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五品目

仕込みを終えるとアイリスさんは若い女性1人で夜道は危ないと言ってくれた。

お土産のケーキを貰ったわけだけど……最近は糖分を取りすぎだ。

このままでは絶対に太る。


レスト様に押し付けようか?

いや、それはそれでお土産に持たせてくれたアイリスさんに悪い。


それにアイリスさんの焼いたケーキだって、極上だ。

正直、酒場兼宿屋で出るものではない。


これを食べたら、レスト様はまたおかしなやる気を出してしまうのではないだろうか?


……さすがにレスト様をアイリスさんのお店に連れて行くわけにはいかないよね? ……聞こえてないよね?


アイリスさんからお土産に渡されたケーキ箱を眺めながら首を捻った時にお腹が鳴る。

お昼を頂いたとは言え、かなりの労働だったお腹くらいは減る。

どこかで食べて帰ろうかな? とも考えたのだけど、出かける前に料理長からまかないの夕飯を聞いた私は即断で食べると返事をしてしまった。


……仕方ないじゃないか。レスト様は不愛想で表情筋は動かないけど外交官である。

いろいろなつながりがあるためか、貰い物でも良い食材が手に入るし、それを使用人達にも振舞ってくれるのだ。


……この間、レスト様に付き合って甘味めぐりをした事を考えると我慢するべきだよね。


街通りは夕飯の時間が近づいてきたためか、我慢をすると決めたのだけど、美味しそうな匂いが鼻の中に飛び込んでくる。

このままでは誘惑に負けてしまう。何か考えよう。


レスト様にばれないようにケーキを焼くのは可能なんだろうか?


……考えた事が悪かった。


空腹時にケーキを焼く事なんて考えたら、お腹が減るに決まっているじゃないか。

自分のおバカさ加減に涙が出そうになるが、お腹の虫は完全に号泣中である。


アイリスさんから貰ったケーキをどこかで食べてしまおうか?

いや、街中でケーキを手づかみで食べるなど乙女として大問題だ。

さすがにそんな事はできない。


「ミルアさん、ケーキの箱を見つめて何しているの?」

「へ? キュリアちゃん、こんにちは。図書館の帰り?」


それでも、ケーキが気になってしまい、ちらちらと目線が箱に移っていたようでそんな私を見つけて声をかける人がいる。

声をした方を振り返ると丸渕メガネをかけて本を抱えた少女が立っている。

彼女は魔導士や騎士などを目指す若者が学ぶ、シュゼリア王立学園の生徒である『キュリア=ランスター』ちゃんだ。

もちろん、政を行う家の子息も入学しており、レスト様は外交面を学ぶために入学していた。

経営面などを学ぶ学科もあるのだけど、それなりに入学金や学費がかかる。

まあ、実際は庶民でも入学する事はできるのだけど、私のような親もいない人間は入学する事はできない。


「そうです。ミルアさんはおつかいですか? でも……メイド服じゃないですね?」

「今日はお休みだったんだよ。有給休暇」

「そうですか。さすがはレクサス家、労働条件が良いですね。レスト様の事に目をつぶれば」

「うん。レクサス家で拾って貰わないと私は娼館行きだったよ。まあ……胸が残念だし、お客が付く気はしないけど」


キュリアちゃんは私がメイド服ではない事に少しだけ不満そうな表情をする。

彼女の手に抱えているのは恋愛小説であり、彼女はいろいろな物語と現実を重ねる事がある。


メイド服に食いつくと言う事は、主人公がメイドの物語を読んでいるのだろう。

その様子に苦笑いを浮かべるとキュリアちゃんは私の考えている事に気付いたのか照れくさそうに笑うと話を変えようとする。

レクサス家の労働条件が好条件なのはキュリアちゃんの耳にも届いているようだが、やはり、レスト様の表情筋は気になるようである。

しかし、恋愛小説が好きなキュリアちゃんから見れば、金髪碧眼の美形なレスト様は萌え要素なのではないか?

それなのに表情が強張るのはレスト様の不気味さを象徴しているだろう。


「……普通にミルアさんなら、お客さんが付きそうですけど、美人だし、私と違って明るいし」

「何か言った?」

「いえ、それでケーキを見て、どうしたんですか?」


キュリアちゃんの声が聞き取れなくて聞き返したんだけど、何もないと言われてしまう。

聞き逃した事にキュリアちゃんは気にしていなさそうだし、どうでも良い話だったんだろう。


「アイリスさんのお店を手伝ったらお土産にもらったんだよね」

「……休日に他のお仕事しているんですか? それも有給休暇のはずなのに」

「言いたい事はわかるけど、仕方ないじゃない。独り身で平日に突然のお休み、相手をしてくれる人がアイリスさんしか見つからなかったんだから……キュリアちゃんは私のようにならないでね」


労働の対価として貰ったと話すと少し呆れたように言われてしまう。

自分が少しみじめになってきてしまうが恋愛に興味ありすぎなキュリアちゃんのためにも、反面教師としてでも物を教えておかなければいけない。


……寂しくなんてないよ。


「ならないもミルアさんのようにはなれません」

「……そうよね。キュリアちゃんはまだ育つ事はあっても減る事はないよね」

「どこの話をしているんですか!?」

「……胸」


キュリアちゃんの言葉に年下のはずの彼女の胸と私の残念な胸を見比べる。

当然、惨敗ですよ……本当に泣きたくなります。


「……胸だけが評価基準じゃないですから、私から見ればミルアさんの方がずっと羨ましいです。金髪碧眼の若き美形貴族に求婚される美人メイド。設定だけでお腹いっぱいです」

「……キュリアちゃん、ちょっと落ち着こうか? 妄想の世界に入り込むのは良いけど、私とレスト様はない」

「そうですか? そんな事はないと思うんですけど、レスト様はあれだし、同年代の女性で近づけるのってミルアさんだけじゃないですか? それに身分差のある物語は夢があります」

「あのね。キュリアちゃん」


キュリアちゃんは私を励まそうとしてくれたようだけど、途中で自分の欲望を優先させてしまったようで拳を握り締めて暴走を始める。

それも彼女の頭の中で繰り広げられているのは私とレスト様の恋愛模様……恐れ多い。

だいたい、彼女は私がMだと言う事をわかっていない。

キュリアちゃんが求める恋愛模様など絶対にありえない。


……どうしよう。止まりそうにない。


彼女を止めようとするのだけど、こうなってしまえば簡単には止まらない。


「キュ、キュリアちゃん、ケーキ食べない? ブライさんのお店なら、場所も貸してくれるだろうし」

「魅力的なお誘いですけど、それをすると店先で恋愛小説を読み始めて、ブライさんに迷惑をかけるのでやめておきます」

「……どこから湧いて出てくるのよ?」


女の子なら恋愛小説も好きだろうけど甘いケーキも大好きなはずだ。

わずかな希望を胸にキュリアちゃんを近くにある知り合いのパン屋さんに誘うが彼女は頭の中で作り上げた私とレスト様の妄想で口元を緩ませたままである。

ここは人通りの多い場所であり、隣を通り過ぎる人達はキュリアちゃんの怪しさに怪訝そうな表情をして通り過ぎて行き、正直、私も彼女を置いて逃げ出したくなっている。


しかし、すでに時間は夕暮れ時であり、女の子1人を置いて帰るわけにはいかない。

彼女が正気に戻るまでは付き合おうと半ば諦めた時、私の背後から男の子の声が聞こえた。

男の子はキュリアちゃんの幼馴染の『ガラット=オニキス』くんであり、彼は物腰穏やかな人の良い少年なのだけど、なぜかキュリアちゃんは彼の事が嫌いのようで声を聞くと同時に彼女の瞳は妄想に夢を膨らませていた女の子から、親の仇でも見るような鋭い視線に変わってしまう。


「おばさんに頼まれて探しにきたんだよ。ミルアさん、キュリアがご迷惑をかけてすいません」

「別に迷惑はかけてないよ。私が話に付き合わせちゃっただけだから」


彼女の視線を無視して、ガラットくんは礼儀正しく私に頭を下げてくれる。

本当に良い子だと思う……なのにキュリアちゃんの視線からは殺気にも似た何かが放たれている気がする。

この視線はいくらMである私でも耐え切れない。


ど、どうしよう?

ガレットくんも来てくれたし、キュリアちゃんを引き渡して帰ろうかな?


「……それはあの店の物か?」


一方的にガレットくんに敵意を放っているキュリアちゃんの姿に2人にしておいても良い物かと首を傾げた時、見なれた馬車が私の前に止まった。

それはレクサス家の馬車であり、いつも通りの表情が固まったレスト様が顔を覗かせる。

街を歩いていた私を見つけて止まってくれたのかと一瞬思ったけど、それにしては言葉がおかしい。


……レスト様は甘味をかぎ分ける才能があるのだろうか?

お屋敷に帰ろうとしていた私……いや、ケーキを見つけるなんて、この方はどれだけ甘味が好きなんだろうか?


「……ミルア、私の話を聞いているのか?」

「き、聞いています。これはあのお店の物ではありません。友達のところに行ったら、お土産にといただきました。どこのお店の物かは知りません」

「そうか……乗れ」


レスト様のケーキへの嗅覚に私が言葉を失っていると淡々とした声で名前を呼ばれる。

なんとなくだけど、レスト様が怒っているような気がして私は慌てて返事をするが、ケーキの出所はとりあえず隠す。

レスト様は馬車の中から、私の表情に嘘はないか確認するように見た後、私に馬車に乗るようにと誘っていただけるのだがそれは確実に命令である。

だけど、今はキュリアちゃんとガレットくんとの話の途中である。


「あ、あの。レスト様」

「ミルアさん、俺達も帰るから、大丈夫ですよ」

「そ、そう? ありがとうね。ガラットくん、それじゃあ、キュリアちゃんの事をお願いね。キュリアちゃんもまたね」


2人をそのままにできないと思い、レスト様のお誘いを断ろうとする。

ガラットくんは私が何を考えていたのか気が付いてくれたようであり、私の服を引っ張る。

彼が気を使ってくれた事にお礼を言うと馬車に乗り込む。

ガラットくんは笑顔で手を振ってくれるのだけど、キュリアちゃんはレスト様の登場で再びおかしな妄想を始めたようで口元を緩ませてぶつぶつと何かつぶやいているが聞かない事にしよう。


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