……?」


 やっと家が見えて来た……のは良いが、なんか扉の前に置物? があるな。俺宛ての荷物でもあったのか?


「、セ……ェジ……?」


 聞こえるはずがない声が聞こえた気がした。もう辺りの家の灯りも消えていて、良く見えないが……まさか?

 そんな訳がない。もうとっくに帰ってるだろ。むしろ帰ってなかったら怒るぞ? 今が何時だと思って。??

 早足で扉に近づくと置物が立ち上がった。真っ暗な中に浮かぶ真っ白な肌が、走り出したのか途端に鮮明になる。


「ラマル!」

「ふ、ぅ。セ……ジッ。帰ってきた……遅いっ! 馬鹿馬鹿ぁ!」


 脚にぎゅうぎゅうと抱き付いたラマルは、いきなり涙声で俺を罵倒し出した。痛い。


「遅いって、お前何でこんなところに居るんだ? 危ないし寒いだろ、レムさんはどうしたんだ? そっちに居れば……良かっ」


 顔を上げたラマルが、俺を捉えた。凄い形相で、背筋に寒気が走った。


「セェジのこと待ってたの! 怒るんなら、さっさと帰って来いよ、馬鹿セェジ! ぼ、僕が……待ってるんだよ? ひっく、わあ~~~んっ!」


 大号泣。泣く子には手が付けられない……という訳にもいかない。なんとか泣き止ませなければ、夜中にご近所中を叩き起こしてしまう!


「わかった。俺が悪かった。だから泣くな。頼む、な?」

「ばかぁ~! えっ、ひぐ……心配した……っ。セェジが、事故とかッ、病気とかしてたら……どしよって……ぇ!」


 屈み込んだ俺の首にしがみ付いて、堪えるようにラマルは泣いた。大声を抑えようとして、でも涙のせいで上手くいかないんだ……。

 俺は後悔した。もっと早くに帰って来れば良かった。こいつはこんなに待ってしまうほど、俺を信頼して期待してくれていたのに。


「俺が全部悪かった。ごめんな、ラマル……ありがとう」


 あやすように落ち着くように、小さな背中をトントンと叩く。少しずつだが涙が収まって、ラマルは強く握りしめていた俺の外套を放した。頭を撫でてやると、つるりとした感触に驚いた。またレムさんに梳かしてもらったらしい。


「は、反省した?」

「した」

「もうしない?」

「しない、しないよ。だから、お前もいつまでも待つんじゃないぞ?」

「遅れたセェジが悪い」

「もちろん、俺が悪いが」

「……わかってる、拗ねてごめん。セェジも僕のこと大事だってことだよね? ちゃんと次からは……安全なとこで待つよ」


 はっきりした文句から一転して囁くような穏やかな声になった。どうやら落ち着いたらしい、良かった。


「俺も遅れないようにするから、お前も努力するんだぞ?」


 ラマルは涙で真っ赤になった顔でこくんと頷いた。ぐちゃぐちゃでどうしようもなかったけど、はにかむ笑みは可愛く思えた。


「ね、もう寝ようよ。僕眠たくなってきちゃった」

「そうだな。とりあえず今日は寝るか。ミントを小屋に入れて来るから、先に入ってろ」

「え……じゃあ見てるよ」

「なんだ? ずっと外に居て寒かっただろ? 中であったかくしてろよ」

「……やだ」


 また泣きそうな顔でラマルは俺の服を握りしめた。


「しょうがないな。ほら、早く済ませるぞ」


 ラマルは無言でズボンを握り締めたままついてきた。次々に溢れる涙を何度も擦って、目の周りをもっと赤くして。……もしかしなくても、また居なくなったらどうしようとか思ってるんだろうな。さっきの今だから、一人で待てないのもわからなくはないか。


「セェジ、どうして遅くなったの?」


 最低限の世話をなるべく早くやって、ラマルを家の中に押し込んだ。外は寒かったろうに、そこは孤児の強さなのか、ラマルがこの冬に寒いと言うのを俺はまだ一度も聞いていなかった。


「ああ、前に妹が居るって話はしたよな?」

「うん」


 何も食べていないと言うラマルに、簡素なスープを作って食べさせる。話を聞く間も眠いのかしきりにまばたきをして、それでも起きていようとする。


「おい、今日はもう寝ろ。話の続きは明日だ」

「うー……明日、絶対だよ?」

「ああ、絶対してやるから」

「うぅ……ん」


 眠りに落ちるとはよく言ったもので、ラマルは見事に真っ逆さまだった。そんなに眠いのもみんな俺のせい、か。


「おやすみ」


 ラマルをベッドに運んで潰さないように身体の上に乗せると、ようやく一息吐くことができた。

 昔から孤児というのはからかいだったり悪戯の対象になる。それも良い大人が退屈しのぎにそれをしたりするから、教会の子供たちは言伝や旨い話には慎重で、めったに乗らない。

 聞いたことはないがラマルも待てども待てども来ない人間を待ったことがあるはずだ。だからきっと帰っていると思った。

 ……俺の考えは間違っていた訳だが、ラマルにとって俺がそんな大切な存在になっていたのかと少し嬉しくもなってしまう。当然、一番は申し訳ない気持ちが強い。

 何となく、滑らかになった長い髪を撫でている内にいつの間にか眠って居た。

 次の日はラマルにヤスミンの話の続きをして、お土産を渡した。


「そうだ、お前にお土産があるぞ」

「え?! ぼ、僕に?」

「ほら」


 荷物から取り出したのは一足のサンダルだ。と言ってもサンダルにしてはしっかり革で作っていて、子供用だからかなりのサイズが調整できるのが売りだ。


「うわ! 革のサンダルだ! これ、高いんじゃない?」

「大した値段じゃない。そんなことより履いてみろよ」

「うん!」


 いそいそとサンダルを履いて紐を締めて立ち上がってみるラマル。


「どんな具合だ?」

「凄いね! こんなにちゃんとした靴を履いたの初めてだよ。ありがとセージ。ずっと大事にする!」

「ああ、似合ってて良かった。そうだ、お前レムさんにまた髪を奇麗にしてもらったんだな? もういっそ切っちまったらどうだ?」

「ああ、セージはわからないかな? 髪の毛巻いて寝ないと寒いんだよ。冬に切ったら凍死するかも。だからみんな長く伸ばしてるんだ」

「そうだったのか! じゃあ養子にもらわれたら切れば良いな。そうしてると随分印象が変わって見える」

「そうだね。レムさんが、清潔に見えた方が良いって親切にしてくれたんだ」


 ラマルは新しいサンダルを履いて部屋中を歩き回った。ボロシャツでなくレムさんの編んだセーターを着ているせいか、女の子みたいだ……なんて思ったが、言うとまた拗ねるだろうから言わない。にしてもサンダルを気に入ってくれたみたいで良かった。

 罪滅ぼしじゃないが、咎めた気が幾分許されたように感じた。


「そうか、じゃあまずレムさんのところに挨拶に行くか。昨夜のも謝らないとな」

「あ、昨日の……ごめんなさい。泣き出しちゃって」

「……気にするな。とにかく行こう」


 むしろ謝らないといけないのは俺の方で、罵られても仕方ないのだが。深くは掘り下げずに土産を持ってご近所を訪ねに行った。


「こんにちは、ラマルを預かってくれてありがとうございました。これ、お礼です」

「あらまあ、昨夜ラマルくんを泣かせたセージさんじゃないの」

「ええ、その節はどうも。ご迷惑ご心配をおかけしました」


 レムさんからの棘が胸をチクリと刺した。自分が悪いんだから甘んじて受けるしかないな。困ったような顔をしたレムさんは土産の包みを取った。袋から取り出されてすぐに手提げ袋が返ってきた。


「迷惑は良いんですけど、あまりラマルくんを悲しませないようにね? あら……綺麗なストール」


 目に付いたストールにレムさんの関心が変わって良かった。普段はとても穏やかな人だが、叱る時は厳しくて怖いので少し不安だったのだ。


「セージにしては気が効いてるね!」

「どういう意味だ! それは妹からです、お世話になっていると話したらこれからも兄をよろしくと伝えて欲しいと言われまして。その下にある包みが自分からです」

「そういうことかぁ」


 納得して頷くラマルの頭を軽く叩いた。その通りだが失礼にもほどがあるだろ。


「それじゃあ二つも頂いてしまって良いのかしら?」

「もちろんです、気持ちですから。これからもお世話になりっぱなしだと思いますし」

「レムさん、遠慮しないでもらっちゃってよ。セージって気にしいだからさ、その方が喜ぶんだって」

「じゃあありがたく頂きます。あ、こっちはお菓子ね。またラマルくんに分けてあげるわ」

「喜んで頂けて良かったです。セーターやお下がりの洋服まで沢山頂いてしまってるのに、また髪の毛を手入れしてもらっちゃって――本当に頭が上がりません。俺も気を付けますのでラマルのこと、今後も可愛がってやってください」

「もちろんラマルくんを可愛がるのは良いけど、そんなに頭を下げないで。こっちが申し訳なくなるわ」

「いえいえそんな、ほらラマル、お前も頭下げて! これだからいつまでも子供で……」


 ちょうど良い高さにある頭に手を置いてラマルに礼をさせると、すごい力で頭が上がった。


「も~、セージはいつもそればっかり。あんまり子供扱いしないでよね。僕のこと何歳だと思ってるの?」

「何歳って……そりゃあ十二、三だろ?」


 本当は初めて会った時は十歳だと思っていたのだが、臍を曲げられても困るし今はそのくらいかと思っていたので、正直に答えた。


「……レムさんは?」

「私もそのくらいかな、って思っていたわ」


 そう聞いたラマルはこれ以上ないってほど眉尻を下げて不服そうな顔をした。


「酷いなぁ~! 僕がちっちゃく見えるのはわかるけど、これでも数えで十六歳だよ? 年が明けたら十七歳になるんだよ?」

「ええー!!」

「嘘……」


 十六、だって……? めったなことじゃ動じないレムさんがラマルを見て固まっていた。信じられん。これで成人してるのか……! 因みに、ダカットの成人祝いは数えで十六になった時、春の新年祭でみんなで盛大に祝う。


「だからみんなして僕のこと子供にしか見てなかったんだね。都合が良いから幼く見られるようにしてたけどさ~? 十二歳でこんなに大人びてたら変じゃない?」


 それを自分で言うか。これは十歳だとばかり思っていたなんて口が裂けても言えないな。


「ごめんなさいね。勘違いしてて」

「悪かったな」

「……もう良いよ。ただ子供扱いし過ぎないで、って言ってるだけ」


 ああ、やっぱり拗ねたか。唇を突き出す表情はどう見ても子供なのだが、それを言うと更に拗ねるからやっぱり言わないでおこう。


「……あら、兵士さん達よ。こっちに近づいて来るみたい」


 レムさんの言葉に後ろを見ると確かに見慣れた鎧を着た憲兵が三人でこちらにやって来た。何か事件でもあったのだろうか? 憲兵はおいそれとは平民が成ることの出来ない地位ある職業なので、ただの一等兵である俺からすれば憧れとも言える存在なのだ。愛する街を守る憲兵に憧れて兵士になったようなものだしな。


「ご苦労様です」


 とりあえず敬礼をして話を聞こうとすると。


「セージ・ガルハラだな? 児童暴行容疑で連行する」


 それは青天の霹靂だった。

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