森と家のあいだで
その日は曇り空だったように思う。
しがない雇われ兵士である俺は、人捜しの足で森まで出向いていた。
やっぱり今日も件の人は見付からないし、なんだか雨まで降ってきそうで鬱陶しいと思っていた。邪魔な枝を適当に槍で切り払って、道なき道を進む。
『槍だと枝をあしらい辛いな』とか『こんな危ない森の奥に誰が居るんだ』とか思って居たが、そこは文句も言えない雇われ人の辛いところ、一応でも居ないことを確認しなければならない。
「っうわ!」
「ん? なんだ、こんなところに誰か居るのか?」
突然茂みの向こうから聞こえてきた、転んだような声と音。近づいて見れば、声の主は十歳くらいの子供だった。黒いボサボサの髪に、垢に塗れて茶色い、その上サイズも合ってないシャツから、少年が裕福でないことにはすぐ気が付いた。
うずくまって足を庇っている。俺を見上げて、『どうして行ってしまわないんだろう……』みたいな戸惑いを浮かべていた。
「あ、あの」
「どうした、怪我でもしたんだろ? どこだ?」
視界を遮る兜を脇に抱えて、少年のそばに座り込む。少年はどこか怯えているようだ。俺はちょっと怪しく見えるかもしれないが、流石にビビられるほど怖い顔はしていない……つもりだ。つもりだ……。
「僕、足を挫いてしまったみたいで……おじさんは、どうしてこんなとこに?」
おじさんな。そりゃーおじさんだよな、子供から見たら。
泥の付いた手を外してもらい、そっと持って観察した。白く栄養の足りてなさそうな足首は、一目で捻挫とわかるくらいに青く腫れていて、とても痛そうだ。にしてもこのガキはひょろっちいな。碌な物を食ってないと見える。
「仕事だよ、仕事。うーん──これは捻挫だな。薬は持って来てないから、大した手当ても出来ないし……よし、俺の家で治療してやるよ」
腰に付けた袋から包帯を取り出すと、しっかり足首を固定してそう言った。
「えっ? だ、大丈夫です。これだけで充分ですよ、ありがとうございました」
でかい目は遠慮がちに笑い、どこか儚さを感じさせた。人に頼るのに慣れていないのか、はたまた家に連れ込まれるのを警戒しているのか? ともかく、差し出した背中に乗ろうとしないガキを正面から抱き上げた。
「良いから、それじゃ歩けないだろ? って軽っ! おいおい、お前いつも何食ってんだ?」
「ぅわあっ!? 高ぁい!」
抱き上げられたガキは俺のことを無視して、目線の高くなった世界に夢中だ。良いけどな、べ、別に……悲しくなんかないぞぉ?
「おい、とりあえず名前はなんだ? 俺はセージってんだ」
「僕は、ラマルと言います」
「ふぅん、ラマルか。よろしくな」
「よろしく、です」
ぎこちない笑顔と敬語は、人に慣れていないのだろうと簡単に予測ができた。目の下まで伸びた髪と声も小さいせいで、酷く消極的な印象を受けた。
「ラマルは何だってあんな森の奥に居たんだ? 何もないし獣も出るし、危ないだろ?」
ラマルを懐に抱えて歩き始めた俺は、ふと疑問を投げかけた。この森は聖獣の座す森と呼ばれ、立ち入りが規制されている。こんな子供が居て良いような場所ではない。
「食べる物を採ってたんです、あの辺りは沢山採れるので……」
「食べる物? ……なあ、お前親は居るのか? 誰と暮らしてる?」
親、と聞いたラマルの体がびくりと震えた。その陰った表情だけで、答えは要らないほどだ。
「い、居ない」
誰にも頼らずに生きてきたとわかる諦めた表情に、俺はどうしようもなく哀れみを感じた。少しだけ昔の自分を思い出し、苦いような懐かしいような気持ちが起こる。
「……そうか。よし、もう少しで着くぞ」
三十分ほど歩いて、ミントを繋いだ場所まで連れて来ると、愛馬にラマルを見せた。
「馬だ! すごい、初めて近くで見た!」
「はは、やっぱり俺よりこいつの方が人気者だな。撫でるのは今度やらせてやるから、おとなしくしてろよ?」
いつものことなので気にしないが、相棒の腹を撫でてやり調子を確かめた。『あら、何この子』みたいな目でラマルの方に鼻先を向けている。
ラマルはラマルでキラキラした目で少し体を起こして、馬の顔を良く見ようとしている。興奮しているものの、いきなり手を伸ばしたりしなかったので安心した。
「名前はなんて言うの?」
「こいつはミントって名前の女の子だ。ほら、じっとしてろよ? 舌を噛むぞ」
ラマルを一旦背に乗せてから自分もミントに乗り、ラマルを膝の上に移動させて手綱を持つと、腹を蹴って前進の合図を出した。
「うわぁ! すごいすごい、速いし、全然違っふゅぅ~~っ!」
しっかりと俺の鎧に捕まりながら、尚あちこちを見ようとするラマルは、やはり舌を噛んでしまい、俺を涙目で見上げた。
「はは、だからしゃべるなって言ったんだよ」
子供特有の好奇心なのか、初めて馬に乗ったらしいのにまるで怖れる様子がない。ミントが怖がって居ないことが何よりの証拠だろう。暴れられなくて良かった。
五分くらい駆け町の中まで入ったところで、俺だけ馬から降りた。この町はプラッレ。小さな町だが俺の叔父が暮らして居る。俺自身も、もう五年は住んで居るが住みやすい良いところだ。
ラマルはミントに横乗りにさせたまま、家までの短い距離を歩いた。
「むー、いひゃい」
「しばらくすれば治るさ」
そう言って欲しいのではないのだろう、ラマルは少しだけ恨みと期待が混じったような視線でこちらを見た。
「セェジって意地悪な奴」
「拗ねるな拗ねるな、そうだ。何かおやつでも買っていこう」
セージと名乗ったのだが、拗ねたラマルが呼んだ俺の名前は舌ったらずで“セェジ”にしか聞こえなかった。
「オヤジ、この蒸しパン二つな。金置いてくぞ」
適当な屋台で蒸しパンを買い、一つをラマルに渡した。
「何これ。食べていいの?」
「ああ、蒸しパンも知らないのか?」
「知ってるよ、ただ聞いただけじゃんか」
ちょっとムッとしたところは孤児らしい。あまり交流はないが、彼らはいつも何かに反発するような受け答えをする。
「悪かったから、さっさと食えよ。ん、美味いぞ?」
俺は蒸し立て熱々の蒸しパンを頬張って見せた。ラマルは恐る恐る、手の中の蒸しパンにかぶり付いた。
「んん! 甘っ、美味しっ……!」
「もうご機嫌だな」
ラマルは蒸しパンを夢中になって食べ尽くすと、幸せそうに笑った。
「ありがとう、セェジ! 蒸しパン美味しかった!」
「おう、気に入ったみたいで良かったな」
「うん。見ては知ってたけど、初めて食べたんだ~」
俺はかじっただけで、まだ持っていた自分の分の蒸しパンをラマルに向かって放り投げた。
「ほらよ」
「わたたぁ! 投げるなよ、これ……って食べてもいいのか?」
「要らないなら、俺が食うけど」
取り返すように手を伸ばせば、ラマルは慌てて蒸しパンを抱き込んだ。
「あ、だめ。僕が食べる!」
「はいはい、わかってるって」
あまりに素直なその様子に、思わず笑ってしまう。それがラマルの機嫌を損ねるとわかっているが、微笑ましい様子に堪えきれない。
「う~意地悪だ」
「ははは、家に着いたぞ」
路地裏の安い家だが、馬屋がある家の中で一番安かったのだ。その馬屋にミントを入れてラマルを抱える。
いつもならすぐに鞍を外して世話をしてやるのだが、流石にこいつを抱えては出来ないので後回しにしよう。『え、鞍も外してくれないの? そんなに若い女が好みだったの?』俺が何もせず行ってしまうのがわかると、ミントは不機嫌に鳴いた。
「悪いなミント、少し待っててくれ。ちゃんと戻って来るから」
『ふん、少しって言ったら少しよ? 待っててあげるから、早くしなさいよねっ』理解してもらえたらしい。本当に賢くて良い馬だ。
「ここ、セェジの家?」
ボロい壁、年季の入ったソファをラマルは不思議そうな目で見ていた。こちとら稼ぎの少ない一兵士、あまり贅沢も言ってられない。叔父さんは一緒でも良いのにと言ってくれたが、自立する為に出て来て迷惑はかけたくなかったからな。
「そうだ。一応全部俺の持ってる家だぞ? 小さいが、居心地は悪くない」
「……汚いね」
「うっ! いや~つい掃除をサボり気味でな。大目に見てくれ。今薬を持ってくから、どっか行くなよ」
子供は正直すぎて困る。一度ラマルをソファの上に下ろして、薬を探しに別の部屋に入る。
確かに洗濯物や馬具などが散乱しているが、この家の借金があるから節約しても通いの使用人も雇えないんだ、仕方がない。自分でやろうにも、なかなか人使いが荒いんだよ、お偉いさん方は。
誰も居るはずのない難所にばかり、うら若き乙女を捜しに行かせて、正直俺達の年代の兵士には何をしたいのかわからない。
名目はわかるが、そんなとこに誰が居るっていうんだよ。捜し始めてから十何年も見付かってないなら諦めれば良いのに……。
無意味な言い訳を内心呟いて、ごちゃごちゃした棚の中から、腫れや打撲に効く軟膏を探し出した。あったあった。
「セェジ?」
ふと見れば壁に手を付いてびっこを引いたラマルが、こっちを見ていた。
「おい、足を怪我してるんだから無理に歩くな」
「う、うん。ごめん」
ラマルは妙に嬉しそうな顔で謝った。怒られて嬉しそうとは変な奴だ。
「今そっちに行くから、待ってろ」
部屋の入り口に立つラマルに近づくと折れそうな体を持ち上げて抱え、そのまま元の居間へと運んだ。
「セェジっておっきいね」
「ん? そりゃあお前よりかはな。誰だってでかくもなるさ」
冗談はさておき、確かに俺の体は成人男性の中でもでかい方だ。身長は入隊した時で百九十三センチあった。体重は増えて居なければ八十二キロだ。この体があったからこそ、兵士という安定職を得られたと思っている。
「僕はちょっと小さいかもしれないけど、やっぱりセェジは大きいと思う」
「ちょっとかぁ~? 普段何を食ってんのか知らないが、もっと肉を食え! そうだ、どうせついでだから飯も食って行くか?」
「お肉? 僕お肉って食べたことないんだけど。食べさせてくれるの?」
肉を食ったことがないだと……?! いや、孤児で森の中で食事を賄っているなら、確かに食べたことがなくても不思議はないのか?
「もちろんだ、その足じゃ帰るに帰れないだろうから、今日は泊まっていくと良い」
「ええぇ、そんなに迷惑かけらんないよ……大丈夫だよ? ちゃんと帰れるから」
その無駄にきっぱりと言い切った口調と爽やかな表情に、本当にこの少年が誰かに頼ったり甘えたりすることを知らないのだと感じた。
その足のことを抜きにしても、十に届くかどうかの子供がさも当たり前のように親切を断る姿に、どうしようもなく違和感がある。
警戒されているならともかく、ここまでの道中で親しみが湧いてからの、拒絶ではなく遠慮。拒絶ならまだ理解もできるんだが……。すんなり受け入れられないにしたって、ラマルの様子には『期待』というものが見られなかった。
「ふ~ん……お前がどうしてもってんなら無理には誘わないが、人の親切に甘えたって誰も怒ったりしないだろ? それとも何だ、誰かに言わないといけない事情でもあるのか?」
「あ、や。そんな人は居ないよ……? 特に誰かと暮らしてるって訳でも、ないし」
歯切れの悪い返答に、嫌な想像が頭をよぎる。
「……本当にか? 寝床のために虐待されていたりしないか?」
「ぎゃくた……違、っそれはないよ! えとね、暮らしてはないんだけど、仲よくしてくれてる人が居て……その人って外に出られなくて働けないから、三日に一回くらいお見舞いに行ってるんだ。今日行く約束だったのに、会いに行かなかったら心配かけちゃうって思ったんだ。ほんと」
「そういうことか。だがお前が無理して怪我が酷くなったら、その人だって尚更心配するだろ? 後で俺から事情を説明しても良いし、今日だけは無理するな」
ラマルの説明は確かに納得いくものだった。こういう孤児たちは通いの職場や溜まり場があったり、似たような事情の大人に多少なりと支援を受けていることが多い。もちろんそんな大人がラマルを食わせてやれたら一番なのだが、この国の現状ではそれが出来ていない。
十六年ほど前、流行り病で沢山の人間が死んだ。もちろん子供も沢山亡くなったが、両親を亡くした孤児も多すぎて、国が施設を建て対策を打っても数も金も足りず、どうにも思うような成果が上がっていないのが現状だ。
だからといって、居るかどうかわからない“精霊の神子”捜しに兵士を毎日向かわせるのはどうかと思うが。
「う……ん。わかった、今日はお世話になるよ。セェジって顔の割にいい奴なんだね?」
最後まで躊躇ったものの、ラマルは家に泊まることに同意してくれた。
「顔の割に、は余計だ。そうと決まれば、お前のベッドが必要だな」
「ベッド……?」
「なんだ? 今度はベッドで寝たことがないとか言うつもりか?」
からかいの言葉に、ラマルは頬を強く染めた。おや?
「……悪かったね。僕がベッドで寝たことないからって、何かある?!」
目の端に溜めた涙に少しからかいが過ぎたらしいと、後悔がもたげた。
「すまん、言い過ぎたな。許してくれ」
ボサボサの髪に手を置き、ぐしゃぐしゃと撫でる。それだけのことに、ラマルは目を見開いて呆けてしまった。どうしたと声をかける間もなく、ラマルは破顔した。
「へへ……、ま、まあセェジがどうしてもってんなら、許してあげなくもないよ?」
「どうしても、この通り!」
大げさに手を合わせて頭を下げれば、ラマルは得意そうな顔で涙を拭った。
「いいよ。セェジは意地悪だけど、僕は心が広いから許したげる!」
「ありがとうな」
「ど、どういたしましてっ」
ラマルが笑ってくれたことに心底安堵した。
そしてやっとミントの世話をしに行くことが出来た。ミントはメスだからか、俺が客に付きっ切りだったりちょっとでも手を抜くとすぐに不機嫌になるのだ。
『遅かったじゃない。私のことなんて忘れたのかと思ってたわ』
「お前を忘れたりしないよ。わかってるだろ? 俺がどんなにミントを大切にしてるか」
『……ま、まあ許してあげようかしら。私の寛大な心に感謝するのね』
その分構ってやれば機嫌が良くなるのも早いから、俺は注いだ愛情をいつだって返してくれるミントを大切に思って居た。
夜になり夕飯のシチューにラマルが感動した時には、またからかいたくなってしまったが、この時は堪えることができた。驚きに瞠った黒い目と紅潮した頬は、こちらがびっくりするぐらい美味しさを伝えていた。
「あー美味しかった! ご馳走さまっ」
「もう良いのか?」
「もうって、二杯もおかわりしたんだからお腹いっぱいだよ。沢山ありがとなっ」
満足そうな笑みには眠気が見てとれた。腹が膨れれば眠くなるのも当然だな。
「ならもう寝るか。悪いんだが家にはベッドが一つしかなくてな。ソファで寝てくれないか?」
「ソファってあれのこと?」
ラマルが指したそれは、持ち主の贔屓目にもソファと呼ぶにはお粗末な物だった。ボロい。
「ん、俺は今日は床で寝ることにした。お前がベッドで寝れば良い」
「へ? なんでさ? それじゃセェジは寝にくいだろ?」
「気にするな。一日床で寝るぐらいどうこうない。野営よりはよっぽどましだからな」
「あ、違……でもさぁっ」
申し訳なさそうにしているラマルは、突然泣きそうな声でぐずった。こいつの感情のスイッチはどうなっているんだ!? 俺の顔以外の理由で泣かれるとお手上げだ、というかすぐ泣くのは勘弁して欲しい。焦るだろ?
「おいおい、いきなり泣くなよ。俺が寝るにはソファは小さ過ぎるんだから、仕方ないだろ?」
「い、一緒に寝てくれるんじゃないのか? セェジが嫌なら、別に構わないけど……」
ああ、そういうことだったのか。やっと納得した。つまり始めから一緒に寝たいと思っていて、それを言い出せないでいたのか。
父親と寝たこともなさそうだし、ならこだわることもないか。警戒心が強いからてっきり、他人のそばじゃ寝づらいんだと思ってしまった。
「そんなことなら別に大丈夫だ。ただ俺はベッドになんとか収まってるからな。お前を追い出しちまうかと遠慮してたんだが……まあ、ちっこいお前なら平気か!」
はははと笑うと、途端にラマルの顔がぶすくれた。
「ぁあもう、セェジは一言余計だって!」
むくれてしまったラマルを宥めて、俺たちは早々にベッドへと潜り込んだ。
「もう灯りを消すからな?」
「うん」
二人で狭いベッドの上に横たわると、どうしても体が密着してしまう。本当にベッドから落としてしまわないように気を付けねば。
「もうちょっとこっちに寄っておけ」
ラマルの体をそばに抱き寄せると、頭を撫でた。
「えへへ……セェジ、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
どこにでもあるようなこんな何気ない出会いが、俺の人生を大きく変えたんだった。